失敗の気まずさ
王都のイル=ソーレ通りにあるアレイスター書店と肩を並べる歴史を持つグレゴリー書店。
ベルンハルドが最初に選んだ場所の1つ。弟のネージュは病弱でベッドの上で過ごす日々が多い。その為、起きていられる時間で過ごせる方法がかなり限られていた。
本を読むのが一番の楽しみなのは、1日の内時間があれば顔を出していたベルンハルドがよく知っている。
南側は女神を祀る総本山ラ・ルオータ・デッラ教会がある。女神と関わりが深い街でもあるので、女神の話が好きなネージュにピッタリな本があると予想した。
3人はグレゴリー書店の前に立った。建物の老朽化が進み、去年改装工事がされたと聞いたので外観は綺麗になっていた。
「望みの本が見つかると良いですね」
「うん。ファウスティーナもね」
ファウスティーナ個人としても女神に関わる本は読んで損はない。女神の生まれ変わりには謎が多い。詳細を知っていそうなシエルに訊ねてもはぐらかされるだけ。
1度先代司祭、オルトリウスが戻った時に聞けば良かったと今になって後悔が襲う。嵐の如く戻ってくると嵐の如くまた旅立って行った。聞く時間というものがそもそもなかった。
ドアノブを引いて扉を開けた。古書独特の香りが漂う店内は明るく、外観だけではなく内観も綺麗に変わっていた。人はまばらでゆっくりと好きな本を探せる。
「一緒に探しますか?」とファウスティーナがベルンハルドに問う。
「そうしたいけど、ファウスティーナと僕が探す本が同じとは限らないから、店内は別で探そう。本が見つかったらどちらかが来るってどうかな?」
「それで行きましょう」と頷くファウスティーナだったが「あ」と零した。
護衛のメルディアスの体は1つ。2人が別れると彼はどちらかしか行けなくなる。ベルンハルドも同じ考えに至ったのか、しまったとばかりに見上げた。
「おれは構いませんよ。表立って警護しているのがおれ1人だけで、もう1人こっそりとお2人を護衛している者はいますので」
「え、本当に?」
「ええ」
そっと店内を見回すもメルディアスの言う人物は見当たらない。
「簡単に見つかってしまえば、隠密でいる意味がないでしょう?」と教えられ、納得した。ベルンハルドもファウスティーナと同じく誰か探していたがメルディアスの言葉で探すのを止めた。
「メルディアス様は……」と言い掛けて止まった。この後、普段なら殿下と呼んでいい。今回は違う。お忍びで来ているベルンハルドを殿下と呼べない。アップルパイを買う際は小声で呼んでいたとしても。静かな室内は自身の予想より声が響く。ベルンハルドとも呼べない。途中で声を切ったことで訝しげに見下ろされているのは感じ取っている。この先を言うのは簡単。ファウスティーナにだけ超難関。
(覚悟を決めたんだから、ここはちゃんと呼ばなきゃ……!)
と抱くがなんと呼べばいいのか。
本名をすっ飛んで急な愛称呼びは難易度を爆上げさせるだけ。
何か、何かいい呼び名は――ファウスティーナは無意識に紡いだ。
「メルディアス様は“兄さん”と一緒……に……」
意識し直して冷や汗が大量に流れ出る。
兄さん? 誰が? ――ベルンハルドのこと。
生まれた年は同じでも日数で言えばベルンハルドの方が早い。異母兄弟と有名なシリウスとシエルも数ヶ月差で生まれている。
ベルンハルド、ベルとも呼べないファウスティーナが無意識に紡いだのが兄さんだった。
言ったそばから慌てて訂正しようとしても、隣にいるベルンハルドが固まってしまっているせいで何も言えず。助けを求めてメルディアスを見上げても口元を抑えて肩を震わせている。……笑うのを堪えている姿がメルセスと同じなのは、やはり彼女がフリージア家と関係がありそうだからか?
などと考えていても微妙な空気は消えてくれない。居た堪れなくなったファウスティーナは逃げるように奥の本棚へ小走りで向かった。
誰もいなくなると深い溜め息を吐いた。
「何をやってるんだろう……」
前の自分はどんなに嫌われても憎まれてもチャンスがあれば名前を呼ぼうとしたのに。今の自分の臆病さに嫌気がさす。
すぐには戻り辛い。欲しい本を選んで時間が経ったらもう1度チャレンジしよう。
今度こそ、呼べるように。
(ベルンハルド殿下の愛称って他に何があるかな)
シエルが好んで使うのはベル。
ベル以外の愛称を考えてみよう。
(ハル? ルルド? ベルンは……ベルと被るから駄目。ハルかルルドの方がいいよね)
実際に呼べるかは別に置いて、候補だけは挙げていく。
古書店というのもあり、年季の入った本棚には相応の価値があると見られる本が多数置かれている。流行りの本も置いてあるらしく、周囲を窺いながら本棚の前に立った。
ある部分だけ、ごっそりと本がない。誰かが纏めて購入したのか、どんな本が置かれていたのか気になっていると店主らしい男性に声を掛けられた。
「何かお探しですか?」
「いえ、ここだけ大きく隙間があるのでどんな本が置いてあったのかなって」
「ああ。ついさっき、貴族の親子が纏めて買われて行きましてね。置いてあったのは“穴掘り名豚・子豚のピギーちゃん”と“元気一杯・コールダックのダックちゃん”ですよ」
「!!」
子豚のピギーちゃんと言えば、ケインの従者リュンが最も好む子豚。更に聞くと今現在出版されている全巻を購入していったとか。
ピギーちゃんもダックちゃんも早くに来ていれば買えていた。
アップルパイとピギーちゃん・ダックちゃんを天秤に掛けるが……どちらも欲しい。欲しいなら、どちらかを諦めないとならない。
ピギーちゃんを買えていたら、リュンにプレゼントした。
ダックちゃんは自分専用。
落ち込むと店主は「まだまだ色々ありますのでごゆっくり」と慰めの言葉をかけ、行ってしまった。
(そうね! 本は沢山あるんだから他を探しましょう!)
違う本棚へ目を向けた。
恋愛小説が置かれているスペースで2年前話題になった小説も置いてある。
恋愛小説というとファウスティーナは、実家である公爵邸から持ってきた本で最後まで読めていない本があった。
『捨てられた王太子妃と愛に狂った王太子』という、タイトルから物騒さが否めない本。
主人公は公爵家の次女。姉には生まれた時からの婚約者である王太子がいた。かなり性格の悪い姉で、自分よりも容姿も才能も優れた妹を陰で虐め抜く。王太子の前では被る猫も妹がいると効果がなく落ちる。理性が働かないのだ。優しい王太子は婚約者に苦言を呈すも、余計姉の嫉妬心を刺激して主人公は更に邪険にされる。
(悪役の姉は私とそっくりだった。あの本を見れば、前の時と同じ道を歩まないよう意識作れる。……なんだけど)
最後、主人公の命を奪おうとした姉は王太子に阻止された挙句婚約破棄を言い渡され実家を勘当された。運命によって結ばれた主人公と王太子は1年後結婚式を挙げて正式に夫婦となった。
教会に移り住む前は、その後の生活が描かれた場面を見て顔を赤らめた。前の人生を思い出したと言えど、そういった内容に全く耐性がなく、異性との免疫も家族を除くとベルンハルドのみ。但し、全く異性として見られていなかった上に常に嫌悪の対象だったせいで甘い関係になるわけもない。
『捨てられた王太子妃と愛に狂った王太子』を最後まで読めてないのは理由があった。主人公が王太子妃となってからの生活が甘い部分が終わると白紙になるから。ページはあっても文字がない。
読もうにも文字がなければ物語は読めない。
一体、あの本はなんなのか。誰が置いたのか。
「……」
聞こうにも内容が内容なだけに迂闊に聞けない。
気にしても仕方ないか、と無理矢理自分を納得させてファウスティーナは本探しを再開した。すると、ある本に目がいった。背表紙に刺繍されたタイトルに惹かれ、足を伸ばした。ギリギリで手が届かない。爪先立ちしても届かない。
(あ、あともう少しなのに!!)
飛べば届くか? と抱くも、本の壁に衝突して悲劇になる未来しか浮かばない。
「!」
本が取れるか取れないかの瀬戸際に立たされるファウスティーナの横に大人の男性が立った。ファウスティーナが取ろうとしている本をあっさりと取り――ファウスティーナに差し出した。
ポカンと見上げた。
品のある亜麻色の髪を右耳の下から垂れるように縛っている糸目の男性。
「どうぞお嬢様」
「あ、ありがとう」
1度、シエルの知り合いだからと顔を合わせたことがあるだけ。
1度しか会ってないのに違和感を抱いた。
読んでいただきありがとうございます!




