過保護度が急上昇中
アーヴァ=フリューリングという女性を一言で説明すると『臆病な少女』である。
常に姉の背中に隠れ、相手と対面しても顔を俯け、まともに会話も続けられない。
流麗な赤い髪に青水晶の瞳。どんな異性でさえ虜にしてしまう魔性の魅力を持つアーヴァに向けられる同性の目はとても厳しかった。婚約者がいるのにも関わらずアーヴァに夢中になり破談になった男性は何人もいた。
女性に恨まれるからと言って彼女の性格が悪いものとは限らなかった。極限られた人間にしか向けられない、信用した瞳や声を向けられるだけで途方もない幸福に包まれる。特に信頼されていた姉が過剰なまでに妹を守ろうとしたのは無理もなかった。
身内だからといって全員に好かれているわけでもない。先代フリューリング侯爵夫人、姉妹の母は2番目の娘を嫌っていた、憎しみを抱いていたとも言ってもいい。姉には親愛の眼差しを向けるのに、妹には冷気が纏い隠そうともしない嫌悪を向けていた。実の母親に嫌われ、冷遇されていたのは社交界では有名な話だった。内情は誰も知らない。表面上は娘の美貌に嫉妬する母親と侯爵夫人が嗤われていた。それが余計夫人の矜持とアーヴァへの嫌悪を増幅させた。
「すまなかったね……」
今日の昼。予約していた茶葉を代わりに受け取りに行ったヴェレッドがファウスティーナも連れて行ったと知らされても、そう、としか抱かなかった。
後数人で今日祝福を授かりに来た貴族がいなくなるという頃に、血相を変えた神官がシエルを呼びに上層礼拝堂へ駆け込んだ。騒々しいと叱責するとそれどころじゃないと神官はシエルに耳打ちした。知らせを受けたシエルはオズウェルに残りの貴族を任せて飛び出した。
冗談じゃない。あの子は何も悪くない。下らない嫉妬のせいでどうして大切な人が傷つかなくてはならない。
アーヴァは自身の魔性の魅力について苦悩していた。持って生まれた体質なのだろうが、魅了とも取れる得体の知れない力にいつも怯えていた。
あの子をお腹に宿した時も不安がっていた。自分のこの体質がお腹の子にも移って不幸になってしまったらと。
“私達の宝物…………”
出産と同時に命を使い果たし、最初で最後になる娘への言葉はこれだった。産声を上げる我が子のとても小さな手を握ったアーヴァの手は震えていた。
決して忘れないように、脳裏に、目に焼き付けるように死ぬ間際まで決して瞳を閉じようとしなかった最後の姿が浮かぶ。
ヴェレッドにおぶられて屋敷に戻ったファウスティーナは、シエルを慕うという女性に襲われたせいで服が使い物にならなくなったとかで着替えている最中。
部屋から出てきたファウスティーナの反応も待たず抱き上げた。首に回された手が、腕に乗る重みが、体から伝わる温もりがこの子がちゃんと生きているのだと実感させる。ファウスティーナの慌てる声を遮り、シエルは一言謝った。
アーヴァが命懸けで守り、産んだ大切な娘。
やっと取り戻せたのに、再び失いそうになる恐怖は永遠に消えない。
●○●○●○
教会で生活をしてから数度、シエルを慕う過激な女性に危害を加えられそうになった。その時は側にシエルやメルセスといった頼れる大人がいたから何事もなかった。今回もヴェレッドがいたのだが、運悪く側を離れた瞬間にやられた。ひょっとすると保護者が離れるのを待っていたかもしれない。女性の登場のタイミングはあまりにも良すぎた。貴族の令嬢として護身術も習うがファウスティーナに全く素養がないせいで授業は無くなった。此度の件で再度護身術の時間も取り入れるか検討された。
「私がお嬢様に護身術を教えましょうか?」
「君がやったら冗談で済まなくなるから駄目」
「あら酷い。どういう意味ですの?」
「自分で考えてごらん」
現在シエルに抱っこされたまま、椅子に座っているファウスティーナは気恥ずかしさから顔を上げられないでいた。自分のせいでファウスティーナが危険な目に遭ったとシエルは抱いているようだが、誰に対しても優しく慈愛に満ち溢れるのは教会の司祭という役職と元々の人柄だと抱いている。自分だけに向けられていると勘違いする女性の思考が理解不能。
と考えたところで、前回の自分も人に言えるような人間ではなかったと反省。寧ろ、実の妹を殺そうと企てた時点であの女性よりも罪は重い。
「ニンファ、と言ったかな」
「ええ」
「彼女は今?」
「ご実家に返しましたわ。勿論、何をしたかもお伝えしております。後日、こわーい人が行くので大人しく家にいるようにとも」
「やれやれ。まあいい、私が行こう」
ファウスティーナを預かっているシエルが話をつけに行くのは当然で。普通、平民が貴族に危害を加えるのは重罪だ。死刑になってもおかしくない。ニンファの実家は名のある商家だ。商品の品質も開店当時から保たれており、従業員も多く住民からの信頼も篤い。特定の貴族とも取引がある。最も大きいとなるとフリージア公爵家となる。
「フリージア家の関係者も1人連れて行くから、そのつもりでね」
「あらあ〜私にそれを言います?」
気のせいか、メルセスの声が1段低くなった。心なしか紫水晶の瞳が怖い。見なかった、聞かなかったことにしたファウスティーナはシエルを見上げた。
そろそろ降ろしてほしいのだがお腹に回る手が強くなった。何を言おうとするか視線だけで察した。困ったと眉を八の字にするとシエルも困ったように笑った。
「問題が片付くまでは私が君といよう」
「え? で、でも、お仕事が」
「大丈夫大丈夫。仕事熱心な助祭さんや神官達がいるから、私が数日何もしなくても教会は成り立つよ」
「そ、そうなのですか?」
「そうなんだよ」
「そんな訳ないでしょう」
現役神官であるメルセスの説得力のあるツッコミが入れられてもシエルは気にしない。彼の優先度は常にファウスティーナが最上位。その下はその他諸々である。
これでまたオズウェルの苦労が増える。苦労人な性質は前王弟と出会ったせいだと本人は言うが持って生まれたものだと思う。
今日のことは教会にいる人達だけの秘密にしてほしいと願った。
(お父様達に知られて心配されたくないし、これのせいで屋敷に戻されるのも困るもの)
やっとシエルにベルンハルドと婚約破棄をしたい理由を知ってもらい、協力の手を借りられたのだ。今屋敷に戻されたらシエルの手が借りられない。また、ベルンハルドにも内緒にしてもらった。彼にも余計な心配をかけたくない。ただでさえ1度誘拐されて心配をかけているのだ。
(ただ……)
シエルが過保護なのは女神の生まれ変わりを公爵家から預かっているにも関わらず危険な目に遭わせたという負い目からだろう。落ち着くまで外出を控えるようにすると告げてもシエルは側を離れたがらない。
美しい銀の髪や蒼瞳に加え、天上人の如き美貌のシエルに大事にされると勘違いを起こす女性の気持ちも少しは分かる気がする。誰に対しても平等に微笑みを向け教えを授ける姿は司祭だからだろうが、美しき男性に優しくされて嫌な気になる女性はいない。ニンファがこれからどんな罰を受けるかは想像に難くない。今後の人生、穏やかに暮らしてほしいので大人しく自分のやらかしを反省して過ごしてほしい。
「今日から司祭の仕事をしないから、ファウスティーナ様、私と何をして遊ぶ?」
「え……えーっと……」
本気で司祭の仕事を一時放棄すると決定されてしまった。オズウェルやジュード他神官に申し訳なさを抱き、心の中で盛大に謝った。
側にいるメルセスが呆れた眼をシエルに注ぐも本人は知らぬ振り。
「あ、あの、ヴェレッド様は何処へ行ったのですか?」
ファウスティーナは屋敷に到着すると侍女と着替えるべく衣装部屋に向かったのでヴェレッドのその後を知らない。話題を逸らそうと名前を出した。「いるよー」とのんびりとした声が開いた扉から。見ると銀トレーに湯気が立つマグカップを載せている。8歳の誕生日プレゼントでリュンに貰った子豚のピギーちゃんマグカップを渡された。受け取るとハチミツがたっぷりとかかったホットミルクだった。
「公爵領で採取されたハチミツだって。お嬢様も、自分とこの領地で作られてるのだったら安心するでしょう?」
ヴィトケンシュタイン家は領地の特徴を生かした事業を幾つか展開している。養蜂はその1つ。公爵邸にいた頃もよくハチミツは使用されていた。一口飲むと体の芯まで安心する温かさと優しい味に力が抜ける。不思議かな、執事のカインが作ってくれたハチミツ入りホットミルクの味に似ている。確かハチミツ以外にも入れているとカインは言っていたが何を入れていたかは不明なまま。
このまま何事もなく『リ・アマンティ祭』になり、何事もないまま終わってほしい。
切実に願う。
……が、叶わないと知るのは当日だった。
読んでいただきありがとうございます!
 




