もう遅い
何もなかった風を装って会場へ戻ったケインは通り掛った給仕に飲み物を勧められるも、喉は渇いていないからと断った。一緒にいたクラウドが受け取って飲んだのには呆れた。再び人の少ない隅へ移動して呆れた声でクラウドを呼んだら「平気さ」とジュースを飲む。
「最初に飲んだのは睡眠薬が盛られていたんだろう?」
「ああ。まあ、眠ってしまう人を僕やケインから別の人に変えたから問題ないよ」
「そのジュースは安全?」
「何度も仕掛けて来るなら、とっくに僕達は眠っているよ。ケインは心当たりがあるんでしょう? 協力するから教えてよ」
どうせ話さなくてもクラウドなら自力で知る術があるのだ、今話しても変わらない。アーヴァやエルリカ、ローズマリー伯爵夫人の件を話すとジュースを飲みながらクラウドはある事を訊ねてきた。
「アーヴァ様?」
「リオニー様……フリューリング女侯爵様の夭折された妹君の名前。クラウドが知らないのは無理ないかも」
「そっか。うん、知らない。家に戻ったら父上や母上に聞いてみるよ。年代が同じだから知ってると思うよ」
「知ってるだろうね」
「女性の嫉妬は怖いね。死んでも相手への恨みを消さないなんて」
ファウスティーナがアーヴァに瓜二つなのも彼女達の憎しみを刺激する原因だ。シエルに瓜二つでも別の問題が浮上していた。
「ケインが代理で参加した理由を知れたのは良いけど、薬を盛るのはどうしてかな」
「さて。俺に何かあっても報せが届くのはヴィトケンシュタインだ。教会にいるファナにまでは届かないよ」
要らぬ心配を掛けさせない為に父が報せようとしない。
「視てみようか」と空になったグラスを持ったまま、クラウドの手が空中で掴む仕草をした。指と指で擦り、ケインには見えぬ糸を触って感触を確かめて。大きな溜め息を吐いた。
「ああ、駄目だ」
「よくないものを視たんだ」
「回避しようにも別の人に結べば其方に被害がいく」
「クラウド……回避しなくていい。そのままで」
「ケイン。回避しないと――死ぬよ? 君もファウスティーナ様も」
ここでファウスティーナの名前が出るとは思いもしなかったケインの両眉が上がった。フワフワとした笑みを見せているのにクラウドから発せられる険しい空気が真実を物語っていた。
「回避すると別の人が死ぬんだろう?」
「運命のそのものを変える力はフォルトゥナにしかない。僕やお祖父様は先を変えるだけだ」
「自力でどうにか……」と言い掛けたところでケインの足に小さな重みを感じた。見ると真っ白なネズミがケインを見上げていた。人に見られてはいけない、そっとカーテンの裏に隠れたケインは追い掛けてきたネズミを手の平に乗せた。体に巻かれている小さな風呂敷を解くと紙切れが入っていた。風呂敷を再びネズミに結んで床に下ろし、誰にもバレず逃げて行ったのを見届けてクラウドの許へ戻った。
「それは?」と紙切れを示された。
「悪い知らせ、だよ。クラウドの言う通り、俺が死ぬ日は今日になるね」
「……ねえケイン。僕の言う通り動いて、そうすれば完璧とはいかなくても回避に近い形で逃げられる」
「いいや。何も聞かないでいるつもり。帰る時は俺から離れていてね」
死にたい願望は持ち合わせてないが他人に死の運命を回して生き延びたい気持ちもない。誰かが死んで自分だけが生き残るなら、足掻いて回避を目指すか殺されるかのどちらしかない。
何か言いたげなクラウドを見ず、お茶会が終わるのを待った。
――終わりの時間が漸く訪れた。黄昏色の空の下、待たせていた馬車へ戻ったケインのところにおばエルリカが訪ねた。
「ケインさん。今朝のエルヴィラさんはどうでした?」
「先日王太子殿下とお会いしたのですよね? 随分と上機嫌でしたよ。今朝はまだ悪夢は見ていないと」
「そう。エルヴィラさんの言う通り、王太子殿下のお陰で悪夢を見なくなるのなら、それはそれで可哀想だわ。リオニーは?」
「リオニー様からはやはり『建国祭』が終わってからではないと本格的な調査はしないと」
「貴族の当主としては当たり前ね。分かりましたわ。ありがとうケインさん」
他に言いたい内容はないのか、エルヴィラについてだけ聞くとエルリカは招待客を見送るローズマリー伯爵夫人の側まで戻った。
ケインは馭者に促され馬車に乗り込むと、呆れ果てた眼差しを先客――クラウドへやった。馭者は気付かなかったらしく、困惑の眼をケインへ寄越すがケインは構わないと首を振り、クラウドの向かいに座った。扉が閉まると「クラウド」と呆れの混ざった声で呼んだ。
「フワーリン家の馬車は?」
「ヴィトケンシュタイン家に泊まるって言ったよ。ケインとは前から約束してたって言ったらあっさりと信じてくれたよ」
「何をやってるの」
「僕が今から言うのはこの後起こる事。信じるか信じないかは君の自由だ」
クラウドの話が始まった時、馬車は動き出した。
ローズマリー伯爵夫人と孫のレジーナが頭を下げている姿を見た、変わった箇所はない。
クラウドの話が終わる。
ケインは取り乱しも恐怖に陥る様子もない、静かなまま思考した。
「クラウド、今からでも遅くはない。街の広場で馬車を拾ってフワーリン家に戻るんだ」
「君はどうするの? 僕に君が死ぬと分かってて見過ごせって?」
「どうにかなるように頑張るよ」
そう言ってポケットから紙を取り出したケインは後ろの窓を開け馭者に渡した。
「馭者は公爵家の人じゃなさそうだね」
「ああ。司祭様が万が一の為にって王家の騎士をつけてくれたから」
「王家の騎士というと……女侯爵様じゃないか」
リオニーなら変装しても発せられる雰囲気から見破られる可能性が大いにある。
ヴィトケンシュタイン家に何度も遊びに行くクラウドから見ても、馬車を動かす馭者が騎士とは見えない。普段から山高帽子を目深に被っていて、今の馭者も山高帽子を変わりなく被っているので別人か判別のしようがない。
「お茶会で俺とファナが死ぬとか言ったけどファナの側には司祭様がいるんだよ? 確か、教会に属する神官は荒事に慣れているのが殆どだ。司祭様がいなくても神官が側にいれば、ファナが危険な目に遭うのは」
「ないとは言い切れないでしょう。実際に運命の糸は君とファウスティーナ様の危険を僕に見せた。実際に死ぬかは定かじゃないんだ。そう言ったら怯えて僕の言う通りにしてくれるかなって期待したんだ」
「ただ、そう言うって事は死ぬような目に遭うのは確実なんだろう? なら、やっぱり他人に回避させるべきじゃない」
ケインじゃなく、ネージュや他に思考が物騒な人達ならファウスティーナに害がある相手に結ばせて回避していただろう。
「危険が起きるのが決定なら、クラウドは降りるべきだ」
「もう遅い。そろそろ賑やかになるんじゃないかな」
クラウドがのんびりな口調で言ってのけた直後――馬車は激しく揺れた。ローズマリー伯爵邸からヴィトケンシュタイン公爵邸へ戻るのに近道を通った為、人の気配がまるでない。
体勢を辛うじて保った2人は乱暴に開かれた扉の向こうにいる黒いコートと仮面で顔を隠した集団に刃を向けられた。銀色に鈍く光る刀身。切られれば、刺されれば、重傷を負うのは無防備な2人。
「なっ、話が違う。黒髪のガキ1人としか聞いてないぞ!」
クラウドが乗っていたのは彼等にとって想定外だったらしく、戸惑いが大きい。相手が1人なら隙だらけな今体当たりをして馬車から遠ざけ逃げられるのだが後ろにまだ何人かいる。
「ち、お前等2人とも馬車から降りろ。静かに降りろよ? いいな!」と剣を向けられながら言われ、ケインとクラウドは怯えもせず言われた通りに降りた。馭者は先に縄で縛られており項垂れていた。
恐らく集団の中で発言権が強いのだろう男にヴィトケンシュタイン家の馬車の先に停車されている質素な馬車に乗れと命じられた。ここも言われた通りにしようと後ろから剣を向けられながら歩き出したら、別の男が馭者の側へ寄った。
「お前はここでお別れだ」
項垂れる馭者に剣を振り下ろした。
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