アーヴァと先代侯爵夫人ー魔性の令嬢ー
今回の章でファウスティーナが災難な目に遭う主な原因の方登場です。
王都に戻って問題を迎えようとは。悪夢から一刻も早く逃れたいエルヴィラが必死になる気持ちも理解出来ないではない。父が登城すると聞いて、居ても立っても居られなくなったのだろう。
帰って行く後姿を思い出しつつ、シエルに抱っこをされて馬車に乗った。抱っこをされなくても乗れるのに抱っこをされるのはシエルがしたいから、らしい。「私の楽しみを取らないで」とシエルは言うが、抱っこのどこが楽しみなのか。相手がファウスティーナの思う人なら「お嬢様重くなったね」と必ず嫌味を言ってくる。
ベルンハルドとは途中で別れた。次会う時は建国祭でと約束して。
不意にリオニーがリンスーに頼み事をした。「帰りは此処に書かれている停車場に行ってメモを見せるといい」と。次にリンスーと会うのはフリューリング邸となった。何を頼んだかとリオニーに訊ねたら「ティナ嬢に気に入ってもらえる物だ」と詳細は伏せられた。
何か楽しみにしておこう。
ファウスティーナはこのまま、フリューリング邸に行く前に1度ヴィトケンシュタイン公爵邸に行ってほしいと頼んだ。先に戻った父が説明してくれるが顔くらいは見せた方が良いかと思い。
リオニーがファウスティーナの隣に座り、シエルとヴェレッドが乗り込むと馭者を務めるジュードが扉を閉めた。少しして、馬が走り出した。
「10日と短い期間だが欲しい物があったら言ってほしい。早急に用意をする」
「ありがとうございます、リオニー様」
とは言え、必要な物はほぼほぼ屋敷にある。顔を見せた後、必要な荷物を持って行こう。
「ふああ……はあ。お嬢様を女侯爵様のとこに置いていくなら、俺は要らないでしょう?」
「お黙りヴェレッド。君は王都に置いて行くから大人しくしていなさい」
「はーいはい」
ヴィトケンシュタイン公爵邸に戻らなくてもヴェレッドがファウスティーナの側に置いて行かれるのは決定事項。
ファウスティーナはチラリとリオニーを見上げた。炎のように赤い髪、意思の強い青の瞳、きつい相貌を増幅させる化粧。どれもがリオニーという人を表す装飾。どれか1つでも欠けるのは駄目。
彼女の夭折した妹アーヴァもリオニーのような勇ましい女性だったのか? と知りたくなる。誰も教えてくれない。花が好きだと、母だけが教えてくれた。顔を見せた後、そっと聞いてみよう。
花が好きな以外にどんな人なのかを。ただ、教えてくれた当時を思い出しても良い顔をしていなかったから、知らなくていいと拒否される率が高い。
知らなくて良いと体を押されると逆に知りたくなってしまうのが人の性。
ヴィトケンシュタイン公爵邸が見えてきた、と馭者席にいるジュードが言う。2人はもう戻っているだろうか。寄り道をしていなかったら戻っている。
「あれ?」とジュードの訝しむ声が聞こえると馬車が停まった。
「どうした?」リオニーが問うと公爵邸の門の前に馬車が停車しているらしく。
「お父様とエルヴィラが戻った……じゃ、なさそうですね」とファウスティーナ。
「家紋は見えるか?」とリオニー。
「えーっと……あれは……あ、誰か出て来ましたよ」
「どんな人?」
「女侯爵様と同じ赤い髪の女性ですね」
瞬間、車内の空気が一変。え、と見回したファウスティーナは唾を飲み込んだ。ヴェレッドは愉快そうにシエルとリオニーを見やり、リオニーとシエル2人だけ異様な雰囲気を醸し出している。どんな、と聞かれると言葉の表現が難しい。非常に険しい、とだけ言える。
シエルと目が合うと微笑まれるも、リオニーからの空気が伝わって微笑み返せない。
「どうしますか? 中へ入って行かれましたよ」
女性が入ると馬車も入って行った。暫し無言が包むも「そのまま行ってくれ」とリオニーが指示し、ジュードは言われた通り公爵邸の前に停車した。扉が開けられるとリオニーは降り、ファウスティーナも降りた。
門番はよく知っている顔だった。
「お帰りなさいませファウスティーナお嬢様」
「ただいま。さっき、来ていた御婦人は?」
「先代フリューリング侯爵夫人です。王都に来たから、旦那様と奥様にご挨拶がしたいと」
相手はリオニーの母だった。何故、空気が変わったのか。
「お父様とエルヴィラはもう戻った?」
「いえ、まだお戻りになられておりません」
ということは、何処か寄り道をしているのだろう。
中に行きましょう、とリオニーに向いたら頬を撫でられ首を振られた。
「ティナ嬢は裏口から屋敷に入ってくれ。今正面から行ったら、母上と鉢合わせする」
「で、ですが、先代侯爵夫人がいるなら挨拶は」
「必要ない。……ティナ嬢は母上と会った事がないのか?」
「そうですね……夫人とは1度も」
「そうか」とリオニーは発し、馬車から降りたシエルにファウスティーナを渡した。
よくよく考えると父の叔母に当たるのなら、ファウスティーナにとっては大叔母に当たる。なのに、会った事がないのも変な話。先代侯爵のように体が弱いと言う話は聞かない。
リオニーは正面を行ってしまい、残ったファウスティーナはシエルに促され屋敷の裏に回った。
「外から戻って裏から入るのは初めてです」
「だろうね」
「私は先代夫人とは会わない方が良いのですか?」
「そうだね」
「どうしてです?」
「……」
疑問にしたらシエルに苦笑された。頭を撫でられるも誤魔化されないと首を振ると更に苦笑された。「シエル様教えてあげなよ」と後ろを歩くヴェレッドにも言われ、シエルはやれやれと息を吐いた。
「あまり、良い話じゃないよ? 君にとってはね」
「構いません。知りたいです」
「……なら、アーヴァについても話さないとね」
「アーヴァ様ですか?」
このタイミングでアーヴァの話題。ファウスティーナはアーヴァに似ている。その事と先代夫人と会わせられない理由が重なるらしく。手を繋がれ、裏口から邸内に足を踏み入れた。
「お嬢様?」と最初に会ったのはエルヴィラ付きの侍女トリシャだった。顔にありありと疑問が浮かんでいた。シエルの顔を見るとお辞儀をして、ファウスティーナが声を掛けると顔を上げた。
「どうされたのです? こんな所から」
「う、うん。ちょっとね。今、先代フリューリング侯爵夫人が来てるよね?」
「ええ、先程いらっしゃいました。奥様とケイン様がお会いになられています。お嬢様は行かなくて良いのですか?」
「そう、みたい。南のお客様用の部屋に3人分の飲み物を持って来てくれる?」
オレンジジュースと紅茶と甘い飲み物と条件付きで。ファウスティーナの頼みを聞いたトリシャは頭を下げ、厨房へ行き。ファウスティーナはシエルとヴェレッドを連れて目的の部屋へ向かう。
来訪客をもてなす部屋は幾つかある。南にあるのは、日当たりが良く天気が良い日にはもってこいの場所。
階段を上がって2階へ。向かっていると女性の大きな声が届いてきた。知らない女性の声……該当する人物は1人。先代夫人しかいない。足が行きかけるとシエルに手を引っ張られる。
「君が行くと先代夫人は余計頭に血を上らせてしまう。ここは聞かなかったことにしようね」
「私は先代夫人に何かしてしまったのでしょうか……?」
「君は何もしていない。心理的問題さ、先代夫人の」
リオニーの名前が出て、先代夫人の矛先がリオニーにあるのだと知ってもシエルに手を引かれて行けず。部屋に到着し、扉を開けて室内に入った。花柄のふんわりソファーに座らされるとシエルは向かい側に座り、ヴェレッドは近くの壁に凭れた。
微かだが声は届く。何を言っているかまでは聞き取れない。
「……リオニー様とは仲が宜しくないのですか?」
「そうだね……先代夫人はアーヴァをとても嫌っていたからね。妹思いのリオニーとは常に衝突を繰り返していた」
現在進行形でも、である。
話はトリシャが飲み物を持って来てからにしようと提案された。長い話になるから、と。
――それから少しして。カートに3人の好みに合わせた飲み物と焼き菓子を運んでトリシャは入って来た。ファウスティーナにはオレンジジュース、シエルには紅茶、ヴェレッドには甘い物としか頼まなかったのでハチミツたっぷりのホットミルクが置かれた。最後に焼き菓子を置いたトリシャが出て行くとファウスティーナは早速シエルに訊ねた。
「アーヴァ様ってどんな方だったのですか? お母様は花が好きな方だったとは言ってましたが」
「公爵夫人が? そう……。アーヴァは魔性の令嬢と言われていたんだ」
「!」
聞き覚えのある言葉。そう、この間の『リ・アマンティ祭』でベルンハルドを敵の魔の手から救ったら自分が捕まった。自分を捕まえたあの男が言っていた魔性の令嬢とはアーヴァの事だったのか? 訊ねるとシエルの美貌に険しさが加わるもすぐに消され、頷かれた。
「幼少期からアーヴァの魅力は凄かったんだ。大の大人でさえ、幼女のアーヴァの魅力に囚われ破滅した。社交界デビューを果たし、貴族学院に入ったアーヴァに更に夢中になる異性は増えていくばかりだったんだ。
意中の相手がいようが、婚約者がいようが関係なしに。異性の殆どがアーヴァに夢中になった」
「す、すごいですね」
「ああ。そのせいで同性には非常に厳しい目で見られていたよ。婚約破棄に婚約解消をされた令嬢もいたからね。何だったら、離婚した夫婦もいた」
「あ、アーヴァ様自身はどうだったのですか?」
「アーヴァはずっと怯えていたよ」
幼い頃から己にある、魅了とも取れる力をアーヴァ自身が最も恐れていた。そのせいで友人関係は破綻していた。好きな人、婚約者を奪っていくアーヴァと友人になってくれる令嬢はいないにも等しかった。
シエルによると極僅かだがアーヴァと友人になった女性はいると言う。
現ラリス侯爵夫人ノルンが該当する。また、積極的に交流があった訳ではなくても王妃シエラとも関係は良かったらしい。
「ハーヴィー君や陛下がアーヴァに夢中にならなかったのが大きいね」
ハーヴィーとはラリス侯爵の名前。
「ラリス侯爵様はともかく、王様はシエル様に夢中だったからじゃない?」と茶々を入れたのはヴェレッド。シエルに頬を抓られても笑うのは止めない。
続きを話すよ、とシエルは紅茶で口内を潤した。
「魔性の魅力のせいか、アーヴァはとても内気だったんだ。人見知りで常にリオニーの背に隠れていた。人と目を合わせて話す事は愚か、対面するのも難しかった。公爵は従兄だったからまだ話せていたんだ」
「お母様とは?」
「そこまではね。険悪だったとは聞いてない。公爵もアーヴァに夢中になっていなかったから、恨みを抱いている節は小さいだろうね」
茶菓子を半分に割り、紅茶に浸らせて口へ入れたシエル。ファウスティーナも真似して食べた。此処にはシエルとヴェレッド、自分しかいないから可能な行為。
「先代夫人がアーヴァ様を嫌っていたのは、魔性の魅力のせいなんですよね」
話の流れとして凡その見当はついた。シエルは頷くと「でも」と始めた。
「それが却って先代夫人の矜持を傷つけた。娘の魅力に嫉妬する母親と、逆に彼女が社交界で嘲笑われた」
「……」
「リオニーが君を先代夫人に会わせたくないのは、君がアーヴァにそっくりだからだよ。自分の矜持をボロボロにした娘にそっくりな君を、大層嫌っているんだ」
――シエルからアーヴァと先代夫人の話をファウスティーナが聞いている最中、玄関ホールでは未だ言い争いが続いていた。
「リオニー!! 母親に向かってお前は何を言っているのか分かっているの!?」
「……何度も同じ事を言わせないでいただきたい。速やかに領地にお戻りください、母上。療養中の父上を置いてまで参加するものでもないでしょう」
「ふん! リオニー、貴女の魂胆は見え見えよ? わたくしをファウスティーナと会わせないようにしたいのでしょう!? あんな……っ、アーヴァに似た汚らわしい娘なんか……!!」
エルリカ=フリューリングは憎悪に染まった形相で涼しい顔を崩さないリオニーに食って掛かる。止めようとしてもリオニーに視線で制止されるリュドミーラは、ただただ震えるだけ。ファウスティーナを初めて見た時のエルリカの変貌振りは忘れられない。
母の後ろに隠されたケインは執事に戻りましょうと掛けられるも首を振った。
(こんな母上、初めて見た……)
最初は穏やかだった。急の訪問には驚いたが挨拶をしに来ただけだと語ったエルリカに何故かホッとするリュドミーラを怪訝に思ったのも束の間、ファウスティーナを出せと言われた瞬間母の様子が変わった。
此処にはいないと言った瞬間、エルリカもまた態度を一変した。
(……初めて尽くしの“5度目”だよ……本当に)
だが、以前から抱いていた疑問の答えを今見られそうな気がする。
読んでいただきありがとうございます!