待ってる
高い場所に置いてあった本を取ってもらったお礼を述べると男性は首を振った。
「困っているお嬢様を見て助けない者はいないでしょう」
「そんなことないですよ」
「はは。お礼は受け取りましょう。今度、手が届かない位置に本があったら踏み台を使うといいよ。ほら、あそこに」
「あ」
彼が示した先には確かに踏み台があった。壁に本を取るときに使用して下さいとの張り紙も貼ってある。今度はちゃんと周囲を確認しよう。丁寧に別れの挨拶をし、行ってしまう。彼がいなくなると受け取った本を見下ろした。
「うん。お兄様にプレゼントしよう」
ファウスティーナが選んだのは『笑顔になれる法則』という、本である。常に無表情で、笑った場面なんて片手で数える程度しかない兄ケインも、この本を読めば笑顔までいかなくても表情筋はもう少し動いてくれるようになる。と信じて。
他にも欲しい本がないか、下を見たり上を向いたりして探していく。
「これって」
目線と同じ場所に1冊の本を見つけ、先に持っていた本を脇に抱えてその本を取った。王国で最も幸福とされる男女“運命の恋人たち”を題材とした恋愛小説。
「……」
ファウスティーナが望むベルンハルドの最大の幸福を迎えるには、運命の女神と魅力と愛の女神に認められた男女“運命の恋人たち”になるしかない。相手がエルヴィラなのは本心で言うと嫌だ。だが、自分がなってもベルンハルドは幸福にならない。今が良くてもこの先何が起きるか分からない。
「殿下の為よ……」
小さな声で、だが、意思の硬い声。
ベルンハルドを好きな気持ちと同様に彼を幸福にしたい気持ちも大きい。2冊の本を両腕に抱えてベルンハルドとメルディアスの2人を探す。探し人達は近くにいた。落ち込んだ様子で数冊の本を抱えるベルンハルドと苦笑を浮かべるメルディアスがいた。
ベルンハルドの様子が気になるも、先程の自分の失言をすぐに思い出し気まずくなる。いくら無意識でもあれはない。婚約者に兄呼ばわりされて気分の良い者はいないだろう。
どう声を掛けるかタイミングを計ればメルディアスがファウスティーナが抱く本を見下ろした。
「お嬢様はその2冊でよろしいのですか?」
「は、はい。私はこれだけで」
「そうですか。坊ちゃんも持っている本だけなので会計を済ませてきますね」
メルディアスに持っている本をそれぞれ渡した。会計をしている間、2人並んで待つが漂う空気は微妙そのもの。自分の失言が齎した結果に頭を抱えたくなる。
何度も名前で呼んでと言われて、今回やっと勇気と決心がついて挑もうとしたのに――結果がこれでは台無しだ。小さく溜め息を吐くと横から小さな声で呼ばれた。振り向くとベルンハルドの横顔はとても寂しそうだった。
「……ファウスティーナは……、……僕の名前を呼ぶのが嫌?」
「え……!?」
断じて違うと首を振っても説得力が皆無。ファウスティーナはちょっとずつ言葉を発した。
「そんなことは決して……。た、ただ、その、……愛称でと言われてどう呼べばいいか分からなくなって……」
「叔父上はいつも呼んでいるじゃないか」
「司祭様しか呼んでいないので、てっきり司祭様だけに許されているのかと思って……」
「そ、そんな訳ない……!」
声量こそ大して大きくないものの、表情と声色から伝わる必死さが動揺を招く。ベルンハルドを愛称で呼ぶのは、知っている人だとシエルだけなのだ。
「僕をベルと呼ぶのは叔父上だけだけど、ファウスティーナが呼んではいけない理由がない。ただ――」
曰く、シエルからベルと呼ばれるのは単にベルンハルドが長いから、らしい。父が頭を悩ませてつけた名前を長いと言われたのは軽くショックだが、毎回ベルンハルドと呼ぶのも長いと抱くのは普通なのだろう。
「殿下は、私の名前長いとは思わないのですか?」
「ファウスティーナ? 僕と同じくらい長いけど呼びにくいとは感じてないよ」
今まで自分の名前がどうのこうのと考えなかった。ただ、ベルンハルドの名前を呼びたかった前の自分を覚えているからこそ、渇望している。反面、前の自分の破滅を知っているから将来の為にベルンハルドと適切な距離を保ったままでいたい。
「お待たせしました」
会計を終えたメルディアスが二つの紙袋を提げてやって来た。会話の流れを変えられると安堵するものの、胸のチクチクは消えない。
書店から出て次は何処へ行くかと話になるかと思いきや「お嬢様」と呼ばれてメルディアスを見上げた。
「坊ちゃんも。あまり気にしないで良いのですよ。名前を呼ぶ呼ばないを気にすると、君のご両親みたくなりますよ」
「僕の?」
「お2人は知らないでしょうが、坊ちゃんの母君が父君を名前で呼び始めたのは成人を迎えてからなんです」
「え!」
母君――つまり、王妃シエラを指す。初めにベルンハルドの呼び方を指摘したのはシエラ。折角婚約者になれたのだから名前で呼んではどうかと勧められた。そのシエラがシリウスの名前呼びを始めたのが成人からだと知らされ驚きしかない。
「仲が悪かったの……?」
王妃教育終了後に作られる短いお茶の時間でシリウスとの学生時代を語るシエラの様子から、仲が険悪だと感じられなかった。偶に喧嘩はしてもすぐに仲直りをするとも語っていた。
ベルンハルドの問いはファウスティーナもすぐに知りたい。
「いいえ。そうではないのです。まあ……父君に問題が大ありでして」
「父上が?」
「……あの方が常に気にするのはシエル様だったのでね……後はお察しです」
「……」
「……」
2人は揃って何も言えなくなった。仲の悪い異母兄弟として有名で、且つ、シリウスはシエルに対する気にし方が尋常じゃない。
仲の良い夫婦でも結婚する前は誰も分からない。
「なのでお気になさらず。事を急いても幸運は巡らない。名前を呼ぶ呼ばないでもお2人の仲は良好なのですから、些細な事柄は置いといて次へ行きましょう」
他者を魅了する微笑はシエルと同じだが、メルディアスの場合妖艶さが追加される。他人にすれば些末でも当事者からすれば重大。何か言いたげな視線をメルディアスへ投げつけるベルンハルドの手を握った。
瑠璃色の瞳が丸くなるのを見ながらゆっくりと発した。
「……殿下を名前で呼ぶのは……もう少しだけ待ってて、下さいませんか」
「……」
「相手を名前で呼べば当然相手に気にされるではありませんか。殿下を呼んで、意識されちゃうと――照れが強くなって何を話せばいいか分からなくなってしまって……」
言っている間にも顔の体温は急上昇してしまい、手を握る体温も顔と同じで熱くなっているだろう。誤魔化すように笑うと不安げな面持ちから一転――最初ポカン顔からすぐにベルンハルドの顔も赤く染まっていった。
視線を泳がせながらも意を決してファウスティーナの薄黄色の瞳と合わせた。
「う……んっ。待つよ、ちゃんと、待つから…………このまま手を握ってていい……?」
言葉で表す代わりに力強く頷いた。声を発しようにも情けない声色しか出なかっただろうから。
お互い顔は赤いままだが歩いていれば赤みも引いていくだろう。
次に行く場所をメルディアスから確認され、予め決めていた場所を告げたのだった。
読んでいただきありがとう御座います!
今年もよろしくお願い致します!




