あなたが死んでくれれば②
13年前、となるとファウスティーナは勿論、ケインやクラウドですら産まれていない。娘と無理心中を図った理由を聞かせられた。夫がアーヴァの魔性の魅力に当てられてしまい、それまでは愛妻家で子煩悩な父親と社交界で有名な男だったのが一転……魔性の令嬢を追い掛ける狂信者になってしまった。最初こそ夫人は元の夫に戻ってもらうよう尽力した。他の女性達が諦めろと諭しても、夫人は諦めなかった。せめて娘を愛していた気持ちだけは思い出してほしかった。アーヴァに夢中になってしまった夫は娘を忘れてしまった。今まではどんなに疲れていても顔を見るだけで元気になって娘と遊んでいた夫は消えてしまった。
此方には来ず、室内を徘徊し始めた夫人は暴力を振るい始めた夫に恐怖を持ち、娘を連れて逃げようとしたが貴族としての理性は残っていたらしい夫によって失敗に終わった。
「アーヴァ様が振り向いてくれないのはお前のせいだ、お前達がいるからアーヴァ様は私の想いを知ってくれない。……とまあ、アーヴァ様の魅力に当てられた者は大抵同じ言葉を言う」
「……無理心中を図ったのは、夫が元に戻らなかったから、ですか?」
「ええ」
暴力の矛先が娘に向いた時、夫人は覚悟を決めたそうな。
アーヴァの魔性の魅力に当てられて自我を失った夫への憎悪。大人しい顔をし、異性に怯えていたくせにシエルにだけその名の通りの姿を見せたアーヴァへの憎悪。
2つの憎悪に挟まれた夫人は家族3人の思い出が詰まったこの屋敷で娘と無理心中を図った。
「随分と詳しいですね」
「まあ……色々とね」
「当時の社交界で持ち切りになりましたか?」
「無理心中をしたのは彼女が初めてだったので」
「自殺は?」
「そこまではありませんでしたよ。アーヴァ様の魔性の魅力関連で死者が出たのはこれが初めてだったんです」
死んでしまったのは娘だけ、母親である夫人は生き残った。が、最初にメルディアスが説明した通り、心は死に肉体だけが生きているだけの人間となり果てた。
夫はどうなったのかと問うと「それがね」と困ったように眉尻を下げた。
「領地視察の途中に崖から落ち、転落死したと報告を受けています。ただ、死体が見つかっていません」
「1部も見つからなかったのですか?」
「ええ。全く」
「……」
メルディアスは追加情報として、崖から転落したのに馬は転落せず無事だったと伝えた。馭者と馬車と車内にいた夫だけが転落した? 不自然過ぎるのに捜査は操作を誤った馭者に罪を擦り付け打ち切りとなった。
異議を唱える者はいなかった。先代当主は転落事故が起こる半年前に病死。妻は精神崩壊を起こしまともに動けない。娘は死亡。他に身内はいない。
「当主が死んで奥方も精神異常を起こしているなら、この屋敷は誰が管理を?」とクラウド。
「夫人の母方の家です」
現在は騎士じゃない別の弟が継いでいるが今回の誘拐事件で責任追及は免れない。
ふらふらと徘徊を続ける夫人の側へメルディアスが行った。
「グリマー様。如何なさいました?」
「マ……ソン……マディソンを……探しているの……」
「ご息女はグリマー様の生家の領地で療養中ではありませんか。以前、母君が仰っていましたよ」
不用意に話し掛けて大丈夫なのかと冷静さを崩さない2人が警戒するも、夫人はメルディアスの言葉に耳を傾け、彼の話を信じると元の部屋に戻って行った。
何事もなくて安堵の息を吐いたところでメルディアスが戻った。
「吃驚しましたよ」
「それは失礼を。聞いていた話を思い出して良かった」
「夫人の母君と面識が?」
「王宮に行くと時々お会いするので」
王宮ということは、母親は王宮の侍女か文官となる。祖父世代で王宮に居る女性となるとかなり限られる。ケインの知る記憶で思い当たる人物がいないかと思考を巡らせた時、肩を叩かれた。驚きの反応もなくクラウドに振り向いたら、少し吹き出された。
「ふふ。もしかして気付いてたの?」
「全然。吃驚したよ」
「吃驚した人の反応じゃなかったよ」
「そう? これでも吃驚した方さ」
「お坊ちゃん達。こっちですよ」
廊下に出ていたメルディアスに呼ばれた2人は部屋を出た。転がっている死体を視界に入れたくないが進む道が死体のある方向で叶わなかった。せめて血溜りは避けようと隅を歩いた。
「大丈夫ですか? 子供に見せる者ではないと承知はしておりますが逆方向は行き止まりなのでね」
「極力見ないように心掛けたので心配する程ではありませんよ」
「僕も同じ」
「はは……ヴィトケンシュタインもフワーリンも、大層な跡取りを持ちましたね。お坊ちゃん達がいれば間違いなく両家は安泰でしょう」
メルディアスの生家フリージア家には娘のジュリエッタしかいない。今までの人生どれにおいても彼女は隣国へ留学し、そこで婿養子となる婚約者を見つけていた。
ケインやクラウドには婚約者がいない。
何気なくクラウドに婚約はしないのかと問うと「ルイーザが司祭様への片思いを止めたら探すよ。多分ね」と返された。流れでケインにも同じ質問が回った。
「手の掛かる妹達が成長してくれたら、俺もちょっとは考えるかも」
「兄と言うか、親目線での台詞だね」
「そうかもね」
実際、手が掛かり過ぎるのだファウスティーナとエルヴィラは。
人の気配はどこにもなく、部屋を確認していった。
最奥から3つ離れた部屋に入った時、彼等の嗅覚を強烈な臭いが襲った。言葉で表現不可能な臭い。
濃厚な薬品の香りが室内に充満し、袖を当てても段々気分が悪くなってきた。
「ケイン様、クラウド様。外でお待ちを。何かあれば大声でおれを呼んでください」
喋るとそれだけで空気が入り込んでしまうから、口元を袖で隠したまま頷いた2人は廊下に出て部屋から距離を取った。
「すごい臭いだったね」
「ああ。薬品を零した……違うか。床は濡れていなかった」
臭いの元をメルディアスが探っている最中。
暫くするとメルディアスは戻った。
困り顔が似合う。
「騎士の精神は遠い場所に捨て去ってしまったようだ……2人とも、1階に下りてみましょう」
「何があったのですか?」
言うか、言わないかを迷う素振りを見せられ、聞いても後悔しないと迫ると簡単に告げられた。
「馬車で転落死した筈の当主がベッドにいらっしゃいました。違う意味で生きながら死んでいましたがね」
メルディアスが言えるのはこれが精一杯。
正確に言ってしまうのは気が引ける。
大人びていても12歳の子供に惨い有様を説明する義理はない。
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