間違えた人
1本の蝋燭の火だけが灯りとする部屋。火の恩恵を受ける範囲にだけ、室内の様子が照らされる。1人掛けのソファーに座り、苛立たしげに腕を組むのはオールド。薄い白髪が何本も混じった空色の髪を片手でくしゃくしゃと掻き、乱暴に背凭れにかかった。
「遅い! 何をやっているんだ!」
今日はオールドにとって、とても大事な日。
「夜中になるといえど、限度があろう!」
隠居し、王都から離れた森の中に建てた別荘には、数名の使用人や執事がいる。彼等はオールドの怒鳴り声を聞いてもやって来ない。今日は大事な客が来るから、敢えて屋敷に居させなかった。朝になったら出勤してくる予定となっている。
「漸くだ……」
凭れたまま、天井を見上げた。
長かった。
31年前アーヴァが生まれた瞬間確信した。自分の代で女神の生まれ変わりがやっと誕生するのだと。
滅多に生まれない、王国で最も特別な存在。ここ数百年生まれていないとされ、女神の生まれ変わりの誕生を待つ父や自分にとって、アーヴァの誕生は歓喜するものだった。
自身の息子シトリンは、自分と同じ空色の髪と瞳を持つ男の子。生まれた時から魔性の魅力を持つアーヴァと女神の色を持つシトリンを結婚させれば、2人の間に生まれた子は絶対に女神の生まれ代わりだとオールドは強い確信を抱いていた。
すぐに婚約の打診をフリューリング侯爵に申し込んだ。フリューリング家としても、妻の生家と更に強い縁が結ばれるのだから損な話じゃない。簡単にいくと信じていた2人の婚約は、思いも寄らない相手からの妨害によって消えた。
先代国王――ティベリウス。
紫がかった銀糸に蒼い瞳を持つその男は、オールドにとって恐怖の対象でしかない。その弟オルトリウスも同等。いや、オルトリウスの方が恐ろしいかもしれない。あの男は慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま、酷い方法で何人もの貴族を断罪し、死を見届けてきた。下手をしたらオールドも一員に加わっていた可能性もある。
王家だって、数百年ぶりの女神の生まれ変わりが生まれれば考えが変わると、何度も説明を試みるも――ティベリウスは断固としてシトリンとアーヴァの婚約を認めなかった。また、アーヴァの姉リオニーとシトリンの婚約も認めなかった。ヴィトケンシュタイン家とフリューリング家の婚約だけが認められなかった。
「くそ!」
何度思い出しても腹が立つ。
シトリンとアーヴァは従兄妹同士とあって仲が良かった。内気で、人見知りが激しいアーヴァにとっては滅多にいない顔を上げて会話がなせる相手。お互いが想い合っていると訴えてもすぐに嘘だと見抜かれた。
どうにか、シトリンかアーヴァ、どちらかが婚約をしたいと口にさせようとオールドが思案していた矢先。妻の友人である伯爵夫人と屋敷を訪問していたリュドミーラに怪我を負わせたのだ、シトリンが。それも額。目立つ場所ではなく、時間の経過と共に傷は消えると周囲やオールドが説得しても、シトリンは女性の顔に傷をつけた責任としてリュドミーラとの婚約を頑なに失くさなかった。
遅くにできた娘だからと甘やかされた女に公爵夫人は務まらないと、妻共々冷遇しても、その度にシトリンが飛んで来てリュドミーラを庇った。最初は反対していた妻も、彼女の努力し成長していく姿を見て考えを改め認めてしまった。家族で唯一認めていないのはオールドだけとなった。
傘下の家門までは認めておらず、味方は他にも大勢いた。嫌がらせや虐めの類は多くしたが、やはりシトリンが庇ってきた。結局、どれだけ周囲を使って虐げても2人は結婚してしまい、自分は隠居生活を強いられた。
恐らくだが先王が手を貸したのだろう。でなければ、虫も殺せないシトリンが育ててやった父親をこんな辺鄙な場所で隠居生活を送らせる訳がない。
アーヴァに関しては、貴族学院を中退してから全く情報が入ってこなかった。フリューリング夫妻に訊ねても教えられないと首を振られるだけ。一時、第2王子であったシエルとの仲が噂されたが人見知りで特に男性相手だと怯えるアーヴァが異性と恋仲になどなれない。
シトリンとアーヴァの婚約に固執し過ぎていたせいで、11年前ファウスティーナのことを聞かされた時は頭を鈍器で殴られた衝撃が走った。役立たずとしか見ていなかったリュドミーラが女神の生まれ変わりを生んだ。母体や赤ん坊の容体を考慮して、対面したのはファウスティーナが1歳を過ぎた頃だった。
自分やシトリンと同じ空色の髪、眠そうながらも薄く開かれた薄黄色の瞳。
女神の色を持った女の子……これが何を意味するか、たった1つしかない。
『よくやったぞシトリン! やっと、やっと女神の生まれ変わりが生まれた……!』
王国が長年待ち続けた存在の誕生を知って感極まる。瞳に涙を浮かべ、ベビーベッドに寝かせられているファウスティーナを見下ろした時、更なる衝撃がオールドを襲った。
アーヴァに瓜二つだったのだ。髪が先にかけて癖っ毛になっているのと、髪色や瞳の色を除くとアーヴァそのもの。親戚だから2人には同じ血が流れている。だからといって、生き写しと言っていい程似るだろうか?
ある予想がオールドの頭に組み立てられた。
確信と言ってもいい。
オールドはすぐに組み立てた考えをシトリンに実行させようと発した。だが、返ってきたのは予想外なシトリンの激怒。常に穏やかで誰に対しても親切で決して感情を荒げない男が、吹き荒れる嵐の如く感情を露わにするのを初めて見た。
無論、オールドも黙っていなかった。元々短気で頭に血が上りやすいオールドは、怒りのまま屋敷を出て行った。幾らか頭を冷やして再度先触れを出すも……シトリンは年に1度しか、ファウスティーナに会わせてくれなくなった。
会っても長々と話すこともできず、挨拶程度しか無理だった。
待ち望んだ、長く長く長く――。
渇望していたものを目前に晒されて、指を咥えて待てる我慢強い人間じゃない。
アーヴァに似た女神の生まれ変わり。手に入れるには、相応の覚悟と代価が必要だったが今日ついに手に入る。
待ち人がいつまで経っても来る気配がない。
足を強く床に叩きつけた時だ。ノックが3回された。「入れ!」と相手が誰か確認もせず、入室の許可を与えた。確認せずともやって来る人間は1人しかいない。
「はーい。ありがとう入れてくれて」聞こえてきた声が全くの別人であると瞬時に気付き、扉の方へ振り向いた。
「な、なんだお前は!」
「え〜? 俺? 誰だっていいでしょう」
片手に雪だるまの形をしたキャンドルランタンを持った男が戯けた様子で笑った。
王国で他に見たことのない薔薇色の髪と瞳。教会の司祭とは、また別の意味で恐ろしいまでに美しい青年はソファーから立ち上がって距離を取るオールドに近付いて行く。
「く、来るな! 儂を誰だと思っている!!」
「いいよ教えてあげても。でも後悔するのはあんただよ?」
「なんだと!」
「欲しい物はどんな手を使ってでも手に入れる、か。気持ちは分からないでもないよ。前の王様と先代様は、女神様と契約し、人間捨ててまで国の平穏をもぎ取った。王様やシエル様にもその血は流れてる。でもさ、そういうのはやり方を慎重に選ばないと。……でないと、あんたみたいに破滅するだけ」
「なんなんだお前は! 第一、誰の許可を貰って」
「許可なんていらないよ」
後ろに下がっては近付かれ、下がっては近付かれを繰り返し。背中に壁が当たった。扉は男性が入ってきた出入り口のみ。窓から逃げようにも部屋は3階。退路を断たれてしまっている。
脂汗を大量に流すオールドを冷めた瞳で見つめながらも、口元は歪に嗤っている。
「お嬢様……ファウスティーナは、シエル様の宝物なんだ。シエル様は、自分の大事なものに他人の手が触れるのをとっても嫌う。恋人を囲ったのもそのせいだ。今もある意味では、お嬢様を囲ってるからドン引きだよ」
「何を言っている……ファウスティーナが王弟の宝物? は、幼女に気があったとはな!」
「まあ、俺がこう言えば、事情を知らない奴からしたら大体そう言うよね」
男性の言い方だと違う事情がある。隙を見て男性から逃げる算段をつけるオールドの耳は、信じられない声を拾った。
「こーらローゼちゃん! シエルちゃんの悪口を言わないの! そんなんだから、いつまで経っても子供扱いされるんだよ?」
「いいよ別に。どうせ、俺は歳取らないしさ」
「そう言わないの。言われると僕とても落ち込むから」
「先代様には、関係ないでしょう」
「関係大有りだよ」と暗闇から現れた姿に、オールドは腰を抜かして座り込んでしまう。
紫がかった銀糸を肩に触れるか、触れないかの辺りで切り揃えた男性は落ち込んだ相貌をしていたが、オールドと目が合うと表情を切り替えた。
人の良さそうな笑みになるも、恐ろしさを知るオールドは震えた。右足が疼く。
「やあ、オールド君。久しぶりだね。右足の調子はどうだい?」
「先代様知ってんの? この爺さんの足のこと」
「目に余る悪さをするから、僕が潰したんだ。後でオズウェル君にこっ酷く怒られたんだ……」
「王族を叱れる公爵令息って、助祭さんくらいだよね」
「オズウェル君は僕と付き合いが長いからね。さてと、オールド君。駄目じゃないか、君はまた悪さをしたようだね。今度見過ごせない悪さをしたら、足を潰すだけでは済まないと言ったよね? あの時は兄上もいたね」
「ま……まて……待ってくれ、一体、なんのこと、を……」
場違いな穏やかな笑みを浮かべ続ける男性は、震えて上手く喋れないオールドへこう紡いだ。
「女神の生まれ変わりを“女神の狂信者”と手を組んで拐かそうだなんて。君の罪は重いよ、オールド君。既に証拠もあるし、君と手を組んだ狂信者の1人も尋問官が吐かせて証言済みだ。
――残るは、君だ」
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