2 ループの記憶を持つ3人ー溜め息の数だけ、幸福は逃げていくー
王宮内にあるサロンの1つにて、ネージュを待っているケインは出されたお茶や菓子に一切を手をつけず、同じ姿勢を保ったまま。
妹のファウスティーナが王太子の婚約者だから、兄である自分は王子達の話し相手となっている。ベルンハルドはここ数年、ファウスティーナに会いに南にある教会へ行くのが恒例となっている。教会にはシエルがいるから、ベルンハルドにしたら、婚約者と叔父がいるそこへ行かない理由はない。余程の理由がない限りは行きたいだろう。
ループ5度目にして初めて起きた“女神の狂信者”による襲撃。それも、魅力と愛の女神リンナモラートと深く関わりのある祭り『リ・アマンティ祭』で。彼等は基本的に表舞台に姿を現さない。遠い昔から女神に固執し、女神の生まれ変わりを狙っている。詳細な目的までは知らない。謎が多い連中である。ヴィトケンシュタイン家には、連中に関する書物が幾つか保管されている。
そこで知った。一定の期間を経て生まれる女神の生まれ変わりがファウスティーナが生まれるまで随分な時間を要した事を。理由が――前の生まれ変わりが連中によって殺されてしまったからだとも。
今回の5度目にして、漸くファウスティーナとベルンハルドが結ばれる未来が見えてきた。まだまだ油断大敵だが、今までのようにはならない。
今までファウスティーナが教会に移り住んだのは、王城にてベルンハルドに言い放たれた言葉のせい。だが、今回はそれがない。今のベルンハルドなら、最後の止めの言葉は決して放たない。
「信じよう……」
ケインは静かに紡いだ。
問題は山程あるが、あの2人に関したら一先ずは安心していい。
大問題なのはエルヴィラだ。
「はあ……」
「溜め息ばかり吐くと幸せが逃げるらしいよ?」
「……」
やっと待ち人が来た。視線を向けたケインは、一緒にいた少女に微かに瞠目するもすぐに普段に戻った。
ネージュは一緒にやって来たアエリアをケインの隣に座らせ、自分は2人の向かいに座った。
ネージュの侍女ラピスがネージュとアエリアの前にハーブティーと紅茶を置いた。ケインにも新しい紅茶を淹れた。ラピスが退室し、室内には3人だけとなった。護衛は扉の外に待機させている。入る前にネージュが伝えていたのだ。
「こうやって3人でいるのは、何時以来かな」
「……何故、アエリア様を連れて来たのです」
今度は違う意味の溜め息を吐いたケインがネージュに問うた。
答えたのはアエリアだった。
「あら? いけませんの? ネージュ殿下のお誘いに応じただけですわ」
「うん」
「そうですか」
熱々の紅茶を淹れられたティーカップを持ち上げたケインは縁に口をつけ、そっと琥珀色の飲み物を喉に通した。熱いので少量ずつ流していく。今日は無糖より、砂糖を入れて飲みたい。ティーカップを置いて砂糖の小瓶を引き寄せた。蓋から四角型の砂糖を摘み、琥珀色の水面に落とした。徐々に溶けていく砂糖を見つめながらアエリアに問うた。
「此処にいるという事は、貴女にもあるのですか?」
敢えて、何が、とは聞かない。
「ええ。ありますわよ。そうでなければ、私今頃王妃になろうと励んでいましたもの」
「……」
アエリアは乗った。そして、出されたクッキーを指で掴み顔の近くまで持ってきた。
「公子、私貴方に聞きたい事が」
「何をでしょう」
「どうして王太子とファウスティーナ様の仲を擁護するのです? ス……エルヴィラ様と王太子が以前、どんな関係になったかお忘れに?」
「いいえ」
王国で最も幸福な男女“運命の恋人たち”となる。どの最初を含めたどのループでも、それは起こった。
幸福になったのはたった1人だけ。
「確かに今のファウスティーナ様と王太子の関係は、以前とは全く違います。ですが運命の糸は既に決まっているのですよ。このままだと」
「……何を言いたいかは分かりますよ、アエリア様。ただ、今回はそうはならないかと」
「何故です?」
話すべきか? ――否。
アエリアがループに巻き込まれたのは、最後に同じ場所にいたからだ。たった1度のループしか体験していない彼女に自分とネージュが今5度目のループに入っていると言えば、否応なく巻き込んでしまう。現在進行形で巻き込んでいるが、深層領域にまで踏み込ませない。敢えて、アエリアと同じ状態だという体を装い話を通すしかない。
ケインはそっとネージュを見た。貼り付けた笑みを浮かべてはいるが声無き声は届いていた。小さく頷き返された。
「もしも、今回も王太子殿下とエルヴィラが“運命の恋人たち”になってしまったとしましょう。フォルトゥナが結んだ運命の糸を唯一断ち切れる存在がいるのをアエリア様もご存知でしょう?」
「……ええ」
貴族で最も権力と財力を持っていたのはグランレオド家だった。現在は大幅に権力を削られ、財産も随分と減らされたと聞く。現当主の努力と才能によって、最盛期とまではいかなくても公爵家は現在とても裕福になった。
富や権力を持ってしてもグランレオド家が勝てなかった貴族がいる。それがフワーリン家。唯一、運命の女神が結んだ運命の糸を操作する能力を持っている。
代々、力を引き継いだ者がフワーリン公爵を名乗れる。イル・ジュディーツィオと呼ばれる者はクラウドとその祖父イエガーの2人。公爵と当主の仕事は息子に代理をさせているが、殆ど関わろうとせず隠居生活を送っている。フワーリン公爵邸の離れで暮らしていると何度かクラウドから聞いた。
「エルヴィラと王太子殿下がまた“運命の恋人たち”になったら、クラウドに頼んで運命の糸を切ってもらいます」
「何故、以前は頼まなかったのです?」
頼んではいた。が、クラウドは糸を切らなかった。ケインはクラウドを責めなかった。切ったところでファウスティーナはきっと、別の方法でベルンハルドとエルヴィラが結ばれる道を無理矢理探そうとしただろうから。
「仕方ないよ」とネージュが会話に入った。ハーブティーを半分くらい飲んでいた。
「間に合わなかったんだ」
「間に合わなかった?」
「兄上がね、クラウド兄上に貴族学院卒業の時にエルヴィラ嬢との運命の糸を切ってほしいと頼んでいたんだ」
「え」
「……」
これは事実だ。ファウスティーナがどれだけ2人がお似合いかと周囲に見せつけても、その度にベルンハルドがファウスティーナを詰り誤解を解こうしてもエルヴィラを守ろうとする姿勢だと周囲に見られても、婚約が継続されたままであれば運命の糸を切ると約束したとクラウドは語っていた。ケインは話の続きを語り、最後はアエリアの知っての通りだから運命の糸は切られなかったと言う。言葉を失ったアエリアは、熱い紅茶を喉に通した。熱そうな素振りを見せない。
「不可解ですわ。王太子が自ら望んで運命の糸を断ち切りたかったのなら、結婚式に起きた姉妹神の祝福に意味はないはず」
「さあ? ぼく達にも分からないよ。ひょっとしたら、姉妹神にさえ、兄上は見捨てられたのかもしれないよ。運命の相手を愛しろと」
「姉妹神がファウスティーナ様の味方をしたと?」
「ぼくの想像だよ。実際に知るのは、姉妹神のみ。結婚式と言ったら、アエリア嬢と兄上の結婚式もかなり豪華だったよね」
ネージュの言葉にアエリアは嫌そうに顔を歪めた。
ケインは無理矢理嫁がされたアエリアに申し訳なさを抱いていた。母方の実家辺境伯家を救う為、王太子妃の仕事を熟すのを条件にアエリアはベルンハルドの側妃になった。望まない婚姻を強いられただけではなく、本来であれば王太子妃となったエルヴィラの役目を代わりに熟す羽目になったアエリアの為にラリス侯爵は結婚式を盛大なものにさせた。無論、辺境伯家も。
更にヴィトケンシュタイン公爵となったケインも。王家からの支援としてシリウスに処理してもらったので知る者は他にいない。
「私個人の意見としましては、エルヴィラ様に王太子妃になられたらとても困りますわ」
「その為に女侯爵になるつもりなんでしょう?」
「それもあります。他にもありますのよ?」
新緑の瞳が自分に向いた。横目で見ると挑発的に新緑の瞳は細められた。
「将来有能な公爵が次期国王に仕えないのは、国としても大きな損失になりますわ」
「……」
「そうだね」とネージュも頷いた。言葉ほどに声は重要視していなさそうだ。
前を向いたケインは肩を竦めた。
「俺も人間ですので。それに以前の王太子殿下なら、俺が臣下にいると落ち着かなかったでしょうし」
「どうでしょう? 王太子は私事と仕事は一緒にしなかったので」
王太子としての責務はきちんと果たしていても、王となったベルンハルドに仕えるのをケインは無理だと悟った。王妃になったエルヴィラを見る気がないのが最も大きいだろう。
以前……ケインからしたら4度目に当たる前回、公爵位を父から引き継いだ際、シリウスにある誓約を捧げた。
爵位の引き継ぎは国王の同席と許可が必要となる。父からの引き継ぎを経て、同席していたシリウスに願い出たのだ。
「ケインが父上に“命の誓約”を捧げた時、誰もが驚いた。でも父上だけは驚いてなかったのが印象的だったな」
命を代償に絶対なる忠誠を相手に捧げる。シリウスが王位から退き、ベルンハルドが新たな王になっても、ケインにとっての王はシリウスのまま。次代の王に仕える事は出来ない上、命を捧げた相手の寿命がくれば自身も寿命を迎える。
「陛下は、ああなることを想定していたのかもしれません。俺がずっと殿下を説得し続け、ファナの味方だったから。ファナを捨ててエルヴィラを選んだ殿下に従うつもりはないと」
「公爵からも言われてないの?」
「ええ。父上は、薄々俺が殿下に仕える気がないのを見抜いていました。母上は卒倒して、エルヴィラには話していません。話しても無駄ですから」
「兄上の反応教えてあげようか?」
「要りません。知ってますから」
「だよね」
ふふ、と楽しげに笑うネージュ。
はあ、と今日3度目の溜息を吐いた。幸せが逃げても構わない。何度も吐きたくなるから。
ベルンハルドの反応は覚えている。文句を言うでもなく、ただ、感情が削げ落ちた瞳で見ていただけ。顔を合わせばファウスティーナの居場所を教えてくれと言われるから、公爵邸に彼が来ると毎回エルヴィラを行かせた。ファウスティーナがいた時から変わらない対応をしているだけと告げたら、彼は分かりやすいほど顔に感情を表し、軈て……昏い色を宿していた。
「ネージュ殿下、聞きたい事があります」
「なあに」
「エルヴィラが見る悪夢……あれ、殿下が何かをしたんでしょう。一体、何をしたんです」
「……ふふ」
何かをしたのは分かっても、何をしたのかはケインは知らない。話題を出した途端に、隣に座るアエリアの顔色が変わった。少々青褪めている。プライドが高く、強気な彼女が滅多に見せない顔色をしている……。エルヴィラの悪夢の内容といい、余程の事なんだろう。幾つかの予想は立てている。一応、確率の高い予想を胸に留めよう。
楽しげに、愉しげに嗤ったネージュは、他者が見れば震え上がる冷徹な眼で紡いだ。
「エルヴィラ嬢にしたこと? 王太子妃の仕事をさせただけだよ。だって彼女、常々言ってたよ。アエリア嬢も言われてたでしょう?
――王太子の子を産めるのは、王太子妃である自分だけだと」
「だからぼくは、そう豪語していたエルヴィラ嬢に王太子の子を作れと言って仕事をさせていただけだよ」
――ああ、やっぱり。
胸に留めた予想で良かった。
当たっていた。
意味が分からないのは、きっとアエリアだけだろう。
「成る程。それで悪夢ですか」
「うん。自分で言ったくせにね。自分で言ったのなら、最後までやり遂げてもらわないと。何でもアエリアに任せるのは嫌、王太子の子を産むのは自分だけの役目。まあ、なかった事になるからどうでも良かったんだけど、悪夢を見るほどのトラウマになったんだ。可哀想にね」
言うほど可哀想に思っていないのは、ケインもアエリアも分かっている。
読んでいただきありがとうございます!
 




