変われるのか
エルリカの相貌が険しい。理由はすぐに知れた。
「ベルンハルド様、会えて嬉しいです!」
「えっと、エルヴィラ嬢、今日はどうしたの? 公爵はいないようだけれど……」
スッと前に出たエルリカが疑問に答えた。
「王太子殿下、わたくしが連れて参りましたの。ヴィトケンシュタイン公爵家は教会と深い関わりがある家。先代司祭オルトリウス様にご挨拶をと思いまして」
「そうだったのですか」
口ではああ言って、本心では何の目的でエルヴィラを連れて来たのか。バレないように、注視しないと。未だエルリカは険しさを顔から消さない。エルリカが少し距離を取ると待ってましたとばかりにエルヴィラはベルンハルドに話し掛け続けた。険しさが濃くなっていく。
「エルリカおば様、エルヴィラが殿下に馴れ馴れしいのを快く思ってませんね」と漏らせば、上から降ってきたのは肯定だった。
「彼女が妹君を可愛がっているのは間違いない。猫可愛がりをするつもりだけはないようだけど」
「エルヴィラ……おば様の顔を見て、お願い」
ファウスティーナの願いは、耳に入ってもエルヴィラには解されない。大好きなベルンハルドと話す絶好の機会。常に好機を狙っていたエルヴィラは逃さない。
「……」
嬉々とした姿で話すエルヴィラと耳を傾けるベルンハルド。ヴェレッドが夢を気にし過ぎているだけだと否定しても、やっぱりファウスティーナには2人がお似合いに見える。前の自分とベルンハルドが脳裏に過る。何を話しても退屈そうに、嫌そうにしか聞いてくれないベルンハルド。エルヴィラが来たら表情を変えてファウスティーナを無視し、ファウスティーナがエルヴィラを追い出したら詰って追い掛けて行って。残されたファウスティーナがいつもどれだけ惨めな思いをしたか、エルヴィラが大事な彼は想像すらしなかったろう。
嫌いな婚約者でも、運命によって愛する恋人と結ばれても、リンナモラートの生まれ変わりであるファウスティーナから逃げられない哀れな人。ファウスティーナが強硬手段に出たからこそ真実の愛の相手と結ばれた。
……哀れなのはやっぱりベルンハルド。報われない恋を今も抱く自分じゃない。
動くとシエルが心配をするから、心の中で喝を入れた。
エルリカは顔を険しくしたまま、行動に移す気はないらしく、観察しているだけ。ヴェレッドは愉しげに笑って見ており、時折オルトリウスに耳打ちして頬を摘ままれている。積極的に話し続けるエルヴィラと聞く側に徹しているベルンハルドを交互に見ていたネージュは、可愛らしい声で笑った。
「どうしたんだ? ネージュ」
「うん。兄上はエルヴィラ嬢と話している方がとても生き生きとしてるなあって」
(ネージュ殿下!?)
他意が一切感じられない、2人を眺めていた感想を述べただけのネージュの言葉はこの場に氷の塊を落とした。瞬時に襲った静けさ。あれ? と首を傾げるネージュの許へ、侍女が慌てて駆け寄った。
「で、殿下……!」
「どうしたのラピス。血相を変えて。ぼく、変なこと言った?」
「い、いえ、あの」
「兄上も固まってどうしたの?」
「いや……」
周囲の反応も、ベルンハルドが固まるのも、ネージュは心底不思議だと目を丸くする。エルヴィラはどうかとファウスティーナが見やると嬉しさを隠そうとせず、頬を赤らめはにかんでいた。通常運転である。
「なんでエルヴィラ嬢嬉しそうなの?」
「え? そ、それは」
ネージュもエルヴィラを見、他とは違う反応ながらも不思議そうにする。言われて口ごもるエルヴィラにそれ以上はなく、先程の侍女が更に慌てて間に入った。
「殿下、そろそろ教師の方がお出でになる時間です。戻らないと間に合わないかと」
「もうそんな時間? じゃあ、兄上も戻らないといけないね」
「あ、ああ、そうだな」
「兄上は語学だった?」
「いや、今日は予定を変えて歴史にしてもらったんだ。語学はその後になる」
「ぼくはダンスだって。体を動かすのは苦手だよ……」
「ネージュは部屋にいるのが多かったから仕方ない。徐々に慣れていくさ」
最初にヴェレッドへ言った通り、隙間時間を見て兄弟で散歩をしていただけのよう。意識を勉強とレッスンに切り替えた王子達はこの場を後にした。あからさまにホッとする侍女や護衛騎士達も付いて行き、遠ざかって行く。
ベルンハルドも安堵した表情になっていた。あのまま侍女が家庭教師の話を切り出さなかったら、次は何を言われていたかと気が気じゃなかったのか。
「あ……」何か言いたげなエルヴィラが手を伸ばすも、ベルンハルドには届かなかった。
頭上から降った笑いに顔を上げた。
「司祭様?」
「ああ、ごめんね。無知な振りをしたネージュ殿下が面白くてね」
無知な振り?
「ネージュ殿下は王太子殿下やエルヴィラの気持ちを解った上であのような?」
「ベルンハルドはともかく、エルヴィラ様は丸分かりだろう? ベルンハルドは些かショックだったろうが、エルヴィラ様はネージュ殿下の目から見てベルンハルドは自分に好意的だと捉えただろうね」
「逆にネージュ殿下に話を振られた時は何も答えられなかった……」
「一応、周囲の目を気にするというのはエルヴィラ様も分かっているようだ」
「ネージュ殿下が無知な振りをしていると思うのは何故ですか?」
「私の勘かな」
「勘……」
ファウスティーナの目には、純粋に生まれた疑問を発しただけにしか見えなかった。シエルの気にし過ぎかもしれない。
再びエルヴィラ達へ視線を戻した。残念そうに前を見つめるエルヴィラへ静観していたエルリカが厳しい声色で名を呼んだ。
「エルヴィラさん。先程のあれはなんです」
「おば様……?」
「王太子殿下を名前で呼ぶ許可は頂いているのですか?」
「ベルンハルド様は初めて会った時に良いと言ってくれました」
「……だとしても、あの態度はなんです? 馴れ馴れしいにも程があります。節度を持って接しなさい。あれでは王太子殿下の名誉にも関わります」
「どういう意味ですか!」
名前呼びの許可を貰っていた……初耳だった。てっきり、エルヴィラが勝手に呼んでいるものだと思い込んでいた。ここでまた過去の記憶が蘇る。婚約者なのに、名前呼びを許してもらえなかった前の自分。呼ぼうものなら、冷徹な眼で睨まれ強制的に黙らされた。ファウスティーナが渇望した名前呼びも、愛されることも、全てエルヴィラだけが許された。
無意識に溜め息を吐いたと知らないから、見下ろしてくるシエルの蒼の瞳に冷たさが宿って行くとは気付かない。
味方だと信じていた相手からの注意にエルヴィラの反抗心は強くなっていく。
「婚約者の妹と親し気にして、誤解をされないとどうして思えるのですか。エルヴィラさんもですよ。何れ貴女も、どこかの家に嫁ぐのです。まさか、ずっと生家にいるつもりですか?」
「わたしは、わたしはっ、ベルンハルド様をお慕いしていますっ! さっきエルリカおば様は、お姉様がベルンハルド様と会わないと言ったら怒ったではありませんか!」
「それについては後程、ファウスティーナさんに伺います。でも今はエルヴィラさんです。エルヴィラさんが王太子殿下に懸想すれば、嫁ぎ先を見つけるのは困難になります。公爵夫妻の手を煩わせるのではありません」
「わたしの方が……!」
「王太子殿下を慕うのは貴女の自由です。ただ、それをみだりに主張するものではありません」
涙声も段々と強くなっていき、紅玉色の瞳から大粒の涙が溢れ出ていた。苦笑するオルトリウスに振り向いたエルリカは深く頭を下げた。
「申し訳ありません、オルト様。この様な見苦しい場面を」
「いや、いいんだよ。シエルちゃんの時で散々見慣れてるから。恋する女の子は何時でも積極的だ。その積極性を別の方向へ持っていければ、エルリカちゃんのように花が満開に咲くことだってある」
「わたくし等、まだまだで御座います。さあエルヴィラさん、帰りますよ」
「……」
促され、泣きながら帰りの挨拶をしたエルヴィラを連れてエルリカは早足にこの場を後にした。
最後はどうなるかと不安になるも、エルヴィラは素直にエルリカに連れられて行った。
「おば様はエルヴィラを可愛がっているから、てっきり味方になるものかと」
「節度ある可愛がりだったらしい。はは、どこかの公爵夫人に見せてやりたいよ」
「う……」
シエルが言う相手は誰と言わずとも知れる。
〇●〇●〇●
城を出て馬車に乗り込んだエルヴィラは嗚咽を漏らし泣いていた。向かいに座るエルリカは何も言ってこない。味方だと信じていた大好きなおばまで気持ちを否定してきた。前王弟と親しく、王都に戻っているから挨拶に行くとエルリカから聞き、ベルンハルドに会いたくてエルリカに頼み連れて来てもらった。その時は両親とケインがいたから、正直に言えなくて自分も挨拶をしたいと嘘の申し出をした。教会と深い関わりがあるから関心があるのだと、反対する両親達を止めてもらった。
誰に訴えたら、ベルンハルドへの気持ちは認めてもらえるのか。
ベルンハルドには気持ちは伝わっている筈。素直になれないのは、ファウスティーナが未だ図々しく婚約者の座に収まっているせいだ。
全部ファウスティーナのせい。愛されても、好かれてもないくせに。
「エルヴィラさん」
「っ」
エルリカの無感情な声にびくりと肩が跳ねた。恐る恐る顔を上げたら、可哀想な者を見る目で見つめられていた。
「叶わない恋をして苦しむのは貴女です。今すぐに……とは、わたくしも言いません。ですが王太子殿下の事は諦めなさい」
「おば様は好きな人がいなかったのですか? いないから、そんなことが!」
「……いいえ。わたくしも貴女と同じ年の頃、叶わない恋をしました」
「え」
予想外な告白に目を見張る。眉尻を下げ、悲し気に微笑んだエルリカはまだその恋を引き摺っていそうだった。
「叶わないなら、その方の目に映る誰よりも美しくあろうと決めました。淑女の鑑だなんて言われてますが最初はとてもお転婆だったの」
「おば様が?」
「ええ。その方に会ったお陰で嫌いだった勉強や礼儀作法からは逃げず、必死に学びました。結ばれなくても相手の心に残る女になりたかった」
「……わたしは……」
「……エルヴィラさんもお勉強から逃げているとシトリンさんやリュドミーラさんから聞きます。昔のわたくしと同じ。でも、何かの切っ掛けさえあれば貴女の意識も変わると今までは何も言いませんでした。あくまでわたくしは他家に嫁いだ身。甥っ子の家庭に口出しする権利もありませんから」
「……」
「ですがエルヴィラさんが変わりたいという気持ちがあるなら、わたくしもお手伝いします」
変わる……。
この間の教会突撃以降、今まで優しかった母まで厳しくなった。
ただ、もしもエルリカのような淑女になれたら……ベルンハルドは気付いてくれるのではないか。
隣に立つのがファウスティーナじゃなく、エルヴィラだということを……。
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