甘く見てはいけない
昨夜はぐっすり朝まで――眠りたかった。朝日の眩しさに起きたファウスティーナはゆっくりと体を起こし、真夜中の不法侵入者が座っていた足元を見やった。当然だが彼はいない。人の気配がして目を開けたら、月光を浴びた彼―ヴェレッドがいてがっくりとした。場所が王城になっても彼は変わらなかった。王妃シエラが用意してくれた客室のベッドは寝心地最高で。瞳を閉じたらあっという間だった。自分が思う以上に疲れていたのか。
人の慣れというのは、時に大きな効果を発揮する。あの時ファウスティーナが大声を上げていれば、瞬く間に警備兵が駆け付け大騒ぎとなっていた。いくらシエルの幼少期からの友人といえど、不法侵入者には変わりない。
夕食はベルンハルドと2人で摂った。10日後に開催される建国祭の準備で多忙なシエラとは、部屋に案内された後は会えていない。ファウスティーナに気を遣ってベルンハルドが来てくれたのだ。やけに大慌てで来たので事情を説明。今度は違う意味で慌てられるも、建国祭が終われば教会へ戻ると告げた。
シエルの方はシリウスと何かを話しているらしく、夜中訪れたヴェレッド曰く「偶にはシエル様も王様の話に耳を傾けるよ」らしい。
「どういう意味だったんだろう」
話の内容を訊いても内緒と鼻頭を突かれただけ。ジト目で見たら笑われた。
「そろそろ起きよう」
朝日が昇っているのなら、侍女が起こしに来るまでもう少し。ベッドから降りたファウスティーナは靴を履き、窓に近付いた。王妃宮の客室から見る景色は花一色。花の世話も自分ですると王妃教育で話してくれた。広い花壇が見えるこの部屋で滞在出来るなんて幸運だ。
花壇の側で歩く小鳥が可愛い。美しい花が背景なためか、よくある光景も場所が違うだけで印象は大きく変わる。
暫く窓に張り付いていると、世話を命じられた侍女が入室した。
朝の準備を済ますと朝食が運ばれる。
ファウスティーナに気を遣ってか、教会でよく食べるパンケーキが運ばれた。数種類のジャムと蜂蜜がトッピングとして小皿に盛られている。どれにしようか悩み、今日は蜂蜜を選んだ。
パンケーキをナイフで切っていく。柔らかく、それでいて切りやすい。一口サイズにし、フォークでパンケーキを刺し口へ運ぶ寸前、ノックもなく扉が開いた。相手は真夜中の不法侵入者。侍女が止めるもファウスティーナは制止した。
彼が言うことを聞くのはシエルだけ。渋々前を退いた侍女の横を通り、ファウスティーナの前に座ったヴェレッドは小さく欠伸をした。
「夜更かしですか?」
「お城にいる間は最悪だよ。シエル様機嫌悪いし、王様はシエル様がいて喜んでるし。俺その内寝不足で倒れそう」
「司祭様に言ってヴェレッド様は教会へ戻れるようお願いしましょうか?」
「いらない。俺もお城でいい。寧ろ、お嬢様の護衛をシエル様に任されてるのに帰ったら余計叱られる」
パンケーキを食べる手を再開しつつ、今日は何をしたらいいかと口にした。
「王妃殿下達は建国祭の準備で毎日お忙しいみたいですし、私は滞在中何をしたら良いでしょう?」
「自分で考えなよ」
言われるとは思っていた。
「王妃教育の復習か、貴族名簿の覚え直し……あ、建国祭には友好国からの王族の方が来るから調べなおし……」
「何お嬢様。勉強することしか考えてないの? 遊ぼうよ」
「そういうわけにはいきません。私だけ、遊んでるなんて」
「お嬢様勉強する為に滞在してないじゃん。あの頭のおかしいおばさんから逃げるので此処にいるだけ」
父の叔母エルリカ。実の娘アーヴァを心の底から憎み、嫌う理由は教えられた。知れば知る程、もっと他に方法はなかったのかと問いたくなる。嫌いなら距離を取る事だって出来た。淑女の鑑だと言われるエルリカ。昨日見た姿は淑女の鑑とは程遠い。
それならば、とファウスティーナはアーヴァやエルリカを詳しく知りたい。アーヴァを知るなら、友人関係にあったラリス侯爵夫人ノルンに訊ねるのが早い。ラリス家の令嬢アエリアとは文通をしている間柄といえ、ノルンとの面識はない。爵位はファウスティーナが上としても、ラリス家は王国の重要な地位にいる家柄。訪問理由がアーヴァを知りたいからという個人的なものだから余計難しい。
なら、他にエルリカを詳しく知るのは誰なのだろう。祖父の年代となるとフワーリン公爵、先王陛下や先代司祭となる。あ、と1人知っていそうな人がいる。
オズウェルだ。先代司祭オルトリウスの友人であり、長年教会の助祭をしているのもあり、貴族の事情に詳しい。
「助祭様はおば様をよく知ってそうですね」
「助祭さん? ああ、まあ、グランレオド家の人だしね。何お嬢様、頭のおかしいおばさんを知りたいの?」
「ヴェレッド様の言い方には棘があり過ぎる気が……」
「事実でしょう。お嬢様は関係ないのに、似てるからって理由だけでお嬢様を嫌ってるば……おばさんだよ?」
今絶対口の悪い呼び方をしようとして訂正をしたヴェレッド。侍女の方からの怖い視線が真実を物語っている。
敢えて触れない振りをし、一旦フォークとナイフを置いてヴェレッドを見た。好奇心からエルリカやアーヴァを知りたいのではない。ほんの一部は好奇心からだが、お腹を痛めて生んだ娘に魔性の魅力があっただけで、似た人間を見て憎しみを増幅させた理由を知りたい。
「司祭様や王妃様のお話を聞いているとアーヴァ様は悪い方ではないと思うんです。アーヴァ様を知って、おば様の事を知って。アーヴァ様は亡くなっていますがおば様がアーヴァ様を憎む気持ちを消したいんです。死んでも母親から嫌われ続けるのは、絶対に辛いから」
嘗ての自分がよく知っている。
母に愛されない苦しみ、悲しみ。
母に愛される妹への憎しみ、怒り、妬み。
自分が母に愛されなかった理由は死ぬ最後まで分からなかっただろう。2度目の人生を迎えても不明なまま。
「……お嬢様、悪い事は言わない。あのおばさんには関わっちゃ駄目。あれは妹君や公爵夫人よりも何十倍も危険なんだ。分かりやすい公爵夫人と妹君と違って、完璧な淑女の皮を被る。第一、お嬢様が知ってどうするの? 母娘の関係改善? 娘の方は死んでるのに?
よおく覚えておいて。死者の眠りを何人たりとも邪魔をすることは許されない。死者を起こすなって事」
「……」
滅多に見せない真剣さが多分に含まれた表情と声色がヴェレッドの忠告が重いものと訴える。
シエラもファウスティーナが考える程、エルリカは甘い人間じゃないと言っていた。自分の考えは甘いのか。希望を抱こうとしても簡単に打ち砕かれていく。
「あと、これ王様から伝言。お嬢様、もし外出するなら昼以降にしてだって」とヴェレッドに伝えられ疑問を出した。小さな欠伸を間に挟み、理由を教えてくれた。午前中にオルトリウスを訪ねてエルリカが登城するのだ。
オルトリウス本人がシリウスに伝えたから嘘じゃない。その前にファウスティーナは王城に先代司祭が滞在していると知り驚いた。一言も聞かされていない。ファウスティーナの心情を読んだのか。
「その内、先代様の方からお嬢様に顔を見せに行くって言ってたから放っておいた」とヴェレッドはあっけらかんと口にした。
がっくりと肩を落としつつ、エルリカとオルトリウスの関係を尋ねると愉快気に彼は笑う。
「王様がね、面白い話をしてくれたんだ。おばさんは政略結婚でフリューリング先代侯爵様と結婚しても、先代様への片思いは止めなかったんだ」
「え? おば様は先代司祭様を……?」
「うん。後、顔の綺麗な男が好きなんだって。シエル様は特にお気に入り」
天上人の如き美貌、衰えのない若さ、誰をも魅了する微笑み、迷い人に優しく手を差し伸べる慈愛に溢れた聖人。
美の女神があらゆる美貌を詰め込んだと言っても過言ではないシエルは、どんな女性にも絶大な人気を誇る。淑女の鑑と社交界で呼ばれたエルリカでさえ、虜にする。
話を聞いたファウスティーナはシエルの美しさは尋常じゃないと改めて認識すると共にエルリカに戦慄した。
エルリカとは親子程の年齢差があるシエルを……、と想像するだけで鳥肌が立った。そう思うと祖父の舐めるような視線を受けた時の感覚が蘇り、ぶるりと震えた。顔はあまり似ていないが性格は案外似ていた。
「外に出るなら、昼以降にしようね」
「は、はい」
今日の外出は控え、部屋にいよう。
書庫室にある本を借りて読んで過ごそう。何を読もう。恋愛系よりも、冒険ものが読みたい。ふと、ある内容が過った。
「食事が終わったら書庫室へ付いて来てくれませんか?」
「いいけど」
「ありがとうございます」
「どんな本を読むの?」
「“運命の恋人たち”に関する本です」
王城にも“運命の恋人たち”に関する本があるはず。ベルンハルドとエルヴィラを“運命の恋人たち”にするにはどうしたらいいか。運命によって結ばれていても、実際に運命の女神に証明してもらわないとならない。ベルンハルドの幸福の為だ。
ベルンハルドが生きて幸福となるのなら、自分じゃない相手と結ばれても諦められる。
1度諦めたのだから。
「ん?」
「どうしたの?」
「い、いえ」
自分の心の声なのに、疑問形な声が出てしまった。1度諦めた? 諦めざるを得なかった、ではなく? 諦めた云々の以前にベルンハルドはエルヴィラを選んでいて、幸福になる以外の道は存在しなかった。
(寧ろ、エルヴィラと結ばれて不幸になる方がおかしいわ)
『愛している、私の可愛い妖精姫』
『何故そうやってエルヴィラを泣かせる。お前に人の心はないのか』
『お前といい、ケインといい、実の妹を傷付けるばかりで守ろうとしないんだ!』
貴方は1度だって婚約者を守ろうとしなかったのに、婚約者の妹だけはいつも必死で守っていましたね。
面と向かって言える度胸があってもなくても、1度放たれた言葉は消えない。言葉の刃物は、時として本物の刃物よりも重傷を負わす。
決して消えない心の傷は1つでも、心身に多大な負荷を与えてしまう。
夢で見るベルンハルドはファウスティーナが去ると追い掛けて来る。
行くな、話を聞いてくれ、私を見てほしい、と。
「……ふう」
「さっきからどうしたの? 調子が悪いの?」
「大丈夫ですよ」
いけないいけない。表に出したら心配を掛けてしまう。平常心平常心と言い聞かせ、パンケーキを食べていった。
――夢の中のベルンハルドは、ベルンハルドを追い掛けていたファウスティーナとまるで同じ。願望が夢に現れたと考えればそれまで。偽物のベルンハルド。本物のベルンハルドはファウスティーナを追い掛けはしない、話を聞いてくれない、顔すら見ようとしてくれなかった。
(うん。夢の殿下は私の願望によって作られた偽物の殿下よ。今の殿下とは違っても偽物よ)
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