紳士と先代公爵の謎の逢瀬
黒いシルクハットに黒いトレンチコートを着用した身形の良い紳士。キャンドルランタンを持ちながら軽快な足取りで向かう先は森に囲まれた屋敷。迷いなく進む足に躊躇も恐怖もない。道程を脳に刻んでいるので何処に何が落ちているかも把握している。今日は幾分か気分がいい。雲に一旦隠された満月は再び顔を出し、暗闇に染まった地上に淡い光を差した。事が簡単に進めば進むほど紳士の機嫌は良くなる。話が通じない相手、自分の思い通りにならない事は大嫌いだ。特に、自分の話が通じない相手は。見ただけで殺してやりたくなる。
教会の司祭に懸想するニンファという女性に目を付けたのは偶然だった。数年前から、ラ・ルオータ・デッラ教会で生活するようになったある令嬢の身柄が欲しかった。王家の目が遠い南側の街なら、緻密に練った作戦と時間を掛ければ娘一人くらい連れ去るのは容易だと侮った。実際は王都にいた頃と同じく難航していた。側には常に司祭か神官がいた。外で一人でいる時は紳士が見張っていた数年間一度もない。司祭は勿論、神官や王国では見慣れない髪や瞳を持つ男は油断ならない。特に司祭とその男性、女性神官が最も侮れない。
嫉妬の末の愚行を犯し、両親に修道院送りにされる女性に蜜の囁きを垂れ流した。司祭を自分の物にする方法があると。
女性ニンファは紳士の手を取り、ある薬を受け取った。
令嬢の身柄を焦がれるあまり、何度か強く見つめてしまった。その度に彼等に視線を感じ取られるも囮を使って難を逃れ続けた。
つい最近も失敗をしてしまい、駒の一人を無駄にしてしまった。監視が得意な男だったのに。心臓にナイフが刺さった状態で発見された。手慣れた相手だろう。
屋敷の前に到着。キャンドルランタンを持たないと進めないのは夜の森ならでは。丸いドアノッカーを叩いて扉を開けた。通常は訪問者の報せを受けると使用人が現れるのだが、今夜は紳士が訪れる事となっているので使用人は出ないように主人に言い付けられていた。どの様な相手かと詮索する好奇心の強い者はいても実行はされないだろう。此処の主人は息子と違って気性が荒い。
慣れた足取りでエントランスを抜けて階段を上がり、左に曲がって最奥の部屋を目指す。絵画も家具もない寂しげな廊下。興味がないのだ。隠居した身で見栄を張ってもつまらないと以前会った時吐き捨てられた。
最奥の大きな扉を四度叩いて――開けた。返事がなくても入れる。相手が紳士だと、中の主人は知っているから。
手に持っていたキャンドルランタンを向かい合うように置かれた椅子の間に設置してある小テーブルに置いて。自身は主人の向かいに座った。
「こんばんは先代公爵。ご機嫌如何かな?」
「如何だと? ふんっ!」
部屋の主人、基――先代ヴィトケンシュタイン公爵オールドは不機嫌な様を隠そうともせず顔を顰めた。
「出来損ないの孫がいるせいで儂は王弟や助祭に大恥をかいた。あんなのを処分もせず生かしているなど、前の時代では考えられん‼︎」
「ああ、先王陛下が即位なさるまでの時代ではそうですね」
「これも全て先王や現王の生温い政治のせいだ! あんな腰抜けに守られる国などこっちからごめんだ!」
「まあまあそう言わずに。今の世が安定しているのも、先王や現王のお陰かと。無用な争いがご近所だと、自分自身の精神にも影響を及ぼす。穏やかに暮らすには今が丁度いいのでは」
「ふん」
馬鹿にするように鼻を鳴らしたオールドは、獣の如くギラついた薄黄色の瞳で紳士を睨んだ。シトリンやファウスティーナとは到底似つかない様だ。
「お前達にとっても都合が良いからな」
「ええ、まあ」
シルクハットを脱いだ紳士は髪を柔らかく撫で上げ、本題に入った。
「例の女性に薬を渡しました。一度服用しただけで精神崩壊は免れない強い薬です」
「ちゃんと効き目はあるのだろうな」
「ええ。女性に渡したのは、効果を強くする為に別の薬も混ぜています。これであの王弟も元通りにはなれない」
「現王は先王に瓜二つ、王弟は元侯爵家の娘に瓜二つ。どうせなら、二人揃って壊れればいいものを」
「それはご勘弁を。私と先代様の目的は、あくまでも女神の生まれ変わりを得ること。他の事にまで手を回すと人が足りない」
大袈裟に肩を竦めた紳士は「それに」と付け足した。
「国王には優秀な番犬がいると有名です。どこの誰かまでは情報が得られませんが……」
「どうせあの王弟に引っ付いている小僧に決まっている! 貧民街から拾ったというあの小僧は、オルトリウスが手元に置いて育てていたと聞く」
「ああ……あのとても怖い方」
先の時代において、たった一つの、どれだけ小さな悪事でも、身分関係なく粛清された者は大勢いた。“粛清の時代”を築いた先王ティベリウスと前王弟オルトリウス。当時を知る者は揃って口にする。
“怪物”と。
実際の二人を知るからこそ、口に出せる言葉。
ティベリウスよりもオルトリウスの方が何十倍も恐ろしい。紳士はよく知っている。慈愛に満ちた司祭の顔をしながら地に伏した者を平気で踏み付ける。迷い人に手を差し伸べ行くべき道へ導く顔も声も同じなのに、慈悲を与える資格のない者には徹底的に冷酷になる。
「前王弟が育てた子供は他には?」
「知らん。あの小僧しか」
「そうですか」
他にもいる可能性は大いにある。オルトリウスの周囲には将来有望な子供が大勢いた。人懐っこく、人当たりの良い性格は非常に接しやすく、対人関係が苦手な大人でさえオルトリウスを頼っていた。子供なら尚更彼に懐いていた。薄くなった昔の記憶を掘り返してもそれらしい人物は浮かばなかった。
「王弟から令嬢を引き剥がす術の中で最も最適なのは『リ・アマンティ祭』メインイベントの最中でしょう。あれなら、人も大勢いるでしょうし、皆の目は恋人たちに向く」
「ファウスティーナの周囲に居る者は警備を怠らない愚か者ではない。きちんと腕の立つ者を準備しているのだろうな?」
「勿論。私とあなたの望みは同じ。女神の生まれ変わりを得たいのです」
約数百年振りに生まれた魅力と愛の女神リンナモラートの魂の欠片を持った少女。オールド、シトリンの順に女神の色を持った男児が生まれた。もうすぐ女神の生まれ変わりである女児が生まれる。妻に二人目を産ませる、という考えはオールドにはなかった。
「ところで、もう一人のご息女……あれも頂いても?」
「好きにしろ。寧ろ、いなくなった方がいい。我が家には跡取りの息子と女神の生まれ変わりである娘だけいれば、後はあんな出来損ないがいなくなっても一向に構わん」
「はは……可哀想なご令嬢ですね。祖父にこんなに嫌われるなんて」
口に出しても紳士は微塵ももう一人の娘に同情してしない。話に聞いている限りでは、非常に我儘で自分の容姿に絶対の自信がある。という、どこの貴族の家にも一人はいそうな娘。オールドが気に入らないのは、気に入らない息子嫁にそっくりだからだろう。もしも魔性の魅力を持った令嬢に似ていたら、ちょっとは違ったかもしれない。
拳を作り強く握り締めたオールドは呟く。
「王家が女神を独り占めしていい筈がない……そもそも儂等ヴィトケンシュタイン家があるからこそ女神の生まれ変わりが生まれるのだ……」
シトリンが生まれて二ヶ月後にアーヴァが生まれた。赤ん坊の頃から並外れた魅力を持っていたアーヴァと女神の色を持って生まれたシトリン。この二人に子供を作らせれば、数百年振りに生まれる自信があった。すぐにでも婚約を結びたかったのに邪魔が入った。
誰が? ――先王だ。
王家にとっても悪い話ではなかった。
だが、ティベリウスは王命を使ってまでシトリンとアーヴァ、強いてはリオニーとの婚約も禁じた。王太子であったシリウスの婚約者選定の際もアーヴァとリオニーだけは除外した。
女神の生まれ変わりを諦めきれないオールドは王家の目を掻い潜ってでもシトリンとアーヴァの婚約に執着した。
現実は妻の実家と縁のある伯爵家が公爵家に遊びに来た際、誤って伯爵家の次女であったリュドミーラの額にシトリンが傷を負わせた事によってアーヴァとの婚約は断たれた。時間の経過と共に傷は消えると周りがどれだけ説得してもシトリンは責任を取るの一点張りで聞く耳を持たなかった。
遅くに生まれた娘ということもあって、家族や周りに甘やかされて育った娘が公爵夫人は務まらない。ましてやオールドが息子の嫁にと望むのはアーヴァのみ。
他は要らなかった。
「祭りまでは派手に動かない事だな」
「当然です。目を付けられれば折角の計画が台無しですから」
公爵家から預かった娘、それも特別な人間を攫われれば、教会は勿論王家にも非難の矛先は向けられる。特にファウスティーナを預かる教会の信頼は失墜する。更に、最高責任者司祭は薬を盛られ精神破壊を受けるのだ。美の神によって造形されたあの男の顔が廃人と化す様も見たい。その時、周囲はどのような顔をする。その場に自分はいられない。見れないのが非常に残念だ。先王や前王弟も現王もいたらいい。
身内が壊され、崩れていく様を。
読んでいただきありがとうございます!
次回からお祭りが始まります。




