女神の生まれ変わりじゃないから、結ばれない1
「……」
青い小鳥柄の便箋を指で挟んでピラピラと上下させるケインの表情はいつも通りの冷静顔だった。頬杖をつきながらファウスティーナから届いた手紙を読み終え、今こうして便箋を揺らしている。この行為に意味はないものの、さてどうしようかと幾つもの思案を頭の中で考え、余計な物を削ぎ落としていく。最後に残った物でも実用性がなければ消す。全て無くなればまた最初から考え直す。何百回も繰り返した無限の思考回路から脱出する術は果たしてあるのか。
――ないだろうね
このループから抜けられない限り。
あの2人が望む幸福を得られない限り、このループは終わらない。
便箋をテーブルに置いた。
届いたのは昨日。内容は今度南の街で開催される『リ・アマンティ祭』についてだった。毎年開催されるお祭りで魅力と愛の女神リンナモラートの石像の前で恋人達が愛を誓う。お互いが心底愛し合っていれば石像の持つ水晶玉が濃いピンク色に光り優勝する。優勝者は20年以上出ていない。優勝したカップルに贈られるリモニウムの形に模されたピンクダイヤモンドの指輪は、同じ年を教会の貴重品置き場にて厳重に保管されている。
ファウスティーナは毎年、お祭りの時に出店される露店巡りをするのが恒例だった。今年は違う。シエルの提案もあり、ベルンハルドと貴賓としてメインの祭りに参加するのだとか。参加可能な恋人達は成人済みのみ。
「今回はどうなることやら」
1度、2度、3度、4度。どれも『リ・アマンティ祭』に参加した経験はない。正確にはベルンハルドと2人で参加したのがない。
「今までは、毎年のようにファナが露店巡りをして終わっただけだからね。こうやって変わっていけばいい。……いや」
変わっていくだけではない。
変わらないでいいものもある。
最も重要なのはベルンハルドとファウスティーナ、2人の関係。
今の2人はどの人生においてもなかったくらいに良好だ。
ファウスティーナが今までと違うからもあるだろう。が、今回はベルンハルドもどうも違う。
今まで何度も何度も何度もエルヴィラは放っておいていい、叱られるエルヴィラが悪いのだからと言っても頑なに聞く耳を持たなかったベルンハルドが、泣いているエルヴィラをあまり気に掛けていないのだ。
4度目までの彼だったら、我先にとエルヴィラの元へ駆け付けた。泣かせた相手がファウスティーナだろうとケインだろうと。泣く理由が自業自得だとしても、泣かせる側が悪いのだと非難する。
大好きで自分の絶対的味方である母親と美貌の王子に同じ態度を取られれば、エルヴィラでなくても勘違いをしただろう。
……そして、いざ自分が捨てられ、嫌われる立場に回ると必死に相手に愛を乞う。ケインが何度もベルンハルドに手を貸そうとしても、肝心のファウスティーナ本人がベルンハルドとエルヴィラを結ばせようと意固地になっていたのもあり全て失敗に終わっている。
前の4度目のループの際。ベルンハルドとエルヴィラが初めて“運命の恋人たち”として結婚し、王太子夫妻となった。ファウスティーナはシエルの保護の下、平凡ながらも幸せに暮らしていた。時折、シエルと共にいるあの美貌の男性がファウスティーナからの手紙を送ってきた。公爵としての仕事を熟す傍ら、いつも気に掛けていたのはファウスティーナの事。王太子妃になったエルヴィラはベルンハルドや周囲が気に掛けるだろうと全く気にしなかった。
「……やめよやめよ。今は現在の事だけを考えよう」
今は全く違う5度目。
今度こそ、上手くやらなければ。
ファウスティーナが『リ・アマンティ祭』についての手紙を送ったのは、メインの恋人達参加の祭りに貴賓として参加するだけではなく、お誘いを兼ねてでもあった。ケインやエルヴィラも露店巡りをしようというもの。一緒にと書かれてないのは、当日はベルンハルドと回る予定だからだそう。ベルンハルドがいるとエルヴィラに知らせれば、当然ベルンハルドに懸想するエルヴィラは行くと折れない。
エルヴィラの悪夢は未だ続いている。
ケインは4度の最後目前、エルヴィラがどの様な目に遭ったのかを知らない。2度も“運命の輪”を回そうと企むネージュを止めようと画策するも、逆に罠に嵌って動けなくなった。かろうじて動けるようになっても全ては遅かった。
「はあ……」
あの時“運命の輪”が回り出した場にはアエリアもいた。ネージュの豹変を目にし、後を追い掛けたのだ。完全に巻き込まれたのならアエリアにも記憶が残っている筈。今回はやけにファウスティーナと親しげに見えるのも、ふとした時に見せる王子2人への敵意もそれが関係がある。
個人的接触はまだしていない。アエリアには面倒な妹命の双子の兄がいる。1度口を開かせたら暫くは閉じない喧しい双子。
アエリアについては一先ず置いておこう。
問題は手紙。
父宛にも出したとあるから、露店巡りに関しては父の方からエルヴィラに切り出してもらおう。
……と思っていたケインの予想は遥かに超えた。
「行きます! ベルンハルド様が来られるのなら、わたしもお祭りに行きますわ!」
夕食の場で。シトリンは『リ・アマンティ祭』で出店される露店巡りにベルンハルドが来ると言ってしまった。思わず肉を切るフォークを落としそうになったケインは即座に手に力を込めて失態を回避した。案の定、エルヴィラは歓喜の情を露わにした。
先日の家出騒動からずっと部屋に篭りきりで落ち込んでいた。滅多に会わない祖父からは凄まじい剣幕で怒鳴られ、叱られ。両親にも叱られ、我が儘を通したせいで1人の使用人を辞めさせてしまった。
困惑した声を出すリュドミーラにシトリンは苦笑する。
「ちょっと事情があってね……」
「ですが……。……エルヴィラ、殿下が来るということはファウスティーナも行くのですよ? エルヴィラが行くにしても別行動なのは分かりますね?」
歓喜の表情から一転、見る見る内に拗ねた面持ちをしたエルヴィラはナイフとフォークを皿に置いた。
「お母様は最近意地悪です……なんでそんな酷いことを言うのですか」
「意地悪だなんて……事実を言っているだけよ?」
「ベルンハルド様はお姉様よりもわたしを好いてくれているんです! お祭りだってお姉様のお願いで嫌々行くに決まってます!」
「本当に嫌なら殿下には断る権利があるし、ファウスティーナが強引に殿下を引っ張る真似はしないと思うの」
「でも、教会には司祭様がいるのですよ? 王弟殿下ならベルンハルド様に命令出来るのでは!」
あの時王弟殿下はいないと言ったのは誰だったか。口にすると泣き叫ばれる可能性の方が大きいから敢えて言わない。珍しく母がエルヴィラを甘やかさないが、あれだけ祖父や王弟の目がある前でエルヴィラの教育をし直すと宣言したのだ。もう後には戻れない。
エルヴィラも引く気配を見せない。ベルンハルドが自分を好いてくれているという発言に突っ込む。
「聞くけどエルヴィラ。殿下がエルヴィラを好いてくれてるって言うけど例えばどんなこと?」
「ベルンハルド様はお姉様とよりわたしといる方がとっても楽しそうにします! わたしのお話も聞いてくれますし、ずっと笑って下さっています!」
「単なる付き合いに決まってるでしょう。エルヴィラと険悪な仲になってファナを困らせないよう愛想良く振る舞ってるだけ」
「酷いですわ!!」
ベルンハルドから聞く話によればエルヴィラは話題が豊富であるものの、内容の殆どは令嬢が好むものばかり。ファウスティーナとはヴィトケンシュタインの領地の話だったり、他家が治める領地の話、更に他国の話題など幅が広い。女性の話題は男性にしたら疎く、ファウスティーナはあまりお茶会に参加させてもらえず疎い部分があるのでこまめに参加するエルヴィラから話を聞くのが新しいだけ。
テーブルを両手で叩きつけたエルヴィラを冷ややかな目で見ると共に、行儀が悪いとシトリンが注意をするも愛らしい瞳には涙が張っていた。
「どうしてですかっ、どうして誰もわたしの味方になってくれないのですか……っ」
大粒の雫が零れ落ちた。
「エルヴィラ違うわ、あなたの味方だからこそ適切な距離を保ってほしいの。エルヴィラでは王太子妃にはなれないの」
「なんでですかあ! お姉様のせいではありませんか!」
「違うわ! たとえ、女神の生まれ変わりがいなくてもエルヴィラは王太子や王子に嫁げないの。我が家は女神の生まれ変わりが生まれた時だけしか王族に嫁げないことになってるの」
リュドミーラから告げられた事実に泣き出す寸前のエルヴィラの動きが止まった。ショックと絶望が同時に襲いかかり、表情から血の気が消えていく。
「ど……どうしてですか……」
辛うじて出せたであろう問いにシトリンが説明役を買って出た。
「それが決まりだからだよ。遠い昔に決められた。先祖代々、この決まりを守ってきた。歴代の公爵家の者にはエルヴィラのように王子を慕う者はいただろう。でも、どの人も王子にではなく他の貴族に嫁いでいる。慕うことが悪いとは言わない。決まりは守らないとならない。エルヴィラが王太子殿下をどれだけ慕っても結ばれることはない」
「……」
「ファナと殿下の仲は良好だ。このまま、ずっとそうでいてほしいと思う。僕もリュドミーラもそう願っている。エルヴィラやケインにも良い縁談に恵まれてほしい。だから――」
言葉を遮るように席から降り食堂を飛び出したエルヴィラ。リュドミーラが後を追おうとするものの、今はそっとしておこうと言うシトリンの言葉に思い止まった。
席に座り直したリュドミーラは俯かせて膝の上で手を握った。
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