あなたが死んでくれれば①
ファウスティーナとヴェレッドが運ばれてくる約2時間前。先に屋敷に連れて来られたケインとクラウドは大人しく騎士の後ろを歩き邸内に入った。縄で体を縛られたメルディアスを心配しつつも、毒の耐性が強いから心配無用と言われると信じるしかない。ただ脇腹の傷が引っ掛かった。傷は浅くても出血の量が多かった。放っておいたら……と考えている内に「此処に入れ」と先頭を歩く騎士が顎で示した部屋に2人は足を踏み入れた。と、同時に扉は乱暴に閉められた。外から聞こえた鍵を閉める音とジャラジャラという鎖の音。大方、鍵を閉めた後ドアノブを鎖で封じたんだ。
「厳重だね」
「それだけ、僕達に逃げられたら困るってことかな?」
動じず、至って冷静なケインとクラウド。ケイン自身は人生5度目を体験中で年齢を合計すると何歳になるか、なんて馬鹿な考えが浮かんだ。ふわふわとした態度を崩さないクラウドに怖くはないのかと目も合わせず訊ねると「どうかな?」とふわふわっとした答えが来た。
「僕達よりも命が危険そうなのは、あの騎士様だけどね」
「どうかな。シエル様の信頼が篤い騎士なんだ。どうにか助けに来てくれるんじゃないかな」
「期待しよう。司祭様と仲が良いのなら、ルイーザが喜びそうな話を持っていそうだね」
「無事に脱出したら聞けばいいよ」
他愛もない話をしながらケインとクラウドは別れて室内を探索していた。広い室内にあるのは丸テーブルと2脚の椅子。本棚もあるが中身は空。棚を指でなぞっても埃1つつかない。窓には厳重に鍵が掛けられており、子供の力では外せなかった。窓ガラスは埃もなければ指紋もない。丸テーブルや椅子もそう。床も。この部屋は清潔を保っていた。
他の部屋も調べたいが隣に続く部屋は生憎と鍵が掛かっていて入れない。
椅子のある方へ戻った2人は座ることにした。
「何かあった?」
「何も」
「そう」
「屋敷の外観や大きさからして、どこかの貴族が所有する屋敷ってくらいしか分からないね」
「そうだね」
貴族……可能性が高いのはローズマリー伯爵夫人。さすがのエルリカでもフリューリング家が持つ屋敷を誘拐したケイン達を閉じ込める場所には提供しない。
「俺達を攫った騎士をメルディアス様は知っていたよね」
「同じ騎士だから顔くらい知っていたって変じゃないさ」
メルディアスは王家直属の上級騎士であり、国王の番犬とも名高い。過去の記憶を探ってあの騎士の顔があるか見ても何処にもない。
ファウスティーナが絡んでいるならアーヴァ絡み……。今までの4度、どれにもアーヴァが深く関わった事件は起きなかった。今までと全く違う5度目になって初めて起きた。初めてなのはこの事件だけじゃないが、物騒さで言えばこの事件は初。こんな初めては経験したくなかった。
「脱出方法でも考える?」
「下手に動かず、メルディアス様が助けに来てくれるのを待とう。シエル様からの信頼が篤いなら、実力が伴ってるって事だろうしね」
「そっか。ケインが言うなら、僕もそうするよ」
「クラウドが冷静なのは、運命の糸が視えるから?」
「関係ないさ。フワーリン家特有」
イル=ジュディーツィオの力を持って生まれるフワーリン家の者は、家名の通り基本ふわふわとした性格をしている。クラウドはこのふわふわ感が大事なのだと祖父イエーガーに教えられた。
「父上はとても真面目で心配性でね。様々な人の運命を視るイル=ジュディーツィオに、真面目も心配性も要らないんだ。あったら顔すら合わせた事のない他人をずっと気にし続けるから」
「なるほど」
クラウドの性格なのかと思ったが家特有の性質ならば仕方ない。
「フリューリングは魔術師を、フワーリンは審判者を、ヴィトケンシュタインは女神の生まれ変わりを。グランレオドやフリージアには能力を持つ人がいないよね」
「ヴィトケンシュタインは女神の生まれ変わりが唯一生まれる家であって、能力を持つ人は生まれないよ」
但し、グランレオド家に関してだけ言うと能力を持つ家であったが、先代国王の時代で運命の女神に能力を剥奪されたと聞く。初代国王ルイスが守った国を崩壊寸前まで追い詰めた報いとして。王家に罰が下らなかったのは王国を建て直したティベリウスとオルトリウスの力。
「ケインの父君は女神様と同じ髪と瞳の色をしているよね」
「お祖父様もだよ」
「そうなんだ。ヴィトケンシュタインの男性に女神の色が出るのは、もうじき女神の色を持つ女の子が生まれる兆しと言われているみたいでね。2人続けてとなると周りは期待しただろうね」
「……かもね」
クラウドの言葉通り、女神の生まれ変わりが生まれる日が近いと期待をした人はいた。祖父オールドだ。父シトリンとは見目以外親子とは思えない苛烈な言動が目立った祖父も、ある意味では魔性の魅力に憑りつかれた人なのだ。魅力を持つのが人間じゃなく女神であるだけ。
ふと、ある事実に気付いた。
心の靄が取り払われ、景色が良くなった。
大きく息を吐いたケインは内心納得した。
同時に軽蔑した。
エルリカが実の娘アーヴァを嫌う理由はきっと……。
「はあ……」
「疲れてきた?」
「いいや。俺達、命の危険に晒されてるのに緊張感がないなって」
「ケインが冷静過ぎるから、僕も冷静でいられるのかも。ケインって本当に僕と同い年? 偶にすごく大人びているとこがある」
「どこをどう見たって俺は12歳だよ」
実際に生きてきた年数は12歳どころじゃなくても。
「アーヴァ様ってどんな人だったのかな? 憎まれながらも沢山の異性を虜にした魔性の魅力を見て見たかったね」
「俺も同感」
ほぼ全ての異性を虜にし、利用しては利用するだけ後は捨てる。といった悪女であったなら、捨てられた女性達は心置きなくアーヴァを非難した。けれどアーヴァはとても臆病な人だったと聞く。擦り寄る異性に怯え、嫉妬を露にする同性に怯え、血の繋がった母親にさえ怯えていたアーヴァの心の拠り所が姉リオニーだったんだ。リオニーはあらゆる悪意からアーヴァを守ってきた。リオニーにとっては大切な妹。エルリカにとっては憎悪すべき娘。なら、先代侯爵は? 父親である侯爵はアーヴァをどう思っていたのだろう。
真面目な声色のクラウドに呼ばれ、思考の海から引き上げられたケインの意識が外へ向けられた。不気味な程静かだったのに、急に騒がしくなった。金属がぶつかり合う音、誘拐犯と思しき男達の怒号は即悲鳴へと変わっていった。
ジャラジャラという鎖の音がし、扉の鍵が開けられた。ゆっくりと開いた扉。床にある人の手。赤い水が広がっていく。現れた人――メルディアスは脇腹を抑えつつ、迷いない足取りでケインとクラウドの側へ。
「お坊ちゃん達、無事みたいですね」
「メルディアス様は重傷みたいですね」
「ああ、脇腹の傷ですか? ご心配なく。後で止血剤と化膿止めを拝借しますよ。来たことがあるので」
「誰の屋敷か知っているのですか?」
「ええ、まあ」
一体誰なのかと問うと。
固く閉められていた隣室の扉が突然開いた。
大袈裟に反応したケインとクラウドと違い、メルディアスだけは冷静だった。
「う、うーん、僕、怖いのは苦手なんだけど」とクラウド。
「そんな風には見えないよ?」
ケインが言うようにクラウドの表情に変化はない。声が若干上擦っているが。
顔から胸辺りまで白髪を垂らした瘦せ細った女性は、覚束ない足取りで入って来た。
「屋敷の持ち主、ですよね?」
「まあ……ただ……見ての通り。生きながらに死んでしまった可哀想な人です」
女性は屋敷の持ち主である貴族の奥方。13年前、娘と無理心中を図るも1人だけ生き延びたせいで精神崩壊を起こし、家族との思い出が詰まった屋敷でずっと療養している。
体は生きていても、心が崩壊しているのなら、死んだも同然。
「俺や坊ちゃん達を此処へ連れて来た騎士の姉です」
「その騎士はメルディアス様が」
「彼はいませんよ。今、屋敷にはいないようで」
「そうですか……」
ファウスティーナの側にはシエルや性格に多少問題有でも実力が確かな彼がいる。嫌な予感はただの杞憂だとケインは深く考えないようにした。
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