好奇心は誰かを殺していた
「……あのさあ、シエル様」
夕食を終えて暫く。ファウスティーナを外に連れ出し、秘密のスイーツを楽しんで満足になったシエルは眠そうに目を擦る娘を抱いて私室に置いて行った。専属侍女がいなかったのもシエルの声1つでどうとでもなる。20以上も歳の離れた令嬢を手籠めにするような幼女趣味の持ち主じゃなくても、普通は危機感を抱いてもいいようなもの。相手に一切の疑念も不安も与えないのがシエルの凄いところで、怖いところ。自分の部屋に戻ったシエルはすぐにまた開かれた扉に振り向かず、1人用のソファーに座ってビスケットを指で摘まんだ。訪問者はシエルの後ろに回って背凭れ部分に腰を預けた。
「もうちょっと自重してよ。王様や王妃様は知っていても、殆どの奴等はお嬢様とシエル様の関係を知らないんだから」
「女神の生まれ変わりを気に掛けるのは、女神を祀る教会の司祭としておかしくはないだろう」
「嘘。シエル様は女神様が嫌いなくせに何言ってんの」
ヴェレッドの茶化しはご機嫌なシエルを不機嫌にさせる。人差し指と中指の間に挟んだビスケットを鋭く投げ付けるも、あっさりとヴェレッドは掌で受け止めた。
そして食べた。
「君も女神を嫌いだろう」
「シエル様程でもないよ」
「大体、私が何時女神を嫌っていると言ったかな」
「さあ。シエル様の雰囲気から」
「そう」
テーブルに置かれた籠からビスケットを摘まみ、口元へ持って行く。
「嫌ってはないさ。ただ……どうしてあの子なのかなって」
「あの件は良いんだ?」
「これに関しては女神というより、先王妃に矛先を向けるべきだろう」
「はは。死んだ人間に何が出来るのさ。死人に口なし、死人に手出しは不可能。くそば……先王妃様の願いがシエル様や俺に向いたのって、なんでだろうね」
「さてね」
シエルはビスケットを半分に割って口へ放り込んだ。咀嚼し、飲み込んだ。ただビスケットを食べるだけでも放出される美はどこから生成されるのかと、つくづく抱く。頼んでもないのにシエルからビスケットが投げられ文句を言いながらも受け止め食べる。ビスケットは食べ続けると口内が乾き、飲み物が欲しくなる。
正面に回ってテーブルの隅に置かれてある呼び鈴を鳴らした。ノックの後入った侍女に葡萄酒を言い付けて。侍女が出て行くとヴェレッドはシエルの向かいに腰を下ろした。
「嘘。知ってる。フリューリング先々代侯爵様のせいだ。俺の髪や目の色が薔薇色なのも含めてね」
「もっと違う色があったろうにね。どうして先王妃を刺激する色を選んだのか……」
先王妃エリザベスが忌み嫌う女の髪や瞳と同じ薔薇色は、視界に入るだけで発狂された。故人を悪く言うのは憚られるのが普通でも、彼女になると薄くなる。苛烈で欲するものは何でも手に入れたがった。
「先代侯爵夫人の件はどうするの。お嬢様を例のお茶会に参加させる気でいるみたいだけど」
「私がさせないさ」
死して尚影響が強く残るアーヴァの魅力。魅了とも言っていい。
ローズマリー伯爵夫人がファウスティーナの存在を知っていても、姿まで知っているかまで把握出来ていない。明日はその件について調べさせられるヴェレッドは肩を竦めた。
「知っていようが知らないでいようがあのおばさんが良からぬ話を吹き込みそうだ」
「アーヴァの魅力によって愛する人、愛しい人を奪われた憎しみの殆どは母親である夫人に向けられていた。同情する者が多かった」
「ふあ……ま、やるけど。明日は何をするの」
「さてね」
考えていないのか、どうでもいいのか、考えているが敢えて悟らせないようにしているのか。3つの選択肢の内、どちらにも見えるからシエルの考えは読めない。シエルも小さな欠伸を漏らし、葡萄酒を一気に飲み干すとソファーに寝転んだ。風邪を引くとヴェレッドが飛ばしても聞く耳がない。
瞼を閉じて動かなくなった。
起きていたらそれはそれで自分が眠れなくなって苛つくのに、眠ったら眠ったで相手にしてもらえなくて苛つく。頬を引っ張ってやりたい衝動を抑え、部屋を出たヴェレッドが向かうのは外。ちょっと前までシエルがファウスティーナと秘密のスイーツを食べていた場所だ。焚き火をしていたがきちんと後処理はしたらしく、痕跡は上手く隠している。
『建国祭』まで何事もなく過ぎてほしい。気掛かりなのはエルリカだ。
「引っ掛かる……」
ファウスティーナを態々お茶会に招待しようとするのは何故。親族会とやらでファウスティーナが毎年席を早く立つのは知っているのに。会えないのは、自分のせいなのに。左襟足髪を指先で器用に弄って放した。気掛かりがエルリカだけで終わるのを祈ろう。
先日の『リ・アマンティ祭』で起きた事件は2度と真っ平御免である。
「ローゼ?」
「げっ」
この声は、と表情を歪めて振り返れば予想通りの相手――シリウスがいた。寝る前なのだろう、普段表で着ている王様の恰好じゃない、ラフな服装である。
夜遅く、周りに誰もいないから本名で呼んできた相手へヴェレッドは舌先を見せた。
悪戯をしていたのでも、隠れていたのでもない。相手を小馬鹿にしたところで返されるのは何もない。シリウスはヴェレッドの小さな挑発は無視をし、何をしていたのかと問うた。
「なんにも。シエル様寝ちゃって暇になったから来ただけ」
「あいつがこの時間に? 珍しいな」
「狸寝入りなのか本気で寝てるのかは知らない。王様こそなにしてんの。護衛も付けないで1人でいてさ」
「護衛は断った。1人で外に出たくなったんだ」
「王様に何かあったら、それこそ護衛の責任が問われるのに」
仮に襲撃されても目の前の男を倒せる相手はそうはいない。
シリウスとシエルは異母兄弟でありながらよく似ている。相手を嫌っているくせに気にしているところ、負けず嫌いなところ。勉学、武術、芸術、音楽、ありとあらゆる分野において張り合った。甲斐あって2人の超人が完成した。但し、シエルに関してだけ絵心がない。
「お嬢様って、母親似だって言われるけどシエル様にもそっくりだよ。絵が下手っぴなとことか、嫌いな野菜が同じとか、度胸があるところとか」
「お前はあの子の母親がアーヴァだと知っていたのか?」
「いいや? 知らないよ。そもそも、俺がお嬢様を知ったのは生まれてすぐ。その時母親は死んでた。相当な難産で、お嬢様を産んで力尽きたって聞いた」
出産予定日を大幅に過ぎての出産だった。母子共に危険だと医師が繰り返しシエルとアーヴァに忠告をしていたのに、薬を使わず、自然にファウスティーナが生まれるのをひたすら待った。当時の状況をオズウェルやオルトリウスから聞いたシリウスは「アーヴァが駄目だと、言ったそうだ」と語った。
“駄目よ。まだ、生まれては駄目よ”
“あなたはとても良い子よ、もう少しの我慢よ”
“もう少し、もう少し待っていて。私とシエル様の宝物。もう少しで会えるからね”
子守唄を紡ぐようにアーヴァはお腹の中にいる我が子に語りかけていた。自分の命と引き換えになってでも、限界まで出産を引き延ばしたアーヴァの真意をシエルは知っているのか。というヴェレッドの問いを、シリウスは答えを持っていた。
問われ、答えを提示したヴェレッドは何度かシリウスと話して部屋に帰った。扉に凭れて片手で顔を覆った。
「お嬢様を幸せにして、大事にして、守ってあげないと」
ファウスティーナの幸福はシエルの幸福でもある。
「そうでないと……シエル様に嫌われるし、お嬢様を産んだ母親に恨まれそう……」
手を顔から離して床に座り込んだ。
「王太子様はお嬢様関連で揶揄うとすぐムキになってくれるから、気持ちが丸分かりで面白い。分かりやすくて助かる。王太子様はこのままでいいや。問題なのはお嬢様、か」
ファウスティーナの言うように本当の本当にベルンハルドがエルヴィラを好きになるのなら、考えがあるものの。そうでないのなら、付き合う振りをしてベルンハルドの背を突き飛ばしてファウスティーナの方へ行かせるのみ。
運命の女神がベルンハルドとエルヴィラを“運命の糸”で結んでいるのなら、ベルンハルドにはファウスティーナを諦めてもらうしかないが気配が微塵もない。この可能性は塵箱行きである。
「他に考えられるのは……」
フリューリング家当主となる者にだけ発現する力だが……これもない。当人の強い意思が必要となる。ベルンハルドとエルヴィラを結ばせて利益を被るのは誰もいない。
「残るは……」
運命の女神フォルトゥナの気紛れくらい、だろうか。
或いは――
「リンナモラートのうっかりが理由だったりしてね」
愉しげに小さく笑った後、ヴェレッドは寝台の方へ歩き出し、柔らかなベッドに飛び込んだ。明日は件の伯爵夫人を調べる。詳しそうなメルディアスを捕まえて情報収集を開始しよう。
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