災難なお遣い
アエリアに『リ・アマンティ祭』への誘いの手紙を送り、後日了承の返事を受け取った。文末に“殿下とスカスカ妹に何をする気?”と書かれており、そんな気は一切……ないと言えば嘘になるが純粋に祭りを楽しんでほしくて呼ぶのだとまた返事を書いた。2人が“運命の恋人たち”になるのは貴族学院に入学してから。正確には、エルヴィラが入学した年に開催される建国祭だ。年に1度、王国中の貴族を集めて建国を祝う場。基本絶対参加のあの場で2人は“運命の恋人たち”に選ばれた。その時の様子を覚えてないが皆祝ったに違いない。
ファウスティーナは婚約者に嫌われ、選ばれたエルヴィラはベルンハルドに愛されていた。あれがもしファウスティーナが選ばれていたら、嫌っている相手とお似合いだと女神に祝福されたベルンハルドが絶望のあまり自死の選択をしていた。死んでも絶対にファウスティーナを愛することだけは拒絶した。そう考えると悲しくなるがベルンハルドと自分は結ばれない、結ばれてはいけないのだと突き付けられる。
朝から暗い気持ちになるとずっと抱いたままとなる。気分を変えるように軽く頭を振るとノックもなしに扉が開いた。軽い調子で「やっほーお嬢様。暇してる?」とヴェレッドが入ってきた。この人にマナーを説いても右から左に流されるだけ。訪問理由を訊ねると街へ行こうと提案された。
「ただ街に行くだけじゃないよ。シエル様にお使いを頼まれてね。お嬢様も一緒に行こうよ」
「どこに行くのですか?」
「シエル様御用達の紅茶屋だよ。頼んでた紅茶が届いたって知らせが来たんだ」
紅茶好きのシエルは専門の店でいつも紅茶を買っている。自分で足を運んで買いに行くが、偶に茶葉が切れている時もある。そんな時は店主に予約をして後日受け取りに行く。今日は誕生日の祝福を授かりに来る貴族が多い日。朝からメルセスに叩き起こされて若干不機嫌だったのにファウスティーナの顔を見るといつものシエルになった。メルセスには「お嬢様が来てから司祭様の機嫌がずっと良いので助かりますわ」と有難られるも、不機嫌なシエルを知らないファウスティーナからするとイマイチピンと来ない。
ヴェレッドの誘いに喜んで乗った。
準備をするべく、一旦ヴェレッドに部屋を出てもらい、自身は隣の衣装部屋に入った。
「街に行くだけだから……」
今着ているのは普段着のドレス。今日は風が強く肌寒いのでストールを羽織ろう。丁度近くに青色のストールがあり、それを選んだ。羽織った状態で私室に戻って外に出た。廊下には待っていてくれたヴェレッドがいて。
「あれ? 着替えないんだ」
「はい。茶葉を取りに行くだけなら、着替える必要もないかと」
「そっかあ。お嬢様とカフェに寄ってケーキでも食べようかと思ってたけど仕方ないね」
「え」
ケーキ? カフェ?
ファウスティーナの脳内に2つの選択肢が現れた。何の選択肢かと露わになる前にヴェレッドに手を繋がれた。
「冗談。ケーキは持ち帰ってシエル様のとこで食べよう。戻る頃にはシエル様も休憩してるだろうし」
また揶揄われたと抱くも、悪びれる様子もなく、楽しげに笑う彼の笑みを見ていると怒る気もなくなる。繋がれた手をしっかりと握って紅茶屋へ向かった。
●○●○●○
ストールを羽織って良かった。やはり今日は風が強く、冷たい。何度か強い風に吹かれストールが飛ばないよう掴んだ。髪が風に攫われるも日頃の手入れを怠らないので惨事にはならなかった。隣を見上げると艶やかで見事な薔薇色の髪が目に入る。王国では他にいないであろう髪と瞳の色。何処の国の出身だとか、家族は覚えているのだとか、何度か個人的な質問をするがどれもはぐらかされるだけ。踏み込んだ質問はしない方が良いのだろうが気になってしまう。
ヴェレッドをよく知るシエルに聞いても同じ。「気にしないの」と微笑まれる。助祭のオズウェルに関しても同じ。
悪い人ではないのは確か。国王や王弟に対しての態度は一切取らない、王太子に対しても挑発的な言動も行動も改めないだけで。
「茶葉を受け取ったらカフェに行こうね。どんなケーキが食べたい?」
「そうですね……ケーキもですが焼き菓子にも興味があります」
「なら、カフェじゃなくて焼き菓子店に行こうか」
「はい!」
クリームがたっぷりな柔らかいスポンジは大好きだが、固く歯応えのいい焼き菓子も大好きだ。焼き菓子なら、量を少なく買えば種類を多く選べる。どんな焼き菓子があるのかと楽しみにしつつも、先ずは1番大事なシエルの茶葉を受け取らないと。
紅茶屋の前に着いたファウスティーナは困ったように彼を見上げた。
「扉が閉まってますね」
ドアノブにはcloseの札が掛けられていた。
「変だな。いつもなら開いてるのに」
「急用でいないのかもしれません」
「近所の人に聞いてくるから、お嬢様は店の前にいてね」
「分かりました」
ファウスティーナの頭を数度撫でたヴェレッドは近くの店に入って行った。
子供扱いをして……と半眼になりかけるも、まだ子供だったと苦笑した。
試しにドアをノックするが中から反応はない。
「もし出掛けてるなら、運が良かったら店主と会えるかも」
ヴェレッドが戻るまでは動けない。扉に凭れ、彼の戻りを待つことにした。
すると――
「あ……」
薄い茶色の髪先が緩く巻かれ、藤色の高級ドレスを着た女性が店に来た。見た感じ貴婦人と思われる服装。とても美しい女性が店の前に来た、理由は1つしかない。closeの札が掛けられているのに近付く女性にファウスティーナは声を掛けた。
「あ、あの、お店の人は今いないみたいですよ」
女性の足は止まらない。店主の個人的知り合い? と小首を傾げるとファウスティーナの前に立ち止まった。髪と同じ色の瞳が見下ろしてくる。女性と瞳が重なって後悔した。教会にお世話になってから向けられた瞳の種類と全く同じだった。すぐ様移動しようと体を横に向けるも、ファウスティーナの動きよりも女性の手が早かった。強く掴んだら折れてしまいそうな細い2本の腕に胸元を掴まれ体が浮いた。
「あんた、シエル様とよくいる子よね?」
「う……っ」
「シエル様といながら他の男といるってどういうつもりよ!? 子供だからってふざけんじゃないわよっ!!」
(司祭様を慕う過激な女が来ちゃったー……!)
心の中で絶叫する。実際に声を出したくても服が首を絞め苦しくて声が出せない。女性の怒声は鼓膜を突き破る勢いで大きく耳栓がしたい。吐かれる言葉はシエルを慕うあまりの暴走。そう、シエルを慕いファウスティーナに危害を加える過激な女性は相手が子供だろうと容赦しない。常にファウスティーナの側にはシエルやメルセスがいる。安易に手を出して来なかったのは誰かが側にいたからで、今回手を出してきたのは保護者と思しき相手が側を離れたから。
「シエル様の側にいるくせに、シエル様に大事にされているくせに生意気なのよ!! あんたみたいな子供じゃ相手にしてもらえないのが普通なのに!!」女性の怒りと憎しみがどんどん膨れ上がっていく。女性の腕を離そうにも力は強く、握っても逆効果だったようで更に強く首を絞められた。早く店主の行き先を探りに行った彼が戻るのを願う。
周囲の人が異常に気付き、1人は全速力で教会まで走って行き、1人は女性にファウスティーナを離すよう叫ぶ。他にも女性に近付いて救助を試みる人はいたが……ファウスティーナを持ちながら振り向いた女性の鬼の形相に恐れ後ずさる。
そろそろ酸素が足りず視界が朧げになってきたところで――やっと戻ってきた。
「なあにしてんの?」
「きゃっ!!」
のんびりな声がしたと同時に地面に落ちたファウスティーナは急に体内に入り込んだ酸素に咽せてしまう。咳き込んでいる間にも女性の悲鳴は続いた。
「痛い痛い痛い!! な、なんなのよあんた!! 私に手を出してタダで済むと思わないで!!!」
「あっそ。知らないよ、どうでもいいし。あんたこそ、誰に手を出したか分かってる?」
「な、なによ、シエル様といながら他の男といるこの子供が悪いんじゃない!!」
「は?」
子供だろうが性別が女なら、女性にとって恋敵になるらしい。やっと咳が止まり会話に耳を傾ける余裕が生まれたファウスティーナはヴェレッドの使ってない手を握った。
「ヴェレッド、さまっ」
「大丈夫お嬢様? 怪我してない?」
「していませんっ」
「良かった。お嬢様が怪我したら俺がシエル様に怒られちゃう。
ところでさ、あんたにはお嬢様はシエル様の何に見えるの? 言っとくけどお嬢様は教会でお世話になってる貴族の子供で、シエル様はお嬢様を預かってるだけなんだよ?」
「嘘よ! その子供にだけシエル様は全く態度が違うじゃない! 貴族だから? いいえ! 貴族の子供でもシエル様はその子供と同じ態度はしなかったわ!!」
「……あのさあ」
面倒臭げな声と共に女性の悲鳴が上がった。女性の腕を捻る手に力を込めた。ミシミシと嫌な音がするがヴェレッドは気にせず力を入れていく。女性の悲鳴が大きくなっていっても気にしない。ファウスティーナが骨が折れると心配しても頭を撫でるだけで力は緩めない。
「シエル様に幼女趣味の気があると思ってる? 確かにシエル様、お嬢様には特別優しいけど幼女を好む特殊性癖はないよ。あったら俺でもドン引きする」
(ヴェレッド様でなくてもドン引きする……)
「痛いいぃぃぃぃ!! 離してよおぉ! 痛い、痛い!!」
「坊や君」
周囲の人が呼んだ教会関係者はメルセスだった。急いで来たのにも関わらず息1つ切らさず、涼しげな姿で到着した美女は腕を有り得ない方向へ捻られ絶叫している女性を見て目を丸くした。
「まあ! ニンファさんではないですか」
「知ってんの?」
「ええ。司祭様をとてもお慕いしている商家のご令嬢ですわ。坊や君が他人に理由もなく暴力を振るう子ではないと知っていますし、ファウスティーナお嬢様の服が乱れているのを見ると……ふふ」
最後に見せた頬笑みは美女の領域を遠く飛び越えた、見せた相手を氷の世界へ勢いよく叩き落とす絶対零度を帯びていた。
ヴェレッドが女性の腕を離した。のも束の間、メルセスは俊敏な動きで女性を拘束。どこから取り出したのか、縄で女性を縛り上げた。
「誰か荷車と大きな布を貸して頂けませんか?」
「はい! すぐにお持ちします!」
「お嬢様帰ろっか」
「うん……」
引っ張られた胸元を直し、背を向けてしゃがんだヴェレッドの背に体を預けた。両膝裏に腕を回され、おぶられたファウスティーナは目隠しと猿轡をされた女性がこの後どんな目に遭うか分からなくても反省してほしいと抱いた。
お使いの目的である茶葉の受け取りは後日シエルに行かせようと言うヴェレッドは、近道をして屋敷に戻った。邸内に入ってすぐ執事長が異変に感づいた。
「如何なさいました? お早く戻られてますが……」
「お嬢様がシエル様大好きな人に絡まれちゃってね。お使いは中止」
「! 急いで旦那様に伝えます!」
「いらないんじゃない? 街の人が神官を呼び出してたし。シエル様の耳にはもう入ってると思うよ。それよりさ、お嬢様にホットミルクと着替えを用意して。服引っ張られて伸びちゃってね」
「すぐに準備致します!」
着替えを担当する侍女にファウスティーナを託すとヴェレッドは屋敷を出て行った。
ファウスティーナは私室の隣にある衣装部屋に来て侍女と顔を合わせた。
「このドレスはもう使えませんわね。胸元が伸びきってしまってます」
「そうだね……お気に入りのドレスだったのに……」
「旦那様に頼んでドレスを新調しましょうか?」
「それはいいの。司祭様から頂いたドレスは沢山あるから」
有りすぎて袖を通していないドレスが多い。普段着として使用するくらい気に入っていたのに、あの女性の馬鹿力とも言える腕力によって胸元が伸びきってしまった。感情の昂りと力が直結した故の結果。
(……ぶ、無事でいられるかな? 『リ・アマンティ祭』まで……)
読んでいただきありがとうございます!




