23 姉と妹。最後に……
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サブタイトルから嫌な予感を抱いた方、生暖かい気持ちで読んでください( ´∀`)
「あ~、お腹苦しかった……」
「紅茶の飲み過ぎですよ」
楽しいお茶会はあっという間に終わってしまった。調子に乗って何杯も紅茶を飲んだファウスティーナのお腹は動く度に中がちゃぷちゃぷと聞こえていた。
今は時間も経ち、最初のような苦しさはもうない。紅茶だけではないが限度というのがある。
部屋に戻り、ソファーに座っているファウスティーナは読んでいた絵本をテーブルに置いた。
「これも読んじゃったなあ。書庫室に返してくるよ」
「でしたら、私が行きます。新しい本をお持ちしましょうか?」
「ううん。もうすぐ夕食だからいいよ。あ、でも、庭にいるよ。時間になったら呼んで」
「はい」
数冊の絵本をリンスーに渡した。
ファウスティーナは庭に出て紫色の花を見つめた。お茶会で髪飾りに選んだアザレアが咲いていた。
ドレスが汚れないよう、スカート部分を膝裏から巻き込むようにしてしゃがんで花を見つめる。こうして1人で花を見つめると気分が落ち着く。誰もいない場所でたった1人。普通の人が見たらどう見えるのだろう。
寂しい?
1人ぼっちな子?
変わった子?
どちらにも捉えられる。
「お姉様」
今日の夕食は何だろうと花を見ながら考えていたファウスティーナを呼んだのは、2ヵ月前のお茶会からまた距離が出来て必要最低限の会話しかしていないエルヴィラだった。真っ白なフリル付きのドレスを着熟せるのはエルヴィラくらいだろう。ファウスティーナは白いドレスは自分には似合わないと思っている。それと白は小さな汚れでも目立つので、動き回るのが好きなファウスティーナが着るとすぐ汚れてしまう場合もある。因みに今ファウスティーナが着ているドレスの色は地味な紺色。動き易さを重視したシンプルなデザインである。
ファウスティーナは顔だけエルヴィラに向けた。
「どうしたの」
「お姉様。いい加減我儘を言ってお父様やお母様を困らせるのはやめてください」
「へ?」
困らせる?
エルヴィラは何を言っているのだろう。確かに原因不明の高熱で倒れ慌てさせ、困らせた自覚はある。だが、2ヵ月前の話。思い当たる節はないが、ひょっとすると目前にまで迫った誕生日のことを言っているのだろうか。誕生日パーティーを開かないのをリュドミーラに公爵令嬢なのにと苦い顔をされたことなら、もう2ヵ月前も話だ。公爵である父が納得したなら誰もそれ以上言う必要はない。
それとも、誕生日プレゼントが問題だっただろうか?
だが、それこそ有り得ないではないだろうか。ファウスティーナがリクエストしたのは、ぬいぐるみと平民に人気な店のアップルパイと。全然贅沢をしていない。公爵家の娘が安物を欲しがるとは……と逆に頭を抱えられたとか? とそんな疑問が湧く。
両親を困らせている原因が見えないファウスティーナが困惑しているとエルヴィラが先に答えを教えてくれた。
「ベルンハルド様のことです!」
「殿下?」
嫌な予感。
「お身体が弱いくせに何時までも婚約者の座にしがみつくなんてみっともないですわ! 幾ら王妃様からの評判が良くても図々しいですわ。さっさと婚約者の座から降りてください!」
「……」
………………。
…………。
……。
長い、長い、沈黙が訪れる。
目を大きく見開いて固まるファウスティーナ。黙ったままのファウスティーナにエルヴィラの苛立ちが募る。
何を言えと言うのか。というより、何を言ってほしいのか。ある程度見当はつくが口にしたら面倒。相手を逆上させない言葉を頭をフル回転して探しているが丁度良いのが見つからない。
「お父様は未だにお姉様をベルンハルド様の婚約者のままにすると言っていますが、そんなの可笑しいです! お姉様は二度もベルンハルド様の前で倒れているのですよ!」
正確に言えば、二度目は同じ空間で倒れた、である。
「お姉様以外にもベルンハルド様の婚約者になるに相応しい相手はいます!」
「……そうね。いるわね。例えば、ラリス侯爵家のアエリア様とかね」
「え」
アエリアの名前を出すと瞬時に勢いを無くしたエルヴィラにやっぱり……と吐きたくなった溜め息を喉元まで上がったのを直前に飲み込んだ。ファウスティーナ以外にベルンハルドの――王太子の――婚約者に相応しいのは、大方自分だと思っていたのだろう。また、それをファウスティーナに言ってほしかった。
「アエリア様は非常に優秀な方だと噂は耳に入っているもの。今後、私の健康が安定しないなら次の婚約者はアエリア様の確率が極めて高い」
「ま、待ってくださいっ! 何故わたしではないのです……」
「私が王太子殿下の婚約者に選ばれたのは我が家と王家が決めたことよ。詳しい理由は知らない。ただ、能力で選ぶならアエリア様がトップよ」
(これ全部前を覚えてるから言えるのであって、覚えてなかったら私しか相応しい婚約者はいない! とか断言してるわ。うん、絶対言ってる。他の誰でもない、本人が断言してるもん)
心の中で納得してエルヴィラを見た。ショックから小刻みに身体を震わせている。自分こそがベルンハルドの隣に立つに相応しい婚約者と思い込む原因は何処から来ているのか。このまま此処にいたら、この後のエルヴィラの行動次第でまたファウスティーナが悪者にされる。
花の観察を止め、立ち上がる。
「もうすぐ夕食の時間だから早く屋敷に戻りましょう」
「……お姉様は」
「ん?」
「お姉様は……どうしてわたしからそうやって奪っていくのです」
「……へ?」
本日二度目のへ? が出た。
奪う? 何を?
「奪うって、私はエルヴィラから何も奪ってないでしょう。他人の持ち物に興味はないもの」
「嘘です! なら何故、ベルンハルド様の婚約者から外されていないのです!」
「だからそれは」
「お姉様がお父様に泣き付いたのでしょう! お父様は、わたしには厳しいことしか言わないのにお姉様やお兄様には甘い。特にお姉様に対しては顕著ですわ。不公平です!」
「……」
前と同じ過ちを繰り返さない。
二度と大事な人達を傷付けたくない。
だから、過ちの原因である王太子との婚約を早く破棄したい。殆どの行動が空回ってばかりながらも同じ末路を辿りたくないファウスティーナは、厳しい淑女教育に泣き言は言わず、更に上を行く王妃教育にもへこたれなかった。婚約破棄になっても、学んだ知識は無駄にはならない。何時か自分に役に立つ日がくる。
エルヴィラは父に甘やかされるファウスティーナが不公平だと叫ぶ。ならエルヴィラは? 母にひたすら甘やかされ、ファウスティーナが欲しかった愛情をリュドミーラだけではなくベルンハルドからも与えられていたエルヴィラは不公平ではないのか?
(ああ怒るな。怒っちゃ駄目。ここで怒ったらどうせまた来るんだから)
思い出しても反面教師にしようと努力をして感情に蓋をしていたのに、前の感情も合わさって身体の奥から怒りが沸き上がる。拳を作って強く握り締めた。爪が長ければ皮膚に食い込み血を流す程に。
数度深呼吸をし、無理矢理気持ちを落ち着かせる。ファウスティーナは怒気を通り越して温度の無くなった薄黄色の眼をぶつけた。
エルヴィラは2ヵ月前ファウスティーナを怒らせた時以上に氷の眼差しを向けてきた姉に勢いを無くし、顔を青く染めた。
「私がお父様に頼んで殿下の婚約者の座にすがっている、そう言いたいのね? 分かったわ。私からお父様にお願いしておくわ。普段の家庭教師との勉強も満足に出来ないエルヴィラが王太子殿下の婚約者になりたいと我儘を言ってると」
「そんな言い方、あんまりです……!」
「事実でしょう。言っておくけど、王妃教育は屋敷で受けている授業よりも何倍も覚える量も多くて厳しいのよ? 出来なかったらすぐに泣いてお母様に助けを求めるけど、お城には貴女が泣いてもすっ飛んで来てくれる味方はいない。未来の王太子妃、王妃に相応しくない娘が送られてきたと逆に我が家が恥をかくのよ」
戸惑いもなく容赦のない台詞がペラペラと口から出ていく。言いながら、心は溜まっていたんだろう。エルヴィラやリュドミーラに対する不満が。ファウスティーナの言った通り、ファウスティーナの言葉に傷付き怖がって涙を流すエルヴィラが大声で叫び声を上げればリュドミーラがすっ飛んで来る。
来るなら来たらいい。
ファウスティーナは嗚咽を繰り返し顔を腕で覆って泣き始めたエルヴィラの横を通る。
通り過ぎる間際――
「でもお父様が以前言っていた、苦手な勉強をエルヴィラの得意なピアノのレッスンだと思って受ければ上達していくと思う。本当に殿下のことが好きでどんなに辛い目に遭っても諦めないならそれくらい乗り越えなさい」
無関心を装っても、前回愛しい人を奪った相手でも、血の繋がった妹。完全に切り捨てるのは無理で。辛口なアドバイスを残してファウスティーナは邸内に戻った。途中、通り掛かった侍女に庭にエルヴィラがいるのを伝えて部屋へ戻ろうとした。
「お嬢様」
途中リンスーに声を掛けられた。夕食の時間になったら呼びに来てと頼んでいた。
「もう夕食?」
「いいえ、もう少し先です。それよりお嬢様、先程のエルヴィラ様に対してですが」
げっ、とまずいという顔をしたファウスティーナにリンスーは眉を八の字に曲げた。
「ケイン様にも言えますがお嬢様は年齢と性格の割に妙に子供離れしている所があります」
「性格の割にってどういう意味?」
「ついついケイン様やお嬢様が大人びた雰囲気があるのでエルヴィラ様に注意しますが、あれではまたお嬢様が悪者にされますよ」
「人の質問はスルー!?」
何時から見られていたのか不明なので聞いてみるとエルヴィラの不公平発言辺りから聞いていたらしい。リンスーはエルヴィラの荒くなった感情の声を聞き、気になって庭へ来た。盗み聞きしてしまったことを詫びられるもファウスティーナは首を振った。
「誰に聞かれたって文句はないよ。お母様に聞かれててもね。でも、そう言われても今更変えられないよ。お兄様は公爵家の跡取り、私は王太子殿下の婚約者って決められていたから、早い内から普通の子達よりもずっと早く教育が始まったもの。あれでエルヴィラがお母様に泣き付いて私が悪者にされても私は何も思わないよ。それこそ今更だしね」
「お嬢様……分かりました。でしたら、私からはこれ以上は何も言いません」
「うん」
「けれど、お嬢様に伝えておかなければならないことがありまして」
「何?」
「先程のお嬢様とエルヴィラ様のやり取り、ケイン様も聞いていました」
「……へ?」
本日三度目のへ? が出た。
「隅の方で息抜きをしていたらお二人の声が届いて、私が盗み聞きをしている所に来ました」
「い、一緒に聞いていたの?」
「はい。お嬢様が邸内に戻るのを見届けるとエルヴィラ様の所へ行きました。きっと慰めているかと」
「……」
エルヴィラを慰め終わったら次はファウスティーナの所へ来る。説教はないかもしれないが何を言われるか予想が不可能。
部屋に戻るか、書庫室に逃げるか、それとも別の部屋に逃げるか――。
ぐるぐる、ぐるぐると逃げ場所を思案していれば「ファナ」と背後から聞いてはならない声が。恐る恐る振り返ると普段通りの涼しい顔をした兄ケインがいた。
「お、お兄様」
「ファナ」
近付いたケインは手を伸ばした。先にはファウスティーナの手がある。大きさの変わらない手を掴まれた。
「手。ずっと握ったままだと傷付けるよ」
「あ……」
言われて気付いた。ファウスティーナはずっと手を握り締めたままにしていた。開かれた掌は真っ赤だ。
「爪が短くて良かった。長かったら最悪血が出ていたからね。エルヴィラには、ファナにあれだけ言われても泣くだけなら寝言は寝てから言いなさいって言っておいたから」
「……」
ファウスティーナもファウスティーナだが、ケインもケインでキツい。
次に何かあれば、父だけではなく兄にも甘やかされていると罵倒されそうだ。
ケインなりに発破を掛けたつもりだろうが後が怖い。しかし、そこはもうエルヴィラを信じるしかない。ケインの言った通り、あそこまで言われて泣くだけで終わるなら所詮夢の話。
「まあ、起きていたら寝言とは言えないね」
「そうですよ。寝ている時に言うから寝言なんです」
「そうだね。ああそうだ。ファナに手紙が届いてるよ」
「手紙ですか?」
「うん。ラリス侯爵家のアエリア嬢から」
「!」
アエリアの名を聞いた途端身体が強張った。
手紙はリンスーが持っており、その場で受け取り封を切った。内容はファウスティーナをお茶会に招待したいというもの。アエリアは恐らくファウスティーナしか呼んでいない。
嘗てのライバルも前の記憶持ち。彼女が覚えていることを知りたいと願っていたファウスティーナにとっては舞い込んできた機会。
「どうする?」
「行きます! すぐに承諾の返事を書きます!」
「お嬢様!?」
ピューンと走り出して部屋に戻り、大急ぎで返事を書き終えると追い掛けてきたリンスーに手紙を渡した。
「はい! 出来たよ!」
「もうですか!? お嬢様はラリス侯爵家の令嬢と面識はなかった筈ですが……」
「いいから早く! お願いねリンスー!」
「は、はい!」
疑問を抱きながらも、迫力ある表情に迫られてリンスーは頷くしかなかった。
(アエリア様が何を考えているか知らないけど、やっと見つけた私と同じ記憶持ち。どんなことを覚えてるかによるけど、私が死んだ理由をアエリア様なら知ってそうな気がする)
その他にも公爵家勘当となったファウスティーナが知らないその後も知っている筈。
知りたい。ベルンハルドとエルヴィラが婚約を結ばれたのか、エルヴィラが王太子妃になったのか。ケインやネージュのその後も知りたい。
手紙を受け取ったリンスーが去って行く後ろ姿をファウスティーナは満足げに見届けるのであった。
*ー*ー*ー*ー*
――その日の真夜中、王城にある王太子の部屋。
王妃主催のお茶会明けから体調を崩し、ずっと寝込んでいたネージュも漸く安定した。夜眠る前にお気に入りのテディベアを抱えて兄ベルンハルドの部屋を訪れた。
『兄上。一緒に寝てもいい?』
『いいよ。けど、ちゃんと誰かに伝えてから来たのか?』
『うん。ラピスに言ってあるよ』
専属の侍女にきちんと伝えてベルンハルドの部屋に来た。丁度寝る前だったベルンハルドはベッドの上で読んでいた本を閉じたばかりだった。おいでと隣を叩かれそこへ座った。本は枕の横に置いて幼い2人の王子は仲良く眠りに就いた。
数時間後――。
不意に目を覚ましたネージュは上体を起こして抱いて眠ったテディベアを暗闇の中じっと見つめた。このテディベアは特注品で5歳の誕生日プレゼントとしてネージュが強請った。暗闇の中でも光る薄黄色の瞳は本物の宝石が使用されている。テディベアの色も空色。
「ふふ……」
長く見つめた後ぎゅうっと抱き締めた。
「今度は絶対に奪われたりしないよ」
隣に眠るベルンハルドを無情の紫紺の瞳が射抜く。
「兄上もちゃんとエルヴィラ嬢を好きになってね? 最後まで……。捨てたのは兄上なのに、どうして捨てられたような顔をしたんだろうね」
当時の事情を全て把握しているネージュは紫がかった銀糸に触れた。
「ねえ兄上……ぼくのお願い、叶えてね。ファウスティーナを欲しいのはぼくなんだ。兄上が欲しいのはエルヴィラ嬢。これは変えちゃいけないんだ」
手をベルンハルドの髪から離して再び寝転んだ。何も見えない暗闇を視界に消した。
――だって、兄上とエルヴィラ嬢は“運命の恋人たち”なんだもの
読んで頂きありがとうございました!
最後に真っ黒王子の独り言でした。