黒幕(仮)について
先にシエルの屋敷へ戻ろうとファウスティーナはリンスーを連れて歩き出していた。小さな背を見つめ、流れるように視線をオズウェルにやったリオニーはふと漏らした。
「オズウェル様。1つ聞きたいのだが。……貴方の言う正気とはなんです」
「……」
「私が最初に覚えているアーヴァに対する母上の姿はとても見ていられないものだった。あの子は初めて会った母親に怯え、母上は初めて見た娘を汚物を見るかの如く顔を歪ませていた。アーヴァに対する態度は一貫し、母上がアーヴァに母として見せる顔は何1つなかった。正気を手放した、とどうして言えますか」
鋭く問う声色と青水晶の瞳がオズウェルを射抜く。並の相手なら腰を抜かしてへたり込んでしまうリオニーの強烈な眼力はオズウェルには通用しない。表情を変えず、淡々と彼は紡いだ。
「記憶の引き出しを探ってごらんなさい。この場にいる誰よりもアーヴァ様とエルリカ様といたリオニー様なら、きっと見つけられますよ」
「それはどういう」
「ヒントはあげませんよ。自分でお考えなさい」
それだけ言い残しオズウェルは教会内へ戻って行った。背が奥へ消えるまで見つめていたリオニーも軈て諦め、待たせていたシエルに振り向いた。
――教会内に戻ったオズウェルは閉めた扉に凭れた。
「オールド殿が廃人となった今既に手遅れな話なんですがね」
●〇●〇●〇
久しぶりという程留守にしていないシエルの屋敷に戻ると先に連絡を受けていた執事が出迎えてくれた。部屋に入り、温かいオレンジジュースが入れられたマグカップを受け取った。子豚のピギーちゃんマグカップ。8歳の誕生日にリュンがくれたプレゼントだ。あれからずっと大切に使っている。リンスーはピギーちゃんマグカップを見る度不満そうにする。
「お嬢様に子豚のマグカップを渡すなんて、リュンも少しは令嬢の好みを知るべきです」
「私は気に入ってるよ? 自分の好きな物を相手にも好きになってほしい気持ちなんとなく分かるな」
子豚のピギーちゃんとコールダックのダックちゃんは王国で有名な物語に登場する動物だ。作者は王国出身者である事しか分からず、その他の情報は一切不明。
今度、コールダックのダックちゃんの形を模したマグカップがあるか探そう。子豚のピギーちゃんマグカップがあるなら、ダックちゃんだってきっとある。
縁に口をつけて温かいオレンジジュースを喉に通した。冷たいオレンジジュースも好きだが温かいオレンジジュースも好きになりそうだ。
「『建国祭』まで教会にいるとしまして何をしましょう? お嬢様、したい事はありますか?」
「うーん……」
元々王都に戻るつもりでいた予定は全てエルリカの存在によって無しとなった。王妃宮滞在も無くなった今、ファウスティーナは暇を持て余していた。こういう時こそ勉学の基礎を振り返るのも良い。
揺れるオレンジ色の水面を見ながらファウスティーナはローズマリー伯爵夫人が開くお茶会について感じていた事をリンスーに話した。
「夫人やエルリカおば様は、私を招待してアーヴァ様にぶつけられない感情を私にぶつけようとしていたと思う」
「お茶会に参加とするならば、主催者の意向に沿った装いで行くのがルールですからね。ローズマリー伯爵夫人が開くお茶会は何をテーマにしているのか、招待状には何1つ書いていませんでしたね」
昨日侍女から渡された招待状には場所と日時しか書かれていなかった。また、あまりに参加するファウスティーナ側の準備期間が無さすぎる。ただ、お茶会への招待は元はと言えばエルリカの思い付き。
「私が参加していたら、お茶会の趣旨を理解せずに参加したときっと伯爵夫人やエルリカおば様は言っていたのでしょうね……」
「お嬢様に恥を掻かせるのが目的でも、渡された招待状を見せれば言い逃れは出来ません」
「受付をする時に本来渡されないとならない招待状とすり替えられそうだわ。招待状を見せ書いてあるでしょうって言われるわよ」
「有り得そうで何とも……」
ケインに何も起こらないよう運命の女神に祈るばかり。
オレンジジュースを再び飲んだ。
オレンジ色の水面を意味もなく揺らした。相手がケインなら、アーヴァを憎んでいるあの人達だって何もしないと信じたいのに胸騒ぎがしてならない。
リンスーに「お嬢様?」と心配するよう顔を覗かれるも何でもないと笑って見せた。
オレンジジュースを飲み干した辺りでシエルとヴェレッドは戻った。リオニーはいなかった。聞いてみると王都に戻ったと。
「急いで襲撃者を雇ったのが誰か知りたいらしくてね」
「そうですか……。結果が分かったら私にも教えてほしいです!」
「そうだね。君にも知る権利がある。ただ、もしも私達が思う相手だった場合、君は信じられないと思うだろうね」
「そんなにも意外な方なのですか?」
「ああ。ただ、ある人が興味深そうな話を聞かせてくれてね」
「興味深そうな話?」
ファウスティーナ達を襲った襲撃者達を雇った黒幕には愛する娘と孫娘がいた。娘夫婦はとても穏やかに愛を育み、孫娘も2人の愛情を受け健康に育っていった。けれど悲劇が襲った。
「夫の方がアーヴァの魔性の魅力に当てられてしまってね……社交界で有名な仲の良かった夫婦の関係はあっという間に破綻した」
「……」
デビュタントに参加したアーヴァの魅力は子供の頃よりも更に膨れ上がり、多くの令息、紳士を魅了した。心の底から愛する人がいる男性にもアーヴァの魅了は影響した。
すっかりとアーヴァに夢中になった夫は妻子を顧みなくなり、アーヴァに求愛し続けた。人見知りで内気なアーヴァは見知らぬ相手からの求愛に恐怖し、常に姉のリオニーの背に隠されていた。
軈て、アーヴァが自分の気持ちに応えてくれず逃げ回るのは妻子のせいだと思い込み始めた夫は暴力を振るい始めた。
最初は元の優しい夫に戻ってほしくて耐えていた妻も次第に疲れ果て、娘と無理心中を図った。
「結果、幼い子供が死んで母親は重い障害を残して生き残ってしまったんだ。嘗て愛した妻子の変わり果てた姿を見ても夫の心が元に戻る事はなかった」
「……」
聞かされた話が重くてオレンジジュースを全部飲み干しておいて良かったと思い、更にシエルは夫の方はその後すぐに病によりこの世を去った、心臓発作と見られている、と語った。
時期が時期だけにファウスティーナは「変ではありませんか?」とシエルに問い、首を縦に振られた。
「ああ。周りは女神の罰が当たったのだと彼の死を悼まなかった。だが、黒幕と思う人には病死に見せ掛けて相手を始末するのが得意な輩の伝手があった」
「ちょっとシエル様。いつもは俺にお嬢様に物騒な話はするなって言うくせに自分はするの?」
「私はする必要があるからしているだけだよ。君の場合はないからだよ」
「酷いなあ。俺も必要と思うからするのに」
傷付くよという声は悲し気で、表情はとても愉快に。髪形と同じでアンバランス。お黙りとシエルに一言で黙らされたヴェレッドは棒読みで返事をした。
「伝手、とは?」
「……先王妃、と言っておこうかな」
「!!」
候補にすら入れていなかった相手の名前が出て唖然とした。黒幕(仮)は先王妃とも繋がりがある人。となるとかなり相手が限られてくる。現王妃シエラがショックを隠せなかった相手……と考えた辺りでシエルに止められた。
「さて。ファウスティーナ様。今の話はまだ此処だけの話にしているんだよ?」
「は、はい」
「本当に相手が思っている通りなら……何故今なのだろうね」
「アーヴァ様の側には常にリオニー様がいらっしゃったからでは?」
「だとしても、当時のリオニーはまだ爵位を引き継いでいない。先代侯爵も元気だったからイル=マーゴの力を恐れたと言われるとそれまでだね……」
切っ掛けがあったのだ。黒幕(仮)がアーヴァに瓜二つなファウスティーナを害そうとする何かが。ただ、心当たりが全くなくて困っている。
「その黒幕(仮)の方とエルリカ様は協力関係にありますか?」
「今のところはない、かな。ただ、ないままとは言えない」
『建国祭』まで無事でいられるか、愈々油断ならなくなってきた。
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