一緒に回ろうと約束した
「あ、あははははははははははっ!!!!」
晴天の下、秋の色が濃くなる自然に囲まれた場所にて大笑を発した男性に『リ・アマンティ祭』の準備を進める神官達は顔をギョッとさせ手足の動きを止めた。見兼ねたオズウェルが気にしないと手を振って作業を再開させ、片手で顔を覆って声を抑え肩を震わせるシエルに小言を飛ばした。笑いが止まらず、抑えるだけで一杯なシエルはオズウェルに何も言わない、言えない。一緒に聞いていたヴェレッドも愉快そうに笑っているが目だけは冷え切っていた。眼の先に映るのは情けない相貌をして困り果てているシトリン。
シエルはエルヴィラが南側に来たら真っ先に何をするか読んでいて態とシトリンにベルンハルドの話をさせた。ベルンハルドの伴侶に相応しいのは自分だと絶対の自信を持つ彼女なら、祭りが始まる前に挨拶をすると言って馬車から降りた父や兄の目がないのを狙ってシエルの屋敷に向かうのは明白。暴走を止められる付き人がいれば良かったのだが、虚しくも振り払われてしまったようだ。
大慌てでやって来たリンスーに報告を受けた途端、シエルが大笑し出したのでシトリンは何も言えなかった。落ち着いたのを見計らって声を掛けた。
「これが狙いだったのですか……」
「人聞きが悪いな公爵。私はエルヴィラ様が反省しているかどうかを試したかったのさ。君だって同じ気持ちだろう? 良かったじゃないか、結果が分かって」
「こんなにも聞き分けの悪い子ではなかったのに何故……。王太子殿下とは、いえ、エルヴィラでは王族には嫁げないと何度も説明したのに」
「恋心というのは、他人に言われたからって簡単に捨てられるものではないのだよ」
「それは、あなたのことを言っているのでしょうか?」
「さてね」
困った感情をシエルにやりつつ、呆れ返って溜め息しか吐かないオズウェルへ移した。
「挨拶だけをと思ったのですが……邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「ちょっとの期間で心を入れ替えられるなら、元々貴方も苦労はしなかったでしょう。公爵夫人は?」
「リュドミーラには屋敷の留守を預かってもらっています」
「いない方が却って良かったのやもね……ってシエル様、何処に行くのですか」
シトリンとオズウェルが話し込んでいる間にも、飄々とした態度で離れつつあったシエルは足を止めて――見る者を魅了する妖しい微笑みを振り向いた。大抵この笑みをしているということは、この後碌でもない出来事が起きるというのを付き合いが長いオズウェルとヴェレッドが分からない筈がなく。オズウェルは苦い顔をして呼び止めるもシエルは聞く耳を持たず。
「面白そうだから俺も行こっと」ヴェレッドは面白半分で付いて行った。
あの困ったちゃん達は、と頭に手を当てて大きな溜息を吐いたオズウェルが不意に下を向いた。
「オズウェル様?」
「時にシトリン殿。公子はどうされました?」
「ケイン? ケインなら、来た時から僕の側……あれ?」
最初に来た際、確かにケインもいた。侍女の報せを聞いた時もいた。その後は意識が向かなかったので気にしていなかった。
今何気なく下を向いたら、いたはずのケインがいなくなっていた。
シトリンが視線を左右に動かすとリンスーが控え目に前に出て。
「あの、旦那様、ケイン様ならさっき司祭様に着いて行きましたよ」
「え?」
「旦那様と助祭様の話が終わったら伝えておいてって言われてしまって……」
「……行動力豊かな子供達ですね」
「……う、うむ……」
生暖かく憐れみの籠った眼でオズウェルに慰められたシトリンは項垂れたくなるのを堪え、頭を下げた後リンスーを連れてシエルの屋敷へ歩き出した。
●○●○●○
エルヴィラが来た。
遠い方からリュンやトリシャが周章している。
事態を把握するべく、名前を呼ばれて固まっているベルンハルドを置いて2人の元へ駆けたファウスティーナ。通り過ぎる間際弱く小さな声で呼ばれたような気がした。足を止めなかった。今は状況把握が最優先。エルヴィラがベルンハルドに粗相はしない。好いている相手に嫌われる愚かな真似はしない。嘗て何度も失態を犯して嫌われる一方だった自分と違って、最初から好かれていた彼女とでは雲泥の差がある。
これは前の話。今とは違っても、ファウスティーナには自信がない。
リュンとトリシャの近くまで駆け寄ると「お嬢様」と安堵した息を吐かれた。
「お父様は一緒じゃないの?」
「旦那様も一緒です。ケイン様もいます」とリュン。
リュン曰く、祭りが始まる前に準備中のシエルに挨拶をしに行くと教会に馬車を停車させ、シトリンとケインが向かった矢先にエルヴィラが突然馬車を降りた。戻るまで絶対に大人しくしているように言い付けられたのにも関わらず。当時馬車内にいたのはトリシャだけ。御者として馬の手綱を握っていたリュンは馬の様子を確認中で。リンスーは祭り開始まで休む宿の手配をしに行く途中だった。トリシャの慌てた声に気付いた時には、既にエルヴィラはシエルの屋敷へ向かって走り出した後だった。
リンスーはシトリンに知らせるべくシエルのいる教会へ。残った2人がこうして追い掛けて来たのだとか。
「門番に止められなかったの?」
屋敷の門には当然護衛役の門番がいる。
王弟が住む屋敷。腕が立ち、許可された客人以外は通さない。
ファウスティーナの身内といえど、事前に話が通されていなければ通さないはずなのに。
それが……とトリシャは困り顔で答えた。
「エルヴィラお嬢様の名前を聞くと門を開いてしまいまして」
「え?」
「そうなんです。てっきり止めてくれるものだと思っていたので吃驚ですよ」
門番が主人の許可なく外部の人間を敷地内に入れた。つまり、事前に話が通されていた?
ベルンハルドとエルヴィラが“運命の恋人たち”となり、更にベルンハルドがエルヴィラに惹かれていると力説したファウスティーナの話に乗ったシエルが態と門番に話をしていたのなら。エルヴィラが問題なく中に入れたのも頷ける。本人に確認しないと真実は定かではないが自分の予想は当たっていると確信めいたものがあった。
事情を把握したファウスティーナは2人から離れ、嬉々とした表情で語りを止めないエルヴィラと戸惑いが隠せないベルンハルドの元へ戻った。ファウスティーナの姿を見るなりあからさまに顔を歪めたエルヴィラに苦笑しつつ、安堵した相貌を滲ませたベルンハルドへ事情を説明。もうすぐ来るであろう父の代わりに謝るとエルヴィラは声を上げた。
「迷惑とはなんです! わたしが問題を起こしたような言い方はやめてください!」
「お父様には馬車の中で待つように言われていたのでしょう? お父様やお兄様が馬車に戻ったら、エルヴィラがいなくなっていると騒ぎになるのは分かるでしょう」
「トリシャやリュンがいるのなら、2人を連れて外へ出たと思ってくれます」
「その前に外へ出るなというお父様の言い付けを忘れないで。お父様の言い付けを守らず勝手な行動をして……。お祖父様の耳に入ったら、今度こそ領地送りは確実になる」
「い、嫌です!!」
家出騒動を引き起こし、王太子の未来の相手は自分だと信じて疑わないエルヴィラに何故か同行した祖父が激怒し、領地に連れて帰り教育し直すと声を荒げた出来事。両親の説得で領地行きは消えたのに、こうやって勝手な行動ばかりしては話が再浮上する。
初めて祖父の名前が出たからか、ベルンハルドが訊ねた。その際、ちょっとだけエルヴィラから離れファウスティーナに近付いた。微かに瑠璃色の瞳を開くもホッとした表情に変わった。
「ファウスティーナ達のお祖父様が来られたのか?」
「え、えっと、はい。この間教会に来られまして」
「叔父上に用事があったの?」
「司祭様や助祭様に」
「ああ、年代的に助祭様と同じか。どんな事を話してたの?」
どんな事……息子の嫁が気に食わない、その嫁に似ている末娘は更に気に入らない。ヴィトケンシュタイン公爵家には跡取り息子と女神の生まれ変わりの娘だけがいればいいという、エルヴィラの存在を否定する発言ばかり連発。最後はオズウェルやシエルが黙らせた。
事実は話せない。
別室で会い、ファウスティーナは一緒にいなかったと嘘を紡いだ。
ベルンハルドは納得し、話題を変えた。
「僕とファウスティーナも教会に行く?」
「それよりもお父様やお兄様が来るのを待ちます。今行って入れ違いになっても困りますし」
「そうだね。じゃあ、僕も公爵とケインを待つよ」
「あ、ああの、ベルンハルド様っ」
急ぐ気持ちを押さえつけ、父と兄の到着を待つ選択を取った。
話しかけてもらえない焦りからか、不安げな面持ちでベルンハルドを呼んだエルヴィラの紅玉色の瞳は揺れていた。
「ベルンハルド様も街を回るならわたしも一緒に行きたいですっ、いいですよね? お姉様」
ベルンハルドに懇願しながら、最後の確認はファウスティーナにした。
2人が結ばれ、“運命の恋人たち”に選ばれ、王国で最も幸福な人にベルンハルドが選ばれるのなら必ず結ばせると決めた。褒められる行動ではなくても幸福に必要な道程なら耐えてみせる。
「殿下が良いと仰るのなら、私は――」
「僕はファウスティーナと行くよ」
表面は綺麗で傷がなくても、中を開けば傷だらけでいくつもの穴が開いている。自分の心に嘘をつくたびに中は綻び、表面だけが嘘によって綺麗に塗り固められていく。
自分の心に嘘の蓋をしかけたファウスティーナの意思を止めたのはベルンハルドの凛とした声。迷いの口調はファウスティーナの嘘の蓋を簡単に退けた。
断られるとは微塵も抱いていなかったのだろう。
懇願する相貌には薄らと確信めいたものが浮かんでいた。
なので、ベルンハルドに断られた瞬間動きが止まった。
辛うじて声を発しても「な……ぜ、ですか」だけ。
「今回『リ・アマンティ祭』に参加を決めたのは、いずれ僕やファウスティーナにも関わってくる事だからよ。女神を知るのは勿論、祭りを通じてもっと民の暮らしを垣間見るのが目的さ。教会の司祭は代々王族関係者が担うのは、今年信仰教育を受けたエルヴィラ嬢なら知っているでしょう? 司祭にならなくても教会の事を深く知るのも王太子の役目だよ」
「ベルンハルド様の邪魔はしませんっ。だから……!」
「それに今日はファウスティーナが一緒に街を回ろうって誘ってくれたんだ。だから、僕はファウスティーナと行くよ」
親愛と信頼に満ちた瑠璃色がファウスティーナへいき細められた。
「殿下……」
手を伸ばせば触れられるのに。
一歩踏み出せばすぐ側にいられるのに。
ベルンハルドとの距離が遠いのは……抱くのは……。
今と前の彼。
エルヴィラへ妖精姫と囁き、慈しみ、愛した彼も。
今こうしてファウスティーナを信頼する彼も……同じ人。
同じなのに、違う。
ベルンハルドを好きな気持ちに偽りはない。やり直しの人生か何か分からない今なら、叶えたかった願いを叶えられる期待が膨らむ。手を伸ばしたら同じように手を伸ばして掴んでくれる。他の女の手は取らない。
抱いても――目の前の彼がエルヴィラを愛し自分を憎んだ以前の彼に変わる。
自惚れるなと突きつけられた気分だ。高揚しかけた気持ちは一気に落ちていき、冷静さを取り戻して姿勢を正した。そこへ――場違いな拍手が届けられた。
3人の視線が一斉に同じ方向へ。
腰にベルトを巻いた、紺色の服と黒のパンツ姿の男性が拍手を送っていた。プラチナブロンドをハーフアップにし、垂れ目がちな紫水晶の瞳が男性の美貌と重なって妖艶さを増していた。
シエルに負けず劣らずな美貌の男性の登場に3人揃って固まった。ファウスティーナは誰かに似ていると抱き、謎の男性を凝視する。視線に気付いた男性が微笑む。やっぱり誰かに似ている。思い当たる人物が頭に浮かぶも性別が違う。ならシエル? かと抱くも種類が違う。思い出したくて男性を凝視すれば、隣にいるベルンハルドが慌てた声色で呼んできた。
「ど、どうしたんだ、気になるのか」
「? とっても」
「!」
似ている人がいるのなら、思い出したくなるのが人の性と言うべきだろう。頷くとベルンハルドがショックを受けて固まってしまった。
「殿下?」
首を傾げるもベルンハルドの異変の原因に心当たりがない。
「あ、はは」と楽しげに笑ったのは謎の男性。ファウスティーナとベルンハルドの元へ来るなり跪いた。ベルンハルドはその行動で我に返り、警戒心剥き出しに見つめた。
「王太子殿下とヴィトケンシュタイン公女の護衛を陛下と王弟殿下から命じられました――メルディアス=ムスト=フリージアです。遅れてしまい申し訳ありません」
謝罪を口にしながらも、声色に一切の悪気がなかった。
こういう時はそう、シエルやヴェレッドに似ている。
誰かに似ているかと抱いて考えればあの2人に似ていた。……にはならなかった。やはり、男性――メルディアスの外見を見たせい。
メルセスと似ているが向こうは女性。メルディアスは男性。家名は教えてもらえずでも、同じ特徴を持っているのを見ると彼女はフリージア家の関係者なのだと抱いた。
読んでいただきありがとうございます!




