たとえ違っても
「……」
半分開けた窓から小鳥の囀りが入り、冷たいながらも季節を感じさせる風が静かに吹き黒髪を攫う。朝早くから起き、2度寝する時間でもなかったのでベッドから降りて机に置いていた本を取った。
濃い青の表紙に題名が刺繍されていない、作者すらも明記されていない謎の本。
ページを開いても白紙。なのに、時間が経つと文字が浮かんだ。
表紙に戻ると金色の刺繍でされたタイトルが浮かび上がる。
『捨てられた王太子妃と愛に狂った王太子』という、物騒極まりないタイトルが。
「どんな意図でこんな本を……」
前髪を掻き上げる動作をして再び本のページを開いたケインはもう何度も読んだ文字を追っていく。
内容は何時見たって変わらない。
主人公はエルヴィラ、王子様はベルンハルド、悪役はファウスティーナ。
意地悪で平気でエルヴィラを虐める性悪なファウスティーナから守り、身分や立場のせいで結ばれないせいでお互いの恋は燃え上がり、最後はエルヴィラの殺害を企てたファウスティーナの企みを事前に察知して阻止。婚約破棄に公爵家勘当まで追い込んだベルンハルドはその後真に愛する人と結ばれ幸せになりました。
よくある恋愛小説風に書かれているが――ケインにとっては反吐が出る代物。
この本はケイン以外存在を見られない。1度、リュンに見せても文字は見えないタイトルも分からないと困惑された。目立つ場所に置いて家族に見られても皆リュンと同じ反応だった。
ケインだけが読める本。その意味を彼は知っている。
タイトルからして作成者の悪意というか、真意というか。様々な物が込められている。タイトルと異なる内容に普通の読者なら違和感を抱くだろう。後半になっていくにつれ、分かっていく。
「ネージュ殿下……最後の時、エルヴィラに何をしたのか俺は本当は知ってました」
ネージュに本の存在を話していない。
4度目の時、初めてベルンハルドとエルヴィラは王太子夫妻になって結ばれた。
そして、ケインが公爵となり、シリウスに“命の誓約”を捧げた。自らの命を代償に絶対なる忠誠を相手に捧げる。古き時代の名残の誓約をケインがしたのは、ベルンハルドとエルヴィラが王太子夫妻になるとなった時点で決めていた。
ループは今の4度目で終わらせる。ただ、自分は王となったベルンハルドに仕える気は更々ないと。反対の声は多数上がるも既に誓約は成立した後。反対しようが時既に遅く。事前に父にだけは話していた。
「ケインの好きなようにしなさい。ただ、後悔がないようにだけはしなさい」と言われた。
公爵となってからは他の考えをしたくなかったから、常に仕事に没頭した。領地運営、支援する孤児院の管理、シエルの元へやったファウスティーナの近況を知る等。エルヴィラについてはベルンハルドが気に掛ければ良いとなり、最低限の支援だけをした。
城からあれが欲しい、これが欲しいと送られてきても王太子妃の務めを果たせとしか返さなかった。
「王太子妃の務め、か」
ネージュにすれば、エルヴィラの出来る王太子妃の務めは王太子の子を産むことだけ。初夜から手を出した振りをして、最後の砦を守っていたベルンハルドを薬を使ってエルヴィラを襲わせた事でそれを奪った。以降は自棄になっていたと語っていた。ファウスティーナに会う為にエルヴィラとの関係は白いままでいたかったのだ。
エルヴィラ本人が自分に気を遣ってベルンハルドが待っていてくれているのだと聞かされた時は、さすがのケインも脱力した。何故自分の都合の良い解釈ばかり出来るのか。同じ血を引く兄妹なのに不思議でならない。正真正銘兄妹であるのは嫌でも分かる。
エルヴィラが母に似ているように、自分も母に似ているのだから。
見目の話じゃない、中身の話。
ページを意味もなく捲っていく。ある箇所で止めた。
「こんなのもあったね」
ラピスラズリで作られた首飾り、髪飾り、指輪といった装飾品を兄公爵から受け取った王太子妃は愛する夫と同じ瞳の色を持つ宝石をこよなく愛した。身に着けた姿を王太子に披露すれば、昔から注がれていた愛情が更に深くなり愛おしむように額にキスを落とされた。
「はあ」
これら全てがファウスティーナに贈られた物と知らないから、幸福の絶頂にいられた。思えば、エルヴィラが幸福だったのは最後ネージュに地下に放り込まれるまでだった。ある理由の為、1月城を留守にしていたベルンハルドを待ち続け、最後は“運命の輪”を回す前にネージュに地下に飼い殺しにされている元王太子の元へ連れて行かれた。
本に書かれていたからケインは知った。
「俺も薄情な人間だったんだ」
自嘲気味に笑うケインの姿をファウスティーナが見たら驚くだろう。常に無表情で笑みを見せるのは滅多にない兄の姿を。
紫がかった銀髪に瑠璃色の瞳を持っているから、元王太子の子を宿してもベルンハルドの子と言い通せる。エルヴィラが子を宿す前に運命はまた戻ると分かっておきながら放り込んだのは、ネージュが持つ苛立ちのせい。
「君はよく耐えられるね」と最後に言われたが慣れてしまっただけ。何度も苛立ちを覚えたが、此方がどれだけ言い含めてもエルヴィラは決して自分の意思を変えなかった。
ベルンハルドに愛されているのは、ベルンハルドを最も愛しているのは自分だと譲らなかった。
婚約破棄し、公爵家追放の原因を作ったベルンハルドは何度もファウスティーナの居場所を教えろとケインに迫ってきた。シエルの元へやった本人であるケインは当然教えなかった。必ずファウスティーナのいる所へ行くと監視を付けられていても、シエルの傍にいる男性が始末してくれていた。
これを知ったのは彼が真夜中書斎にいたケインの前に血で濡れた姿で現れ語ったからだ。
「あれには驚いたよ……」
人目を気にしての行動だろうが、真夜中に血塗れの男を見る羽目になった自分の心境も配慮してほしかった。心臓が止まるくらい驚いた。
声を上げないのはお嬢様とそっくり、と揶揄ってきたからファウスティーナも同じ目に遭っていたのだろう。
本を閉じたケインは窓に近付いた。空の明るさも増し、そろそろリュンが部屋に来て起こしに来る。
「10日後に建国祭か」
11歳の建国祭。前の4度目の際は女神の祝福によってベルンハルドはエルヴィラを連想させる花に纏わりつかれるようになった。逃げても逃げても追い掛けてくる花に恐怖を抱いていた。あなたが散々可哀そうだと言っていたエルヴィラですよ。何度言いそうになったか。
今の5度目。今回だけは何事も起こらないと信じたくても何が起きるか読めないのが世の理。特に、ネージュが何か企んでいそうな気がする。本人は何もしないと言うが油断ならない。
ファウスティーナとベルンハルド。この2人が結ばれる日は来ないのだろうか。
初代国王ルイスの名を与えらえたベルンハルドは、ルイスの生まれ変わりで女神の生まれ変わりと会えばルイスの記憶が戻ると運命の女神はケインに語った。
ファウスティーナの最初の対応が悪くてもルイスの生まれ変わりなら彼女を嫌わず、どんな彼女でも愛した。
しかし、実際は嫌い続けた。
何故? と問うたケインに運命の女神は薄く微笑んだ。
『簡単な話。彼はルイスの生まれ変わりじゃない。意図せず生まれてしまった紛い物……と言ったところかしら』
『つまり、殿下は偽物だと?』
『彼なら、きっとそう言うでしょうね』
2人が何度ループを続けても結ばれない最大の原因はベルンハルドがルイスの生まれ変わりじゃないからだと知り、別の疑問が生じた。生まれた洗礼を受けた際、女神の像が光った。王子の運命の相手は女神の生まれ変わりである可能性が非常に高い。ルイスと同じ髪と瞳を受け継いだベルンハルドだったから、余計高くなった。女神の像が光った理由は簡単だった。近くに本物のルイスの生まれ変わりがいたから。
誰か知っているのかと叫んだらケインもよく知っている相手だと告げられた。
シリウスでもない、シエルでもない、ネージュでもない。残る王族は先王と先代司祭だがこれも違う。公にされていない王子がまだいる。
一体誰なのか。
「それでも……」
空を見上げる瞳の表面は冷たく無に近い。最奥を覗き込めば違うと抱かせる。
「たとえ、運命によって結ばれていなくてもあの2人は結ばれてもいい筈なんだ」
想い合いながら、結ばれないから、最後は悲劇として終わってしまう。
読んでいただきありがとうございます!




