あなたが死んでくれれば⑤
『飽きないね』
『飽きないよ。君も見てごらん、とても可愛い』
『はいはい。何度も見てるよ』
揺籃の中から伸ばされる小さな椛を指先で摘まんだ。ほんのちょっと力を入れてしまえば折れてしまう、脆くて弱い存在。ほっぺに指を当てるだけでも神経を使う。ほんの少し力加減を間違えたら殺してしまいそうで。
赤子の父は毎日顔を見に来る。下手をしたら、何時間でも覗く。そろそろ生後半年を迎える。1歳の誕生日に贈るプレゼントを今から選ぶ姿を呆れて見ていた。早過ぎるだろうと。
『いたっ』
『君の面白い髪の毛は、この子のお気に入りみたいだ』
『ちょ、引っ張んなって』
長い左襟足を赤子は掴みびょんびょん引っ張る。赤子のくせに力が強い。毛根から抜かれると少し恐怖を持ち、こら、と髪を救出した。キョトンと見上げてくる薄黄色の瞳は次第に眠気を帯びて細くなった。
そろそろねんねの時間。傷付けないよう、慎重に赤子の頭を撫でてやった。
『お休み……ファウスティーナ』
父親――シエルは眠そうに瞼を開閉する赤子の額に口付けた。
シリウスから、“女神の狂信者”から隠れる生活は窮屈ながらも幸福で……何年か過ぎればフリューリング侯爵夫妻の養女にする準備も整えた。
『……お休み……良い夢見てね、お嬢様』
――これから先もこの幸福が続くものだと思っていた自分を……1月後の自分は殺してやりたかった。
●〇●〇●〇
「はあ~びっくりさせないでよ」
薬を使って理性をなくし、狂暴な身体能力を手に入れた騎士を倒したヴェレッドとケイン・クラウドを守っていたメルディアスの許へ集まった3人。隣が静かになったのとメルディアスの声もし、もう争いは終わって外に出ても良いと判断して出てきた。隠れられる場所はないのに姿を消したファウスティーナやケイン達を血相を変えて探し始めようとしたタイミングでの事。面倒くさそうにしながらも、声色には隠しようもない安心感があった。ヴェレッドに駆け寄り謝ると「いいよ」と頬を軽く引っ張られた。
「しかし、何処にいたのですか?」
「あそこ」
クラウドが壁に掛けられている家族3人の絵を左にずらした。ある壁の部分に凸が出来た。
「何此処? 吃驚屋敷?」
「違うでしょう。中に何がありました?」
「アーヴァ様の肖像画です。目線が画家を見ていないので、何処かで見たアーヴァ様を描いたのでしょうね」
「大層な記憶力をお持ちだ」
淡々とケインが説明すれば、描いた人を知っているらしいメルディアスは嘲るように言う。大人1人ギリギリ入れる隠し部屋に行き、すぐに戻ってきた。
「坊や君も見てくる?」
「いいよ。大体の想像はつく」
「そう。フリューリング家が厳重に管理しているアーヴァ様の肖像画ではありませんね。ヴィトケンシュタイン公子の言う通り、記憶に焼き付けたアーヴァ様を描いたのでしょう」
シエルといるところを……。
姉や父以外で心を開き安心してもいい人の側にいる時のアーヴァは、魔性の魅力に当てられていなくても魅了される美しさがあった。
「メルディアス様はアーヴァ様の魅力に当てられてないのですか?」
「大変美しい女性だったのは認めますよ。ただ、おれ以外にもアーヴァ様に夢中にならなかった人は僅かながらにいました」
先ずはシリウス。
「王様はシエル様に夢中だったもんね」
「シエラ様はよく愚痴を零しておいででしたよ。相手が他家の令嬢なら牽制出来るのに、って」
苦笑い以外何も出ない。
他にもラリス侯爵、ファウスティーナの父シトリン、メルディアスやメルディアスの兄だったり。名前を聞いていると高位貴族の令息しかいない。
「下位貴族の男性は殆ど魅了されていたのですか?」
「そうとは限りませんよ。お嬢様達が知っている人で挙げただけなので」
必ずしも男性全員がアーヴァの魅力に当てられるのではない。夢中にならなかった人の共通点は何かと考えてみた。
婚約者がいる? ――婚約者がいる他の令息はなっている。
高位貴族? ――ファウスティーナ達が知らない高位貴族でもアーヴァに夢中になった人はいた。
分からないと肩を落とした。
「誰が考えても答えは見つかりませんよ。敵は全て倒しました。もうじきシエル様やリオニー様達が助けに来るでしょうから、大人しく待っていましょう」
「あーあ、シエル様に絶対に怒られる」
連れて来られた当初はどうなる事かと危惧したものの、メルディアスのみ傷を負ったとは言え皆生きて戻れる。
クラウドから聞かされた死の運命が頭を過り、無事なままシエルやリオニー達が来るのを待つ。
「どうかな」とふわふわっとした様子のまま、何もない掌を見るクラウドの声で空気が変わった。
「……何が?」とヴェレッド。
「危ない人は片付けられたのにケインとファウスティーナ様の死糸はずっとあるまま」
「フワーリンの坊ちゃん。冗談を言いたいくらい眠いの?」
「眠気はまだないよ。僕が言ってるのは本当だよ」
「……ち」
ふわふわな様子のまま、死を招く運命の糸は変わらずファウスティーナとケインに引っ付いたまま離れないと語るクラウド。冗談で済ませたかったらしいヴェレッドは小さく舌打ちをし、困ったように笑うメルディアスの腕を突いた。
「続きがあるとしたら人身売買の商人辺り?」
「それもありますが……」
紫水晶の瞳に一瞥され、嫌な予感を抱いたファウスティーナは目を逸らさずメルディアスの言葉を待った。
「……“女神の狂信者”が来ないとも言えません。君が殺した騎士が飲んだ薬、彼等なら持っていてもおかしくはない」
「面倒くさい……女神に……リンナモラートの魅力に当てられて、最初の王様に負けて、それでも諦められずリンナモラートを欲したせいでフォルトゥナにえぐい呪いを掛けられた負け犬のくせにさ」
“女神の狂信者”についての情報は極めて少ない。長年王国と女神の生まれ変わりを巡って水面下で争っているとは先日の『リ・アマンティ祭』でシエルやオズウェルに教えられた。リンナモラートに振られたとヴェレッドはどうでもよさげに紡ぐ。リンナモラートに恋をしたのが切っ掛けなのだと。
リンナモラートが選んだのは王国の初代国王ルイス=セラ=ガルシア。なら、リンナモラートに選ばれなかったのは誰なのかとヴェレッドに問うと――遠くの方から騒々しい足音が多数届いた。
「き、来たっ」
ケインの腕に抱き付き、怖さが倍増したファウスティーナが「に、逃げましょう」と言い掛けた時。窓ガラスが割られた。
全身黒ずくめで顔は仮面で隠した人間が次々に窓から侵入をしてきた。
「子供達、隅っこの方へ移って」
「……」
「坊や君?」
臨戦態勢を取らないヴェレッドを怪訝に感じたメルディアスが向くと、薔薇色の瞳は恐怖も緊張も浮かべないフワーリン家特有の雰囲気を崩さないクラウドを凝視していた。クラウドも視線を感じてヴェレッドを翡翠の瞳に映した。
「さっき、死糸って言ったよね? 触れるんだ?」
「触れるよ」
「なら――連中の死糸を切って。無理矢理ね」
「……お祖父様に、叱られちゃうな」
頬を引き攣らせながら言われた通りクラウドは敵の死糸に触れた。
初めてクラウドの雰囲気が崩れた。
「ヴェレッド様、一体」
「“女神の狂信者”が最も恐れる貴族は……能力を持つフワーリンの者なんですよ」
ヴェレッドではなくメルディアスが答えた。見ていれば分かると告げられ、ケインの腕に抱き付く手を強めた。隣から痛いと言われても離せなかった。
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