あなたが死んでくれれば④
薬によって理性を失い、ひたすらアーヴァ様がアーヴァ様がと叫ぶ男の声が怖くて預かった灯りを床に置いて耳と目を塞いだファウスティーナ。恐れをなくした人間程何をしでかすか不明な異常さがある。早く終われ、早く終われと念じた。
果たしてシエルはアーヴァの魅力に夢中になったのだろうか? アーヴァの話をしてくれるシエルは何時だって寂し気で……愛しさと恋しさが混ざっていた。シエルとアーヴァが恋仲だったと聞かされなければ、今でもファウスティーナは魅力に当てられ夢中になっていたのだと思った。純粋に恋に落ちただけなら、魔性の魅力に当てられたんじゃない。
シエルだけじゃなく、アーヴァもシエルを恋い慕ったなら、2人は本物の恋人同士。
恋する人に愛される女性への憎しみ、愛する人に冷遇され暴力を振るわれる悲しみと絶望。その両方を味わった騎士の姉の苦しみをファウスティーナは分かってしまう。
嘗ての自分がそうだったから。
愛するベルンハルドの心を奪い、母の関心を奪い続けたエルヴィラを憎み虐げた。その終わりが婚約破棄と公爵家の追放。
心から結ばれた男女を引き裂く悪女の結末は小説だけじゃない、現実世界だって同じ。どれも破滅の結末しかない。
悪女が望む幸福な結末というのは存在しないのだ。
ベルンハルドがいつかエルヴィラへの気持ちを自覚した時、嘗ての自分に戻らない保証はどこにもない。その為の婚約破棄を願って既に4年経過した。最低限の距離を保つ誓いもどこかへ消えた。ベルンハルドと交流を深めるだけ、離れたくなくなる。
破滅した前の自分を教訓にして今のままベルンハルドと接し続けるか、幸福の象徴たる“運命の恋人たち”にする事で至上の幸福をベルンハルドに得てもらうか。
どちらが幸福か分かり切っているのに、何故か今のファウスティーナは後者を選びたくない気持ちがあった。
「つんつん」
「!!」
自分自身どうしたら……と思考の沼に嵌りかけた時、掌を誰かに突かれた。声が出そうになると「しい」と塞がれた。後ろからは絶え間なく金属音が鳴り響く。ヴェレッドが来たんじゃない。でも見知らぬ誰かじゃない。知っている人の声。信じられない思いで顔を向けると人差し指を口元に当てて「しい」と場に似合わないふわふわとした笑みを見せるクラウドがいた。声が出ず口を開閉させていたら大人1人ギリギリ入れる隙間からケインが顔を出していた。
おいで、と手招きをされるも腰が抜けて立てない。未だ騎士との戦いが終わらないヴェレッドが気になる。
「君といるってことは司祭様に信頼されてるんでしょう? 危ないからこっちに行こう」
「私がいなくなったと気付いたらっ」
「多分、屋敷にいる危ない人はあの騎士だけ。他の騎士や破落戸は僕とケインといる騎士が倒したから。静かになったら出てみよう」
「はい……」
絶対に彼が勝つと信じつつ、勝手に居なくなるのは後で謝ろうと膝立ちでケインがいる隙間へ向かった。灯りは置いて行った。
ファウスティーナが先に入ると続いてクラウドが入り扉を閉めた。
隙間は小さくても室内はそれなりの広さがあった。
此処にも小さいながら灯りがあった。無傷で服も汚れていない無事なケインを一目見たファウスティーナが感じたのは途方もない安堵。涙腺が緩み涙目になると苦笑された。頭を撫でられるのはいつもなのに、この時ばかりは嬉しさの度合いが違った。声を発しても涙声でまともな言葉が出そうにない。泣くのを堪えても自分のせいで危険な目に遭わせてしまった負い目が勝り、堪えていた砦は崩れ大粒の雫がいくつも流れ出た。
大声が上げて泣いていい場面ならそうしていた。それ程の安心感と罪悪感が両方に押し寄せた。「エルヴィラみたい」と揶揄いながらケインに抱き締められ、背中を撫でられた。
ファウスティーナがよく知る兄だ。強く抱き付いた。
「わ、わだじのぜいでっ」
「何かをしてくるだろうとは、ある程度予想はしてた。まさか、現職の騎士が誘拐を企てるまでは考えもしなかったけど」
彼等の中心人物は今ヴェレッドが相手をしている騎士。
ゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせ、何とか泣き止んだファウスティーナは重大な事実を思い出した。
ハッとなってクラウドへ振り向いた。本人はふわふわっとした雰囲気を崩さず「無事で良かったねファウスティーナ様」と言われる。
「クラウド様は何故……」
「俺の忠告を聞かなかったから、かな」
「え」
「僕はどうにかしてって言ったのに流れに身を任せるケインが気になって、かな」
「え、え?」
どういう意味なのかと問うと2人はそれぞれ話してくれた。
ケイン、クラウドの話した内容を整理したファウスティーナは愕然とした。
ローズマリー伯爵夫人は無関係なケインに睡眠薬入りの飲み物を出していた。これについてはクラウドのお陰で飲んではいない。が、別の問題がある。
「私とお兄様は死んでしまうのですか……?」
クラウドが視た運命の糸はファウスティーナとケインの死を示した。顔を青褪めるファウスティーナと無表情なままのケイン。普通は前者の反応をするがケインに至っては冷静過ぎる。お陰でファウスティーナも幾分か冷静さを取り戻し、回避する手立てはないのかと問うた。
首を振られた。
運命そのものを操れる力は運命の女神にしかない。
女神の生まれ変わりと言えど、所詮は人間。能力持ちでもない。
無力な自分が嫌になる。
「方法は……ある事はあるんだ。回避じゃなくて、可能性を大幅に下げる方法だけど」
クラウドが語ったのは魔術師の祝福が込められた糸を使えば、ファウスティーナとケインの死の可能性を大幅に下げられるもの。
元々、エルヴィラの悪夢を軽減する為にリオニーが魔術師の祝福を込めた糸。エルヴィラの運命の糸から悪夢の糸を引き千切り、代わりに祝福を込めた糸を結ぶ事で暫くは悪夢を見ずに済む。
「最初はそんな風に言ってなかったよね?」
「期待されても困るから言わなかっただけ。完全には消せないさ」
「クラウド様はエルヴィラが悪夢を見る原因は何か分かるのですか?」
「さてね。理由も目的も不明だけど、エルヴィラ様に呪いを掛けた相手はかなり憎しみを持ってるってくらいかな」
――……もしかして……前の人生で死んだ私が掛けたんじゃ……?
有り得そうな予感に固まるファウスティーナを置いて、もしも祝福を込めた糸を使った場合エルヴィラの悪夢がどうなるかをケインが訊ねるとファウスティーナの意識は戻ってきた。
「今と変わらないよ。変わらず、悪夢を見続ける」
「ベルンハルド殿下に会えば、少しの間は悪夢を見ずに済むようなんだ」
「うーん……となると……呪いを掛けた相手はベルに対しても並々ならない感情を持っているってわけか」
愛情が憎しみに変わってエルヴィラ共々ベルンハルドにも呪いを掛けたのなら、身勝手過ぎる前の自分に戦慄した。
「まあ、今はエルヴィラ様の悪夢より僕達の心配をしよう」
外からは未だ金属音が届く。
遠いがヴェレッドが面倒くさそうに相手を煽る声がする。激昂し、奇声を上げる騎士の声だけが大きい。
ヴェレッドの身は勿論心配なのだが……壁に掛けられている絵に気付いてしまった。
「あ……」と誰かが零した。ファウスティーナは気にならなかった。声よりも、壁に掛けられている絵に目が離せなかった。気を利かせたクラウドが灯りを持ち上げてくれたのでより明るく絵は現れた。
流麗な赤い髪に垂れ目な青水晶の瞳の美女がよく知っている男性に微笑んでいた。銀の髪に蒼い瞳の天上人の如き美貌。
「……」
初めて見た。
名前は聞かなくても分かってしまった。
愛する人がいても魅了してしまう魔性の魅力を持った女性。
ふらふらと絵に近付き、手を伸ばした。
初めて見た。
初めて見た。……筈なのに。
……途方もない恋しさを覚えてしまった。
『…………小さい……、……とっても、小さい……』
『初めまして……、……私とシエル様の……、…………』




