ネージュの訪問
誰かが血を吐き、青い顔をして倒れる光景等、前回の人生含めて1度も目にしていないファウスティーナからしたらショックがデカすぎた。今はシエルの部屋に移され、意気消沈した様子でソファーに座っていた。心配したリンスーが何度か声を掛けてくれるが心配要らないと首を振るしかなかった。初めて会話をしたラリス夫人にもアーヴァの真似をするのを止められたというのに、自分の好奇心を満たしたくて行った結果がこれ。周囲の人の声が圧し潰してくる勢いで重みを与えてくる。アーヴァに対するエルリカの憎しみは尋常じゃない。逆に言うと何があって娘への憎しみを募らせていったのか、である。
アーヴァが亡くなったのはファウスティーナが生まれる前だと聞く。ファウスティーナからしたら父の従妹という遠い人。似てしまったのは同じヴィトケンシュタイン家の血が流れるから。仮の仮の話を浮かばせようにも父は母を決して裏切らないと自信を持って言える。なので、浮かびかけた話は無かった事にした。
死して尚憎しみの炎を燃やし、アーヴァが消えても瓜二つなファウスティーナに矛先を向けるエルリカの過去に何が起きたのか。知っていそうな人は誰か。年齢的に考えるとやはりオズウェルか、それともオルトリウスか。オルトリウスの場合はエルリカと親し気だから、案外知っている可能性が高い。
「リンスー」
「はい!」
「私……一旦教会に戻ろうかなって思うの」
「教会にですか?」
「うん」
オルトリウスに聞いてから教会に戻り、オズウェルにも話を聞く為に。
「もうアーヴァ様を知りたいって言わない。アーヴァ様の真似もしない。でも、エルリカ様がアーヴァ様を憎む理由を知りたい」
「また危険な目に遭うのでは……」
「そうかもしれないね……」
大人しく守られている方が周囲にとっても助かる話である。ファウスティーナが無謀な行動を取るだけで動かないとならない人が出て来る。
結局、大人しくしているしかない。
小さく溜め息を吐くと「酷い顔」と今聞こえてはならない軽い声が頭上から降った。慌てて振り返ると若干顔色は戻っているものの、まだまだ具合が悪そうなヴェレッドが気軽に手を上げた。
「ヴェレッド様!?」と一驚するファウスティーナに構わず、隣に座ったヴェレッドに体調を伺うと。
「え? 最悪だよ。気分悪いし吐きそう」
「病室から出て来ては駄目ではありませんか! すぐに人を呼びますので戻りましょう!」
「お嬢様が俺の事気にして落ち込んでたら可哀想と思って態々来てあげたのに? 酷いなあ」
「うぐっ」
図星だから何とも言えない。
「助祭さんに聞くのはありかもね。先代様も今回の件を重く見てるけど、確実な証拠を見つけない限りあのおばさんが黒幕だと断定は出来ないと苦笑いしてた」
「はい……」
「お嬢様がおばさんが娘を憎む理由を知りたがるのはなんでかな?」
答えは既に持っているが敢えて別の答えで返した。
「お腹を痛めてまで産んだ自分の子を憎むのには、相応の理由があるんだと思うのです。距離を置くことだって出来たのにアーヴァ様は貴族学院を中退するまではずっとフリューリング邸で暮らしていたのですよね?」
「さあ。知らない」
「はは……。と、兎に角、理由を知りたくて」
「理由を知ったらお嬢様は納得するの?」
「……」
素直に首を振った。
今ここにいるのが前の自分で同じ問いをされたら、即座に無理だと言うだろう。
愛していないのなら、嫌いなら、自分かエルヴィラを違う場所へ住まわせれば良かったのにと。そうすればお互い傷付かずに済んだのに。
今となっては母に嫌われていた理由は永遠の謎。解ける日が来ない迷宮の中へ放り込まれた。
「最初の話に戻すけど助祭さんに会うのは賛成。教会に戻るって事だから。今王様とシエル様が大喧嘩間近な雰囲気を出しながら話してるけどさ」
「だ、大丈夫なのですか?」
「平気平気。マイマイ君だけじゃなく、フリューリング女侯爵様もいるから。お嬢様『建国祭』まで教会で大人しくしていよう。その方が安全だ」
「ローズマリー伯爵夫人のお茶会はどうしますか?」
正式に招待されている訳じゃないが必ずエルリカは何らかの手段を使ってファウスティーナを茶会の場へ引き摺り出す。生半可な理由では決して諦めない。
左襟足を指先でくるくる巻いては放し、巻いては放しを繰り返すヴェレッドは黙った。良案が浮かばないのだ。
リンスーに視線をやるも首を振られた。
どうするかと沈黙が室内を漂い始めた時……扉が控え目に叩かれた。リンスーが出て対応するとファウスティーナに振り向いた。
「お嬢様。第2王子殿下がお会いしたいと」
「ネージュ殿下が? 入っていただいて」
リンスーが扉から離れるとひょっこりとネージュが顔を出した。「ファウスティーナ嬢」と人懐っこい笑みを見せられ、重くなっていた空気が霧散していく。隣にいるヴェレッドを紫紺の瞳が捉えると丸くなった。
「ファウスティーナ嬢、この人大丈夫? 随分顔色が悪いみたいだけど……」
数時間前毒入りのオレンジジュースを飲み干して血を吐いて倒れ、安静にしていないといけないのをスルーして此処へ来た。
毒入りジュースの件は緘口令が敷かれ、一切の口外は禁止となった。
「寝不足が祟って少し前に倒れてしまわれて……」
「ああ……目の下に薄らと隈があるからね……」
ネージュに向かいに座ってもらい、飲み物をとリンスーに告げる前に手で制された。
「突然押し掛けて来たのはぼくだし、長居をするつもりはないから気を遣わないで」
「しかし」
「いいのいいの。ファウスティーナ嬢の様子が気になって来ただけだから」
「ネージュ殿下は今日何をされていましたか?」
「ぼくは普段と変わらないよ。教師との勉強や教官指導の下での体力作り、後は偶に兄上と合流して一緒に授業を受けたり、かな」
やはり2人には何時迄も仲良くしておいてほしい。前回のような険悪な関係に変わってほしくない。大きな原因を作ったファウスティーナは絶対に回避するべき項目にベルンハルドとネージュの関係性についても記載していた。
ネージュが本題に入ろうと切り出した。彼もエルリカの話を聞いたらしく、本当は心配になって来たのだとか。
「ネージュ殿下はどこまでお話を?」
「大した事は聞いてないよ。フリューリング先代侯爵夫人が次女を大層嫌っていたとしか。君にとても似ているとも聞いたよ。そんなに似ているの?」
「私も肖像画を見た訳ではないので実際どの程度似ているかは分かりません」
ただ、赤い髪の鬘を被った姿をシエラに見せるとよく似ていると言われた。アーヴァを知るシエラが言うのだから間違いない。
「そっか。魔性の令嬢って言われるくらい綺麗な人なら、ぼくも1度くらいは見て見たかったかも」
「私もです」
「先代夫人や周りの女性達がアーヴァ様を嫌う理由って物語でもありがちな内容だと思わない?」
「物語でも、ですか?」
「うん。物語にはよく、絶対に愛される人と決して愛されない人が出て来る。先代夫人は分からないけれど、周囲の女性達は愛してほしい人に愛されない憎しみや嫉妬を絶対に愛されるアーヴァ様に向けていたんじゃないかって」
「……」
絶対に愛される人と愛されない人。
前回のエルヴィラとファウスティーナのようだ。
「羨ましかったのだろうね。アーヴァ様を嫌っていた人達は」
「そう……ですね。好きな人に好かれたいと思うのは誰だって持つ感情です」
「ファウスティーナ嬢とエルヴィラ嬢みたいだよね。これって」
「へ」
「だってそうじゃない。エルヴィラ嬢は誰が見ても兄上が好きでしょう? ファウスティーナ嬢は実際どう思ってるの?」
「どうって……」
純粋を装ったネージュの問いには些かの圧が込められている気がした。四阿で思った事を言っただけなのにと不思議そうな顔をしていたネージュの相貌が蘇る。内心は知りながら問うていたのか。
弟王子として、兄王子へ恋慕を募らせる令嬢の対処をしないファウスティーナに不満を抱いているのだとしたら、非常に申し訳なくなる。エルヴィラがベルンハルドの運命の相手である以上、ファウスティーナは失礼な態度をしたら叱るだけにして他はあまり触れないでいた。
「ネージュ殿下から見てエルヴィラは王太子妃になれると思いますか?」
「お嬢様!?」
リンスーが若干非難を込めてファウスティーナを呼ぶもファウスティーナの薄黄色の瞳はネージュの回答を待っていた。目を丸くして数度開閉した後、目を逸らして考える素振りを見せるネージュ。軈て考えが纏まったのか、紫紺色の瞳と対峙した。
「今はヴィトケンシュタイン公爵家出身っていうのを無視して話を進めるね。答えは――無理、かな」
即答であった。
仮令ヴィトケンシュタイン公爵家の令嬢ではなくても、能力は勿論、個人の努力も足りないエルヴィラでは王太子妃にはなれない。
「兄上が普段どれだけの勉強量を熟しているかをぼくはよく知ってる。当然、王太子妃となるファウスティーナ嬢にも同様の力量を求められるから大変さを理解してる。エルヴィラ嬢って多分だけどあまり勉強とか堅苦しいマナーレッスンとか好きじゃないでしょう?」
「ま、まあ……はい……」
「王太子妃になれるから努力しろって言われても長続きはしなさそうなんだよね。途中で嫌になって泣いて周囲に当たり散らしてってね」
ネージュはエルヴィラを理解し過ぎている。そこまで解る理由を問うと本をよく読むからだと返された。
「体が弱いから大体はベッドの上で過ごしていてね。読書だけは許されていたから毎日色んな本を読んだよ。同年代の子供達に比べたら読書量だけは負けない自信がある」
「王太子殿下はよくネージュ殿下に本を勧めると聞きます」
「ぼくが強請るのもあるからね。兄上もよく読むから、お勧めがあるなら知りたいしね。
物語には様々な登場人物達がいる。物語と現実は違うと言うけれど知識を持っているといざ対面した時対処できる余裕が生まれる。後は兄上からファウスティーナ嬢やケインだけじゃなく、エルヴィラ嬢の話も偶に聞かされていたから」
どんな内容をネージュに語っていたかと言うとどれもエルヴィラの積極性に困惑している事とケインとファウスティーナの未来がどちらも重要な立場に立つ者だから1人置いて行かれる寂しさがあるのだという事を語っていたとか。
寂しさ……エルヴィラが特別ケインやファウスティーナに構ってほしいと言った事はない。誰かに構ってほしければ母という筆頭がいる。寧ろ、兄と姉は小言を言うか泣かせてくるかのどちらかだからエルヴィラからすると近付きたくない部類に入っていそうだ。
「まあ、エルヴィラ嬢が誰を好きになるかはエルヴィラ嬢の自由だから想うだけなら他人がとやかく言うものじゃないね」
「ネージュ殿下は、エルヴィラが王太子殿下を慕うのを快く思ってないですね」
「相手がいなかったら兄上が良いのなら応援はしていたかも。でも兄上には君がいる。ルイーザみたいに絶対相手にしてくれない人を好きになるのも困るけど、エルヴィラ嬢みたいに既に婚約者がいる相手に積極的になるのも困りものだと思うよ」
ルイーザの場合はシエル。幼いお姫様は美貌の司祭に心奪われ、年に1度の誕生日の祝福や身内が誕生日の祝福をとても楽しみにしている。付いて行けばシエルに会える。ルイーザは積極的にシエルにアプローチをして会話を交わす程にまで至っている。エルヴィラもそうだがエルヴィラの場合は婚約者の妹で無下に扱えないという理由がありそうだ。
「兄上が心変わりでもしない限り、君が王太子妃になる未来は変わらないから安心して」
ニッコリと純粋で本心からファウスティーナを思う笑みで言い切ったネージュに苦笑すると共に前回と同じでネージュの優しさだけは変わらないと実感した。ベルンハルドと関係が険悪でなくてもこうやってファウスティーナへの気遣いを忘れない。優しい王子様に余計な心配を掛けたくない。
「はい!」
――努力をさせたって無駄さ……あの能無しは……
――王太子妃として出来る唯一の仕事さえ、嫌だ嫌だと泣き叫ぶだけで熟そうとしなかったんだから




