あなたが死んでくれれば③
1階に下りても目ぼしい部屋はなかった。アーヴァに関する物や黒幕に関する物があればと期待していたケインは少々肩を落とした。胸の妙な予感は未だ居座ったまま。ファウスティーナは大丈夫、教会にはシエルやシエルの信頼が篤い人がいる。余程の事でない限りファウスティーナが来る事はない。と自分に言い聞かせても胸騒ぎは収まらない。小さく息を吐き、最後の部屋の確認を終えると廊下に出た。誰もいない、誰も来ない。考えられる可能性を述べるとメルディアスは首を振った。
「些か早計かと」
「そうですか」
「公子の気持ちは分からないでもないですが焦りは禁物です」
「ですが、これからどうしますか?」
邸内の部屋は粗方見て回った。2階の夫人がいる部屋以外には誰もいなかった。
「あ」と不意にクラウドが発した。紫水晶の瞳と紅玉色の瞳に見つめられてもクラウドはふわふわとした雰囲気を保ったまま。
「うん。2階の1番の奥の部屋に入ってなかったなって」
「ああ。そうかもね」
謎の薬品が充満した部屋のせいで奥は行かないとなったのだが、この際、行こうとなった。
階段を上がっている最中、崖から転落した当主がベッドにいたと話したメルディアスに当主の容態を訊ねてみたケイン。あの薬品の臭い方からして宜しくない状態なのは目に見えずとも判断可能だ。
困ったように笑いながら「言ったでしょう、生きていても死んでいるのと同じだと」と同じ返答をされた。
「どういう意味なのですか」
「要は生きているだけの死体です。部屋に充満していた薬品は毒薬です」
体は転落事故の際に負った怪我で動けず、皮膚は酸で溶かされた痕が生々しく残っていた。毒薬も使用してすぐに死ぬ代物じゃなく、体内に蓄積していって内側からじわじわと蝕み、軈て相手を殺す効果の物。長期的暗殺計画の際、利用される毒薬であると説明され、ケインは「そうですか」と淡々と返した。
「……ヴィトケンシュタイン公子、君本当はお幾つですか?」
「ファウスティーナの1つ上とだけ」
「そうですか。あのご夫妻から、君のような子が産まれたのは奇跡に近いですね」
「そうですか」
嫌味とも賛辞とも取れぬ声色で紡がれようがケインの態度は変わらない。
階段で再び2階に戻り、最奥の部屋を目指した。
「メルディアス様もファウスティーナはアーヴァ様に似ていると思いますか?」
「ええ。とっても似ていらっしゃいます。シエル様が公女を側に置きたがる理由がアーヴァ様に瓜二つだからでしょうね」
同い年で公爵家の次男であるメルディアスは、将来国王となるシリウスの側近となるべく育てられた。面倒臭い王子2人を間近で見ていた人。シエルがアーヴァに惚れていたのも知っている。ファウスティーナに構いたがるのがアーヴァに瓜二つだからと思っている人はメルディアスだけじゃないだろう。
だからこそ、黒幕はファウスティーナを狙った。とメルディアスは言う。
黒幕とは誰かと問うた。到底信じられない人だと返されても、その人の名前を求めた。
最奥の部屋に入るとそこは多数の絵画が飾られていた。
どれも当主がアーヴァに夢中になる前の家族の幸せな絵だった。
キャンパスに描かれたグリマーは白髪だらけの廃人とは程遠く、若々しく、美しく、何より娘を見つめる瞳は幸せに満ち溢れていた。当主と思しき男性も妻と娘を宝物のような目で見つめている。
どこにでもいる幸せな3人家族。
これを当主がアーヴァの魅力に夢中になったせいで崩壊した。
「アーヴァ様を恨む気持ちっていうのが分かる気がする」
クラウドの言葉に誰も否定しない。
アーヴァ自身も魔性の魅力に戸惑い、怯えていても、愛する人を奪われた被害者達には関係がない。
全部全部、アーヴァが悪い。アーヴァのせいでめちゃくちゃになった。
死んでも尚消えない憎しみの炎は瓜二つな無関係なファウスティーナにまで向けられた。
「アーヴァ様の肖像画ってないのかな?」
「ないと思いますよ。アーヴァ様の肖像画はフリューリング家が厳重に管理されているので」
強い憎しみを持っていたなら、1枚くらい持っていても驚きはない。
アーヴァの肖像画がないか探し始めたケインとクラウドに苦笑しつつ、メルディアスも肖像画探しに参加した。
――その時だった。壁に掛けられている絵を取り外したメルディアスが弾かれたように扉を見やった。突然の様子にケインとクラウドに緊張が襲う。
「……2人とも、おれが迎えに来るまで決してこの部屋から出ずに」
絵画を床に置き、部屋を出て行ったメルディアス。
もしかすると騎士が戻った気配を察知した可能性が高い。
「万が一がある。隠れられる場所を探そう」
「ああ」
2人はアーヴァの肖像画探しを止め、誰が来ても見つからない場所を探し始めた。
乱雑に絵画を数枚置いているだけで他の家具は一切ない。
「幸せだった家族の思い出を最奥の部屋に置いたのは、幸せが壊れ不幸が訪れたせいなのかな」
「そうじゃないかな。不幸に浸っている時に、幸福だった過去を見ていれば苦しくなる。誰が置いたかは分からないけど」
4度目の時にエルヴィラが王太子妃になり、王家に嫁いでいった。
すぐに両親を領地に押し込んだ。何故と喚く母を先に馬車に押し込み、領地へと向かわせた。父はある程度の引継ぎを果たしてから領地へ向かった。
母専属の侍女も向かわせた。昔からファウスティーナが母に甘えに行く度に引き剥がし、無理矢理部屋に戻していた。ファウスティーナが母をどうでもよく思うと敵対心を剥き出しにしながらも、自分にも同じ感情を向けられると呆然としていた。
忙しい母の代わりに自分がファウスティーナの母親代わりを務めていたと思っていたのならただの阿呆だ。
不要な使用人、侍女、執事、料理人、全て解雇した。
残ったのは表立って助けはしてやれなくても、陰からこっそりとファウスティーナを助けてきた者ばかり。
意外だったのはトリシャが王太子妃となったエルヴィラに付いて行かなかった事。ずっとエルヴィラの専属として働いていたトリシャも当然王宮に行くものだと思っていた。エルヴィラもそうだった。
トリシャは行かず、代わりにエルヴィラを押しに押しまくる侍女を行かせた。
人の入れ替え、当主交代等を終えて漸く一息つける状態になった時訊ねた。
『トリシャ、エルヴィラと王宮に行かなくて良かったの? 俺は、君には何も言わないのに』
『……いいえ。私は此処に残ります。リンスーやリュンと共に公爵となられた坊ちゃん……いえ、ケイン様を支えようと』
『王太子妃付きの侍女の方が君の立場にも箔がつくだろうに』
『私はもうエルヴィラ様にお仕え出来ません。側にいたら、余計見えてしまうのです。王太子殿下がエルヴィラ様を愛してなどいないと』
母や家族を除くと最もエルヴィラの側に居たのはトリシャとなる。
ベルンハルドがエルヴィラに会いに来る時、いつも瑠璃色の瞳はエルヴィラを見ていなかった。ずっと誰かを探していた。ファウスティーナが勘当されてからは顕著となった。屋敷にいない誰かを探していた。
声は愛を囁くのに瞳に愛は宿っていなかった。王太子妃となると決まったエルヴィラの為に、瑠璃で作られた宝石の数々を見たエルヴィラは歓喜し、傍らにいたトリシャは贈り主が誰に贈りたかったかすぐに分かってしまった。
アザレアの花、鳥の形を模した装飾類はどれも……。
「はあ」
「どうしたの、諦めちゃった?」
「いいや、ちょっと昔を思い出してね」
「僕達、昔というような思い出ってあったっけ?」
「12歳にでもなればそれなりに出て来るさ」
側にいた侍女は気付けても当の本人は何も気付けていなかった。
アエリアの言う通り、頭の中がお花畑だと思考回路は自分に都合の良いものに全て塗り替えられるのか。ケイン自身も頭お花畑になればエルヴィラや母の思考回路を見えるようになるのか。考えるだけで試したくはない。頭お花畑になった自分を想像すると吐き気がした。
隠し扉でもないかと壁を叩いたり、床を叩いたりするが成果は得られず。
「ふう」とクラウドが息を吐き、家族3人が描かれた絵に凭れた。時、絵が左にズレた。クラウドが離れると「あ」とケインが何かに気付き、駆け出した。釣れらたクラウドも後を追った。
さっきまではなかった変化が壁に出現していた。
一部分だけ凸があった。2人は顔を見合わせ、頷く。ケインがそっと凸を手前へ引いた。
大人1人ギリギリ入れる広さ。暫し待っても向こうから何も来ない。異様な臭気もない。入っても問題なさそうだと判断し、ケインが先に入った。続いてクラウドも。
「ああ、灯りがなかったね。ちょっと待ってて」
一旦戻ったクラウドはすぐに戻り、手に小さな灯りを持っていた。
「どこから持って来たの?」
「うん? 秘密」
「はあ」
多分部屋の外に出たのは分かる。さり気無く人はいた? と訊くと「いたら灯りは持って来れないよ」と言われ、再度溜め息を吐いた。もしも危険が襲っても事前に知り、避ける術をクラウドは持っている。
小さくても周囲を照らすのには十分で。
秘密の部屋に置かれているある物を見て2人は息を呑んだ。
特にケインは。
「……瓜二つって言われるのがよく分かるよ」
狭い部屋の壁に大きな絵画が飾られていた。
流麗な赤い髪、垂れ目な青水晶の瞳の美少女が銀髪に蒼い目の男性と寄り添う絵。
美男美女が描かれた絵。
髪に癖はない。
垂れ目だ。
……けれど、銀髪の男性に向ける純美な微笑みは同じ。
皆、その微笑みを欲したのだ。
向けられるだけで至高の幸福に浸らせるそれを、嘗て渇望していた人を知っている。
手に届く場所にあったのに、自らの下らない意地と愚かな思考によって失った人を。
「この人がアーヴァ様」
シエルがたった1人愛した女性。
ファウスティーナを命と引き換えに出産した実の母親。
死しても他者を魅了し続ける魔性の令嬢。
リオニーを筆頭としたフリューリング家が厳重に保管しているアーヴァの絵を何故所持しているのか、と思考するのは簡単だった。目線は画家を見ていない。何より、どう見てもお忍びの恰好をしているとこから、盗み見た2人を描いたのだ。ずっとな訳がない。シエルといるアーヴァの姿を脳に焼き付け描いたのだろう。
「はは、吃驚だね」
「そうだね」
「魔性の令嬢か……本物を見ていたら、僕や君もどうなっていたか分からないね。絵を見ただけでも伝わる」
どれだけ美しく、魔性の魅力を持っていたかを。
2人アーヴァの絵姿を凝視していると隣室に異変が起きた。よく知った少女の声と知っている男性の低い声。
男性はともかく、少女の方はクラウドも知っており、困ったように頬を掻いた。
「ああ……どうやら連れて来られたみたいだね」
「……はあ」
短い間で何度溜め息を吐いたか覚えていないケインは、この後隣室で騎士の怒声と金属音が鳴り響くとそっと入口を開き隙間から状況を窺った。正気を失った重傷の騎士と知っている男性が争い、ファウスティーナは灯りを持って隅の方へ小さくなっていた。彼等がお互いに夢中になっている間にファウスティーナを回収した。
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