22 兄と妹(上)の小さなお茶会
姿だけチラッと出ていた方の登場です。
「ぽへ~……」
気の抜けた声を気の抜けた顔で漏らした。普通、体調が不安定な令嬢を王族の婚約者にしたままにするだろうか。相手は王太子。この国を統治する未来の王でもある。重責を担う王太子を支える王太子妃も相応の実力と家柄が要求される。
ファウスティーナはどうすれば婚約者の座から外されるか考える。
王妃主催のお茶会で倒れてから2ヶ月が経った。意識を失っている間見た過去の夢。やはり前回もお茶会はあったのだ。そこでエルヴィラのドレスを汚し泣かせたのはファウスティーナであった。今回はフワーリン公爵家の令息クラウドの不注意によってジュースがエルヴィラのドレスに掛かってしまったらしい。フワーリン家からは既に謝罪は受けているし、シトリンやリュドミーラも受け入れている。エルヴィラだけは根に持っていたらしいがリュドミーラが新しいドレスを与えたので機嫌は直った、らしい。
らしいばかりなのは、全部ファウスティーナが目覚めてから兄ケインから聞いた話ばかりだから。
一度シトリンに、もうベルンハルドの婚約者である自信はない、何時また倒れるか不安だから婚約者から外れたいと訴えた。
シトリンは難しい顔をした。
『ファナの気持ちも分かるよ。何度か陛下とは話してみたがファナとベルンハルド殿下の婚約は継続となった』
『ですがっ』
『言いたい事は分かるよ。でも、こればかりはどうしようもないんだ。ただ、ある程度此方の条件を飲んではもらった』
条件というのは、ファウスティーナの体調が安定するまでの間王妃教育をお休みする、というものであった。予想以上にファウスティーナの飲み込みが早いのと彼女が努力を怠らないと評価している。とシエラから数年単位で休んでも大丈夫だろうとお墨付きを頂いた。
『でも、今後も倒れたら』
『その時はもう一度陛下に掛け合ってみるよ。だからファナ。ベルンハルド殿下との婚約の件については気にしなくても大丈夫。今は自分の体を最優先に考えなさい』
『はい……』
この時シトリンは言わずにいたが、もしも今後ファウスティーナの体調が安定せず、王太子妃になるには不十分だと判断された場合、第2王子ネージュと婚約を結び直される。
ヴィトケンシュタイン家の跡を継いだ際聞いていた。遠い昔王家と姉妹神が交わした誓約に含まれた女の子が生まれたならば、必ず王族と婚姻を結ばれると。王太子でなくても良いのだ。王家にその血を残せばいい。
ただ、生まれた順番でベルンハルドとの婚約が決まっただけ。
私室の机に向かって【ファウスティーナのあれこれ】を開いた。実を言うとあるイベントが目前に迫っている。ファウスティーナの8歳の誕生日である。前回起きた事を書いていく。
「えーと、確か前はベルンハルド殿下からは当日に誕生日プレゼントが届いて。でも誕生日パーティーには来てくれなかった。プレゼントにパーティーを出席出来ない旨の手紙を頂いていたんだけど、思い切り忘れてた前の私はずっと不機嫌だったわねえ。うわー嫌な奴。折角の誕生日パーティーが台無しじゃない」
ファウスティーナが主役だったので誕生日パーティーでは特に何かをした記憶はない。
後日、王城へ行った際にはベルンハルドに詰め寄った。何故誕生日パーティーに来てくれなかったのかと。思い出せば思い出すだけダメージを受けるが同じ過ちを繰り返さない為には必要な事である。
今回の誕生日パーティーは既にシトリンにお願い済みである。パーティーをしない方向で、と。
「公爵家の令嬢がパーティーを開かないなんてってお母様には言われたけど、今の私は一応何時また倒れるか不安な人認定だからする方が却って心配されるわ。お父様も残念そうな顔してたけど納得してくれたし、これはこれで大丈夫」
その代わり、誕生日プレゼントはしっかりとリクエストした。王妃教育をお休みするなら以前お願いしたコールダックが欲しいと強請るものの、却下された。
「期限付きのお休みだから、再開されたら私がお世話出来なくなる。……私だって分かってるもん。でもお父様が駄目って言ったら仕方ないわね」
はあ~と大きな溜め息を吐いた。
が、駄目だった場合のお願いはちゃんと用意していた。休みの日にリンスーが開店1時間前に行っても買えなかったお店のアップルパイが食べたいと告げた。アップルパイなら料理長に頼めば作ってもらえるがどうしてもその店のアップルパイが食べたいファウスティーナは、コールダックが駄目ならそれがいいと譲らなかった。
ドレスや宝石等は? と聞かれたが、元々興味はなく必要な時にあればいいというのがファウスティーナである。
『ファナはお洒落よりも食べ物の興味が強いね』
『私の歳だったら全然問題ないですわ』
『はは。そうだね。リンスーにその店を聞いておくとしよう。他に欲しい物は? アップルパイだけでは味気がない』
『そう言われても……うーん、あ、でしたら私ぬいぐるみが欲しいです!』
ぬいぐるみのリクエストをすると苦笑されたがオーダーは通った。後は誕生日当日を待てばいいだけ。
「ふふ、楽しみ」
【ファウスティーナのあれこれ】を閉じ、机から離れてベッドの下に隠した。
さて、とベッドに座った。
「一応、王妃教育がお休みになっても普段の勉強があるんだけどそっちも暫くお休みになったのよね。暇」
本を読むにしても興味を引く本が――
「あ、ある」
あった。
読もうと思って、読む時間が足りなくて諦めたあのタイトルからしてドロドロしてそうな本。早速部屋を出て書庫室へ向かい、以前見つけた本棚を見た。
しかし……
「あれ? ない」
前は此処にあったのにと落胆した。
膨大な本の量から、1冊の本を見つける高等技術はファウスティーナにはない。ある人がいるのかさえ謎。
早々に諦めて部屋へと戻った。
読みたかった~! とベッドにダイブした。
足をバタバタさせていると扉をコンコンとノックされた。
「ファナ」
「うが~!」
「……何やってるの」
「お、お兄様!?」
本を読みたい衝動をベッドにぶつけていたファウスティーナを現実に引き戻したのは、見るからに知り合いだけど関わりありません的な冷めた瞳を寄越すケインだった。
顔だけをケインに向けているから段々と体勢がキツくなってきた。起き上がったファウスティーナは恐る恐る近付いた。
「時間を持て余してるみたいだね」
「うぐっ……はい」
「なら、俺とおいで」
「何処へ行くのですか?」
「庭。天気は良いし、風もそんなにないからお茶にしよう」
「はい!」
差し出された手を握る。
兄妹の仲良しな光景を使用人達はほのぼのとした気持ちで見つめた。
「エルヴィラも呼びます?」
「エルヴィラは語学を受けている最中だよ。呼ぼうと思って部屋の近くまで行ったけど止めた。珍しく文句を言わずに受けてたから」
「それがずっと続くと良いですね」
切実に。
挨拶程度のやり取りはするがそれ以外の交流はない。母とも然り。母の場合は向こうから話し掛けたいオーラ満載だが、無理に話題を作らなくても同じ屋敷に住んでいるのだからその内話す機会だってある。なのでファウスティーナはリュドミーラの前や近くを通る時は視線に気付かない振りをする。
長い廊下を歩き、エントランスに来ると出入り口の大きな扉を開いて外へと出た。
「わあ! お兄様の言った通り良い天気ですねえ。お昼寝にピッタリです」
「そういえば昔、晴れだからって芝生の上で寝てたことあったよね」
「だって、とても気持ち良かったんですよ」
「ファナだから風邪引かなかったけど、普通の人がしたら漏れなく体調を崩すよ」
「どういう意味ですか!?」
「昔話でね、何とかは風邪を引かないってあったんだ。ファナもそれだったりしてね」
「……」
ジト目で兄を睨むも涼しい顔をしてスルーされるので無駄だった。
前もそうだったが、ケインはファウスティーナには少し毒舌で、エルヴィラには容赦の無さが目立つ。基本は優しいが2人が何かをしでかすと上記の様になる。
(前の場合は私が悪いのが殆どだったけど、その割にお兄様は優しかったな)
王太子の婚約者として、未来の王太子妃として、寝る間も惜しんでひたすら努力した。初対面の印象から報われない日々を送ることとなってもこれだけは譲れなかった。ギリギリまで気持ちが折れなかったのは少数ながらも理解を示してくれた人がいたから。最後にその人達を裏切ってしまった。罪悪感を捨てず、手遅れになる前にベルンハルドを本当の想い人と一緒にさせる。
(婚約にケチがついた令嬢に次はないわ。あ、ならこの休止期間を使って令嬢として生きる以外の道を探しましょう。元々、殿下と婚約破棄をしたら家を出るつもりだったし)
例え公爵令嬢と言えど、1度婚約破棄となった娘を欲しがる家はいない。余程の物好きか高齢貴族の後妻くらいだ。
ずっとベルンハルドに認められたい、母に誉めてもらいたい一心で頑張っていたので好きな事が未だよく分からない。強いて言うならコールダックを飼いたいという気持ちがあるだけ。ファウスティーナは何となく隣を見た。前回と合計すると20年以上見続けた兄の横顔。今は子供なので勿論幼い。
「うわっ、なに急に」
「えへへ。なんでも」
無性に抱き付きたくなってケインの腕に抱き付いた。手を繋いだまま腕に抱き付かれたケインは突然の行動に驚きながらも引き剥がそうとはせず、嬉しそうなファウスティーナを怪訝に思うだけでそのままにした。
「こういうの、殿下にしてあげなよ」
「お兄様だから出来るんですよ」
「うわあ損な役割」
「どういう意味ですか!」
口では嫌そうにしておきながら、じゃれてくる妹を優しく見つめる紅玉色の瞳があった。
「お兄様はどう思いますか? 私と殿下の婚約」
「どうって?」
「私は2度倒れてしまってます。お父様は、私の体調が安定するまでは王妃教育はお休みすると言っていましたが早目に婚約を白紙に戻すべきだと思うんです」
「俺にはどうこうする権利はないよ。意見を言ってもいいなら言うけど。でもね、ファナはどうなの?」
「私ですか?」
「そう。ファナは殿下が来る度に毎回逃げ回ってはいたけど、殿下の婚約者として王妃教育は真面目に受けていた。王妃殿下が絶賛するくらいだって父上はいつも言っていた」
ファウスティーナ自身、励めば励む程婚約者としての地位を確立していくのは感じていた。手を抜いたり、王太子から逃げるように王妃教育から逃げ回る事だって出来た。
だが、出来なかったのではない。しなかった。
王妃シエラの期待に満ちた眼差し、ファウスティーナの努力を認めてくれるあの微笑みや頭を撫でてくれる手の温もりを求めてしまった。婚約破棄を望んでいながら手を抜かないのは、前回与えられなかった温もりを求めてしまっているから――とは気付かない、無意識にしてしまっているファウスティーナはケインに選ばれたからには役目は全うしますと答えた。ケインはこてんと首を傾げファウスティーナの頭に頭突きをした。
「痛っ!?」
「うん痛い。ファナ石頭過ぎるんじゃない?」
「いきなり人に頭突きをしてきたお兄様だって石頭じゃないですか! とっても痛いです!」
「知ってたファナ? 人の頭って、1回叩く度に脳細胞が沢山死ぬんだって」
「私の脳細胞殺して楽しいですか!?」
「俺の脳細胞も死んだよ」
「それ、何て言う相討ちですか!」
「さあ。あ、着いたよ」
時折、こうやってファウスティーナをからかうのがケインである。
恨めしげな眼で睨むも促された方を見て貌が変わった。
よくリュドミーラがエルヴィラとお茶をしている庭園の広い場所に、多種類のスイーツが用意されたテーブルが置かれていた。柔らかいクッション付きの椅子は2脚。
執事服に山高帽を被った優しそうな相貌の少年がファウスティーナとケインが来ると椅子を引いた。
「どうぞ、ケイン様、ファウスティーナ様」
「用意してくれてありがとうリュン」
「いえ」
リュン=アンダーソン。
代々ヴィトケンシュタイン家に仕えるアンダーソン男爵家の次男に生まれたリュンは、ケインよりも5つ歳上である。
青色の瞳がファウスティーナとケインを映した。普段妹(上)に小言を言ったり、訳の分からない行動やおっちょこちょいな事をして兄に叱られている姿をよく見掛けるものの、仲が良いからこその光景なんだと微笑ましくなった。
リュンの引いた椅子に座ると予め用意されていたティーカップに紅茶が注がれていく。琥珀色の飲み物から発せられる湯気と芳醇な香りと目の前のスイーツ。キラキラと薄黄色の瞳を輝かせるファウスティーナに苦笑したケインは、紅茶を注いだリュンにお礼を言うとファウスティーナを呼んだ。
「リュンが用意してくれたから、沢山食べな」
「はい! ありがとうリュン!」
「いえ。そうだ、ファウスティーナ様がお好きなマドレーヌがお勧めですよ」
「わーい!」
リュンが選んだマドレーヌを受け取ると食べた。
大好きなスイーツを夢中になって食べるファウスティーナと普段と変わらない表情で紅茶を飲み、時たまクッキーを摘まむケイン。
王妃教育がお休み、更に普段の勉強も休止となって時間を持て余しているファウスティーナの為にケインが計画してのもの。
だと知るのはリュンだけ。セッティングをするのに苦労はなかった。あるとしたら、お兄ちゃんらしいことをしたがるケインをからかって絶対零度の眼差しを食らったくらい。8歳の子供がする眼差しじゃなかった……半分遠くを見ているとケインとファウスティーナ両方にお茶のお代わりを要求された。慌てず、慣れた手付きでお茶を注いでいく。
8歳というとファウスティーナももうすぐ8歳になる。ファウスティーナの次はケイン、その次はエルヴィラ。1ヶ月の間隔を開けての誕生日となる。この3ヶ月は3兄妹の誕生日期間となる。今年のファウスティーナの誕生日にパーティーはしない。2度も原因不明の高熱で倒れてしまったのだ。何時また倒れるか不安という理由のためとリュンは聞かされている。
従者であるものの、姉妹からは歳の離れたお兄ちゃん的扱いを受けているので誕生日プレゼントがないと文句を零されるので毎年用意している。ケインも同じだがよく愚痴を聞かされる。他に吐き出す相手がいないのとリュンを信用してのことなので何でも話す。愚痴の5割はファウスティーナのおっちょこちょいな所だったり時折起こす問題行動、3割はエルヴィラの事、残りの2割はその他に分類される。
「ふふ、美味しい。毎日食べれるならずっとこのままでいいかも」
「毎日沢山食べて子豚になっても知らないよ?」
「子豚とはなんですか……!」
「え? 良いじゃないですか子豚。可愛いですよ。ファウスティーナ様も見たらきっと気に入ります」
「だって」
「……」
リュンは本心から子豚が可愛いから言っているのだろう。
怒るに怒れないファウスティーナは、ぶつける宛もない怒りをスイーツに向けた。1日沢山食べたってどうということはない。
「リュン! 紅茶お代わり!」
「慌てて飲まなくても紅茶はまだまだ沢山ありますよ」
「リュン俺も」
紅茶を飲み過ぎて、動くとファウスティーナのお腹が苦しくなるのももうすぐ――。
読んで頂きありがとうございます。
エイプリルフール用の番外編間に合いませんでした(´-ω-)人
どこかの休日にでも更新します。季節ネタに便乗するのも案外難しいですね。