憎しみに染まった思考回路は
狭い店内で大男と真正面からぶつかっては此方側が不利で。どうにかして大男の動きを止めないとならない。見るからに短気そうな外見を利用し、相手の怒気を態と刺激する言葉選びをするヴェレッドに冷や冷やとする。馬鹿正直に突っ込んできた大男をあっさりと避けたヴェレッドの合図でリンスーと急いで出入口へ走った。
無事外に出られると教会へ行こうとリンスーに発した。
刹那、リンスーがゆっくりと倒れた。呆然とするファウスティーナはすごい力で店内に引っ張られた。鼻孔を擽った薔薇の香りから、自分を後ろに隠したのはヴェレッドだと知った。
「ヴェレッド様っ、リンスーが」
「気絶させられたみたいだね。次から次へと面倒くさ」
リンスーが倒れている側には黒いマントを羽織った別の男がいた。他に敵はいないと言うヴェレッドの判断は誤りだった。軽く舌打ちをし、しがみつくファウスティーナの頭を撫でながら相手へ不敵な笑みを浮かべて見せた。
「お前も魔性の令嬢に振られたの?」
「……私の友人の姉がアーヴァ様のせいで追い詰められ、娘と無理心中を図った。アーヴァ様は危険だ、魔女だ、あんな魔女に瓜二つな娘が王太子妃になるなどあってはならないんだ」
「お嬢様はお嬢様だ。恨みの矛先を間違えんな」
「うるさい! アーヴァ様と瓜二つな姿が無関係とは言わせん!」
再度舌打ちをしたヴェレッド。「デカブツにナイフを使ったからな……」と呟く。大男の方は処理されたのだ。ファウスティーナは倒れているリンスーが心配で気が気でない。ファウスティーナの不安を読み取った男が気絶しているリンスーを人質に取った。
悲痛な声を上げる様を嘲笑う男は交換条件だと放った。
「公女を渡せ。そうすれば、この侍女は無傷で返す」
「侍女の命と公爵令嬢の命を天秤に掛けるって馬鹿なの?」
「お前はそうでも公女はそうは思わんさ」
白い喉元に刀身が押し当てられ、今すぐに叫びたい衝動を抑えヴェレッドの服を握り締めた。相手へ睨むのは忘れず。リンスーを無傷で救出するには自分が大人しく人質となるのが最も穏便に早く終わる解決策。但し、その後どうなるかは不明だ。男の様子からして簡単には殺しはしない。アーヴァを恨む男はアーヴァに瓜二つなファウスティーナに何をするかは見当もつかないが。
ヴェレッドが小声で言う。「俺を信じて」と。とても小さな声で信じると紡いだ。
動こうとしないファウスティーナに痺れを切らした男は衝撃の言葉を放った。
「公女よ、お前が来なければお前の兄もどうなるか分からんぞ!」
「な……!」
兄とは誰を指すか、言われなくたって知っている。
「お、お兄様に何をしたのですか!」
「これからだ。ローズマリー伯爵夫人のお茶会が終わり次第、ヴィトケンシュタイン公子を攫う段取りとなっている」
「お兄様はアーヴァ様と無関係です! 私やお兄様が生まれている頃には、アーヴァ様は亡くなられているんですよ!?」
「瓜二つなお前が無関係と言えるのか!?」
「アーヴァ様とお父様は従兄弟だから全く無関係とは言えませんが……、少なくとも私もお兄様も亡くなられているアーヴァ様と面識はありません!」
「あろうがなかろうが関係ない。アーヴァ様に瓜二つ、これだけで十分俺達には関係があるんだ」
男の言っているのは全てが無茶苦茶だ。ファウスティーナが正論を放とうがアーヴァへの恨みに憑りつかれた男の耳には届かない。
「ヴェレッド様、お兄様がっ」
「坊ちゃんの側にはメルディアスがこっそり付いてるよ。ただ……城の騎士が絡んでいるなら、話は別か」
「お兄様が攫われたらっ」
「……お嬢様、俺の提案飲む? 一旦、こいつらに捕まろう」
「えっ」
一体彼は何を言っているのかと、見上げたら普段の愉快な面影も人を弄んで愉しんでいる風もない。至って真面目に言い放っていた。
「お嬢様を捕まえてもこいつらは坊ちゃんを捕まえる気満々だし、メルディアスがヘマをするとは思えなくても万が一がある。こいつの友人っていうのも気になるし、もしかしたら、お嬢様に毒を盛ろうとした黒幕が誰か分かる筈だよ」
「も、もし、ヴェレッド様の提案を呑んで皆無事に済まなかったら……」
「すぐにお嬢様をどうこうする気はなさそうだよ。仮にお嬢様に何かをする気なら俺がちゃんと守ってあげるからさ」
不安しかない場面なのに消えない信頼は強い人と知っているから。強く服を握ったまま、ヴェレッドのお腹に抱き付き、ヴェレッドもファウスティーナの頭を撫でつつ相手へ向いた。
「いいよ。捕まってあげる。俺は無関係だから逃がしてよ」
「後から追手を差し向けるつもりだろう? そうはいくか。お前も公女と来い!」
作戦通りと小さく紡がれた声に益々体を固くしたファウスティーナは更に強く固いお腹に顔を埋めた。怖くて足が震え、動けないと理由を作ってヴェレッドに抱き上げてもらい、相手が指示する方へ連れて行かれた。
質素な馬車が停車されており、乗れと言い放たれ、扉を開けて車内に座った。中には誰もいない。ヴェレッドに下ろされたファウスティーナは乱暴に閉められた扉に怯え座っても離れられなかった。じゃらじゃらと鎖の音が鳴り、鍵の閉まる音が次にした。鎖と鍵で扉を塞がれた。道中、逃げ出すのは不可能となった。
気絶させられたリンスーの心配は勿論、紅茶店の店主も心配で仕方ない。
街に人が少ない時に起きるのは最悪過ぎる。シエル達が異変に感付いて目撃者を探そうにも外に出ていた人は殆どいなかった。
「司祭様に知らせる方法を考えましょう」小声で出した提案はヴェレッドには必要なかった。
「いや。紅茶店のおじさんが教会に走って行っている最中の筈だよ」
大男に床へ放り投げられた後、騎士の男に気付かれず店主は店を出て行ったとヴェレッドは語る。
最初の騎士に人質にされた際も、足を踏んづけ隙を作っていた。度胸がないと出来ない芸当だ。
ヴェレッド曰く、店主はオルトリウスの代に神官を務めており、シエルに代替わりした際に職を辞し、趣味の紅茶店を開いた。
教会に勤める神官は荒事に慣れている、という説明を思い出し納得がいった。
「逃走方法とシエル様への言い訳を考えないとね」
「司祭様への?」
「そうだよ。俺がいるのにあっさりと捕まるなんて、って絶対に怒るよ。いや、久しぶりにシエル様が本気でキレるとこが見れそう」
「なんで愉しそうなんですかあ……」
優しいシエルしか知らないファウスティーナは、本気でキレるシエルを想像しようとしても全く浮かばなかったのであった。
――報せをシエルに届けたのはヴェレッドの読み通り、紅茶店の店主だった。
店主から事の経緯を全て聞いたシエルは今日全ての祝福を中断するとし、オズウェルを連れて急ぎ紅茶店へ走った。
店内は多数の茶葉が散乱し、乱雑に混ざった茶葉の香りと不快な鉄の匂いが混ざり顔を顰めた。奥に倒れる男は右肩に深い傷を負っているが息はある。入口付近に倒れる大男もナイフを背に刺されているがまだ息はある。
奥に倒れている男の側に王城から支給される剣が落ちてあり、男が騎士だと判明する。対して大男は野蛮な雰囲気を隠せない。恐らく破落戸。
「オズウェル君」
ファウスティーナには絶対に聞かせられない冷徹な声。無情な蒼の眼がオズウェルに命じた。
「人を呼んでこの2人を教会の地下へ入れて。
――尋問は私がする」
1人称が元に戻らないだけまだマシか、と完全に頭にきているシエルに黙って従うオズウェルは店主に教会へ行って人を呼ぶよう頼んだ。
再度走って行く店主を見送った後、騎士であろう男に目をやった。
「死んだ人間が駄目なら、生きた人間に恨みの矛先を向ける、か。
貴女はそんな愚かな人間に成り下がってしまったのですね……」
アーヴァが何もしていなくても、アーヴァによって大切な人を失った悲しみと憎しみは瓜二つのファウスティーナに向けられた。
オズウェルは深く息を吐いた。
姉リオニーの背に隠れ、自分の魔性の魅力に怯え、異性にも同性にも怯え、俯いてばかりのアーヴァにどんな罪があったというのか。
「……歳を取ると顔を知る者がどんどんと減っていく。天寿を全うする以外で失いたくないのですがね」
「何を言っているの」
「いいえ。私も、腹を括ろうとね」




