気の問題
気のせいか、なんなのか。彼は苛ついている風に見える。愉しげに、嗤っている薔薇色の瞳は深奥に押し込める苛立ちを表に出さないよう、愉しんでいる体を装っている。
横顔を見ていると誰かと似ている。その誰かが、やっぱり分からない。よく知っている人なのだと直感が言っていても。
ただ今はヴェレッドよりもベルンハルドの反応。気持ちだけを優先して何1つ努力の兆しを見せないエルヴィラを取るのかと、彼は問うた。それに対し、ベルンハルドが何を言うか。皆、窺っている。
時間の流れが急速に遅くなっている。息をするのさえ苦しい。エルヴィラが期待の込めた瞳でベルンハルドを見つめている。
ファウスティーナもベルンハルドがどう言葉を返すか待っている。
「どうなの? 何も言えない? 図星だからかな」
「っ、そんな訳があるか」
「じゃあどうなの?」
「僕が優先べきなのはファウスティーナだ。だが、目の前で理不尽に責められているエルヴィラ嬢を放ってはおけない」
口元に弧を描いたまま、目を見開き――盛大に吹いたヴェレッドは片手で顔の半分を覆って大笑した。ギョッとするベルンハルドとエルヴィラから視線を逸らしたファウスティーナは内心やっぱり……と過った。
前の時“運命の恋人たち”と認められた2人。今は違う展開だとしても、運命によって結ばれているからベルンハルドはエルヴィラを放っておけないのだ。嫌という程知っていた筈なのに、現実になる度心が悲鳴を上げていく。
「ヴェレッド笑い過ぎだよ」
「だ、だってっ、む、無理っ。あ~もう最高だよ王太子様。君、俺を笑わせる天才だよ」
「ベル怒らないでね。怒っても効果はないから」
笑い過ぎて涙目になっているヴェレッドの頭を小突き、突っ掛かりそうだったベルンハルドを制止したシエル。蒼の瞳をシトリンへやった。
「公爵。ファウスティーナ様から聞いていると思うが、此処を出たら一旦フリューリング邸に寄ってから公爵家に向かうよ」
「戻らなくて結構だ。ティナ嬢はフリューリング家で預かる」
一触即発の気配を纏っていたリオニーが1歩前に出てシエルとシトリンの間に立った。両手を組んでいる指の力もなくなっている。青水晶の瞳をシトリンにやり、視線だけでいいなと無理矢理合意を取るとファウスティーナの所へ。
「この子がいない方が公爵家も静かなままだろう。10日後の建国祭が終わり次第、また教会に戻ったらいい」
「ま、待ってください!」
話が終わりを見せ始めたのに、ファウスティーナがフリューリング邸に滞在するのを快く思わないのがいる。声を上げたエルヴィラに周囲の目が集まった。視線にたじろぎながらもリオニーから目を逸らさなかった。
「お姉様は公爵家に戻るべきです! 建国祭の前に、親族の方が集まるとお母様が仰っていたのですから、長女であるお姉様が欠席でいい筈がありません!」
「欠席だ。私も欠席するしな。……この子はいない方がいい。お前もそう思うだろう? シトリン」
「……そうだね。どの道、親族会が行われる日はファナを君の所へ預けるつもりだったから」
「な、なんでですかお父様」
親族会とは、年に2度程ある家門特有の行事だ。先代公爵オールドの妹がフリューリング家に嫁いでいるのでリオニーも参加者名簿に入っている。ファウスティーナは親族会に毎年参加しているが大体挨拶をしたら退席させられていた。ケインも長々といたくないらしく、程々に残った後部屋に戻っていると聞く。歳の近い令嬢もいるから、会話が弾むエルヴィラは最後まで残っていた。
毎年第1回目はこの時期に行われるので、てっきり自分も参加するものだとばかり考えていた。リオニーもシトリンも参加させるつもりはないらしい。
すぐに退席しても挨拶くらいはしておかないと、とファウスティーナがリオニーやシトリンに言うと苦い顔をされた。
(も、もしかして私がいたら不都合な事が……?)内心不安を抱くとリオニーの手が頭に乗った。
「挨拶をしたらすぐに帰る。それでいいか?」
「私は構いませんが他の人達はなんと思うか……」
「……構わない。元々ティナ嬢をすぐに席を外させていたからそういうものだと認識してもらっている」
聞くとシトリンが事前に手を回してファウスティーナは長居させなくても良いようにしていた。滅多に会わない人達と長い時間いても苦にならないが気になってしまう。
外に出してもらえる回数も、限られた人以外との接触もファウスティーナだけ制限されてきた。女神の生まれ変わりという、ただ1人しかいない存在だから周囲は安全性を考え行動を抑えさせているのだと予想するが違う気がする。
今この場で発言するより、後に回し、詳細を知ってそうなシエルやリオニーに訊ねよう。
ファウスティーナが納得しても、エルヴィラは納得しなかった。
「お姉様はいるべきです!」
「エルヴィラ。ファナがいなくても君には関係ないじゃないか。親族会では、歳の近い娘達といつも楽しんでいるじゃないか」
「だ、だって、お姉様がいないと……」
不安を滲ませた紅玉色の瞳がベルンハルドへ向けられた。ファウスティーナがいないとベルンハルドは公爵邸に遊びに来てくれない。悪夢をどうにかするにはベルンハルドが必要不可欠なエルヴィラにしたら、死活問題なのだ。どうして視線を向けられたか分からないと困惑するベルンハルドに、ファウスティーナは近付きそっと耳打ちした。
「前にエルヴィラが悪夢に魘されていると相談しましたよね?」
「あ、ああ。それで僕や君が睡眠について調べた結果を話し合ったね」
「それが……エルヴィラは殿下に会えば悪夢がなくなると思っておりまして」
「僕に?」
理由を聞いて困惑を強くしたベルンハルドは首を振った。「エルヴィラ嬢、僕に会っても君の悪夢をどうにかする力は僕にはないよ」と。
「そんなことありません! ベルンハルド様でないとわたしの悪い夢は消えてくれません!」
「エルヴィラ嬢がそう思ってるだけだよ。フワーリン公爵やフリューリング女侯爵のような特別な力は僕にはない。だから、僕に会ったところで君の悪夢は消えないと思う」
「そ、そんな……わ、わたしは本当にベルンハルド様に会えば……っ」
唯一悪夢から解放させてくれるのがベルンハルドだと譲らないエルヴィラ。
理解してもらえない悲しみからまた泣き出してしまい、ベルンハルドは前に出かかった足を直前で押し止めた。
行くな、間違えるな、と頭の中で誰かの声が響いた。
もう、次はないんだ、……と声の主は泣いていた。
『頼むから……もう、間違えないでくれ……っ……私は、私は――
――ファウスティーナの側に、いたいんだ…………』




