赤い花への拒絶反応
メルディアスの助け舟もあって、ファウスティーナ最難関の名前呼びは一旦回避された。仲睦まじいと有名な王妃シエラでさえ、国王シリウスを名前呼びし始めたのは成人を迎えた後だった。曰く、原因はシエルにばかりかまけるシリウスには他人が見えていなかったせいもあると。婚約者としての義務をきちんと務めていても、個人としての関わりは持たなかったのだそうだ。原因はやはりシエル。聞くとあの異母兄弟の仲が悪いのは、初めて出会った時シリウスが盛大にシエルを拒絶したせいだった。
立場が立場だけに仕方なかったとしても後々になって後悔するなら、もっと穏便な言葉はあっただろうとメルディアスは苦笑する。どんな言葉を投げつけたのかとベルンハルドが問うても「知らない方がいいですよ」と口を割らない。孤児院の子供達が作った刺繍が売られる店があると話題を変えられ、これ以上の詮索は無理だと2人は頷いた。メルディアスの話題変更に乗ろうと店の前まで近付いた。
籠には花や動物の刺繍がされたハンカチが売られていた。孤児院の子供達が作ったと言うが出来上がりは丁寧で糸の解れもなく、一般で売られているハンカチと勝負が出来る品質。ファウスティーナは店主に何処の孤児院で作られたかと問うた。
「これは王妃様が慈善活動を行なっている孤児院の子供達が作った品々です」
「は、じゃない……王妃様が?」
一瞬、母上と言いそうになったベルンハルドは慌てて言い直した。
「ええ。今代の王妃様は慈善活動を精力的に行われ、孤児院で育つ子供達にとって大変有り難いことなんです。王妃様だけではなく、最近は貴族の方々も積極的に支援をして下さるので毎年亡くなる子供の数が大幅に減少傾向にありまして。ちょっと前の時代では考えられません」
「そうですか……」
かなりの数の子供達が救われる一方、未だ亡くなる子供がいるのも事実。貧しい子供を救うのも国の役目だと、先王が積極的に動いたのが最初。ヴィトケンシュタイン公爵家は昔から多数の孤児院に多額の寄付をし、自らの領地で運営もしている。次期公爵のケインや王太子妃、王妃になるファウスティーナは今よりも幼い頃から父シトリンに連れられ孤児院を訪れている。エルヴィラだけは毎回行きたがらなかった。母のスカートに引っ付いて動こうとしなかった。
ハンカチの売り上げはそのまま孤児院の支援金となる。
ならば、とファウスティーナは店主に告げた。
「ここにあるハンカチ全部ください」
「え!?」
店主の驚きも無理はない。少なくない枚数のハンカチを全部欲しいと言ったものだから。お金がないと思われるのはいけないから請求はヴィトケンシュタイン公爵家に、と言おうとする前にメルディアスが「請求先は教会にいる司祭様宛で」と言うので今度はファウスティーナが驚いた。
「司祭様宛って」
「どうしました? シエル様はお嬢様が無駄遣いして怒る方じゃないですよ」
「そういう問題じゃなく……!」
「そう怒らないで。折角なのでハンカチを選んで差し上げては?」
ヴィトケンシュタイン公爵家宛と言い直そうとしても帽子越しから頭を撫でられガックリと肩を落とした。ファウスティーナが何をしても怒るどころか嬉しそうに見つめてくるシエルだから、孤児院で作られた大量のハンカチを全て購入しても怒らないだろうが……。隣から苦笑する声が聞こえた。
「ファウスティーナにはやっぱり優しいんだね」
「皆言いますけど……でもそうなのですかね」
「そうだよ。あ……ファウスティーナ。僕も選んでほしいな……その、ハンカチ」
「はい!」
言われなくてもベルンハルドにも選んで渡すつもりだったファウスティーナは楽しげに快諾し、早速ハンカチ選びを始めた。
「…………可愛い」
気を許した相手にしか見せない他者を魅了する純美な笑顔。何度見ても慣れず、嬉しさと一緒に恥ずかしさが込み上げてちょっとの間ファウスティーナを直視出来ない。これでは恥ずかしがって名前を呼べないファウスティーナの事を言えない。
「なんでなんだろう……」
「どうかしました?」
「あ、いや、何でもないよ」
心の中で言ったつもりが声に出してしまっていた。ファウスティーナにハンカチ選びを続けてと促した。
ファウスティーナと一緒にいられるだけで、信頼された笑みを見せてくれるだけで、途方もない幸福を抱くのは。同時に押し寄せる“絶対に間違えるな”という強い意思。何度も考えた。何度も答えが見つからないまま終わった。
ファウスティーナといられるならどんな事だってしてみせる、絶対であり揺るぎない意思は何処からやってくるのだろう。
「これなんてどうですか?」
ファウスティーナは2枚のハンカチを差し出した。
1枚は青い小鳥がフリージアの茎の上に乗っており、もう1枚は赤い花が刺繍されたハンカチ。
「…………」
赤い花のハンカチを見た途端、ベルンハルドの顔が見る見る内に青ざめていく。思わず殿下? と零したファウスティーナの声はベルンハルドに届かず、足元がフラついて倒れそうになった。すんでのところでメルディアスが受け止め地面と抱擁は交わさなかった。
ベルンハルドの顔を覗き込んだメルディアスがこの近くにフリージア家御用達のカフェがあると告げ、そこで休ませましょうとベルンハルドを抱き上げた。
「お嬢様も一緒に。ああ、そのハンカチ、後程請求書と一緒に教会へ届けてくれますか?」
「は、はい! 分かりました」
赤い花のハンカチを置き、青い小鳥とフリージアのハンカチを持ったファウスティーナはメルディアスの後を追った。
●○●○●○
メルディアスが気を利かせてカフェの席を用意してくれて良かった。建物の屋根が日光を遮った席で優しい風が顔色の悪いベルンハルドを撫でた。
席に座らされたベルンハルドの横の椅子を引いてもらったファウスティーナも着席した。心配げな面持ちで見つめると漸く瑠璃色の瞳が自分を映した。
「ご、ごめん、心配かけてしまって」
「お体の具合が悪いのですか? 医者の手配を」
「いや、いい。違うんだ、具合が悪いとかじゃなくて……」
「殿下の顔色はとても真っ青ですが……」
「うん……僕にも分からない。あの赤い花のハンカチを見た瞬間、あまりにも気分が悪くなってしまって。同時に怖いと感じたんだ」
「赤い花が……ですか?」
「花を怖いと感じたことは一度だってないのに、あの赤い花だけは……どうしてか無理なんだ」
「……」
真っ青なのは変わらないが倒れる様子はなくなったベルンハルドを見つめつつ、前の人生を思い出す。ベルンハルドに関連する赤い花と言うと薔薇。エルヴィラに好きな花だと語っていた彼が薔薇ではなくても赤い花に恐怖を抱く場面はあったかと探る。が、見つからない。11歳以降の記憶は全くなく、挙句、ベルンハルドとエルヴィラ絡みの記憶しか一部に残ってない有様では対策さえ練れない。せめて詳細な記憶を持っていたら、もっとベルンハルドの役に立てたのにと落ち込むと「それは?」と持ってきたハンカチを見られた。
「さっきの?」
「私が最初に選んだハンカチです。殿下には2枚の内、どちらかを選んでもらおうと思って」
「なら、僕はそのハンカチがいい」
「他のハンカチを探してもいいのですよ?」
「ううん。僕はこれがいい」
青い小鳥とフリージアが刺繍されたハンカチをベルンハルドへ渡した。
「とても……安心する色だ。大事にするよ」
「孤児院の子供達も喜びます」
「そうだね。ファウスティーナが選んでくれたんだから、ずっと大事にするよ」
青い小鳥の刺繍にそっと触れる手付きは、言葉通り宝物に触れるように慎重で優しい。顔色は若干良くなってきているがまだ青い。青さを除いても見惚れる横顔。嘗ての自分が手を伸ばしても決して向けられなかった。
自分の選んだハンカチを大事にされる――泣きたくなるのを堪え、2つのティーカップをトレーに載せてメルディアスへ声を掛けた。
「メルディアス様、それは?」
「ホットオレンジジュースです」
「え? オレンジジュースを温めたの?」
「美味しいですよ」
今まで搾りたてのオレンジジュースしか飲まなかったファウスティーナは、テーブルに置かれた初めて温められたオレンジジュースを凝視した。オレンジ特有の甘い香りと見るだけで安心するオレンジ色が食指を動かす。茶菓子としてブルーベリーが混ぜられたクッキーも置かれた。
「オレンジジュースは風邪の予防や貧血予防、更に肌の健康を保つのに欠かせない栄養素が含まれています。ファウスティーナ様が滅多に風邪を引かないのは、毎日オレンジジュースを飲んでいるお陰でしょうね」
相手がケインだったら――
『何とかは風邪引かないって言うからね』で済まされる。
「殿下、飲めますか?」
「うん。でも、そうか。ファウスティーナに倣って僕もこれからは積極的に飲もうかな」
「おや、殿下は早く身長を伸ばしたくてミルクを飲んでいるのではありませんでしたか」
「な、何でそれを……!」
「(意外……)」
自分の容姿にあまり興味がないと思っていたが、身長につい反応しては気にしていたのか。顔を赤くしてメルディアスに食ってかかるが簡単にあしらわれ、ブルーベリークッキーを勧めると店内へ逃げて行った。
全く……と憤慨するもファウスティーナを見ると気まずげにしながらもクッキーを持ち上げた。
「せ、折角だから頂こう」
「そうですね。温かいオレンジジュースが美味しかったら良いのですが」
「飲んでみよう」
――初めてのホットオレンジジュースが予想以上に飲みやすく、美味しいと知って笑い合う2人を建物から陰から眺めていたアエリアはその場から離れ、父や兄達が座るテーブルへ戻って行く。
知っている声が聞こえたのでこっそりと見に行ったら案の定だった。
エルヴィラだったらベルンハルド目当てで突撃したのだろうが。
「私があのお花畑娘と同じ行動を取ると思われたら、死んだ方がマシですわ」
ファウスティーナに誘われて『リ・アマンティ祭』の露店巡りを父・双子の兄達を伴って実行した。どの道を回るか知らされていなかったので会えるのは、メインイベント開始後だと抱いていた。フリージア家御用達のカフェにいるとは。
ファウスティーナとエルヴィラへ向けている感情の違いをアエリアはよく知っている。
「私も一度、頭に花でも咲いたらあのスカスカ娘の気持ちが分かるのかしら」
これも死んでも御免ではある。
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