あと一歩で魔の手は触れる
魔術師の祝福が込められた短剣を渡す前、最初は別の物を渡そうとした。同じく魔術師の祝福が込められた糸だ。糸を貰った後、念の為にと短剣を渡された時はヒヤリとした。糸を使わなかったのはクラウドが拒否したからだった。糸だときっとすぐに効果は切れる。物理的に切ってしまえば少しは保つだろうと。それでも少しなのだ。長期的だとやはり、呪いを解く側の負担が大きくなってしまう。
給仕から受け取ったオレンジジュースはファウスティーナが普段飲んでいるのと違い甘味が強かった。ファウスティーナは甘酸っぱいのを好む。オレンジも種類によっては酸味を抑えて甘さを重視した物もある。それを使ったのか。にしてはやけに甘い。同じオレンジジュースを飲んだクラウドが「砂糖でも入れたのかな」と口にする。果物を絞ったジュースに砂糖を入れる必要はないだろうと言いたいがクラウドの言った通りの甘さなので考えられなくもない。
代理には何もしないとはケイン自身考えていない。この甘さが何を齎すかは警戒しよう。
「クラウド。気分が悪くなったらすぐに言うんだ」
「可笑しな事言うね。甘いジュースを飲んだだけで悪くならないよ」
「念の為、かな」
「君が言うなら気を付けるよ」
空になったグラスをテーブルに置いた2人はまた会場内を見渡した。相変わらず令嬢達の視線が2人にチラチラと向けられており、話し掛けたそうにしていた。
「君は気になる御令嬢はいないの?」
「それを言うならクラウド、君だっていないの?」
「さあ。僕は何もないかな。両親が政略結婚を用意するならそれに従うだけさ」
「そう」
「君は? 君もそうするの?」
「どうだろうね。俺は手の掛かる妹が2人いるから、まだまだ婚約なんて気分じゃない」
「はは。婚約を気分で決めるか」
実際に4度の人生で1度も婚約者を作らなかった。気になる女性もいないのが大きかった。手の掛かる妹が2人もいたから作る気にならなかったのは事実だ。何より、ファウスティーナとベルンハルドの事で手が一杯になって自分を優先なんて考えがなかった。
どれもファウスティーナはベルンハルドをエルヴィラの方へ向かせた。ベルンハルドがどんなにファウスティーナを求めようと“運命の恋人たち”と女神に認められたエルヴィラと結ばれてこそ彼の幸福があるのだと信じたファウスティーナの考えを変えられない限り、あの2人が結ばれる未来はないのだ。
何をもって最初なのかと4度目の最後の間近フォルトゥナに問われた。
(俺にとっての最初か、ファナにとっての最初か、か)
考える最初が違えば、どれだけ足掻こうと思い描く最後は決して同じにならない。
フォルトゥナはヒントを与えてくれた。後は自分で知るようにと。
が、これについては後にしよう。
ケインは側にいる彼にとある事を訊ねた。さっきから指揮棒無しで指揮者の動きをするクラウドに。
「何してるの」
「運命の糸って不思議でね。触れれば相手の運命が見える。運命を変える力はなくても別の運命に結ぶ力がある。小さい頃はこれが何か分からず遊んでいたらお祖父様に使い方を教えられたんだ」
「クラウド……」
呆れた声を出すと「知らなかったんだ、しょうがないでしょう」と考えが読めない微笑みを向けられた。
「エルヴィラ様の悪夢は悲惨だ。けど、それだけ呪いを掛けた相手はエルヴィラ様を憎んでいたみたいだ」
「クラウドは誰だと思う」
「さあ。お祖父様には言わなかったけど。……あの呪い、フリューリングとフワーリン、両方の力が込められていた。誰がしたかは皆目見当もつかないけど」
「……」
内心、ああやっぱりか、と納得した自分がいてもケインは驚きもしない。
数日前のリオニーの言葉で確信したからだ。
(そうまでしてエルヴィラを許せなかったのですか……)
嫌いなのか、本当は好いているのか、どちらか分からない。
好意はどちらにも傾いていて、何かの拍子にどちらかへ傾く。
まるでシリウスとシエルのようだ。
王族の兄弟というのはこんなにも面倒なのか、それともこの国だけに限った話なのか。
「ところでケイン。君に聞きたいのだけど」
「なに」
「エルヴィラ様が好きになりそうな相手かエルヴィラ様を好きになりそうな相手を誰か知らない」
「急な話題だね。王太子殿下に苦情が入った?」
「まさか。ベルは優しいからそんな事言わないよ。ちょっと前にファウスティーナ様と教会で会ってね」
今月はルイーザの誕生日だったと思い出したケインは年に1度しか会えないシエルに会えてご満悦なルイーザを思い浮かべた。誕生日プレゼントにヴィトケンシュタイン領で秋に採取したハチミツを贈ると後日お礼の手紙が届いた。女の子らしい可愛らしい文字だった。便箋から香ったのが薔薇の香りなのはシエルを真似てだろう。
教会でファウスティーナと会ったクラウドはエルヴィラについて話したとか。エルヴィラのベルンハルドに対する気持ちをどう考えているのか、と。
予想通りのファウスティーナを聞いてもケインに驚きはなかった。
「ベルはファウスティーナ様を好ましく思ってるから、ついつい応援してあげたくなるんだ」
「それは従兄として?」
「それしかないでしょう」
人生を4度繰り返しても、雲の名の如くフワフワとした友人の真意はいつだって掴めない。が、彼が従兄弟の王子達を大切にしていたのは知っている。
不可解さがあるのも。
どの人生においてもクラウドは傍観者に立っていた。
ベルンハルドがファウスティーナを求めようと、ファウスティーナがベルンハルドをエルヴィラの方へ押そうとも、エルヴィラがベルンハルドの側を決して離れようとしなくても。クラウドはただ微笑んで見ていただけだった。
一応、リンナモラートがベルンハルドとエルヴィラを強制的に“運命の恋人たち”にした時は大怪我を負ってでも糸を切った。
結局、ファウスティーナが最後エルヴィラ殺害計画(嘘)を企てた事がベルンハルドによって阻止され、公爵家を追放されてしまったが。
王太子妃夫妻となったベルンハルドとエルヴィラを見ていたクラウドに変化はなかった。
「俺は1度で良いから君が感情を露にしたところを見てみたいよ」
「いきなりだな。僕は常に感情を出してるじゃないか」
「同じだけだ。怒ったところとか、機嫌が悪そうなとことか。1度も見た事がない」
「怒りの沸点って言うのかな? 人よりも高いみたいでね。滅多な事でもない限りは怒らないよ」
一定の感情をキープしているのだとクラウドは言う。簡単に言ってもとても難しい。
「王太子という地位は令嬢達にしたらとても魅力的だから、ファウスティーナ様に何かあればここぞとばかりに皆狙ってくるだろうね」
「万が一にも起きないでほしいよ」
仮に起きたとしても今はシエルの庇護下にある。余程の事がない限りは起きない。
クラウドと長く話している間にも何人かの令嬢が来たり、時折会う令息が来て話をした。その間に甘いオレンジジュースが何かを齎す事はなかった。
考え過ぎたかと思いつつもお茶会が終わるまでは警戒していよう。
夫人達が集まっている会場はどうしているのか、気になっていたケインはそれらしい理由を作ってクラウドの側を離れた。廊下を通って行った執事に場所を聞き、目指す振りをして賑やかな声が届く方へ足を向けた。
近付くとそこが夫人達が集まっている会場だったようで、特別な催しは何もなく、令嬢令息が集まっている場とあまり変わらなさそうだった。
「何をしているのケイン」
「付いて来たの? クラウド」
「ちょっと気になってね」
何が、誰が、とは言わず。クラウドは夫人達が集まっている会場が気になるらしいケインを怪訝に視界に収めた。
「君は何を気にしてるの?」
「さあ、なんだろう」
「話したくないなら無理に話さなくていいよ」
気にしながらも深く追及してこないのがクラウドだ。
会場に戻ろうとクラウドに振り向いた、ら、気になる光景が端に映った。気付かれないよう距離を取って陰から2人――リリーシュとエルリカを覗いた。
「ローズマリー伯爵夫人と……」
「……エルリカおば様。フリューリング先代侯爵夫人だよ」
「仲良しな会話……とは言い難いね」
2人の関係は良好だろうが今あの2人から出されている雰囲気はとても仲良しとはクラウドの言った通り言い難い。リリーシュが不満をエルリカへぶつけていると言ったところだ。
「リリーシュ。仕方ないわ。今回は諦めましょう」
「嫌よ! もう沢山なのっ、旦那様は未だにアーヴァ様アーヴァ様と……!」
「リリーシュ……」
怒りと憎しみの込められたリリーシュの訴えにエルリカは何も言えなかった。ファウスティーナは来なくてやはり正解だった。
「いつかきっと機会は回って来るわ」
「それまで待っていろと言うの? 私には無理よエルリカ様っ」
「リリーシュ。早まっては駄目よ? 良い事は何も起きないのだから」
「なんだか不穏だね」
甘すぎるオレンジジュースの件といい、目の前で起きているリリーシュとエルリカのやり取りといい。
クラウドも飲んでいるので楽観視はしていられない。
「クラウド、それらしい理由を作って退席しよう」
「何を心配してるの」
「さっき飲んだオレンジジュースやローズマリー伯爵夫人の様子のせいかな」
「あのオレンジジュースには時間が来ると眠くなる薬が入っていたみたいだから、他の人に眠ってもらう事にしたよ」
平然と答えたクラウドに呆れてしまう。無意味に手を振っていたのではなかった。睡眠薬の件については後で話すとし、今は早急な行動は控えようとクラウドに会場へ戻された。
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