盗み聞き
どうしてこうなった、とちょっと前の自分に問い質したい。愉快気に彼が嗤う時、大体碌でもない。今朝、エルリカが先代司祭オルトリウスを訪ねて登城すると聞かされた時点で気付くべきだった。楽しい出来事が大好きなヴェレッドが格好の獲物を逃さないと。
度肝を抜かれたのはエルリカと一緒にエルヴィラもいたから。どうして一緒に? エルリカが登城すると知って泣き付いたとか? 淑女の鑑と呼ばれるエルリカなら、可愛がっているエルヴィラでも連れて来る真似はしない。理由があるのかと気になってファウスティーナも聞き耳を立ててしまう。
ファウスティーナとヴェレッドがいるのはオルトリウスとエルリカ、それにエルヴィラが使用している四阿の側。四阿の周囲は木に囲まれており、此処はオルトリウスが王宮に住んでいた時からのお気に入りの場所。休むなら気持ちが落ち着く場所が良いからと作らせたのが此処。オルトリウス専用の四阿と言ってもいい。王宮を去った後は誰でも使って良いと許しているがシリウスが稀に使用するのみ。
11年振りに座るよ、と会話をするのはオルトリウス。どんな様子でお茶をしているのか見てみたいが、それだとオルトリウスに気付かれてしまうとヴェレッドに止められ、耳に神経を集中させる。
「最後に会ったのは何時だったかな」
「もう11年以上前ですわ。オルト様ったら、王弟殿下に司祭の座を譲ると旅立ってしまわれるんですもの」
「昔から、司祭の座をシエルちゃんに任せたら旅に出るつもりだったから」
「今の子供達にとっての司祭は王弟殿下になりますのね。エルヴィラさんはオルト様と会うのは初めてよね?」
「はい、おば様」
ファウスティーナやベルンハルドも当てはまる。オルトリウスとは去年出会ったが戻ってもすぐにまた旅立って行ったので殆ど会話らしい会話もしていない。
「今日は驚いたよ。君が同伴者を連れて来るなんて」
「偶には良いでしょう? 花が多ければ場の空気も変わります」
「花ねえ。僕には小さな蕾にしか見えないなあ」
「蕾も育てば美しい花となります。エルヴィラさんはヴィトケンシュタイン家の血を引く由緒正しき貴族の子ですもの」
「ヴィトケンシュタイン家は将来安泰だろうねえ。王太子妃となる長女、優秀と名高い長男がいて。跡取りの心配もない。末娘の君は婚約者がいるのかい?」
「わ、わたしにはまだいません」
「はは。先代様ってば、知ってるくせに聞いちゃうなんて」
「え? どういう意味ですか?」
「妹君に婚約者がいないのを知って態と聞いたんだ」
次の言葉を待つより、現在進行形で進む会話に集中。
「わたしには好きな人がいます。その方以外とは婚約したくありません」
「あら? そうだったの。シトリンさんやリュドミーラさんに頼めば、余程身分が低いか問題のある殿方でなければ許してくれそうなのに」
許されないのは好きな相手が姉の婚約者である王太子だから。ベルンハルド様ですとはっきりと告げたエルヴィラに噴き出すのを堪えるヴェレッドは苦しそうだ。大声を上げて嗤いたくても、身を隠して盗み聞きしている今は耐える場面。
今この瞬間だけ、ファウスティーナは向こうの光景が見えなくて良かったと安心する。沈黙が続くのは、微妙な空気になってしまっているからに違いない。次は誰が声を発するか待つとオルトリウスが怪訝な声色で紡いだ。
「ベルンハルドちゃん? 彼は君の姉君の婚約者じゃないか」
「分かってます……でも好きな気持ちは誰にも負けません」
「王族との婚約は好き嫌いで決められない。ましてや、ヴィトケンシュタイン家の令嬢が王族に嫁げるのは女神の生まれ変わりのみ。そうだろう? エルリカちゃん」
「……え、ええ……そうね」
エルリカが声を出すのに僅かな間があった。声色も動揺を隠し切れていない。
「エルヴィラさん。王子を慕う気持ちは分かるわ。でも、オルト様が言うようにヴィトケンシュタイン家に生まれた以上、エルヴィラさんは王族には嫁げないの。王太子殿下が王太子でなかったとしてもよ」
「お父様やお母様にも言われました……ですが納得出来ません。ベルンハルド様を好きなのはわたしです。お姉様は屋敷にいた頃、ベルンハルド様が来ても逃げてばかりで会おうとしなかったのですよ?」
「……どういうことかしら? 詳しく話してちょうだい」
エルリカの声色が低くなった。憎しみを抱くアーヴァにそっくりというだけで嫌われているファウスティーナの荒を知られてしまった。次会う機会はゼロにしてほしいが無理に近い。前王弟が目の前にいて聞かれる内容でもない。
止めたいが今行ってしまえば、聞き耳を立てていたのがバレてしまう。
ベルンハルドから逃げていたのは事実だから、言い訳はしない。エルヴィラに語られると事実を曲解されるような気がしてならない。止める方法はないかと困ってヴェレッドを見上げると――姿が何処にもない。
あれ? と左右首を振った時だ。近くで聞こえていた声が遠くからする。ちょっとだけ顔を覗かせるとヴェレッドが3人のいる四阿に入っていた。警戒心剥き出しなエルヴィラを嗤いつつ、目を丸くするオルトリウスとエルリカにそれぞれ一瞥をくれるとオルトリウスの方へ近付き。左襟足を口元まで持って行き、耳元で何事かを囁く。
「何してるのもう……」
「そっちこそ何してんの。いい年して女と密会かよ」
「誤解を招く言い方。周りにはちゃんと騎士や使用人が控えてるのに」
「同じだよ」
オルトリウスから離れたヴェレッドは、紅玉色の瞳で睨むエルヴィラを見下ろす。愉快な色と冷徹さが混ざった笑みは少女を怯えさせるには十分な効果を発揮。短い悲鳴を上げてエルリカに抱き付いた。
非難をエルリカから浴びせられるも、どうともせず、寧ろエルヴィラが間にいるのにいないも同然にエルリカに顔を近付けた。
化粧で誤魔化しているが成る程、綺麗な顔をしている。美容に相当気を配っているようで、化粧を取ればリオニーもエルリカに似た顔になるのかと抱いてしまう。
エルリカの方は、絶世の美貌の持ち主シエルに勝らなくても類まれなる美しさを誇る男性に顔を覗き込まれ頬が朱に染まる。凄艶な相貌から視線を逸らせない。
「ごめんね夫人。先代様が此処にいるって聞いて来ちゃったんだ。気分を害したなら退散するよ」
「い……いえ、そんな、良いのです。オルト様が良いと言うなら、いらっしゃれば良いのでは」
「僕は構わないよ。何か運ばせようか?」
「いらないよ」
「言うと思った」
すっ……と、エルリカから距離を取り、オルトリウスの方へ戻ったヴェレッド。
至近距離で見つめ合う必要がどこにあったのかと、ヴェレッドが戻ったら訊ねようとファウスティーナは決めつつも、顔を赤らめたまま固まったエルリカを注目した。顔の綺麗な男が好きだというのは本当らしい。ヴェレッドは性格は端に置いても容姿は桁外れに美しい。その上をいくシエルを気に入るのは普通なのだろう。
何時彼がこっちに戻って来るか。そっと、光景から隠れたファウスティーナは小さく息を吐いた。昨日の件もあってエルヴィラは一目ヴェレッドを見た瞬間、敵意を剥き出しにした。
エルヴィラに構わなくて良かった。ヴェレッドの弄り耐性がないエルヴィラはすぐに怒りを露にし、感情が昂ぶれば泣き出していた。
ここからは会話だけを聞いて光景は想像しようと決めた。ら、とんとんと肩を叩かれた。驚き過ぎて声が出そうになるも、先に相手が口を塞ぎ何も起きなかった。漂う甘い薔薇の香りから、相手がシエルなのは明白。体の向きを変えられ、シエルと対面した。
「こんな所で盗み聞きなんてして。ふふ、後でヴェレッドと2人一緒にお説教だね」
「う……は、はい」
「どうせ、ヴェレッドに誘われて断れなかったんだろう?」
「はい……」
「君も好奇心の強い子だから、気になっていたのだろうけどね」
「はい…………」
シエルには何でもお見通しである。反論するつもりは最初からなくても、全く言い返せない。輝かんばかりの微笑を前にすると何も言えなくなってしまう。
シエルに抱っこされ、ファウスティーナが座っていた場所にシエルが座った。ファウスティーナはすっぽりとシエルの腕の中に収まった。風邪を引いて熱で苦しんでいた時もこうやって抱き締められた。温かくて、甘い薔薇の香りが辛い気持ちを和らげてくれた。
人を無条件に安心させてしまうのはシエルだけの力だ。見上げると後ろの会話を気にするシエルに気付かれて――「どうしたの?」と笑みが浮かんだ。
「ヴェレッド様を探していたのですか?」
「ヴェレッドもだけど、正確には君をかな。午前中に先代夫人が叔父上を訪ねて来るのなら、フリューリング侯爵邸に行っても鉢合わせしないからと君を誘おうと探していたのさ」
エルリカがいる可能性が大きいからフリューリング侯爵邸にもヴィトケンシュタイン公爵邸にもいられなくなった。肝心の人がいないのなら、行っても良いのだ。気を付けないとならないのはエルリカの帰宅。普段足を運ばない場所の使用という制限が付く。
「今のうちにフリューリング侯爵邸に向かいましょう」
「いや、このままいよう。こっちの方が面白そうだから。気付かれる心配もないからね」
ヴェレッドの楽しい好きも大概だが、シエルもシエルで大概である。
気が合うからなのか、2人の性格は似ている部分が多い。
苦笑していると向こうの方からエルリカの声がした。
「そうだわ。『建国祭』当日までにわたくしが親しくてしている夫人の家でお茶会をしますの。ファウスティーナさんを招待しようかしら」
シエルに肩を叩かれた時は別の意味で悲鳴が出そうになった。
ファウスティーナを抱き締めるシエルの腕の力が込められた。
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