クラウドの問いかけ
朝食が苦手な野菜だらけのクリームスープは中々の苦行だったが、食べられない訳ではなかったので食べ方を工夫して完食した。ファウスティーナは自分は兎も角シエルにも同じメニューを出したリンスーに度肝を抜かれるも、出していいとサインをしたのは執事だった。先代司祭の代から仕えている執事はシエルを幼少期の頃から知っており、ファウスティーナが来てから普段の生活がマシになったので更に良くなってもらいたかったと。執事の差金だとシエルは気付いていたのか、食事が終わると執事を呼ぶも他の仕事が立て込んでいると逃げられた。苦笑するだけで追求も追い掛けもしなかったシエルは、2時間後に王都へ出発するとファウスティーナに残し、食堂を出て行った。私室に戻ったファウスティーナは部屋を見渡した。3年間お世話になっている部屋。今日でさようなら、でなくても、言い知れない寂しさがあった。荷物は必要最低限の物を持っていく。基本的に公爵家の自分の部屋の荷物は、ほぼ残っているので。着替えも要らない。持って行くのは【ファウスティーナのあれこれ】と書かれたノート、8歳の誕生日に母から貰った紫のアザレアの髪飾り、ベルンハルドから贈られたアザレアの押し花で作られた栞。読書も好きなファウスティーナにと、1年前貰ったのだ。ベルンハルド自身が作って形が不恰好でもファウスティーナにしたら一生大事にする宝物。本を読む時は必ずこの栞を側に置いた。公爵邸に戻っても本を読む時間はある。
真ん中まで進んでソファーに座ったファウスティーナはリンスーを見上げた。
「時間が来るまで何をしようかな」
「そうですね。支度は終わりましたし、他に用事もありませんので……また屋敷の周辺を周りますか?」
「うーん……そういう気分でもないの。……あ、時間まで司祭様がお仕事してる所こっそり見に行こうかな?」
「ご迷惑をお掛けするのでは?」
「だよねえ……」
分かっておきながら言い出したのは他に何も思いつかなかったから。読書をしたい気分でもない。思い付きで口にした。困ったと頬に触れると扉が叩かれる。リンスーが対応すると入って来たのは意外過ぎた相手――暇そうだね、と笑うヴェレッドだった。
オズウェルやメルセスに注意されてもノックしないで毎回部屋に入って来るヴェレッドがノックをした? 衝撃的過ぎてファウスティーナは固まった。手を目の前で振られ我に返ると不貞腐れた顔が映り後退りをした。
「び、びっくりするではありませんか」
「お嬢様酷い。俺が来たのが嫌だったの」
「嫌ではなくて、いつもと違い過ぎてびっくりして」
「ああ、うん、公爵家に置いて行かれるから我慢してお利口さんにしておこうかなって」
「成る程?」
行動の変化はリンスーがいるからみたいで。彼女からヴェレッドの不敬行動を両親に報告されるのは困る。よくよく思い出すとリンスーが来てから不敬行動はしていない。リンスーの目が届かない範囲ではしている。
婚約破棄を願うファウスティーナの数少ない協力者。いざという時の為に近くにいてくれた方が助けに繋がる。
ヴェレッドは暇そうにしているであろう事を見抜いて誘いに来たのだとか。
「今日来る貴族はフワーリン公爵家のお坊ちゃんだよ」
「というとクラウド様ですね」
「だったかな。お嬢様知ってるんでしょう? 顔見に行く?」
「そうですね……」
個人的に親しいのはファウスティーナではなく、兄ケインの方。常にふわふわとした笑みを浮かべ、何を考えているのか読めない。彼が運命の糸を操作可能なイル・ジュディーツィオと思い出したものの、知る筈のない自分が口走ったら知っている理由を問われる。ヘマはしないと誓ってもうっかりな性格が災いする場合もある。
が、気になるのは気になる。シエルはクラウドと後3人の祝福を終えれば司祭の服を脱ぎ、残りはオズウェルが引き受ける予定となっている。
「お兄様がお世話になっていますし、ご挨拶をしに行きます。行こう、リンスー」
行くと決め、リンスーに声を掛けてヴェレッドと一緒に教会へ向かった。今日も大勢の平民の人々が列を成して神官の祝福を授けてもらっている。大きな扉が見えてくると見慣れた姿を発見。
純銀の髪に絶世の美貌の男性はシエル。視線が下にいっている。更に近付くと紫紺色の瞳を輝かせシエルを見上げている少女がいた。瞳の色と蜂蜜色の髪……該当するのはルイーザ=フワーリン。クラウドの2歳離れた妹である。ルイーザはシエルを慕っている。目が他にシエルを慕う女性達と同じだ。すぐ近くにルイーザへ困った笑みを見せる同じ色の髪と翡翠色の瞳をした少年クラウドがいた。
「あーあシエル様。幼女に言い寄られて鼻の下伸ばしてる」
「そうですか? どちらかと言うとルイーザ様を微笑ましく見ていますが」
「付き合いの短いお嬢様には分かんないよ」
言われるとぐうの音も出ない。付き合いで言うとヴェレッドが圧倒的に上。シエルのどこを見ても鼻の下を伸ばしている風には見えない。クラウドがルイーザを引っ張って行きたそうにしている。シエルを慕うルイーザからしたら、年に何度もない機会を簡単に手放したくないのだろう。
きっとエルヴィラも同じ気持ちなのか。決まった日に来るベルンハルドの元へ駆け付けるのは、恋心からか。
「嘘だけどね」と最後に付け足したヴェレッドに今度は項垂れない。シエルが誰かに対し鼻の下を伸ばすなんて考えられないから。
「あ」
クラウドの翡翠色の瞳がファウスティーナ達の方へ。此方に来る。1度ルイーザに振り返るもシエルに夢中でクラウドが移動しているのに全然気付いていない。再度歩みを進めやって来た。
「やあ、ファウスティーナ様」
「ご機嫌よう、クラウド様」
「ルイーザが司祭様から離れたがらなくて困ってたんだ。僕を思い出すまで話し相手になってくれないかな?」
「私は構いませんが時間は良いのですか?」
「気にしなくていいよ。やれやれ、母上や父上がいないからルイーザも遠慮がない」
本来なら公爵夫妻も同行予定だったのに、急用が発生し来られなくなった。代わりにルイーザが行くとなったが目的がシエルなのは丸見えだった。信頼の置ける執事が一緒だから問題なく、執事はルイーザに何度か言葉を掛けているが聞く耳を持ってもらえない。
「司祭様を前にするとああなるから、早いとこどうにかしないとね。ルイーザは侯爵家との縁談が来ているし。司祭様は子供の頃の思い出にしてもらわないと」
「でも、恋をする女の子は輝いて見えます」
「君は?」
「へ」
「君はどうなの? ファウスティーナ様」
何を考えているか分からないふわふわとした笑みが向けられる。
「ベルンハルドに恋焦がれるエルヴィラ様も君は輝いて見えるの?」




