抱くと悲しい
1個しか紛れていないシブベリーを最初に引き当てて、あまりの渋さに涙目になったファウスティーナはオレンジジュースを一気に飲み干した。オレンジの爽やかな酸っぱさとシブベリーの渋さが混ざって口内は更に大変になったものの、2杯目を飲み干して渋みの名残を消した。仕込んだ張本人は吹き出すのを堪えつつ、大量のオレンジジュースが入れられたピッチャーを置いて出て行った。
シエルといい、ヴェレッドといい、教会に属する人はどうも悪戯好きな人が多い。メルセスはよく2人に注意をする立場なのだが、気を抜くと彼女が悪戯仕掛け人となることもある。それが今。ファウスティーナが落ち着いたのを見計らってベルンハルドが眉尻を下げた。
「僕から叔父上に言っておこうか?」
「い、いえ。いつものことなので」
「ファウスティーナは公爵家の娘なんだよ? 身分が上の者に対する行いじゃない」
「本当に大丈夫です。でも、殿下に何かしたら司祭様に言います」
言いつつ、ベルンハルドは悪戯好き筆頭に揶揄われたりしているのでメルセスは何もしない気がする。身分が上なのは確か。メルセスは貴族らしいが未だ家名は知らない。シエルやヴェレッドに聞いても知らない方がいいと言われる始末。よろしくない家なのだろうかと心配するも、オズウェル曰く――
『知らないであげてください。ファウスティーナ様に悪戯三昧しているなんて御当主が聞いたら、あの方また泣きますよ』らしい。
当主はメルセスの兄で、幼い頃から何度も泣かされているらしい。
兄よりも強い妹……その時羨望の眼差しをメルセスがいたら向けていた。
人生2回目にも関わらず、全くケインに敵わない。
「気を取り直して別のお菓子をいただきましょう」
3杯目のオレンジジュースを注ぎ、テーブルに並べられた焼き菓子を見ていく。カネデルリ ドルチ以外には、への字型のクッキーにビスコッティにクリームがサンドされたものがある。
ベルンハルドはへの字型のクッキーを手に取った。
「面白い形だよね」
普通、クッキーといえば、丸かったり四角だったりする。
口に放って咀嚼する。
「意外と硬いクッキーだね」
ファウスティーナも気になってへの字型のクッキーを食べてみた。濃厚なバターの味がすぐに広がった。硬めの食感で噛む楽しさがある。オレンジジュースとの相性も抜群だ。ホットミルクとも良さそうだ。
いくつか食べると今度はもう1つのクッキーを手にした。ファウスティーナとベルンハルドは同時に食べた。こちらも食感がよく、ヘーゼルナッツの香りとチョコレートが特徴的。
食べ終えるとどのお菓子がどんな風に美味しかったのか、意見を出していく。
カネデルリ ドルチは最初のシブベリー入りを取ってしまった為遠慮したが、1個だけというメルセスの言葉を信じてもう1つ食べた。シブベリー入りじゃなくて安堵したのは言うまでもない。
「今度教会に来る時は、もっとお菓子に詳しくならないといけないかな」
「ふふ。ですね。私ももっと色んなお菓子の勉強をしなくては」
カネデルリ ドルチは北大陸のお菓子だとメルセスは言っていた。彼女のお菓子の知識に関しては驚くことばかり。おすすめの本があればベルンハルドに教えると約束をした。
扉が小さく叩かれた。返事をするとメルセスが再びやって来た。
「お嬢様、王太子殿下。そろそろ時間ですわ」
時間の流れというものは意外にも早い。特に、楽しいと感じていると尚のこと。
残念そうに「もうそんな時間か」と呟いたベルンハルドはソファーから降りた。
ファウスティーナも続いた。
「もっと話していたかったのだけれど……」
「しょうがないですよ。王都から教会は距離がありますし、戻るのに時間が掛かりますから」
「その分、ファウスティーナといる時間を大事に出来て僕は嬉しいよ」
向けられる微笑みには温かな信頼と親愛が込められている。この4年で慣れてきたと思ったものは全部まやかし。慣れていない。向けられる度に顔に体温が集中する。悟られたくなくて平静を装うも、耳まで赤くなっている。
(でも……)
良好、良好な関係だと自分だけではなく周囲も知っているのに、胸から消えない寂しさは何なのだろう。
エルヴィラに何もしていないから訪れた平穏。前のように、エルヴィラに手を上げ泣かせ続けていたら同じ道を辿っていた。
ふと、抱く。
恋愛小説の悪役もヒロインに嫉妬をして嫌がらせさえしなければ、望んだ相手との幸せは無理でも違う幸せを手に入れられたのではないかと。
そう考えると悪役というのは、徹底的なまでにヒロインの為に存在する当て馬なのだと痛感させられる。
もし此処にエルヴィラがいて、前のように怒鳴って泣かせて追い出したら、きっとベルンハルドも前のようにファウスティーナを嫌う。
妹を虐め泣かせる最低な姉だと……。
「ファウスティーナ? どうしたの?」
「い、いえ、何でもありません」
つい思考の海に浸って現実から逃げていた。ベルンハルドの声で我に返ったファウスティーナは一緒に行きましょうと客室を後にした。
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