全ては掌の上?
魅力と愛の女神リンナモラートの巨大な石像が設置された広大な場内は白い大理石に覆われ、天井には姉妹神と初代国王が描かれている。毎年開催される『リ・アマンティ祭』のメインイベントでしか使用されない。参加した恋人達が愛を誓うと運命によって結ばれた恋人達なら、リンナモラートの石像が持つ水晶玉が濃いピンク色に変わる。優勝したカップルにリモニウムの形に模されたピンクダイヤモンドが贈られるのもこれが理由。
参加者の身元確認をしている神官達が忙しなく動いている中、今日1番多忙のシエルは石像を見上げていた。
「準備はどう?」
「滞りなく進んでいますよ」
側に来たオズウェルに進捗伺いをした。メインイベント開始まで後1時間といったところ。
「何事もなく、例年通り無事終わるのを祈りましょう」
「運命の女神に祈ればいいさ。ただ、私の勘は当たる。残念だが今年はタダでは終わらないだろうね」
「全く……何故処理しないのです」
シエルの含みのある言い方。今日何が起きるか知っているのだろう。オズウェルは呆れと疑問を混ぜた声色で問うも、本人は美しい微笑を崩さない。
「決定的な瞬間と証拠が必要だからね。心配いらないさ。向こうがどう仕掛けてくるかは、ある程度の予想はついてる」
右の袖の中を探って小さな小瓶を取り出した。透明な、一見変哲もない液体。優雅な動作で蓋を開け、小瓶を口元へ運んだ。迷いなく液体を飲み干したシエルは空になった小瓶をオズウェルへ投げた。オズウェルは投げてくると分かっていて動かず、難なく小瓶をキャッチした。
「気にし過ぎだとしたら?」
「言ったでしょう。私の勘は当たりやすい。この顔に生まれて不幸と嘆いた覚えはないけど、不便が多いのは難儀なものだよ」
「シエル様はどちらかというと、先王陛下よりも母君に似られましたからな。没落した侯爵家の長女といえど、その美貌は邪な連中を引き寄せるには十分だった。先代司祭オルトリウス様が保護をしたのも、後に先王陛下の侍女にしたのもそういった連中から守るため。だったんですがね……」
「はは。実際は、守るどころか、先王妃に薬を盛られた父上の相手を自ら務めて私を宿してしまった故に、余計狙われる立場となってしまった」
自身の出生の理由を幼い頃にオルトリウスから聞かされたシエルが漏らす軽い笑い声に温度はなかった。同情も軽蔑もない。
無感情なだけ。
「私の母の話はこれくらいにして。メルディアスから連絡は?」
「今は特に。向こうも問題なく露店巡りがされているのでしょう」
「メルディアスがいるから安全……と言い難い。万が一の事が起きれば、どちらを優先するかな。なんて分かりきってるがね」
「……」
王太子か公爵令嬢か。普通であれば王族なのだが公爵令嬢の方は数百年振りに生まれた女神の生まれ変わり。どちらの存在が重要か迫られれば……。
「……シエル様なら迷う事なくファウスティーナ様を選ぶでしょう」
「そりゃあ、ね。あの子は私の娘なんだよ? 自分の子を優先しない親が何処にいるんだい?」
「……その台詞、公爵夫人がいる前で言いたかったのですか?」
「何度も言ってやったよ?」
「……」
オズウェルの知らない場でどの様な会話が繰り広げられたかは不明でも、微笑の奥深くに仕舞い込んだ敵意を惜しげもなく晒すシエルには呆れるばかり。何度も脅されている割に態度を改めなかったのは、口だけと思われていたのか。と思いきや、何度か手を出していたと思い出す。
自分の産んだ娘を優先するのは親の心情として間違ってはいないが限度がある。シエルは何度も返せと、時にシリウスでさえ王宮に住まわせると告げても頑なにファウスティーナを手放そうとしなかった。夫人に問題大有りなのは誰であっても分かっても公爵の方が本心どう抱いているかが全く不明。ファウスティーナの味方であるのは事実でも、守るべき立場にありながら守れていなかった。
7歳の頃、そう、ベルンハルドとの顔合わせで高熱を発症させて倒れなかったら……ファウスティーナ自身が性格の問題を自覚しないままそのまま出会っていたら――。
「はあ……」
尽きない悩みに振り回されるのは止めだとオズウェルは頭を軽く振った。
今どんな気持ちなのか薄々感じ取るシエルは「司祭様」とやって来たジュードに目を向けた。
「参加者の身元確認を全て終えました。皆、事前に予約した方々で間違いありません」
「ご苦労様。始まるまで少し時間があるから、その間休んでいなさい」
「はい!」
一礼をしたジュードが去って行った。
「シエル様も休みますか?」
「そうだね。私も休憩しようかな」
「坊やはどうしたのです」
「ヴェレッド? ああ、確認してもらってる」
言いたげなオズウェルの視線から離れ、場内を出た。大きな扉を潜り、慣れた足取りで廊下を歩く。また扉を潜ると下層礼拝堂に入った。今日は下層・上層どちらの礼拝堂も祝福の授けを休止中。今日が誕生日の場合は翌日授ける決まりとなっている。『リ・アマンティ祭』の翌日は違う意味で多忙になってしまう。シエルの嫌いな日でもある。
「あ、あの、司祭様」
下層礼拝堂から外に出たシエルの元に1人の女性が駆け寄った。胸の前に両手を組み、濃い茶色の髪を揺らしてシエルの前に立った女性は帽子を深く被っているせいで顔がよく見えない。
「きょ、今日、参加をする者の1人ですっ」
「そう。相手の方は? 良い結果になると良いですね」
「は、はい……」
司祭としてのシエルの相貌も声色も行く道がなく立ち止まって動けない者を導く不思議な力がある。声に迷いがあった女性の顔は見えずとも若干赤いのだけ見えた。
それ以上は何も言わず、帽子を抑え勢いよく頭を下げて走り去って行った。
途中、眠そうな顔をしたヴェレッドとぶつかるも何も言わず行ってしまった。
眠そうなのと若干不機嫌になった顔でシエルの元へ。
「何あれ」
「さあ」
「あれかな。シエル様が好きでしたって告白したかったんじゃないの」
「始まる前にそんな告白をすれば、リンナモラートの怒りを買うから普通はしないよ」
「じゃあなんだろう」
ニヤニヤと笑うヴェレッドは実は女性の真意を知ってそうな風である。付き合う気のないシエルは「どう?」とだけ発した。
「どうもこうもないよ。思った通りの動きをしてる」
「そう……ヴェレッド。もしもの時があったら、何を最優先するか分かってるかな」
「はーいはい。分かってるよ。お嬢様最優先だよね。でもさ、もし王太子様に……」
先は言わずともシエルには伝わる。愉快そうに笑うと不愉快だと言わんばかりの顰めっ面が飛ばされた。
「その為の王家専任の上級騎士だ。君は誰がどんな目に遭おうが優先するのはあの子だ」
「了解」
分かりきっていた答えを態々言わせるヴェレッドへの苛立ちも含めて、近付いて薔薇色の左襟足を乱暴に掴み引き寄せた。痛みで顔を顰めると漸くシエルの気も落ち着き始めた。
「ひっど」
「どうでも良いことを喋るからだよ」
「なあにシエル様。王太子様がどうなってもいいの」
「メルディアスには、もしもの時はベルンハルドを優先しろと告げてある。だから君がファウスティーナを見るんだ」
「知ってる。たださ、密かに護衛してるのがもう1人いるみたいだけど」
「ああ知ってるよ。今頃、王都の城は混乱しているだろうね」
その一言で誰が護衛をしているのか知った。同時に、目を何度も開閉させる間抜け顔が見れて気分を良くした。シエルの機嫌は普段通りになり、思考が停止しているヴェレッドを置いて歩き出した。
「……何してんの? あの人」
我に返って言えたのはこれのみ。
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