仮の話は、仮のままになるのか?
仮の話をしようとシエルは壁に凭れた。
「もしも、ファウスティーナとベルンハルドの関係が今とは反対だったとしよう」
「ああ、お嬢様自分は性格が悪い子だったって言ってたもんね。一応、お嬢様の場合はあの公爵夫人のせいだって言ってあげたんだけど」
「周りが言っても本人がそう感じないと変わらないよ」
リュドミーラのエルヴィラ贔屓は離れた場所で暮らすシエルの耳にも入っていた。現実に、7歳の誕生日の祝福を授けた時目撃している。教会の周辺に設置された花壇に咲く花。それを帰る前に見たいと言うファウスティーナに時間の無駄だと、我儘を言うなと叱責し、剰えシエルの前でファウスティーナの頬を打ったのだ。
ヴェレッドは現場を目撃していないが想像だけは容易に可能だ。実際にいたら大笑いしたいのを堪えて殺気を溢れさせたシエルを止める側に立っていただろうが。
暫くファウスティーナを保護していたが、シリウスに話が行き、公爵夫妻――特にリュドミーラは――厳重注意を受け、シエルはかなり渋々ファウスティーナを返す羽目になった。
そこから状況が良くなったかと言えば――あまり変わらなかった。変わったのはファウスティーナの方。変わって良かったのかもしれない。確かにエルヴィラばかりが甘やかされているから、羨ましがっているとは感じていた。ベルンハルドが来ると必ず先にエルヴィラがいると言っていたから、ファウスティーナが変わる前だったらきっと彼女は母親だけではなく婚約者まで奪われると焦ってエルヴィラを追い払っただろう。
「王太子様は優しいから、そんな事をお嬢様がしたら印象は悪くなる。初対面の印象はとっても大事だよ。どっかの王様はそれを失敗したから、シエル様に嫌われる羽目になってるけど」
「どうでもいいよ」
心底、と言った風に。シエルは即話題を戻した。
「あの子とベルンハルドの関係があの子が変わったのが大きな理由なら、変わる前のあの子にベルンハルドが会っていたらそうなっていただろうね」
「そうだったら、シエル様は今みたいに王太子様の味方をしてた?」
「ふ……ねえ、ヴェレッド。どうして私がファウスティーナを大事にしない連中の為に丁寧に接してやらねばならないの?」
久しぶりにヴェレッドも味わわされたシエルの無情ぶり。1度懐に入れた人は一生大事にするシエルだが、ひとたび不必要と判断されれば懐から出され、一切の情け容赦を無くされる。口元が引き攣る。甥のベルンハルドでさえ、ファウスティーナにとって害にしかないと判断されれば切り捨てられる。シエルは気にもしない。道端に捨てられている塵と同じ。踏み潰そうが通り過ぎようが気にする必要のない物。
シエル自身がどうでもいいと判断されたものは全て不必要。
ヴェレッド自身が最も恐れる事。
「は、はは……。……シエル様はとっても怖い、でも殆どの奴等は知らない」
「皆、この見てくれに騙されるからね。で、ヴェレッド。君はベルンハルドはエルヴィラ様がお似合いだと思ってるの?」
「さあ? 王太子様のお嬢様好き好きオーラは見てるだけで面白い。妹君の王太子様大好き振りも見てて楽しい。でもねえ……」
左襟足を左手の人差し指に巻いて弄る。手入れをきちんとしているから痛みはなく、艶やかである。
「王太子様の運命の相手がお嬢様の言う通り妹君だったら、面倒なんだよねえ」
「何の心配?」
「内緒。でも、仮にそうなったら第2王子様かシエル様に嫁がされちゃうね。シエル様とお嬢様が親子だって知ってる王様がする訳ないけど」
「そうなったら、リオニーに殴られるのを覚悟で私があの子を貰うしかないねえ」
壁から離れ、ファウスティーナの部屋に入って行ったシエル。ヴェレッドと違ってちゃんとノックをし、入室の許可を貰ってから。
髪を弄るヴェレッドは半笑いを零した。
「……王太子様がルイスの生まれ変わりでなくても、お嬢様を好きなのは変わらないんだ。お願いだから変な真似はしないでよ。
――イル・ジュディーツィオも運命の女神も」
指から髪を離した。くるくる巻いて遊んでも元通りになった。
初代国王ルイス=セラ=ガルシアの生まれ変わりの王子が女神の生まれ変わり以外の女性と結ばれる事は決してない。有り得ないと断言してもいい。
ファウスティーナの夢の世界では、最初が悪かったせいでベルンハルドに嫌われたと語った。これこそが有り得ない。
そして、だからこそ断言するのだ。
ベルンハルドはルイスの名を付けられたがルイスの生まれ変わりではない、と。
●○●○●○
11歳以降の記憶を無理矢理思い出すのは止そうと、するなら夜中にしようと決めたファウスティーナはリンスーに具合が悪くなったのを気付かれずホッとした。些か顔色が悪いと心配されるも気のせいだと誤魔化した。とても元気だと。朝の身支度を終えるとタイミング良くシエルがやって来た。ノックをするのはヴェレッドと違う。すっかりと慣れたが彼にも見習ってほしい。
「おはようファウスティーナ様」
「おはようございます、司祭様」
「今日は王都に戻る日だけど、出発は昼からになる。まずは朝食を一緒に頂こう」
「はい!」
手を差し出され、慣れてしまった為に普通に乗せてしまった。シエルを慕う女性から見たらファウスティーナの位置は喉から手が出る程欲しい。過激な部類に入る女性達が危害を加えるのも、分かりたくないが分かってしまう。ベルンハルドの愛を得ようとエルヴィラに危害を加えていたから。
一緒に食堂まで行き、既に席に座って待っていたヴェレッドの隣にシエルが座り。ファウスティーナは2人の向かいに座る。これもいつもの風景。
「今日は祝福を授かりに来る貴族が多い日だけど、昼からはオズウェル君が代わりに司祭の仕事をしてくれるから君は安心して準備をしておいてね」
「司祭様が来て大丈夫なのですか?」
「大丈夫大丈夫。助祭さんは、私の代わりをするのは慣れてるから」
寧ろ、自由奔放過ぎるシエルに慣れざるを得なかったような気がする。
「公爵家に行く前にお城に行くとは言ったけど、その後もう1箇所寄りたい所があるけど良いかな?」
「私は構いません。何処へ行くのですか?」
「君もよく知るリオニーのところさ」
リオニーは父シトリンの従姉。女性ながら侯爵位を賜り、更に栄誉ある上級騎士の1人。女性なのに騎士に就くリオニーを蔑んだ騎士は全て本人によって完膚なきまでに倒されている。常に多忙で年に数度会えれば良いリオニーと最後に会ったのは何時だったかと思い出していると「シエル様」とヴェレッドが欠伸をしながら会話に入った。
「大事な話しなきゃ」
「ああ、そうだったね」
「大事な話?」
「そう。建国祭が終わるまで君を一時公爵家に戻すだろ? 君に何かあった時の為に、1人置いて行こうと思うんだ」
先日の『リ・アマンティ祭』の事を言っているのだろう。しかし、屋敷には腕利きの護衛がいる。教会関係者を置いて行かなくてもとファウスティーナは言うがシエルは首を振った。
「念には念を、だよ。ああ、誰を置いて行くか不安なら今言っておくよ」
「はいはい、俺だよ置いて行かれるの」
「え」
態とらしく泣き真似をするヴェレッドの頬を摘んだシエルが微笑む。よくシエルに内緒の頼み事をされるヴェレッドが公爵家に置いて行かれる? 只者ではないと薄々感じてはいるが、父が許すかどうかだ。不安を読み取ったシエルが「安心しなさい。公爵には私が話を通しておくよ」と告げられる。父は良いかもしれないが、母やエルヴィラはどう思うだろう。
「お母様は反対しそうですが」
「ああ、公爵夫人ね。それと妹君もか。あの2人俺が苦手みたいだね。特に妹君は、王弟殿下が誰かって言ったのを俺が大笑いしたから余計に」
「は?」
あの場にいたのはファウスティーナ、ヴェレッド、そしてケインがいた。ケインが両手で顔を覆って固まっている姿を見たのはアレが初めてだった。信仰教育で習ったばかりの内容を忘れたエルヴィラに流石のケインもショックを受けていたのだ。この事は他の誰にも話してなかったから、当然シエルは知らない。ヴェレッドが言わなければ知らないままだった。
慌てて別の話題に切り替えようにもヴェレッドが全て話してしまった。やれやれと苦笑するシエルは綺麗な微笑を浮かべたままファウスティーナに向いた。
「安心しなさいファウスティーナ様。エルヴィラ様にも公爵夫妻にも言わないから」
「す、すみません」
「ふふ。今年の公爵令嬢は実に対照的だった。フワーリン家のルイーザ様はとても積極的だったのに対し、エルヴィラ様は終始退屈そうにしていた」
「も……申し訳ありません」
隠れて様子を見ていたファウスティーナも知っている。シエルを慕うルイーザは、少しでも印象を良くしようと真面目に話を聞き、質問も沢山していた。反対にエルヴィラはシエルの説明中ずっと退屈そうにし、終わるとすぐに席を立った。止めたかったが自分が行けば過剰に反応されて場の空気を悪くしてしまう。
謝らなくていいと言われても身内の行いを聞けば当然の行為だ。
朝食が運ばれてきた。焼きたてのパンにサラダ、メインのクリームスープ。……が、クリームスープを見たファウスティーナとシエルは固まった。
ヴェレッドも「何その緑色」と嫌そうにした。
2人のクリームスープだけ、やけに緑が多い。朝食を運んだリンスーに訊ねると。
「司祭様とお嬢様の野菜嫌いを治す為です」
「……」
「……」
細かく刻まれたブロッコリーと沢山入れられたグリーンピース。ひよこ豆も入っていると言われてもグリーンピースの方が割合的にも多い。
ヴェレッドの方は、一口サイズに切られたブロッコリーと適度に入れられたグリーンピースとひよこ豆である。こちらはクリームスープの名の通りの色である。
「お嬢様とシエル様だけ、クリームスープというかグリーンスープだよね」
「交換しようか」
「絶対やだ」
自分のクリームスープを守ろうと皿を持ち上げシエルから遠ざけた。
「リンス〜」
「駄目です」
「……うう……」
ブロッコリーは細かく刻まれているからまだマシ。問題はグリーンピース。沢山入り過ぎている。独特のドロッとした食感が苦手なのに。シエルが苦笑しながらスプーンをスープに入れたのを見て、ファウスティーナも食べようとスプーンを手に持った。
読んでいただきありがとうございます!




