揶揄われるのは甥っ子の宿命
鏡の前に立つファウスティーナは自分の髪の乱れに脱力したくなった。寝相は悪い方ではないのに髪が色んな場所から跳ねていた。天辺は鳥の巣にでもなれそうな跳ね具合。ファウスティーナを起こしに来たメルセスに吹き出されつつ、今日はベルンハルドが来る日だから念入りに手入れをしましょうと準備に取り掛かった。以前エルヴィラの悪夢について相談内容を書いた手紙を送り、返事を貰った際に訪問日に本を持って行くと記されていた。読書嫌いなエルヴィラが読むかどうかだが、贈り主がベルンハルドからだと言えば喜んで読む気がする。気は引けるがエルヴィラの悪夢をどうにかしたいなら多少の我慢は必要だ。婚約破棄をしたら好きなことをすると決めたものの、婚約破棄までの道程が想像以上に険しく時間が掛かるとは思わなかった。女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。なら、王国で最も幸福とされる“運命の恋人たち”が婚約者と妹だったなら……優先されるべきは幸福の象徴。
丁寧に櫛で髪を通してもらいながら鏡に映る自分を見つめる。前回の記憶を思い出したお陰で色々と変えたい部分は変えれた。前の自分は似合いもしないリボンや宝石を欲しがった。全てはベルンハルドに見てもらう為に。無駄となると知る今は、必要な時以外は欲しいと抱かない。自分に似合う物が欲しい。そう考えるとシエルが与える物はどれもファウスティーナの好みにピッタリな物ばかり。あまり教えていないのにどうして分かるのだろう。
メルセスが最後にバレッタを使い、準備は整った。バレッタにはファウスティーナの瞳と同じシトリンが使用されている。濃い青系統の色以外にも自分に合う色があって嬉しくなった。因みに贈り主は着けてくれた本人である。
今日のドレスは青を基調としている。紺色だと色が暗く、ベルンハルドと会うには止めておこうとなった。
「朝食も済まされましたし、殿下が来るまで時間があるのでどうします?」
本を読むにしても長時間向けは続きが気になってしまい駄目。散歩をするにしても時間が余る。シエルは司祭の仕事が、ヴェレッドは何処かへ行っている。相手をしてもらえそうな人はメルセス。ソファーに座ったファウスティーナは話し相手になってもらおうとメルセスを見上げた。
「メルセスは教会で働いて何年になるの?」
「もう10年以上は過ぎますわ」
「教会で働くことに反対はされなかった?」
「ええ。お嬢様もご存知の通り、家を継ぐ予定のない長男以下は基本独立するか、どこかの家の婿養子になります。女も嫁入りするか、家を継ぐ場合は婿を取ります」
「うん」
「それ以外の方は文官になったり、教師になったり、高位貴族の家や王城で働いたり等様々です。シエル様のせいで今の神官に女性はいませんが先代様の頃は多かったのですよ」
原因はシエルの圧倒的美貌のせい。とても30代とは思えない若々しさ。ヴェレッドもだが2人揃って歳を取っていない気がする。それを言うとオズウェルも年齢の割に若々しい。メルセスも実年齢は知らないがかなりの美女。教会の人々は美のエキスパートが揃い過ぎている。
「私が神官になれたのは色々ありますが……まあ、司祭様に特別どうこう思わないのが1番かと」
「そこが大きそうだね」
「ええ。司祭様に夢中になって仕事を疎かにされては堪りませんもの」
「司祭様の人気ってすごいよね……」
身を以ってシエルの人気ぶりを体験しているファウスティーナからすると若干の恐怖さえある。
「フォルトゥナ神は気紛れに人間の願いを叶えるって有名じゃない」
「はい」
「私も願ったら叶えてもらえるかな」
「お嬢様が? どんな願い事ですか?」
素直にベルンハルドと婚約破棄してエルヴィラと結ばれますように。と言えないので――
「ベルンハルド殿下がずっと幸せでありますようにって」
ずっと昔から抱く願い。どんなに冷たくされても、嫌われても捨てられない本心。
幸せになってほしいから、絶対の幸福になり得る“運命の恋人たち”にしないといけない。
「まあ……」
微笑ましいものを見る目で見下ろすメルセスに気恥ずかしさを抱き、えへへと笑った。
メルセスは座るファウスティーナに膝を折り、皺も傷もない手入れの行き届いた白い手で小さな両手を包んだ。母やリンスーよりも大きいと感じる手はとても温かい。
「フォルトゥナ神に願わなくても殿下は幸せですわ。お嬢様がいらっしゃるもの」
「そんなことないよ。女神様にちゃんとお願いしないと」
「そうですね。だけど忘れないでください。殿下が幸福でいるのは勿論、お嬢様にも幸福でいてほしいのです。殿下もそう思っています」
「……そうだね」
行き着く未来を知っているからこそ、願うのはベルンハルドの幸福だけ。苦しい思いをするのは自分だけ。今の良好な関係から、婚約破棄をしたらベルンハルドも最初は傷付くだろう。傷を癒す存在がエルヴィラだとすぐに気付き、愛し合うようになる。蕩けるような瑠璃色の瞳を、声を、全てエルヴィラに注いでいたベルンハルドの姿が脳裏にチラチラと映る。
エルヴィラを愛せるようになれば、ファウスティーナとの別れもエルヴィラと愛し合う為に必要な過程だと何時しか考える。
ベルンハルドは場所がヴィトケンシュタイン公爵邸じゃないから、楽しげに過ごしながらも時折寂しげに扉を見つめる。些細な変化なので他の誰も気付かない。ファウスティーナにしか気付けない。それだけずっと彼を見ていた証。エルヴィラがいなくて寂しがるから、会話の中にエルヴィラの話を盛り込むのを忘れない。怪訝な顔をされるがベルンハルドの隠された心情を見抜いているファウスティーナは騙されない。今日もエルヴィラの話題は盛り込む。寧ろ、今日はエルヴィラ関連の話題が主だ。
手紙の最後に書かれていたコールダックのダックちゃんが可愛く描かれており、画力のないファウスティーナは羨ましくなる。父も兄も上手なのに。エルヴィラに関しては、まず絵を描かないので不明である。
メルセスと暫く会話をしていると控え目に扉が叩かれた。屋敷の侍女がベルンハルドの到着を知らせた。メルセスに促されたファウスティーナはソファーから降り、外へ向かった。
玄関には既にベルンハルドがいて、ファウスティーナと目が合うと頬を緩ませた。
「久しぶり、ファウスティーナ」
「お久しぶりです、殿下」
ドレスの裾を持ち上げ挨拶をするのは忘れない。顔を上げると嘗てエルヴィラに向けられていた甘い相貌には遠いが、親しい者にしか見せない信頼のある笑みを見せられ胸が鳴った。婚約破棄後も同じは難しくてもこのままの関係を続けていけたら……。
ベルンハルドは持っていた本をファウスティーナに差し出した。
「『短編集』ですか?」
「うん。ネージュとも話したんだけど、物語を読んでから眠ると内容が頭に残って夢に出ると聞いて。それに本を読み終えたら眠くなるだろう? 悪夢を見ないくらい眠くなればエルヴィラ嬢も眠れると思うんだ」
ベルンハルドやネージュの考えた案は早速試したい。……と言いたいが。
「エルヴィラが本ですか……難しいですね」
「エルヴィラ嬢はあまり読まない?」
「私やお兄様と比べると全く……。でも、殿下からのお勧めだと話せば読むかもしれません」
ベルンハルドを餌にエルヴィラを釣る。表現は良くないが素直に読ませるにはこれしかない。本を両手で受け取ったファウスティーナは後でエルヴィラ宛に手紙を添えて本を送るとメルセスに渡した。
客室に案内しようと声を掛ける寸前、今は教会で司祭の仕事をしている筈のシエルの声が飛んできた。見ると何処かへ行っていたヴェレッドもいる。
「おやベル。もう着いていたんだね」
「ご無沙汰しております、叔父上」
「ふあ……ねっむ、ねえシエル様寝ていい?」
「駄目。仕事が沢山あるんだから」
「シエル様がやればいいじゃん」
「私がすると助祭さんがうるさいの」
「助祭さんがシエル様の仕事したらいいじゃない」
「本人に言って」
「やだ」
「じゃあ言わない」
眠そうな顔をするヴェレッドの横槍に付き合い、強制終了させたシエルはベルンハルドの紫がかった銀髪を撫でる。背は伸びたといえ、まだまだシエルの方が高い。
「メルセス、その本は?」
「僕がファウスティーナに渡した本です。この前来た手紙にエルヴィラ嬢の悪夢について相談されたので」
「えー? あの妹君本を読む子に見える?」
「あくまで手段の1つとして紹介したんだ」
相変わらず相性が悪いらしく、揶揄う口調のヴェレッドに噛み付くベルンハルド。シエルが微笑ましげに見ていると照れ臭そうに顔を逸らした。再度頭を撫でながら「ヴェレッドと性格が合わないのは陛下と同じだね」と笑う。国王シリウスも毎回険しい顔付きでヴェレッドの相手をする。それが面白いのか、余計揶揄い挑発するヴェレッドも大概だ。
「しかし本か。ヴェレッドの言う通り、エルヴィラ様はあまり本を読むタイプの子じゃないだろうね。体を沢山動かす子でもなさそうだし」
「眠くなるには、やっぱりある程度の運動は必要です」
「後は睡眠に効果のある薬草を煎じて飲むか、睡眠薬を頼るかだが。効果が無くなってきているのなら別の手段を考えないとね。
しかしベル。やけにエルヴィラ様を気にするね。君の好みの女性はエルヴィラ様のような子なのかな?」
「なっ、違います!」
ファウスティーナがベルンハルドとの婚約を破棄したがっている理由を知ったシエルが揶揄うと冗談に聞こえない。事情を知らないベルンハルドは心外だと言わんばかりにシエルに詰るが苦笑しながらまた頭を撫でた。
「ははは。冗談だよ。ただ、男の子なら可愛い子は好きだろう?」
「僕にはファウスティーナがいるのですよ!」
「婚約者がいるからって容姿の話には関係ないだろう? で? ベルの個人的意見は?」
「あまり考えたことがありません。可愛い子って言われてもルイーザがいますし」
「ああ、ルイーザ様ね」
従妹のルイーザもエルヴィラと同じ可愛い部類に入る美少女。性格に関してはルイーザが1枚猪突猛進振りが激しい。
面白そうにヴェレッドがシエルの横に立ちベルンハルドを見やった。
「じゃあお嬢様は?」
ここで話題に出さなくても……! と言いたいのに言えないファウスティーナはベルンハルドが何と言うか緊張しながら待つ。
「可愛いに決まってるだろう!」
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