悪化していった
顔を両手で覆い、そのまま机に突っ伏したオルトリウスから離れた白いネズミは非常に険しい相貌のシリウスの側に走った。メルディアスの報せを届けたネズミに小さく割ったクッキーを与えた。
今日開かれたローズマリー伯爵夫人のお茶会。ファウスティーナの代理としてケインが出席すると聞き、予めシエルが内密に護衛するようメルディアスに命じていたのを知っている。メルディアスが付いているなら安心だと、彼の実力を知るシリウスもオルトリウスも大した心配はしていなかった。
それが夕刻……ファウスティーナに毒を盛った黒幕にどう白状させるか2人話している時、メルディアスが連絡の手段としてよく使用するネズミがやって来た。因みに名前はチューティー君。
チューティー君の体に巻かれた風呂敷を解き、中にあった小さな紙切れ1枚で即座に状況を知る。
夕刻、ヴィトケンシュタイン公爵邸へ向かった馬車は王城務めの騎士が率いる集団に襲われた。メルディアスが対応したのに彼を入れた3人が連れ去られた。ケインを入れるなら2人と書くのに何故3人なのか。馬車にはケイン以外もう1人乗っていた。王妃シエラの甥に当たるクラウドだ。
「フワーリン公子が乗っていた理由までは書いてないね」
「そこまでの時間は無かったのでしょう」
小さな体でクッキーの欠片を食べ終えたチューティー君に次のクッキーを与えた。両の手で持ってクッキーを齧る姿が可愛いと何もなければ思えるのに。小さく溜め息を吐いたシリウスは、外で待機する騎士を呼び、シエラを呼ぶよう命じた。
すぐに入ったシエラへ侍女を部屋から出すよう指示をし、3人だけになると事件を話した。
ファウスティーナの兄ケインだけではなく、甥のクラウドまで巻き込まれたと聞かされたシエラは顔を青褪めながらも首謀者の騎士に心当たりがあると言う。
「私が予想している通りなら、姉君を亡くされた復讐でしょう」
「存命と聞いているが?」
緩く首を振り「生きているだけの抜け殻です」と重く紡いだ。
「娘と無理心中を図った挙句、自分だけが生き残ってしまった事に強い後悔に襲われた彼女は生きながらに死んでしまいました」
「……。……シエラ、引き出せるか?」
何が、何を、となくてもシエラは肯定の意を見せた。
「ただ」と発した。
「分からない事があるの。何故、今なのかと」
「私も同じ考えだ」
ファウスティーナを害そうとするなら、数は少なくても機会はあったろう。『建国祭』間近の国の警備が集中する期間で実施したのか。相手の心情だけが未だ見えない。
机に伏せていたオルトリウスが心当たりがあると顔を上げた。
「心当たり?」
「僕の予想通りなら……、何と言うか……失恋と絶望を同時に味わい、失意に堕ちた娘の為に火が付いたんだろう」
「失恋……まさか」
嫌な予感がし、ある事をシエラに訊ねたシリウスは予想通りの返答に深く溜め息を吐いた。
信頼が高いからこそ漏らした事実がこんな事態を引き起こす等、隣国の予知能力でもないと誰も視えはしない。
再び外にいる騎士を呼んだシリウスは「リオニーが戻り次第、此処へ来るよう伝えろ」と命じた。
●〇●〇●〇
呼吸音すら響かない無音の室内にて、息をするのも禁じられたと錯覚する重苦しい雰囲気でも堂々とした佇まいを崩さないリオニーは全ての報告を終えた。ケイン達が襲撃されたであろう場所にヴィトケンシュタイン公爵家の馬車が置かれたままであった。道端に残されていた大きな血痕。恐らく、メルディアスが誰かを仕留めた後である。抵抗されない細工をされていても殺されている可能性はかなり低い。血痕以外には何も残されていなかった。
馬車は一先ず、ヴィトケンシュタイン公爵邸へ送り届けた。顔馴染みの門番に内密にシトリンを呼び出させ、襲撃の件を話した。
『な……!? そ、それは本当なのかい』
『嘘でこんな話をするか。ところで、公爵家の馭者は戻っているか?』
『あ、ああ。シエル様の指示で騎士が代わりとして馭者を務めるからと戻っているよ』
『ならいい』
予めシエルが手を回していて正解だった。もしもメルディアスを付けていなければ、誘拐された後も無事で済んでいるか不明だ。
『シトリン。母上は戻っているか?』
『戻っているよ……。リオニー、おば上が関わっているんだね?』
『襲撃に関しては関わっていないだろうな。と言いたいが実際は分からん。シトリン、ケインはフワーリン公爵家に泊まる事となったと言ってくれ。フワーリン公爵家にも事情は話す』
『分かった……』
大きな不安に襲われながら、表に出せば家族が更なる心配をする。ファウスティーナが8歳の誕生日を迎えた時は信頼の篤い執事が誘拐した。今度はケインが攫われた。もしもの事があれば、公爵家も只では済まない。
シトリンと別れ、ヴィトケンシュタイン公爵家から離れたリオニーはすぐにフワーリン公爵家へと向かった。
至急、公爵への面会を門番に求めると既にイエーガーは外へ出て待っていた。
『君が来ると思って待っていたよリオニー様』
『運命の糸でも見ましたかイエーガー様』
『そんなところだね。アーノルド達には、クラウドがいきなりヴィトケンシュタイン公爵家に泊まっていくという話にしているよ。実際、戻った馭者もそう言っていたしね』
『ありがとうございます。すぐに城へ来られますか?』
『いや、少し準備をしてから向かうよ』
イエーガーとの会話はこれで終わり、城へと戻ったリオニーは騎士の言伝を聞かずシリウスのいる執務室へ真っ直ぐと向かった。
全ての報告を終えたリオニーの青水晶の瞳が両手で顔を覆っているオルトリウスを捉えた。
「此度の件、オルトリウス様はどうお考えですか?」
「さっき、シリウスちゃんやシエラちゃんにも話したのだけど……」
馬車の襲撃者とファウスティーナに毒を盛った黒幕の動機を憶測で聞いたリオニーは動揺もなく、淡々とした相貌のままであった。
「ローズマリー伯爵夫人との接点はあるのでしょうか」
「何とも言えないのが現状かな。黒幕の方を陥落させられれば、点と点が繋がって全貌が見えて来るだろうさ。黒幕の方はシエラちゃんが今からどうにかする。僕達は攫われた公爵令息達の救出を……」
オルトリウスの言葉が最後まで続かなかったのは急な訪問者が現れたからだ。彼――オズウェルの登場に室内の3人の緊張が一気に増した。滅多な理由では教会を離れない彼が来るのは嫌な予感がしてならない。
恐る恐るリオニーが此処にいる理由を問うた。リオニーの側に立ったオズウェルは一言発した。
「とても残念な報せを持って馳せ参じました。シエル様は後程来られます。此処に貴方達が揃っているのは、其方も良くない事が起きているようだ」
「オズウェル君、君が来た時点で僕は嫌な予感しかしないのだけど」
「ファウスティーナ様が騎士に攫われました」
何の前置きもなく事実だけを述べられ、3人に走った衝撃は計り知れない。絶対に保護の眼を緩めないシエルの近くにいてファウスティーナが攫われたと誰が予想するか。ふと、シリウスが「ローゼは?」と問うと「恐らく坊やも一緒でしょう」とオズウェルは返した。
「ローゼちゃんが一緒なのに攫われたか。態とだろうね」
「でしょうね。ファウスティーナ様の侍女が倒れていました。場所は狭い店内、人質にされ身動きが取れなくなった故の苦肉の策だと」
「やれやれ、僕としてはこれ以上知り合いがいなくなるのは、悲しいから避けたかったんだけど」
仕方ないと諦め、椅子から立ったオルトリウスは微かな動揺を表に出すリオニーと対面した。
「リオニーちゃん。今から僕は君に残酷なお願いをする。聞き入れるか、否かは君の自由だ」
「……何なりと」
表に動揺が出ても、声色には一切の感情の揺れは無かった。鋼の精神で平静を保つ姿は尊敬に値する。
穏やかな人の顔をしながら、人とは到底抱けない残酷な言葉がオルトリウスから紡がれた。
「君に――フリューリング先代侯爵の始末を頼む。エルリカちゃんは先代侯爵の魔術師の力によって守られているから手を下せない。先代侯爵が死なない限りは」
「こうなった以上、覚悟はしておりました。ただ1つだけ、条件が」
「聞こう」
「母上の始末も私に任せてもらえますか?」
子が親を殺す等あってはならないとオズウェルが説くつもりはない。シリウスも反対の姿勢を微かに浮かばせるも、上げかけた腰を下ろし成り行きを見守る側に立った。
肉親であろうと目的の為なら手段を選ばない選択を最初にしたのはオルトリウスと先王ティベリウス。女神に見捨てられる寸前であった王国を立て直すのに2人の王子が最初に行ったのが国王夫妻の殺害。国王をティベリウスが、王妃をオルトリウスが始末した。次に王太子を劇物で廃人にし、戒めとして地下牢に封印。甘い汁を啜り私腹を肥やした貴族や商人を次々に粛清していき、殆どの膿を除き切った。
「最後に、どうしても、母上に確認したい事があります。
――アーヴァを憎みながら、伯父上からアーヴァを守っていた理由を」




