口を閉ざす人ばかり
間違えちゃいけない……ベルンハルドの台詞ではなく、ファウスティーナの台詞だ。間違えたから、今度こそ間違えず、好きな人を誰よりも幸せにしないとと意気込んだ。ベルンハルドがそんな気持ちを感じたのはどうしてと問いたくなった。前回、彼が間違えた事はあっただろうか。婚約者の妹に惹かれ、愛し合うのは王子として、人としてどうなのかと問いたくなるも、そうならざるを得ない状況へ追い込んだのはファウスティーナ自身。破滅を迎えたのも本人の責任。
朝食の席では無理に平静を装った。不思議だと返すのが精一杯だった。胡乱な眼を向けられるもベルンハルドはそれ以上の追及はしてこなかった。
食堂を出ればヴェレッドが待っていてくれた。先程話した通り、メルディアスに会う為である。驚くことに今から。
「先触れを出した方が」
「良いんだよ。あいつ、今は王様から何も言われてない筈だし」
「良い……のですか?」
「良いの良いの」
相手の都合確認をせず会いに行くのは普通だとない。普通の事をしないのが彼である。稀にシエルもする。2人揃って同じ事をする。
「メルディアス様って、今の時間だと何処にいるのですか?」
「何処だろう……。上級騎士は他の騎士と場所が違うし、城で書類仕事してる奴もいる。あいつは王様から内緒の仕事を頼まれるのが多いから、大体城にいる。試しに司書のとこ行こっか」
「はい」
王城の書庫室はヴィトケンシュタイン邸よりも何倍も広く、蔵書量も桁違いであった。屋敷も貴族の家にしてはかなり多い方だと昔カインが教えてくれた。
本の貸し借りを行う受付にいる司書にメルディアスはいないかと訊ねれば、入口から遠く離れたテーブルにいると方向を示された。見ると窓から差し込む陽光に照らされたプラチナブロンドが眩しい。頬杖をついて寝ている。
「今度にしますか?」
「いや。起こしてもいいよ。どうせ、何時でも起きれるようにしてるんだし」
言うが早いか、眠るメルディアスの許へ近付いた2人。側まで寄ればヴェレッドの言う通り瞼はパチリと開かれた。現れた紫水晶の瞳。宝石を埋め込んだかのような煌めきは、教会でお世話をしてくれたメルセスと重なる。貴族出身と言うから見目的にフリージア家の人? と抱くも、本人は「内緒です♪」と教えてくれず。
メルディアスを見るとメルセスと非常に似ている。やはり彼女はフリージア家の人なのだろう認識を新たにした。
「やあ坊や君、ヴィトケンシュタイン公女。どうされました?」
「うわ、やっぱり狸寝入りだ」
「失礼だね坊や君。仮眠を取っていたんだよ。すぐに起きれるようには訓練してるけど」
「うん、お嬢様にもそう言った」
「やれやれ」
ヴェレッドの絡みが終わると麗しい紫水晶の瞳はファウスティーナへ。メルディアスに会いに来た事情を説明すると困ったと言わんばかりに苦笑された。
「劇場には数多くの小道具が保管されているので赤い髪の鬘ぐらいあると思いますが……」
「駄目……ですか?」
「……ファウスティーナ様はアーヴァ様がどれだけ自分と似ているか知りたいのですよね?」
「は、はい」
やっぱり、駄目なのだろうか。アーヴァに関する事は皆とても慎重となる。エルリカと言う例がいるから。
「そうですねえ…………あ、だったら」
良案を閃いたとばかりに手を叩いたメルディアスは椅子から立ち上がると「おれに付いて来てください」と書庫室を出ようとする。ヴェレッドからの視線を受け、付いて行くとファウスティーナも歩き出す。メルディアスに何処へ向かうのかと問うてもお楽しみと楽し気に言われる。実際雰囲気も楽しそうである。
「赤い髪に関しては後で劇場まで使者を送って取り寄せます」
「じゃあお前に付いて行く意味ないじゃん」
「アーヴァ様にとても詳しい人を知る人が今朝から登城してましてね。まだいると思いますよ」
アーヴァに詳しい人? となるとかなり限られる。文官や騎士達が行き交う場所に入り、奥まで進んで行くと見覚えのある男女がいた。
「ありがとうノルン」
「いえ。――あら」
ピンクゴールドの髪をした女性がファウスティーナ達に気付き振り向く。一緒にいた強面の男性も倣う。男性の新緑色の瞳と女性のピンクゴールドの髪は1人の友人を連想させた。同じ髪色をしているのは身内だからである。ピンクゴールドの髪は防衛の要アリストロシュ辺境伯家の特徴。2人はラリス侯爵夫妻だ。メルディアスが気安い様子で「朝から仲が宜しいようで」と声を掛けた。女性――ノルンの瞳がファウスティーナに釘付けになるも、メルディアスの声でハッとなり笑みを見せた。
「旦那様の忘れ物を届けに来ただけですわ」
「屋敷の者に頼めば良かったのでは?」
「今はヒースグリフとキースグリフはいないし、アエリアもお勉強の最中ですることがなくて退屈だったのです」
「アエリア様も次期侯爵に名乗りを上げたと有名ですね」
「本当になったらリオニー様以来の女侯爵の誕生ですわね。旦那様は違うみたいですが」
含みのある微笑で夫ハーヴィーに向いたノルン。男児がいれば基本的に家を継ぐのは長男となり、女性が跡取りとなるのは滅多にない。苦い顔をしながらも娘が決めたのなら見守るだけだとハーヴィーは語る。メルディアスから自分へ侯爵夫妻の目は移った。
挨拶を兼ねた自己紹介を終えるとノルンへ一歩前を出てアーヴァについて訊ねた。彼女は微かに瞠目した。
「アーヴァ、ですか?」
「夫人はアーヴァ様と親しかったと聞いたので」
「ファウスティーナ様はアーヴァの何を知りたいのですか?」
「アーヴァ様に私がそっくりだってよく言われるのでどんな方だったのか知りたいのです」
「教会で生活をなさっているのなら、司祭様にお訊ねになった方が」
その肝心のシエルがあまり口を開いてくれない。つい最近漸く教えてくれたのがかなりの人見知りで常に姉リオニーの背に隠れ、魔性の魅力で異性を虜にしていた女性という事だけ。他はあまり教えてもらっていない。シエルから教えられた内容を告げるとノルンは苦笑の中に難しさを含めた。
「私も司祭様と似たような事しか話せません」
「そうですか……」
アーヴァの親友というくらいなのだから、リオニーを除いて最も詳しいと信じたのだがノルンもアーヴァに関しては口が堅い。ならばと落ち込んだファウスティーナは再度ノルンを見上げた。
「夫人も私はアーヴァ様に似ていると思いますか?」
「……とっても」
膝を折ってファウスティーナの顔にノルンの美しい手が触れた。そっと頬を撫でてくるノルンの瞳は自分じゃない、遠くの誰かを映している気がしてならない。時折シエルもこんな目をする。アーヴァという人は特別な人だったのかもしれない、2人にとって。
「髪や瞳の色、明るい性格を除けばアーヴァにそっくりですわ。アーヴァが暗い性格だったわけじゃありませんが人見知りをするから大抵の方はそう思った筈」
「夫人の前ではアーヴァ様はどんな方でした?」
「無口ではありませんが多くは語らない子でした。でも……一緒にいるだけで落ち着いて、あの子に笑い掛けられるだけで幸福を感じました。手先は器用で特に刺繍や絵が得意で、アーヴァが描いた絵は何度か賞を取ったりもしたのですよ」
ファウスティーナには画力が一切ない。
画力に関しては父や兄にあり、ヴィトケンシュタイン家の人は絵が上手な人が多い印象だ。下手なのは言わないでおこうとしたのに、人を小馬鹿にするのが好きな人は黙っていてくれなかった。
「絵が上手い時点でお嬢様と似てないね。お嬢様下手っぴだから」
「それは今言わなくても……!」
本人が思っても言わないでいてほしかった。
ノルンが立ったのを合図に話は終わり、メルディアスがファウスティーナへ赤い髪は劇場に保管があれば今日中に届けさせると伝えるも。赤い髪? と首を傾げたノルンへ自分がどれだけ似ているか知りたくて同じ髪の色になれば少しは実感出来るのではと語った。眉間に皺を寄せて首を振られた。
「しない事をお勧めします。何時、何処で、アーヴァに恨みを抱いている方が見るか分かりませんわ」
「それについては考えてる。王妃様が手配した侍女の前なら問題はないと思うよ」
今現在、訳あって王妃宮に滞在している旨をヴェレッドが伝え、シエラが手配してくれた侍女は誰もアーヴァに恨みを抱いていない。シエラが手配したのなら安心だと緊張を解いたノルンは夫に戻ると言い、優雅な足取りで帰って行った。ノルンを見送っていると不意にハーヴィーが発した言葉に目を丸くした。
「アーヴァ様は貴族学院を中退した後、行方不明になったと聞くがメルディアス殿は何か知っているか?」
「行方不明?」
初めての事実にファウスティーナが食い付くと貴族学院中退後、実の両親である侯爵夫妻ですら居場所を知らなかったと教えられた。誰に聞かれても言えないと頑なに口を閉ざしていたらしいが、実際は居場所を知らなかったからだとされた。問われたメルディアスも知らないらしく、その数年後アーヴァが亡くなったと聞いたのだ。
「…………シエル様が囲っちゃったから」と誰かの呟きは誰の耳にも入らなかった。
――ハーヴィーとも別れ、メルディアスが手配した使者が赤い髪を持ってくるまではずっとアーヴァの足跡が気になって仕方なかったファウスティーナ。いざ赤い髪が届くと休憩を入れていたらしいベルンハルドも聞き付けてやって来た。どれだけそっくりなのかベルンハルドも知りたかったようで、王妃シエラを伴って入った。シエラは話を聞いた時は難色を示したものの、部屋で身に着けるだけなのと限られた人しかいないからと話すと納得してくれた。
早速、侍女に空色の髪を纏めてもらい、赤い髪の鬘を被った。
姿見を前まで持って来てもらい、赤い髪になった自分を見た。髪の色が違うだけで印象は大分異なるも、アーヴァの絵姿を見た事がないからどの程度似ているかまではファウスティーナでは判断出来ない。
「殿下、如何ですか?」
「すごいな……雰囲気がすごく変わった。赤い髪も似合っているよ」
「ありがとうございます。王妃様、どうですか?」
「……ええ。吃驚するくらい、アーヴァにそっくりだわ」
「アーヴァ様の絵姿を知っていれば、どの程度そっくりなのか知れたのに……」
「僕も思うよ」
「アーヴァの絵姿はフリューリング邸で厳重に保管されているわ。リオニー様は見せてはくれないけれどね」
「そうですか……」
アーヴァを知るシエラからも太鼓判を貰ったのだ。これで満足した? と問うたヴェレッドに脱いだ鬘を渡した。
「今度、リオニー様にお願いしてアーヴァ様の絵姿を見せてもらいます」
「僕もその時一緒に行っていいかな?」
「勿論です!」
ベルンハルドだってアーヴァとファウスティーナのそっくりぶりを知りたいのだ。一緒に行きましょうと笑みを向けられ、ほんのり頬を朱に染めながらもコクリとした。
「っ……」
隅に控える侍女の1人が、赤い髪の鬘を被ったファウスティーナを見た瞬間から、顔を青褪めさせているとは――唯1人を除いて気付いていなかった。
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