持ち上げて、どん底へ落とす
メルディアスと名乗った妖艶な美貌の護衛騎士。プラチナブロンドをハーフアップにしているところ、垂れ目がちな紫水晶の瞳は同じ。漂う雰囲気は違ってもメルセスが思い浮かぶ。性別は勿論、声も全く違うので同一人物はない。立ち上がったメルディアスは今気付いたという感じでエルヴィラに向いた。
「これはこれは妹君。妹君も祭りに来ていたのですね。公爵の姿が見えませんが?」
「な、なんなのですかあなた!」
「え? 先程、ヴィトケンシュタイン公女と王太子殿下に名乗りましたよ? 2人の護衛を陛下と王弟殿下から仰せつかったメルディアスと」
「お姉様とベルンハルド様に言ったなら、わたしに言ったことにならないわ。無礼な騎士ね」
「エルヴィラ!」
ファウスティーナが無礼なのはエルヴィラの方だと声を上げようとした矢先、耐えきれず吹き出したメルディアスが笑い声を上げた。
「はははははっ、坊や君やシエル様が妹君は愉快な子だと言っていたけど本当だね。サーカスの珍獣でもここまで面白いのはないよ」
「なんですって!? 公爵令嬢のわたしに向かってなんて無礼な……!」
「公爵令嬢と言われてもねえ……」
メルディアスは最初フルネームで名乗った。
フリージアの家名を聞き逃していないと発しない台詞だ。
「おれの護衛対象はファウスティーナ様と王太子殿下なんだ。それ以外の者に態々敬意を払う暇はおれにはないんだ。君が陛下や王弟殿下と同じくらい、特別な地位にあれば別だったのにね」
尚も言い返そうと口を開きかけるエルヴィラから視線を外し、さっきから妹を注意したいのにメルディアスがどんどん話を悪い方向へもっていき、途中口出しのタイミングを完全に見失っていたファウスティーナの前に視線が合うよう膝を折った。
「ファウスティーナ様。妹君はあまりお気になさらず。公爵が来ていないのなら、誰か他の騎士に公爵邸へお送りするよう指示しますよ」
「いえっ、お父様は教会に来ています。エルヴィラがいるのは……その……勝手に馬車から出て来てしまったからで……」
「ああ、道理でシエル様が楽しそうにこっちに来てるわけだ」
「へ?」
シエルが来ている?
ファウスティーナとベルンハルドはほぼ同時にメルディアスの視線がある方へ体ごと変えた。歩きながら此方へやって来るシエルとヴェレッド。メルディアスの言う通り、シエルはかなり楽しげにしている。ヴェレッドに関しては言わずもがな。
ファウスティーナ達の元へ着くとエルヴィラへ苦笑を浮かべた。
「エルヴィラ様。侍女が大慌てで君が馬車を抜け出したと公爵に伝えたよ。早く戻らないと」
「わたしもベルンハルド様と一緒に回りたいだけですっ!」
「君の望みを何でも叶えてくれるお母様にお願いすればいい。それか、君がファウスティーナ様以上に特別な存在になればいい。そうすれば王族と多く関われる権利を手に入れられるかもしれないよ?」
「……」
聞き分けのない子供にゆっくりと、優しく語り掛けるシエルの真意を若干だがファウスティーナも読み取った。仮にファウスティーナの言った通り、ベルンハルドがエルヴィラに惹かれているにしても今のままでは到底婚約破棄、婚約者変更も有り得ない。
女神の生まれ変わりだけが王家に嫁げるヴィトケンシュタイン家の娘が王子と結ばれるには、ただ1つしかない。
幸福の象徴とも謳われる“運命の恋人たち”になるしかない。
教会の司祭――王弟にまで言われればエルヴィラも黙るしかなかった。泣きそうな面持ちで俯いた。これ以上失言をしなくて済んでファウスティーナは一先ず安堵した。
「ファナ」と聞き慣れた声に呼ばれ、視線を動かせば兄がいた。姿が見えなかったが何処にいたかと問えば「さっきからいたよ」と返される。普段通りの冷静顔で。全く気配がなかった。いつの間に身に付けたのか。顔に出ていたファウスティーナに「ファナが鈍感なだけ」と言葉も相変わらずであった。最近会ったばかりでも、どんな時でも変わらないのがケインである。
半眼で見ても涼しい面持ち。
「エルヴィラがファナや殿下に何かしなかった?」
「何もしていません。殿下と一緒に街を回りたいと」
「やれやれ。父上があれだけ馬車にいろと言ったのに聞かないなんて」
「お父様は?」
「そろそろ来る頃だよ。さすがの父上もエルヴィラを領地送りにするかを考えるだろうね」
領地には怖い祖父がいる。ファウスティーナは舐めるように見つめてきた同じ薄黄色の瞳の気味悪さを思い出し身震いを起こした。思い出して良い視線じゃない。
それからすぐにシトリンが駆け付けた。後からオズウェルが呆れ果てた表情で歩いて来る。エルヴィラに対してか、それとも……。
シトリンはファウスティーナとケインの横を通り過ぎエルヴィラの側へ着くと普段と違って厳しい声色を発した。
「エルヴィラ、また周りを困らせたら駄目じゃないか。僕やケインが司祭様に挨拶をしに行く間、馬車で大人しくするように言ったのにどうして言い付けを守らないんだい」
「だ、だってっ、ベルンハルド様がいると思ったら」
「何度も言っただろう。君の振る舞いは殿下に対するものではないと。第一、エルヴィラが殿下と必要以上に仲良くなってどうするんだい。憧れを抱くのは悪くない。だけど一定の線を踏み越えてはいけない」
「お姉様だけ狡いですっ!! それにお姉様はお屋敷にいた頃、ベルンハルド様が来てもいらっしゃらない方が多かったではないですか!!」
エルヴィラの放った事実の刃がファウスティーナを容赦なく突いた。確かに逃げていた。高熱を出して倒れ、生死を彷徨っている間見ていた夢が前の自分だと知って同じ道を辿らないよう行動した。ベルンハルドとの婚約破棄は勿論、幸福となるに欠かせないエルヴィラを結ばせようと2人を同じ場所に2人っきりにしなければならなかった。隣から責める視線を強く感じる。ケインに何度か叱られた。体調不良が嘘だとは気付かれていた。
ベルンハルドにはうっかりとエルヴィラといる方が楽しそうだからと口滑った。あの時の気不味い空気は今も思い出せる。
純粋に王子を慕う気持ちを否定される悲しさから来たか、エルヴィラの紅玉色の瞳は潤んでいたが遂には雫を流し始めた。泣き出したエルヴィラに困り果てるシトリンへ見兼ねたベルンハルドが側に立った。
「僕は全然気にしていませんよ公爵」
「しかしですな殿下……」
「エルヴィラ嬢は構ってほしかっただけなのでは? ケインやファウスティーナは毎日忙しそうにしていましたから、兄姉と歳の近い僕にそう抱いたのでは……」
「違います!!」
絶対に違う、と断言する勇気はある。実際にしたのがエルヴィラでも。
ベルンハルドなりにこの場を収めようとしたがエルヴィラの否定で困惑する。
「そこまでだよ」
手を軽く叩いてシエルが場の支配権を一気に奪った。続きを発しかけたエルヴィラに涙目で睨まれるも誰をも魅了する微笑みを貼り付けたまま。
後方にいるオズウェルに準備の進捗を伺い、終わったと告げられた。
「そう。街では露店が開いていく頃だ。教会も『リ・アマンティ祭』に参加する恋人達が集まり出す。そろそろ持ち場に戻らないとならないから、君の我儘ももう終わり。どうしてもファウスティーナ様とベルンハルドと行きたいのなら、一緒に行けばいいよ」
「! い、良いのですか?」
今までエルヴィラの行動を否定していたシトリンや反対する立場であるシエルが認めたのを凝視するケイン。シトリンに名を呼ばれてもシエルはエルヴィラに蒼い瞳をやったまま。
最後の最後で同行を認めてもらえて泣きながらもエルヴィラは驚喜する。予想外な発言をした叔父を見上げたベルンハルドだが、蒼い瞳と目が合うと微笑まれた。帽子越しから頭を撫でられる。
「但し――君の身の安全の保証は一切しない」
「…………え」
「そうだね、メルディアス」
天上人の如き美貌で微笑を見せたまま、紡がれたのは残酷な言葉だった。固まったエルヴィラには見向きもせず、護衛役を仰せつかっているメルディアスに問うた。振られるのを予期していたメルディアスは急な問いにも慌てず、のんびりと答えた。
「それはまあ。おれが陛下や貴方から命じられたのは、ファウスティーナ様と王太子殿下の護衛だけ。他の者まで護衛する気は更々ありませんよ」
「公爵家お抱えの護衛を連れて来ているようだから、何かあれば彼等が守るのは当然さ。というわけだよエルヴィラ様。安全で楽しい祭りを堪能したいなら公爵達と行きなさい。ファウスティーナ様とベルといたいなら、万が一、危険な目に遭っても陛下直属の上級騎士は君を助けない。公爵家の護衛の腕を信じることだ」
「シエル様……」
シトリンの言いたいことはシエルにも伝わっている。公爵家の護衛の腕が悪いのではない。持ち上げて底へ叩き落とすのに敢えて言葉にしただけ。
口を引き攣らせ、あんなにも笑顔に染まっていた表情も今は見る影もない。得体の知れない化け物を見る目でシエルを見上げ、縋るようにベルンハルドへ向くも――その前に薔薇色の髪をした男性がベルンハルドの背を押してファウスティーナの所へ戻して行く。
誰も助けてくれない、味方になってくれない。
絶望的状況にエルヴィラは青い顔をしたまま、消え入りそうな声でシトリン達と行くと呟いたのだった。
「……可哀想なことをした……」
ヴェレッドに背を押され、ファウスティーナやケインのいる所へ戻ったベルンハルドの視線の先にはシトリンに慰められているエルヴィラがいた。
「思わなくて良いですよ殿下。自業自得です」
「……ケインはエルヴィラ嬢に少し冷たくないか?」
「当たり前の行動をせず、自分の我を通そうとするエルヴィラに厳しくなるのは当然かと」
「それは……」
冷たく、重い。
普段から無表情に近いのに、今のケインの紅玉色の瞳は重く冷たい。ベルンハルドに向けられているのか、それとも言葉通りエルヴィラに向けられているのか。
向けられていないのにファウスティーナは恐怖を抱いている。
また、ベルンハルドの今の言葉……聞き覚えがある。
今じゃないのなら……きっと前の人生で聞いたのだ。
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