20 狂王子に問う
アエリア視点です。
――もう二度とゴメンよ。あんな思いをするくらいなら……
母譲りのピンクゴールドの髪に父譲りの新緑色の瞳を受け継いだのが私アエリア=ラリス。王国でも1、2を争う貴族、ラリス侯爵家の令嬢。歴代の王妃を数多く輩出してきた名家中の名家。当然、ラリス家の令嬢として生まれた私も未来の王妃になるようにと幼少の頃から言われ続けた。
でもはっきり言って冗談じゃないわ。
あんなスカスカ娘を代わりにした挙げ句、私の好敵手を断罪したあの馬鹿王子の妻になんてなりたくない。
「ファウスティーナっ! ケイン、ファウスティーナはどうして倒れたの!?」
王妃殿下の主催するお茶会にラリス侯爵家も当然招待された。王妃殿下の生家であるフワーリン公爵家とラリス侯爵家は、長い間争い続けている政敵同士。だが、私の母ラリス侯爵夫人と王妃殿下は貴族学院の友人。
騒ぐお父様に「そんなに煩く言うのなら、もう貴方にクッキーは焼いてあげないわよ」と告げた。お母様のクッキーが世界で一番だと豪語して週に1度食べるのを楽しみにしているお父様には効果抜群だった。
泣きながらお茶会の出席を許可したお父様には目もくれず、私と兄上様達に綺麗に微笑んだ。
私はきっと普通の人とは違う。前の自分を覚えていた。そこで自分が何をして、何を見て、最後にどうしたかをしっかりと覚えている。何時思い出した、とかはない。赤ん坊の頃から覚えているわ。だって、そう願ったのは私自身。
私の目の前で倒れたのは、前の私が何度も苦汁を舐めさせられた相手。
前の私はラリス家の為に王太子妃の座に執着した。お父様の為、お母様の為(今思うとお母様は無理して王妃の座に拘る必要はないとか言ってたんだけどね)に。だが、常に周囲の評価はファウスティーナの次。ヴィトケンシュタイン家にしか生まれない血を濃く受け継いだファウスティーナは、王太子殿下の婚約者でもあり王太子妃筆頭候補だった。公爵令嬢として、未来の王太子妃としての彼女は完璧だった。私は常に2番手。悔しくて何度も嫌がらせをしてやったけど、その度に倍返しにされた。
突然倒れたファウスティーナに顔を真っ青にして駆け寄ったのはヴィトケンシュタイン公爵夫人。私はこの女が嫌い。ファウスティーナが壊れたのはあの馬鹿王子のせいでもあるけれど、根本的な原因はこの女。
知っていたわ。王太子の愛情は婚約者ではなく、その妹に向けられていたと。
一度だけ、あのスカスカ娘をどうにかしなさい姉でしょう、と王太子に相手にされていないファウスティーナを嘲笑った事があった。寧ろこれ、眼中にも入れられてない私が言っても仕方ないのだけれどね。
言って後悔した。激昂するか、余裕のなくなった姿を見せるかのどちらかだと思ったのに――
『もうどうしようもないわ。私はもう……』
全てを諦めたあの生気のない瞳を見たのはその時と最後に会った時だけ。
ファウスティーナが王太子の愛を欲してスカスカ娘を排除しようとするも、その王太子に阻止され、公爵の温情で勘当された。その前に無理矢理会って、話した時のファウスティーナの姿が忘れられない。
「すぐに医者が来るわ! 彼女を医務室に運んで!」
「はっ!」
異常を察知した王妃殿下が駆け付けた騎士にファウスティーナを医務室へ連れて行くよう命じた。見るからに苦しそうなファウスティーナの顔は赤く染まり、呼吸も荒い。騎士に続いて公爵夫人も行こうとするが、飲み物を被ってドレスを汚され泣いているスカスカ娘を見た。
一瞬迷う素振りを見せながらもスカスカ娘を長男に任せると騎士に付いて走って行った。
これではお茶会どころではないわ。
「ファナ……」
心配そうにファウスティーナの名前を呟いた長男に近付いた。
「失礼。彼処で泣いているス……令嬢は、妹君ではありませんか?」
「あ、ああ。そうだね。ありがとう」
「いえ」
薄い反応を見る限り、教えなかったらずっと思い出さなかったのかしら。
私も事情を知りたいから現場へ近付いた。
「エルヴィラ、どうしたの? 何があったの?」
「ご、ごめんなさい。悪いのは僕なんだ。友達と話に夢中になってて、ケーキを取ろうと振り向いた先にいた彼女と腕がぶつかってジュースを零してしまって……」
謝って事情を話したのはフワーリン公爵家の令息。王妃殿下の甥に当たる子である。名前は確かクラウド様。見た目もだけど名前もフワフワしそうね。
「事情は分かりました。エルヴィラ、このままだと風邪を引くからお城の人に言って着替えておいで」
「わ、分かりましたぁ。でもっ、ドレスっ」
「代わりのドレスなんて沢山ある。俺も医務室に行くから後でエルヴィラもおいで」
「……はい」
来る道中何かあったのね。途端にむくれた顔をしたスカスカ娘にやれやれと嘆息した。王妃殿下が手配した侍女に付き添われスカスカ娘は城内へ行き、長男も医務室へと向かった。残されたのはヴィトケンシュタイン家以外の貴族。
尋常じゃないファウスティーナの異常を夫人達が不安げに囁く。私だって知っている。ファウスティーナは無駄に頑丈で寒い冬の時季に冷水を浴びさせても元気だった。逆に仕返しされた私が高熱を出して数日寝込んだ。
ファウスティーナが倒れた程ではないにしろ、スカスカ娘が割と大きな声で悲鳴を上げたので騒ぎが大きくなった事でクラウド様は落ち込んでいる。フワーリン公爵夫人に注意を受け項垂れるクラウド様の姿が前の記憶を彷彿とさせた。
「前はファウスティーナだったのにね、エルヴィラ嬢のドレスを台無しにしたの」
「っ!」
気配もなく、背後からした声に心臓が震えた。寿命が縮んだと言っても過言ではない。異様に早くなる鼓動を悟られまいと、隣に移動した相手を見た。無邪気な笑みを浮かべながらも内心何を考えているのか一切読めない。
「君がファウスティーナに言ったみたいにぼくも久し振りって言った方がいい?」
「……いいえ、殿下。その必要はありません」
「そう」
くすくす笑う――いいえ、嗤うネージュ殿下。
私はネージュ殿下にこっちと手招きされてこの場を離れた。皆、ファウスティーナに夢中なので動いても誰も気付かない。
庭園の奥まで案内され、真っ白な薔薇が咲くエリアで足を止めた。私に振り向いたネージュ殿下の瞳を見て、心を強く保とうと睨んだ。
「怖い顔。警戒しないで」
「するなと言う方が無理ですわ。私、貴方がした事一つたりとも忘れていませんもの」
「ぼくが悪い事をしたみたいな言い方だね。まあ普通で言えば悪いのかもね。でもそれが? 過程の中では不幸になった人は出た。だけど、結果として皆その不幸があったからこそ最後は幸せになれた」
「幸せ?」
繰り返した私にネージュ殿下はそうだよ、と頷く。
「物語がそうだ。途中、辛い出来事があっても最後は皆幸せになる。幸福な結末を迎えるんだ。不満を抱く必要、ある?」
「ええありますわよ。幸福な結末? 笑わせないで下さいまし。なら何故あの様な結末になってしまったのでしょうか?」
私が訊くと嫌そうに顔を顰めた。
「ぼくも予想外だった。考えもしなかった。大好きだけど……あの一瞬だけ、世界で一番大嫌いな人に変わったよ」
忌々しげに吐き出す姿が最後の光景と重なる。何故私達が前の記憶を持って再び同じ生を歩んでいるのかは――この狂王子は知ってるだろうけれど――分からない。分からないなら、分からないなりで同じ運命にならないよう足掻けばいい。
ネージュ殿下はにっこりと綺麗に微笑んだ。
「アエリア。君は王太子妃になりたい?」
「冗談じゃないわ。貴方達とんでも兄弟に関わるのはもう真っ平ゴメンよ」
「あはは! そっか。でもそれは無理だよ。ファウスティーナと兄上の婚約は正式に発表はされてなくても、殆どの貴族は分かっている筈だ。王太子の婚約者はファウスティーナだと」
「暗黙の了解ですものね」
「うん。今日ファウスティーナが倒れてしまったから、もしかすると王太子の婚約者から外される可能性が出てくる。実際、兄上との顔合わせの日に1度倒れているからね」
「!」
今日だけじゃなく、前にも倒れていたの? ひょっとするとその日に記憶を取り戻した可能性があるわね。
「そうなると王家は泣く泣くファウスティーナを手放すしかない。次に兄上の婚約者として白羽の矢が立つのは君だ、アエリア。今日のお茶会の目的は子供達の交流としてるけど、実際は王子2人の婚約者候補を探す為の茶会でもある。兄上にはファウスティーナがいるけど万が一がある。その万が一が起こってしまったから、可能性が最も高いのが君だアエリア。君の実力は非常に高い」
「……」
「君もファウスティーナも馬鹿だね。前と同じになりたくないなら、手を抜いても良かったのに」
言葉では私達を嘲笑っているのに、感情を消したネージュ殿下の顔は……悲しんでいる様に見えた。
ファウスティーナが前を覚えていない、リセットされたファウスティーナだと思うと手を抜くことは出来なかった。必死に令嬢としてのマナーや勉学に励みながら、ラリス家の為と偽って王妃教育の真似事をした。出会った時、今度こそ王太子の婚約者の座から蹴り落とす為に。
――2度と……
でも、ファウスティーナは覚えていた。覚えていながら、王太子の婚約者に相応しくあろうとしたのは。
「……飢えていましたもの」
「……」
「ファウスティーナは、愛情に飢えていましたもの。自棄を起こせば起こす程、周囲から人は遠ざかっていくと理解していても」
「兄上から聞く今のファウスティーナだと、どうも兄上から逃げ回っているみたいだけど?」
「本人に実際聞かないと分かりません。だけど、王妃教育を真面目に受けるのは多分――」
『頑張り続けたら、何時かお母様も誉めてくれる。殿下も私を婚約者と認めてくれる。そう信じていたの』
最後に会った時に言われたファウスティーナの言葉。
自分でも気付いていないのかもしれない。
前の記憶が無意識にトラウマとなっているのなら、手を抜かない理由に納得がいく。
「ねえ、アエリア」
「何ですか」
「君はぼくの味方?」
「……殿下。ベルンハルド殿下とファウスティーナの婚約が破棄されれば、以前と同じ事はしませんと約束してくれますか?」
「質問を質問で返さないでよ」
そう言いながら気分良さげに微笑を浮かべ、約束すると誓ってくれた。
「兄上はまたエルヴィラ嬢を好きになればいい。好きになって……ふふ……あ、ははは」
「……」
「あははは……。……はあ……思い出し笑いって端から見たらどう見えるの?」
「頭が可笑しくなったと思われますわ」
「じゃあ、君の前だけにするよ。ぼくが可笑しいと知るのは君だけだから」
いらないわよそんな役目。
「そろそろ戻ろうか。君の兄君達が君を探してる声がする」
「……そうですわね」
どうぞ、と道を譲られ兄上様達の声がする会場へ戻って行く私には、後ろに続くネージュ殿下の声は聞こえなかった。
「前と同じ結末でもぼくは全然困らないけどねえ」
読んでいただきありがとうございます!
一応ですが
スカスカ娘→エルヴィラ
馬鹿王子→ベルンハルド
狂王子→ネージュ
です。