代理としての参加
『すごいねケイン。リオニー様……魔術師の祝福が込められた短刀を持って来るなんて』
『バレないか冷や冷やだよ』
『はは。君相手に持ち物検査なんてしないよ。これで上手くいくかどうか』
王城でリオニーから受け取った短刀を服の中に隠してフワーリン邸へ向かった。途中でバレはしないかと言葉通りの感情だったが心配するだけ損した。クラウドの私室に入ると既に事情を読んでいた彼は貰えた? とだけ発した。いつものフワフワとした微笑みで。柔らかそうな髪の毛のせいでクラウドを動物に例えると羊しか出て来ない。隠していた短剣をクラウドに差し出してもフワフワな微笑みは崩れない。
短剣を握ったクラウドは暫し口を閉ざした。ケインは待つだけ。長い時間が流れている、思い始めた時クラウドは翡翠色の瞳を短剣からケインに変えた。
『短時間で用意したには強い力を感じる。前から準備をしていたんだね』
『いや? 応急処置だとしか言ってなかった』
『お祖父様曰く、リオニー様は先代フリューリング侯爵よりも強い魔術師の能力を受け継がれたと言っていた。なら、このくらいリオニー様にとっては造作もないのだろうね』
『クラウド、その短剣を使ってエルヴィラの悪夢の糸を切ったらどれくらい保つ?』
重要なのはエルヴィラが悪夢を見なくなる期間。きちんと対処するには今は時間がない。クラウドの言う通り強い力が込められているなら期待はしたい。『やってみるよ』とテーブルの前に立ったクラウドが手を空中に翳した。ケインには見えない運命の糸を掌で掬って短刀で切る仕草をした。
が――刹那、目にも見える力が暴れ出した。黒い光が糸を切ろうとする短剣を伝ってクラウドを襲う。
『クラウド!?』
『っ、ああ、参ったな、こんなに強いなんてっ』
『すぐに人を――』
『いいっ、もう終わる』
強い力で糸を完全に切った。
黒い光は消えてクラウドはへたり込んだ。駆け寄ったケインが見たのは、全身から煙が出て所々血が出ているクラウドの姿だった。
『クラウド……っ、ごめん、こんな事になるなんて』
『切った時点で手を離さなかった僕の問題さ。ケイン、これで分かった事がある。この呪い、また直に復活してエルヴィラ様に絡みつく』
『時間稼ぎにすらならないのか……』
『……エルヴィラ様に呪いを掛けた相手は、とても強い憎しみを持っている。この呪いを掛けた相手は今頃無事では済んでない』
『無茶をしたねえ、クラウド』
気になる言葉を聞いた直後、口調は呑気なのに声色に焦りが滲んだ声が飛んだ。クラウドの祖父イエガーが入って来ていた。
『お祖父様これは』
『ああ、心配しなくていい。ヴィトケンシュタイン公子は君に何もしていない。知っているさ。だがクラウド無茶は禁物だよ。身に危険が迫る糸には触れてはいけないと言ったじゃないか』
『先代公爵、これは俺がっ』
何度かエルヴィラの悪夢の糸をどうにかしてほしいとクラウドに頼んでいたのはケインで。クラウドの怪我もケインが間接的に関係がある。訳を話そうとケインが口を開き掛けるもイエガーは首を振った。
『君の事情も知っている。ただ、実行したのはクラウド。君は強制していないし、そんな真似をする子じゃない。クラウド、すぐに医師を呼ぶ』
もうじき開催される『建国祭』の参加はクラウドのみ不参加となる確率が高い。怪我の治り具合によるだろうが無理はさせられない。
すぐにクラウド付の侍女が現れ、イエガーの指示の下医師の手配を済ませ、応急処置をする為にケインはイエガーと部屋を出て客室へ案内された。
ソファーに座るよう促され腰を下ろした。
『クラウドなら心配要らない。血は出ているが大怪我という程じゃないだろうから』
『申し訳ありませんでした。元はと言えば、俺がクラウドに頼んだのが原因です』
『断る事だって出来たのにクラウドはしなかった。クラウドの意思でやったのだ。君は気にしなくていい。ところで先程の件だがクラウドは何か言っていなかったかい?』
『……エルヴィラに呪いを掛けた相手はとても強い憎しみを持っていて、呪いを掛けた相手も今は無事では済んでいないだろうと』
『僕も思うよ。ただ、他者に呪いを掛けられるのはフワーリンかフリューリングの能力を持つ者のみ。あれだけの呪い、フリューリングなら体に障害が生じる』
『もしもフワーリンだったら?』
『フワーリンでも同じさ。が、あの呪いは恐らくフリューリング……つまり、魔術師の呪いによるものだと僕は思う』
現在魔術師の能力を持つのはリオニーと先代侯爵のみ。強い呪いを掛けた代償に体に障害が生じるなら、と先代侯爵が浮かぶが随分前から体を壊している先代侯爵にエルヴィラを呪う余力は残ってはいない。
最も重要なのは理由。
リオニーにも、先代侯爵にも、エルヴィラに呪いを掛ける理由がないのだ。
目の前でイエガーと話をしながらケインはある確信を得た。
「――ネージュ殿下……そうまでしてエルヴィラとベルンハルド殿下を結ばせたかったのですか。それとも、ベルンハルド殿下の心を掴めなかったエルヴィラを許せなかったのですか」
1人でいる馬車内ならば、小さな独り言を呟いたとて気にする人はいない。今日はファウスティーナの代理としてローズマリー伯爵夫人主催のお茶会に参加する日だ。ほぼエルリカの思い付き同等のファウスティーナの参加はシエルの急用によってファウスティーナは不参加となり、代理として兄のケインが参加するという設定。お茶会の主旨が書かれていない招待状と思い付きに見せ掛けて事実はファウスティーナを陥れようとするエルリカの思惑。この2つが混ざれば陰湿な蔑みがファウスティーナを襲った。女の世界は怖いと4度目の時、ベルンハルドの側妃となったアエリアが零していた。
このお茶会に出席する令嬢令息は誰になるのか。クラウドも参加予定だったものの、先日のエルヴィラの悪夢の糸を切った代償で不参加の筈。来ていたらケインは驚ける自信があった。
木が他よりも多く道に植えられている道を通って行くとローズマリー伯爵邸に到着した。馬車を降りると迎え人は笑顔を困惑へと変えた。
「あ、あら、ケインさんじゃない」
「ご機嫌ようエルリカおば様、ローズマリー伯爵夫人」
「ご、ご機嫌よう公子。こ、公女は?」
「妹は王弟殿下の急用で来れなくなりましたので代理を頼まれました」
「ま、まあ、そうだったの」
勝手にシエルの名前を使ってしまったが後から知られても怒られはしない。代理の証である招待状を渡し、ぎこちない笑みを見せたままのローズマリー伯爵夫人の指示で侍女が案内をしてくれた。令嬢・令息が集まる場へ通されると見知った顔を見つけ思わず駆け寄った。
「クラウド? 来て大丈夫なの?」
「ああ、ケイン」
呪いによって強力にされた運命の糸を切ったせいで強い反発を受けたあの時はクラウドは大怪我をしているように見えた。頬や袖の隙間から見える腕には手当を受けた痕跡があった。
「ローズマリー伯爵夫人には僕がうっかり階段から落ちた体にしたよ。心配いらない、大した怪我はしてなかったから、予定通り参加したんだ」
「具合が悪くなったらすぐに帰るんだ」
「分かってるよ。ほら、こっちにおいでよ」
大丈夫なのだと信じて良いのか、クラウドのフワフワとした姿を見ていると心配になる。が、あんな見た目で中身は中々に強引な性格をしているんだ。見た目と中身は一致しない。同じ人は何人もいるか、と自分で納得したケインは後を追った。クラウドが待っていたのは会場の隅。招待された家の令嬢令息達の姿がよく見える。
令嬢達の視線がケインやクラウドに多数向けられている。2人共、次期公爵であり、未だ婚約者がいない。未来の公爵夫人の座を狙っている令嬢は数多くいる。
「ケイン様」と最初に声を掛けて来たのはシーヴェン伯爵家のリナ。パーティー等でエルヴィラと話をする伯爵令嬢。
亜麻色のふんわりと緩くウェーブがかった髪を下ろし、薄桃色でレースとリボンで可愛さを強調するドレスを着たリナは頬を薄く赤らめてケインやクラウドの側に来た。
「ご機嫌よう。エルヴィラ様やファウスティーナ様は参加されていらっしゃらないようですが」
「ファウスティーナの代理で参加しているだけですので」
「そうだったのですか。宜しければ、わたくしと少しお話を……」
ここでリナの要求を呑めば他からも自分をと名乗り出られる。ケインは丁重にお断りをした。納得のいかない顔をされるがクラウドの「ケインとは話の途中だったんだ。後で声を掛けておいで」と、話の邪魔をしないでほしいと遠回しに伝えると少し顔を青くして下がった。
仲良し令嬢達の輪に戻ったリナは泣きそうになっていた。「クラウド」とケインは呆れた様子で溜め息を吐いた。
「怖がらせる必要あった?」
「僕を怖いと思うなんて変なご令嬢だよ。ケインは僕を怖いと思わないでしょう?」
「いや? 十分、怖いよ」
「酷いなあ。僕の何処をどう見たら怖く見えるのさ」
「自覚がないようで何より」
「なにそれ」
楽しそうに笑うクラウドを後目に、再度会場の令嬢令息を見回した。エルリカやローズマリー伯爵夫人の息の掛かった者……と探すが子供の手を汚させる真似は流石にしないかと息を吐いた。
「何か探し者?」
「気のせいだよ」
「もう、話をはぐらかす。……ケイン、次は適当に退散してもらうのは難しい子が来たよ」
視線だけで相手の方を示され、見た先にいたのは此方にやって来るローズマリー伯爵夫人の孫娘レジーナ=イヴレーア侯爵令嬢。
薄い金色の縦ロールを揺らしながらケインとクラウドの許へ来たレジーナはスカートの裾を広げ頭を垂れた。
「ご機嫌よう、ケイン様、クラウド様。本日はお祖母様のお茶会にご参加下さりありがとうございます」
主催の孫娘。リナの時の様にはいかない。イヴレーア侯爵家はフリューリング家、ラリス家と比べると劣るが古くから王国に存在する上位の貴族の1つ。侯爵夫人がローズマリー伯爵夫人の娘だった筈だと記憶の棚から引き出した。
「やあ、レジーナ嬢。ローズマリー伯爵夫人に招待して頂けて光栄だよ」
「ありがとうございますクラウド様。ケイン様はファウスティーナ様の代理とお聞きしました」
「ええ……王弟殿下に急用が出来てしまったみたいで」
「司祭様の急用とファウスティーナ様は何か関係があるのですか?」
「さて……俺からはなんとも」
「そうですか」
些か残念さを醸し出され、これは、と心の中で嘆息した。ファウスティーナと繋がりを持って未来の王太子妃との関係をアピールしたかった一面、そして声色と瞳の奥に隠された嫉妬の感情がケインには見えた。彼女もシエルを異性として慕う側だった。
吐きたくなる溜め息をグッと堪え、それからレジーナと世間話を幾つかすると他の招待客への挨拶周りをするとレジーナは行ってしまった。貴婦人はローズマリー伯爵夫人本人、令嬢令息はレジーナが担当といったところ。
これでちょっとの間は落ち着いて話せると給仕からジュースを受け取ったケインはクラウドの分も渡した。
受け取ったグラスの色がオレンジ色なのをクラウドに指摘された。
「ファウスティーナ様が好きなジュースだから、かな?」
「選んで取った訳じゃないから。嫌なら変えてもらおうか」
「まさか。好きだよ」
フワフワとした微笑みのまま、受け取ったオレンジジュースを一気に飲み干したクラウドだった。
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