素直に受け止められない
『リ・アマンティ祭』当日の朝――
前日は空を見上げているのが多かったメルセス曰く、今日は雨が降る可能性は極めて低いらしい。その証拠に空には雲1つない。メルセスは神官としての仕事があるからと今日はファウスティーナのお世話はお休み。代わりに屋敷の侍女と朝から支度をした。着用する服や靴、帽子は前日から既に決めてあったので選ぶ時間はなかった。袖にフリルのついた白いシャツの上に青色のチェック柄のピナフォアを着た。腰にリモニウムの刺繍のあるリボンを巻き、最後に黄色のブローチが着けられた帽子を被った。
靴はヒールがなく、動き易さを重視のシンプルデザイン。今日は1日中外を歩き回る予定だから疲れない靴を最優先で選んだ。姿見の前で自身の身形をチェックをし、侍女に顔を上げた。
「どうかな? おかしいとこない?」
「ありません、完璧ですお嬢様! お嬢様はどんな服もお似合いになりますね!」
「そうかな。メルセスのセンスがいいんだよ」
「メルセス様のセンスも勿論ですが、お嬢様が元から目立つお顔をされているから更に魅力が増すのですよ」
本心から言っている侍女なのだが、お世辞を言ってくれているのだとファウスティーナは言葉だけ受け取った。
そろそろベルンハルドが来る時間。前回会った際に、当日は動き易い服装でとお願いをした。これは露店巡りをするからである。ベルンハルドも意味を悟って頷いてくれたので今日は王子様の服装ではないだろうと踏む。
ベルンハルドはお忍びで露店を巡りをする為、露店巡り中彼を殿下と呼べない。以前から何度か名前で呼んでほしいと言われてもファウスティーナははぐらかしてきた。
だって――
「思い出しちゃうから……」
「どうしました?」
「なんでもないよ」
いけないいけない、と心の中で自分を叱咤した。
うっかり口に出していた。偶にやらかしては訝しげに見られる。今後は更に気を付けないと。
思い出す……ベルンハルド様と呼ぼうものなら、冷酷な声色で黙らされるあの人生を。常日頃から毛虫を見るような目で睨まれてきたファウスティーナには、念願の名前呼びは嬉しくもあり重たい課題だった。
今の自分が呼んでも以前のような声は、瞳は、向けられないだろうと分かっていても。
侍女と共に屋敷の外に出た。優しい風が吹き、ファウスティーナの空色の髪が靡く。帽子が飛ばないよう軽く抑えつつ、王家の馬車が来るのを待つ傍ら侍女とお喋りをすることに。
「司祭様は朝から忙しそうだったね」
「普段は適当にやろうとして助祭様にお説教されますからね。今日は教会にとっても一大行事なので司祭様も本腰を入れて働かないと」
「司祭様がメインになって動かないといけないもんね……」
数日前まではすっぽかそうとしてオズウェルに大説教を食らっていたが当の本人は気にした様子はなく。側にいるメルセスは呆れ返っていたし、ヴェレッドは眠そうに欠伸をしていた。オズウェルの側にいたジュードは2人の間に入り何時までも小言を言うオズウェルを宥めていた。次期助祭候補のジュードだが、彼も彼で苦労人である。司祭を補佐する助祭は苦労人気質の人が多いのだろうか。先代司祭の前の司祭はどんな人だったのかをオズウェルに訊ねると「オルトリウス様やシエル様とは全然違うタイプの方でしたよ」と返された。
良い意味ではなく、悪い意味で。
先王ティベリウスが王位を継いだのは成人を迎えた直後。国は荒れ果て、女神に見捨てられる寸前の国を守る為、立て直す為に実の父の首を切ったとオズウェルは語っていた。当時の貴族の殆どが甘い蜜を垂れ流す国王に甘言を囁き、自分達の意のままに操っていた。このままでは国が崩壊すると危惧し、立ち上がったのが2人の王子。
オズウェルの言う通り、オルトリウスの前の司祭は時代と同じで碌でもない司祭だったのかもしれない。歴代の司祭は肖像画が残されるそうだがその部分だけなかった。
後からヴェレッドがこっそりと教えてくれたがオルトリウスが躊躇いもなく壁から外してゴミに捨てたとか。
「『リ・アマンティ祭』に参加するカップルは事前に登録をするんだよね?」
「そうです。予約開始日から終了日までに登録を済ませるのが決まりです」
「どんなカップルでも参加出来るのが嬉しいね」
「他国からも態々足を運ぶカップルはいらっしゃいます。身分を隠した貴族王族、皇族がいることもあるんですよ」
「他国の高位な方も?」
聞くところによると1年前の『リ・アマンティ祭』では西の帝国の皇太子と婚約者がお忍びで参加していたとか。
知っていれば顔だけでも見てみたかったと抱いた。
他にも隣国の筆頭公爵家の息子夫妻、大商人夫妻、更に異大陸からも。女神が実在するからこその集客力。女神の奇跡を目の当たりにし、願いを叶えてもらった者はいる。
ファウスティーナは何度か運命の女神フォルトゥナの前で願い事を念じたが叶えてもらってない。
人の純粋な願いを好むと聞く。きっと、自分のは純粋とは程遠いから叶えてもらえない。
(私が望むのは殿下の幸福だけ……その為に必要なエルヴィラと結ばれてほしいと願っても、心のどこかにある私の殿下への気持ちを見抜いてるのかも)
捨てられたのに、恋心は捨てられない。
彼が人間としてどうしようもない人間だったのなら、ファウスティーナとて前の記憶を持っていながら2度も恋をしなかった。
恋をしたのは、どれだけ嫌われていてもずっとベルンハルドという人間を見続け、どんな人かを知っているから。
いっそ知らなければ。
前の自分の性格の悪さが祟って婚約破棄をされ、公爵家を勘当された部分だけを覚えていて。
ベルンハルドという人がどんな人だったのかを忘れていれば、2度も好意を抱いたりしなかった。
「あ、王家の馬車が見えてきましたよ」
侍女の言葉に思考を遮断し、現実に目を向けようと前を向いた。
馬車が屋敷の前に停車した。御者は降り、馬車の扉を開けた。
車内には当然ベルンハルドがいた。
「ファウスティーナ!」
窓越しから既に姿を見ていたのだろう、降りると屈託のない笑みで駆け寄ってきた。スカートの裾を持ち上げベルンハルドに挨拶を述べた。
ベルンハルドもファウスティーナと同じで今日は王子の服装はしていない。裕福な平民に見える格好だ。シャツの上にベストを着用するだけのシンプルな格好だが、着飾らなくても元からの容姿がよくどんな服装でも似合っていた。
紫がかった銀糸を隠す帽子も忘れていない。王族にしか受け継がれない初代国王と同じ髪色はとても目立つ。
ファウスティーナもそうだが毎年露店巡りをしている且つ、女神と関連の深い教会があるこの街にいても不思議ではないという見方から髪色を隠す変装はしない。
「今日はよく晴れた天気だね。雨じゃなくて良かった」
「神官様や司祭様もここ数日天気を気にしていたので本当に良かったです」
「うん! 今日はネージュも来るから、雨が降っていたら来られなかったんだ」
「ネージュ殿下もいらしているのですか?」
「僕達とは別行動だけどね。ネージュが具合が悪くなったらすぐに戻るからって母上や父上を説得したんだ」
「そうだったのですか。でも、雨が降れば露店は基本的に出せないので晴れて恵まれてますね」
「そうか。言われてみれば、雨が降れば客の足も遠くなるし、商品も並べ難くなる……」
「一応、雨が降った時の対策もされてはいました。今日だけは雨が降らなかったことに感謝ですね。フォルトゥナ神が晴れにしてくれたのかもしれません」
運命の女神に天候を操れる力があるかどうかは置いておき。
立話は程々に。露店が開店されるまでにはまだ多少の時間があり、庭にお茶の準備をしていると侍女が告げた。そこで時間を潰そうという流れになった辺りでベルンハルドの従者が小声で「殿下っ」と呼んだ。訝しげに向いたベルンハルドに従者ヒスイは耳打ちをした。
少しして顔色を変えたベルンハルドが慌てた様子でファウスティーナを呼ぶ。何事かが起きたのかと構えそうになるとベルンハルドは、視線を泳がせて頬を掻いた。頬が若干赤い。
「殿下?」
どうしたのだろう、と小首を傾げたらベルンハルドは「あ……ぃや……その……」と言い淀みつつも、薄黄色の瞳と合うと恥ずかしげに紡いだ。
「今日のファウスティーナ……とても似合ってる……」
「!」
最後小さな声で可愛いとベルンハルドは言ったものの、耐性がまだまだなファウスティーナは似合ってるの一言で照れてしまって届いておらず。ベルンハルド以上に頬を赤らめた。
差し出された手を握って2人で庭へ向かう。お互いが熱いと感じるのは、お互いの体温が上がっているから。
嬉しいと抱きながらも、どうせいつかはエルヴィラと結ばれて幸福になる人。
嬉しがって、舞い上がって、最後にどん底へ叩き落とされるのなら――永遠に慣れないままでいい。
庭にセッティングされたお茶の香りに頬を綻ばせつつ、侍女が引いてくれた椅子にそれぞれ座った。
ファウスティーナにはオレンジジュース、ベルンハルドにはホットミルクを置いた侍女が不意にあることを発した。
「お嬢様。お祭り開催までに殿下とどのルートを回るかを決めるのは如何でしょう? 司祭様から、今年の出店リストを預かっています」
「そんな大事なリストを見てもいいの?」
「はい。司祭様がお嬢様と王太子殿下にと」
2人は顔を見合わせ、シエルの好意に甘えることにした。
数枚の書類を侍女に手渡され、2人でどんな店が出るのかを見ていく。
「気になるお店はありますか?」とファウスティーナ。
「うん。こことここかな。ファウスティーナは?」とベルンハルドが振る。
「私はそうですね……『エテルノ』の出張出店が気になります」
「フワーリン家が経営している店か。場所的にそこが1番近そうだから、最初はそこにしよう」
「はい! 後は……」
何処にどんな店が出店されるか、何処に行くかをリストを見ながら決めていく2人を微笑ましげに眺めるヒスイや侍女達。王子の護衛は影から見守っている。
出された飲み物もなくなり、開催の時間になった頃合いでヒスイはルートを決めた2人に声を掛けた。
「殿下、ファウスティーナお嬢様。そろそろお時間ですよ」
「分かった」
「はい」
リストを侍女に返し、椅子から降りた。
「今日はヒスイが僕達と一緒に回るんだろう?」
「はい。それと陛下と王弟殿下直々に推薦された護衛騎士も同行します」
護衛騎士ならベルンハルドと一緒に馬車に乗っていた。彼等とは別の騎士だと言うが姿が一向に見えない。ファウスティーナは話を聞いてないので存在すら知らなかった。
一体どんな騎士なのかとヒスイに問うも彼も知らされてないらしく、誰か不明。
待機している騎士に話を聞こうとヒスイが足を上げた瞬間、その声は届いた。
「ベルンハルド様!!」
固まったファウスティーナはまさかと抱きつつ、幻聴であってほしいと振り向き――項垂れた。
「エ……エルヴィラ嬢……?」
門の方向から駆け寄って来るのは、黄色のワンピースを着こなしたエルヴィラだった。周囲に小花を咲かせながらベルンハルドに向かうエルヴィラは可憐な美少女だが、その後ろでトリシャやリュンが周章していた。
紅玉色の瞳を輝かせたままベルンハルドの前に着いてエルヴィラは愛らしく微笑んだ。
「ベルンハルド様もお祭りに来られると聞いてわたしも来てみましたの! 今日の為に新しいワンピースも用意したんです!」
小さなリボン、フリルをふんだんに使ったワンピースは可愛い物好きで誰よりも似合うエルヴィラが着てより似合うデザイン。1回回って見せたエルヴィラをベルンハルドがどんな顔で見ているか……。
今此処にシエルはいない。ヴェレッドもいない。気にする相手がいない。
見て傷付くのは自分。ファウスティーナは敢えて見ないことにし、遠くの方にいるリュンやトリシャの元へ向かった。
「ファウスティーナ……?」
期待が込められた紅玉を向けられ、当たり障りのない言葉でエルヴィラを帰そうとするベルンハルドの後ろをファウスティーナが通って行った。向かった先はエルヴィラに同行していると思しき執事と侍女の元。此方には見向きもせず遠くなっていく後ろ姿を追い掛けようとした矢先、体が動かなかった。
行きたいのに、ファウスティーナの後を追いたいのに、足がこの場に留まれと言わんばかりに硬直して動かない。
「どうされたのですか? ベルンハルド様」
きょとんと首を傾げたエルヴィラから離れて、事情を聞きに行ったファウスティーナの所に行きたいベルンハルドの足は地面に縫い付けられたかのように――全く動かなかった。
ヒスイがベルンハルドに耳打ちした理由
(会ったらまずは服装についての感想を言いましょうと決めていたのに、天気の話をしてどうするんですか……! いやそこも大事なんですけど!)
 




