アーヴァ様のせいで②
血走った目、怒りと狂気に染められた顔面。身の毛もよだつ殺気。後ろに隠されても逃げられないそれらを当てられれば誰であろうと恐怖が湧く。安心させようと頭に乗った手の温もりに救われる。ファウスティーナに決して前に出るなと言い、余裕の態度を崩さないヴェレッドは男を見てある事に気付く。機嫌悪く眉間に皺を寄せ舌打ちを零した。
「お前、薬を使ったな」
「薬……?」
「王国だけじゃない、周辺国でも使用が禁じられている劇薬だよ。使えば一時的に凄まじい身体能力を得られる。代わりに感情がかなり不安定に陥り攻撃的になる。どこで手に入れたんだか」
「私を狙う人が渡したのでしょうか?」
「いや……製造方法は随分前に、先代様や前の王様が周りの国と協力して焼き捨てたんだけど。知っている奴がいるなら、それはそれで面倒くさ」
心底面倒くさいと言っている面持ちから伝わるのは緊張。危険な薬を使った相手に油断する程、彼は愉快な人じゃない。面白い事が大好きでも。
「お前の姉がアーヴァのせいで心中したにしても、結局お嬢様とは無縁だろうが。公爵家の坊ちゃんもだ。そんなに恨んでるなら、墓荒らしでも何でもしたら」
「ああしたさ!! 姉上の無理心中理由がアーヴァ様のせいと知った時、危険を承知でフリューリング領にある墓地に行ったさ!! ……だがっ」
掠れた声で上げられたのはアーヴァの墓は何処にも無かったということ。魔性の令嬢の魅力は死して尚異性を狂わせた。シエルが言っていた通り、目的は違えど墓荒らしはあった。本当の墓の在処は姉リオニーや先代フリューリング侯爵が知っている。本人達に聞いたところで教えられるわけもなく。
ファウスティーナは小声で騎士の姉の心中した理由が何故アーヴァにあるかをヴェレッドに訊ねてほしいと頼んだ。ファウスティーナが聞いても騎士は荒ぶる感情をぶつけてくるだけだろうから。ヴェレッドも解っており、目線で受け入れると荒ぶる騎士に心中理由を問うた。
聞かされたのは意外であり、意外じゃなかった。
「姉上の夫がアーヴァ様に夢中になった挙句、姉上や幼い姪を冷遇した。アーヴァ様は悪くない、夫が悪いのだと気丈に振る舞っていたんだ。しかしっ、街で見てしまったんだ!」
外套で姿を隠していたが騎士の姉はフードから見えた姿を目撃してしまった。誰にも見せた事のない愛おしさに溢れた蒼い瞳で隣にいる誰かを抱き寄せ何かを囁くシエルを。風が吹き、取れかかったフードから現れた赤い髪と真っ赤な顔をしてシエルを見上げるアーヴァを。アーヴァの青水晶の瞳は、常に俯いて姉の背に隠れ他人を怯えた目で見ていた時の瞳じゃなく、どう見ても愛する人を見る瞳だったと。
夫が魅了されたのは自分に魅力がなかったから、でも娘がいるからと気丈に振る舞っていた騎士の姉は初恋の人までも魅了するアーヴァを憎むようになった。
学生時代2人が恋人同士であると噂されるもすぐに消えてなくなった。シエルがアーヴァの魅力に夢中になっていただけとも言われており、アーヴァが中退するとシエルは何も無かったかのように過ごした。シエルの一過性なのだと思っていたのに実際は隠れて関係を続けていたのだと知りショックを受けた。
堪えていたものが壊れ、精神を病んだ騎士の姉は娘を巻き込んだ無理心中を図った。遺書には夫とアーヴァへの憎悪が記されていた。
興奮冷めぬ騎士は尚も話を続けるがファウスティーナはそこからの話を聞こうにも、騎士の姉の心中理由がシエルにもあったのだと知り眩暈がしそうになった。先日の『リ・アマンティ祭』でもニンファの凶行がシエルを自分の物にするべく危険な集団と手を組んで仕掛けた。
絶世の美貌は時に人を狂わせると改めて突き付けられた。
「お前の姉が無理心中をした理由は分かった。同情はしてやれるけど理解はしてやれない。どの道、お嬢様も坊ちゃんも無関係なんだ。生きてる人間に何かしたいならシエル様にしなよ。シエル様への失恋も心中理由なんでしょう?」
「うるさい!! 今はアーヴァ様だ!! アーヴァ様さえ、アーヴァ様さえいなければ……!!」
「ち……お嬢様下がってて。後、明かり持ってて」
ヴェレッドの声が届いていない男の頭には、アーヴァへの憎しみしかなく。怒声を上げ、次に奇声を上げた。ヴェレッドの言う通り明かりを預かり部屋の隅に逃げたファウスティーナを殺そうと男が迫る。迫る男の前に立ち、振り下ろされた剣をひらりと避け腕を蹴り上げた。宙に舞った剣を見ず、体勢を整える前に騎士の顔面に躊躇なく蹴りを入れた。
大声を上げた騎士が後退った時、剣の柄を掴み胴体を狙って突き刺した。ファウスティーナがいる前で殺しはしたくなかったが相手は薬で理性を消した狂人。異常な身体能力を得た騎士の相手は愛用のナイフがない現状ヴェレッドが不利となる。体勢を整える前に殺すつもりで対応しなければ死ぬのは此方側となる。
ファウスティーナが気になるも一瞥すら許されない状況下では叶わない。騎士の胴体に刺した剣を引き抜く。が、騎士の手が刀身を掴み阻止した。手から血が大量に流れようが騎士は力を込めてヴェレッドの動きを止めた。
「出血多量で死にたいの?」
「アーヴァ様が、アーヴァ様が悪いんだ、アーヴァ様のせいで姉上はっ」
「だーかーらー、シエル様にも言えってば。寧ろ、生きてるシエル様に文句言って気を晴らせよ。死んだ人間には文句も何も届かないんだ」
「うるさいうるさいうるさい!!!! お前等に俺や姉上の苦しみが分かるか!!」
「うるさいのはお前だよ」
剣を抜く力を強めると僅かに動き、騎士の顔に苦悶が浮かんだ。それでも頑なに剣を抜かせない。薬の使用で痛覚が麻痺しているのだろうが長引けば不利となるのは騎士の方だ。最悪ヴェレッドの言う通り出血多量で死ぬ。薬によって知性も飛んだかと思うと不意に騎士が歪に嗤った。
「この部屋にいるのが俺達だけだと思うか!?」と叫んだ。咄嗟にヴェレッドが後ろを向いた時、隅の方にいたファウスティーナがいなくなっていた。
高笑いする騎士の足を踏みつけ、蹲ったところを足で頭を踏み付けた。強制的に顔を床に押し付けられながら笑う騎士の頭を何度も踏み付けた。血が飛び散ろうが、潰れた悲鳴が出ようが、頭蓋骨が凹もうが、騎士の頭を踏み続けた。
「――はーい、そこまで」
息をしているのかも怪しい騎士の頭をまた踏み付けようと上げた足が差し向けられた刀身によって防がれた。よく知っている声を聞き昏い目で振り向いた。予想通りよく知っている男がいた。少々顔色が悪いのは脇腹を切られ血を流したせいだろう。
「限度を知らないのはシエル様そっくりなんだから。安心して坊や君。ファウスティーナ様はおれが保護してあるから」
「……あっそ」
「やれやれ、何で君達いるの。君やシエル様がいるなら、ファウスティーナ様は安全の筈なのに」
「場所が悪かったんだよ。捕まらなかったら無駄に被害者が出ていたし」
「成る程。シエル様達の到着を待つより、脱出する方が速いのでおれの指示通りに動いてね」
「お前がいるならお嬢様とこの坊ちゃんは無事だよね?」
「ええ。ファウスティーナ様といてもらっています」
更にフワーリン家の公子もいると伝えられ面食らった。
「は? なんで」
「何ででしょう。おれもフワーリン家の公子がいて驚きでしたよ。特に驚いたのは2人揃って冷静過ぎる所くらいですか」
ケインもクラウドも次期公爵となる跡取り令息。同年代の子達より大人びているが命の危険に晒されても冷静さを失わない人間は大人でも少ない。
特にクラウドの方は、フワーリン家特有のふわふわとした雰囲気を保ったまま。
見た目から大して驚いてないメルディアスは置いておき、ヴェレッドの頭にはフワーリン公爵が浮かんだ。
先王の時代を陰から支えたとんでも公爵が孫の危険を視ていない筈がない。
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