あなたが死んでくれれば⑥
「しせん?」と不安げに問い返したファウスティーナはケインの腕に強く抱き付いたまま、珍しく顔を引き攣らせながらもヴェレッドの言う通りに“しせん”を探し、見つけたクラウドから目を逸らさなかった。死の糸と書いて死糸と読むのだとクラウドに教えられる。物騒極まりない糸の意味は、人間の死を示す糸。イル=ジュディーツィオが死糸に触れると何時・何処で・どの様に死ぬのかが視られるのだ。
「ファナじゃないけど物騒過ぎる」
「全くだよ。能力の扱いや糸の種類が何か知らなかった時は、分からないまま千切ったり他に結んでたりして遊んでいたら、お祖父様に叱られたんだ。扱い方を知らない糸に無闇に触れるんじゃないって」
同じ運命の糸を操れるフワーリン公爵にしか、未熟で無知なクラウドを止められる者はいない。
「さっき、ヴェレッド様が無理矢理千切ってと言ったのは?」
「見てれば分かるよ」
死糸を摘まみ、向かってくる連中を視界に捉え、両手を使って糸を引き千切った。途端、敵意剥き出しで向かっていた連中が次々に倒れていく。ある者は胸を押さえ、ある者は腹を押さえ、またある者は目から血を流す始末。
「こういう事。死糸を無理矢理千切ると相手の死を強制的に引き寄せるんだ。本来の死が何十年後に訪れるのを、強制的に現在に引き寄せると味わうこともなかった死が襲い掛かるんだ」
先程メルディアスが語った言葉を思い出す。
『“女神の狂信者”が最も恐れる貴族は……能力を持つフワーリンの者なんですよ』
前触れもなく相手を死の運命に叩き付ける恐ろしい力。他にも恐ろしい能力があるらしいがこれだけを知っていれば、危険な集団でも最大級の警戒と恐怖を抱く。
「クラウド様は平気なのですかっ? 簡単に人の運命や命に触れられて」
「平気じゃなかったら、イル=ジュディーツィオなんて役目与えられはしないさ。平気さ、僕はお祖父様より能力が強い分、性質もフワーリン側だから」
放っておいたら蒲公英の綿毛の如く飛ばされてしまいそうなふわふわ感を持つクラウドを初めて得体の知れない怖い人だと認識してしまった。笑みは崩さず、ファウスティーナ達には視えない糸を放ったクラウドの意識は部屋の外へと向けられた。
「僕が死糸を全て千切ろうにも見つけるのに時間が掛かるし、相手の近くに行かないといけないよ」
「はいはい、知ってるよ」
圧倒的で無慈悲な能力には制限が課せられていた。先代司祭オルトリウスから詳しく姉妹神や初代国王、公爵家を教えられたらしいヴェレッドが提案を示した。
「俺とメルディアスのどっちかが連中の相手をしている間、お嬢様達を安全な場所に連れて行く。つか、安全な場所ってあるのここ?」
「疑問形で提案しない。あるにはありますよ。場所を教えるから、坊や君は子供達を連れて屋敷を出てね」
「でもメルディアス様、怪我を」
1人、脇腹に傷を負っているメルディアスを残して敵の注意を引き受けられる心配をしたファウスティーナにぽんぽんと頭を撫でたのはケインだった。
「騎士様は司祭様や陛下からの信頼が篤い方なんだ。ちょっとくらい怪我をしたって生きて会えますよね?」
「手厳しい公子だ……余程の相手がいない限りは、まあ、生き残れるでしょう」
「余程の相手?」
「リオニー様のような怪物でなければ、です」
「王様やシエル様も化け物みたいに強いからね~」と付け足すヴェレッド。メルディアスから言うとリオニーは同じ騎士だが立場的にはリオニーが上。2人とも、目上に対する言葉じゃないが畏まって綺麗な言葉を述べるよりかは自然体過ぎて安心感が芽生えた。
慌ただしい多数の足音が近付いてくる。邸内に侵入したのだ。
ヴェレッドが安全な場所をメルディアスから教えられると両者共一斉に走り出した。扉を蹴とばした先には2人の刺客。死糸を千切られ悶え苦しむ相手と同じ格好。盛大に舌打ちを放ったヴェレッドの頭を小突き「この2人を殺したらすぐに行きますよ」鮮やかな動きで刺客2人の息の根を止めた。
「走るよ、ファナ」
「は、はい!」
メルディアスの言う通り駆けるにはケインの腕を離れないとならない。腕を離した代わりに手を繋がれ、走ることを促されたファウスティーナはギュッと握り返しケインと共に走り出した。クラウドは後から続いた。
目指す場所は階段の手前にある部屋。
前方から迫る全身黒ずくめの敵を難なく斬り捨てる度に死体が廊下に転がり。悲鳴を上げる余裕すら緊迫した場ではない。なるべく死体を見ないよう前を向いて走っていると目的の部屋に着いた。
メルディアスが扉を開け、室内に人の気配がないと告げるとファウスティーナ達を先に入らせた。
ヴェレッドが入ると扉は閉められた。
「さっさとするよ」と内側の鍵を閉めた。
雲に隠されていた満月が顔を出す。月明りのお陰で灯りが無くても室内を探せる。メルディアスの言っていた秘密の抜け道を見つけるべく、床にある隠し扉を探した。床を叩いていれば出て来ると言っていたが中々見つからない。
定期的に掃除はされているようだが、隠し扉を使用している痕跡はないに等しい。此処の屋敷自体、築何十年も経ち所々修理が必要な個所があった。
「シエル様や王様達が早く来てくれたら、万々歳なんだけど」
「司祭様はもう王都に着いている頃ですね……」
「どうだか。案外、神官を王様の所に行かせて自分はこっちに向かってそう」
有り得ないと言い切れないのがシエルで。難関なシエルの思考の読み取りを行えるのがヴェレッドだ。
「これかな」とケインが厚い敷物を退けて発した。集まって見てみると微かに板と板の間に隙間があった。騎士から奪った剣を隙間に差し込み、板を外すと中は空洞だった。
「子供の遊びが逃げ道を作ってくれるなんてね」
この空洞を通ると屋敷の裏側にある物置小屋に出る。大人の男性のヴェレッドでもギリギリ通れる。
「先ずは俺が行く。危険があったら剣で空洞を叩く。俺が行って2分経っても音が聞こえなかったら、順番に降りて来て」
ファウスティーナ達が頷くとヴェレッドは空洞の中へ入った。
あっという間に暗闇に吸い込まれて行った。
ファウスティーナは心の中で120秒数え始めた。
一方で、ケインは死糸を探すクラウドの側に。
「見つかりそう?」
「難しいね。相手が近くにいないと見つけにくい」
「まあ、いない方が良いからね。しかし、この屋敷には仕掛けが沢山あるんだね」
「家名を聞き忘れたよね。夫人の名前はグリマー様って言ってたけど、聞いたことはないよ」
「俺も。ずっと療養しているなら、名前を聞かないのも仕方ないよ。元々家同士の交流があったなら、話は別だろうけど」
30秒。
「ファウスティーナ様何してるの?」
「120を心の中で数えてます。今は40秒……」
「はは、そっか」
60秒。
「後60秒で2分です」
「ありがとうファナ。
外、静かじゃない?」
「……そうでもないかな」
床に耳を当てているクラウドと同じ体勢を取ると、微かに足音が発せられていた。場所は違えど“女神の狂信者”と疑う連中の相手をメルディアスがしている最中なんだろう。
「空洞からも音はしないね」
「敵の狙いはファウスティーナ様みたいだし、僕達を攫った騎士が屋敷に閉じ込めていると伝えていたら余計な場所は探さない。僕ならそうする」
「俺も同感」
「家に帰ったらフカフカのベッドで寝たいよ」
「私もです! ……75……76……」
「皆そうだよ」
87秒。
床から離れたケインとクラウドは、ふと、固く閉ざされた扉を見やった。隠し扉を探していた最中、気になったヴェレッドがドアノブを回すも扉は開かなかった。向こう側から鍵が掛かって開かなかった。
「どうしたの? ケイン」
「初め、メルディアス様との3人で部屋探しをしていたら、夫人が現れたよね」
「また現れるかもって? そんなタイミングよく――」
がちゃりと扉が開く。
吃驚した3人。突如現れた胸辺りまで伸びた白髪の女性。咄嗟にケインが隠し扉に覆っていた敷物を100数えたファウスティーナに被せた。「お兄様!?」と声を上げたファウスティーナの口を塞いだ。
アーヴァの魔性の魅力によって愛する夫から冷遇され、娘を無理心中に巻き込み失った奥方がアーヴァに瓜二つのファウスティーナを見て豹変する危険性がある。精神崩壊していようが根本にある憎しみは消えない、相手を間違えようがアーヴァだと信じる。
「マディ…………マディ…………」
娘の名を呟き徘徊しだした奥方を警戒しつつ。
「……物置小屋に行こう。ファナ、先に行って」
お兄様が、と言おうとしても厳しい紅玉色の瞳の前では言葉は霧散した。100秒経ったら十分。何も言わず、兄の言葉に従ったファウスティーナは敷物を被ったまま空洞へ近付いた。
「――マディ……マディ………………見つけたわ……」
え……と出したのは誰か。
足を上げかけたファウスティーナは背中から感じた冷気とおぞましい気配のせいで動けなくなり、顔だけが意識に反して後ろを向いた。
敷物を被った隙間から入る女性の姿。
青白く、窶れた相貌なのに限界まで開かれた青の瞳だけがぎらつき、ファウスティーナを一心に捕捉していた。
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