21 物事が上手くいく時はあまりない
※2020/4/16
サブタイトルを一部変更しました
目を覚まして最初に見たのは黒。暗闇と静けさに包まれた世界を覚醒していない意識で眺める。喉が異様に渇いていた。水が、全身に冷たく巡る水が欲しい。上体を起こそうとして知った、重りを付けたように重かった。ベッドから降り、手を前にして歩く。足元にも神経を尖らせ慎重に。手が冷たく固い物に触れた。さわさわと感触を確かめ、それがドアノブと判断し、下に動かした。音を立てないように扉を開けた。壁に飾られている灯りのお陰で薄暗くても廊下が見える。
「ふわあ~……今何日なんだろう」
喉の渇きと体の重さから、何日間かは眠っていたと推測出来る。う~ん、と体を伸ばしたファウスティーナは両頬を引っ張って眠い意識を覚まさせ、扉を閉めて厨房へ向かう。外の様子からして真夜中といった辺りか。誰も起きていない。
廊下を真っ直ぐ歩き、エントランスに出てそのまま真っ直ぐ歩く。また廊下に入って4つ目の大きな扉を開けた。厨房内は真っ暗。扉を開けたままだと薄暗いが微かに灯りが入るので、夜目がきく方のファウスティーナはある程度見える。拭かれたグラスを手に取り、水道場から水を出しグラスに注いでいく。水の流れを止め、注いだそれを一気に飲み干した。
「ふうー。はあー、生き返る」
生命の源である水を摂取したファウスティーナは使ったグラスを洗って元の位置に戻した。使ったまま流し台に置くとリンスー達侍女の仕事が増える。
厨房を出ると扉を閉め、来た道を戻って行く。ふと、下を見た。今ファウスティーナが着ているのは寝間着。お茶会のドレスのままな筈がないかと前を向いた。
「やっぱり、ちゃんと前もお茶会あったんだ」
夢で見た。王妃の主催したお茶会でベルンハルドに親しげに声を掛けられたエルヴィラに嫉妬して、城の侍女が運んだカシスジュースを全部エルヴィラに掛けたのだ。ベルンハルドの誕生日パーティーでは葡萄ジュースを掛けていた。ジュースを掛けるのが好きだったんだなと今更ながら思う。ジュースの材料となる果物を育ててくれた果樹園の人達に申し訳ない事をした。
そこからは、当たり前な話ベルンハルドには更に嫌われ、またジュースを掛けられたエルヴィラは泣いて、駆け付けたリュドミーラには大説教を食らった。自分は一切悪いと思わない、ベルンハルドに近付いたエルヴィラが悪いと開き直ってそっぽを向いた。間に困り顔のネージュが入るのだが……そこから先をファウスティーナは覚えていない。夢もその先を見られなかった。
私室の近くまで来ると扉が開いていた。違和感を覚えた。
「! そっか、扉が開いてるからだ」
厨房へ行く前に扉はちゃんと閉めた。
窺う様に中を覗くも誰もいない。戻る道中誰にも会わなかった。
「閉めたと勘違いして開けたままだったかも」
中に入って扉を閉めた。再びベッドに戻ると目を閉じた。
目を閉じていれば、眠くなくてもその内眠れる。
「詳しい事は朝になってからお兄様辺りに聞こう」
水分を摂取したファウスティーナはそれから10分も経たない内に眠った。
夢は見なかった。
*ー*ー*ー*ー*
――いない……
――どうして、ずっと眠っていたのに……っ
――何処へ行ったのっ
キャンドルスタンドを持って真夜中の邸内を歩き回るリュドミーラは、4日前突然倒れたファウスティーナを探していた。
王妃主催のお茶会で突然謎の高熱を発して倒れた。数ヵ月前、王太子ベルンハルドと婚約者としての顔合わせをした当日にも倒れている。国随一の医師が診察しても原因は分からず。今回も原因が分からないと首を横に振られた。
原因不明の高熱で2度も倒れている。遠い昔、王家と姉妹神が交わした誓約の為とは言え、ファウスティーナを王太子の婚約者のままにするのは難しくなった。この4日間、夫シトリンは王シリウスと王妃シエラと秘密の話し合いをした。ヴィトケンシュタイン家に空色の髪・薄黄色の瞳の女性が生まれたら、必ず王族と婚姻を交わさせる。それが王国の決まり。例外はない。
ファウスティーナはずっと健康だったがベルンハルドと出会ってから急に倒れる様になった。頻繁じゃない。たったの2回。その2回がどちらも命に関わるもの。ヴィトケンシュタイン家の当主ではなく、父親として娘の為にベルンハルドとの婚約を白紙にしてほしい。これがシトリンの願い。
だが――結果は婚約継続。
ファウスティーナ以外にも次期王太子妃になるに相応しい令嬢はいる。ラリス侯爵家のアエリアがファウスティーナの次に相応しい。もしもファウスティーナが誓約に組み込まれた要因を持っていなければ、ベルンハルドとの婚約は破棄され、次にアエリアが選ばれたであろう。
どんな事情があろうとファウスティーナとベルンハルドの婚約を継続させる。これがシリウス――王が下した判断。隣に座るシエラは苦しげで悲しげな表情でシトリンに対し謝罪した。
ごめんなさい――と。
今日の夕刻戻ったシトリンの疲労にまみれた様子にリュドミーラは言葉を失った。でも、すぐに気持ちを切り替えシトリンを労った。王が下した決定には逆らえない。
分かっていても……憤りを消し去ることは出来ない。
ヴィトケンシュタイン家の娘はファウスティーナだけではない。エルヴィラもいる。シトリンにファウスティーナの代わりにエルヴィラを王太子殿下の婚約者に勧めてはとリュドミーラは言った。けれど、王家が欲しいのはファウスティーナ。それ以外は認められない。
「此処にもいない……っ!」
リュドミーラはファウスティーナが行きそうな場所を探し回る。真夜中でも夜目がきくのと灯りがあるので探せる。じぃーっと花を見つめるのが好きなファウスティーナは、庭にいる時も多い。
しかし庭にもいなかった。
邸内に戻り、一旦自分を落ち着かせるべく深呼吸をした。
最初に倒れた時ファウスティーナの看病もしなければ見舞いにも行かなかった。リュドミーラ自身、ケインやエルヴィラ以上にファウスティーナにだけ厳しいとは自覚していた。生まれた時からあの子は将来王妃となると決まった子。なら、母親として自分が出来るのは王妃になるに相応しい子にすること。次期公爵であるケイン同様、かなり早い内から淑女教育、厳しく辛い王妃教育を耐え抜く為の教育を施した。何度も隠れて泣いているファウスティーナを見ていた。傍に駆け寄って慰めてあげたかった。けれど、その辛さを乗り越えてほしいという気持ちが勝ってしまい、今まで一度もファウスティーナを慰めた事も褒めた事もない。その代わりをするようにシトリンがファウスティーナを慰め、褒めていた。
シトリンから何度も苦言を呈されていた。
『エルヴィラのようにとは言わないが、もう少しファナにも優しくしてあげなさい。あの子は十分努力しているよ』
ケインは歳の割に大人びており、何事も卒なくこなすので褒める部分はあっても叱る所が殆どない。
エルヴィラは……ファウスティーナを甘やかせない分を補うように甘やかしてしまっていた。ケインやファウスティーナが年齢の割に出来が良すぎるせいでエルヴィラは駄目な子の印象が強い。
違う、エルヴィラは普通の子。普通だから、上2人とはペースが違う。あの子はあの子のペースでやらせればいい。そう思っていた。
「……」
現実は違った。
ファウスティーナは母親に何か言われる度に噛み付く様に反論した。
だがそれも、ベルンハルドとの顔合わせの日に倒れて以降はなくなった。その代わり、母親に対して無関心になった。顔を合わせれば挨拶はする、話し掛ければ対応はする。でも、それ以外は無関心だった。ファウスティーナに話し掛けようとしても無関心な瞳を思い出し、また、何を話せばいいのか分からず出来ないでいた。
お茶会で着るドレスだって本当はリュドミーラ自身が用意したかった。だが、ファウスティーナは王妃にデザインを頼んでしまっていた。
晴れた冬空のような青銀のドレスとファウスティーナの髪色はとても似合っていた。リュドミーラは春の色を取り入れたドレスにしたかった。ファウスティーナは春の季節が好きだから。
後、ファウスティーナはエルヴィラに対しても何処か無関心になっていた。何度かエルヴィラがファウスティーナのせいで泣いていたと思い、将来王妃になる子が実の妹を虐めるような人間にはなってほしくなくて叱っていた。叱られる度に自分は悪くないと睨んでいたファウスティーナはいなくなり、逆にもう関わるなと突き放された。それ所か、母親以外にも頼れる大人の女性はいると言う始末。思い当たる人物はいる。ヴィトケンシュタイン家に仕える使用人も当てはまるがシエラの事を言っている気がしてならなかった。王妃教育が始まってから、夕食の席で毎日シエラとのやり取りを聞かされた。
お茶会当日エルヴィラに泣き付かれた際、現場を目撃していたリンスーに話を聞くもあまりにもエルヴィラは泣いてお姉様がっ、お姉様がっと叫ぶのでファウスティーナが何かしたのだと判断してしまった。
判断して……母娘の溝は深まった。
埋める機会は来るのだろうか。
リュドミーラは来た道をもう一度戻ってみた。ひょっとするとファウスティーナと出会うかもしれないからと。最初のファウスティーナの部屋近くまで来ると部屋の扉が閉まっていた。
最初に倒れた時出来なかったファウスティーナの看病をずっとし続けていた。何を言っても言い訳にしかならないが、ファウスティーナが最初に倒れた時エルヴィラの様子が可笑しくなった。寝ても覚めても怖い夢に追われている。助けてお母様と毎日泣いていた。
ファウスティーナも心配だがエルヴィラも心配。
ファウスティーナには専属侍女のリンスーや他の侍女達が看てくれている。
ファウスティーナにはリンスーを初めとした侍女達が交代で看病をしてくれている。エルヴィラが頼っているのは母親である自分。この子を1人にはしておけないと、エルヴィラに付きっ切りになりながらファウスティーナの容体を聞くだけとなった。
これについては後からシトリンに指摘されるも、どうしてもエルヴィラを放っておけなかった。
「あ……」
ファウスティーナの部屋の近くまで来た。扉は閉められていた。違和感を感じた。
最初不意に目を覚ましたリュドミーラは、こっそりとファウスティーナの様子を見るべく部屋を訪れた。しかし、眠ったままだったファウスティーナがベッドからいなくなっていた。血相を変えて部屋を飛び出した。その時、扉は閉めなかった。閉めるという動作が頭にはなかった。
音を立てないよう開けて中に入った。蝋燭に灯る炎が室内の様子を映した。先程いなくなっていたファウスティーナが眠っている。駆け寄って額に手を当てた。熱はもう下がっている。嫌な汗も出ていない。呼吸も安定している。顔色も良い。
ほっと息を吐いたリュドミーラはファウスティーナの唇が濡れているのに気付いた。まだ目覚める気配がないと医師が診断した為水差しを置いていなかった。目を覚まし、水分を求めて厨房へ行ったのではないだろうかと推測する。
「……」
きっと朝にはまた目覚めてくれるだろう。ファウスティーナの体調を確認しつつ、今後の事を話さないといけない。夜眠る前にシトリンはこんな事を話してくれた。
『ファナとベルンハルド殿下の婚約の件を、明日もう一度陛下と話してみるよ』
『ですが、陛下が下した決定なら貴方がいくら説得しても』
『僕と陛下は幼馴染なのは知ってるよね? 陛下の事はよく知ってるつもりだよ。あまり使いたくないけど、陛下の苦手なあの人を呼び戻すと言えば耳を傾けてくれると思うんだ』
『あ、あの方をですか?』
『うん。ああ、リュミーも苦手だったね。僕は身内だから慣れてるけどやっぱり他の人はどうしても苦手意識を持ってしまうみたいだね』
シトリンの言うあの人を苦手としない人は果たしているのか。シトリンとシリウスが幼馴染なのは同年代の貴族は皆知っている。知っているからこそ、あの人を交渉の材料に使われるシリウスに同情を抱いた。
決して悪い人ではない。ないのだが……性格と言動に問題があり過ぎるので、まともに付き合えるのが身内であるシトリンや先代公爵夫妻だけ。
「陛下が話し合いに応じて下されば良いのだけれど」
眠るファウスティーナの頬を数度撫でて、リュドミーラは部屋を静かに出て行った。
――翌日、目覚めたファウスティーナはまず第一に「お嬢様ああぁ~!」と泣きながらリンスーに抱き付かれた。慌てつつ、心配掛けた事を謝った。聞くと4日間眠り続けていたのだとか。前の時より日数は短くても2度目。大いに心配された。
「あ! お嬢様が目覚めたと旦那様達に知らせて来ます!」
「その前に水をちょう……行っちゃった」
水が欲しかったものの、大慌てで部屋を飛び出したリンスーには最後まで言えず。次に入って来た侍女長が目覚めたファウスティーナを見て心底安堵した顔を見せてくれた。
「お嬢様、お体に異変は?」
「ちょっとだけ体が重い以外はないよ。後、お水が欲しい」
「ずっと眠り続けていたせいでしょう。すぐに持って来ますね」
丁寧に頭を下げて部屋を出た侍女長を見送ると体を後ろに倒した。
「アエリア様とお話できないかしら……」
初対面の相手に対し、久し振りに会った顔見知りのように話し掛けたアエリア。彼女はファウスティーナが探している自分と同じ記憶持ち。どうして彼女がと考えるが、公爵家を勘当された後を知らないし覚えていない。もしかすると自分が死んだ理由をアエリアは知っているかもしれない。
後、2度も倒れ眠り続けたのだ。王妃からの評価が良かろうと健康が不安定な令嬢を何時までも王太子の婚約者にはしない。
もうすぐリンスーが呼んだ父シトリンが来てくれるだろう。その時に聞こう。ベルンハルドとの婚約がどうなるか。また、万が一婚約継続と返されたらこんな体で次期王太子妃を務める自信がないと言い切るのだ。
「……これよ。泣いて直談判するよりよっっっぽど効果的よ。よし、これでいこう」
ベッドの中で早く父が来ないかと待ちわびるファウスティーナだが、この後婚約は継続、解消は決してしないと王が決定を下したとシトリンに告げられて暫く石化したのは言うまでもない。
読んで頂きありがとうございます!
次回から新章「婚約破棄まで~運命=呪い~」の開始です。
タイトルからして物騒ですがこちらも気長にお付き合い頂けたらと思います。
後、間になんか挟もうかなとかどこかで呟いていましたが次に挟むことにしました。