ネージュの企み
今朝、教会へ行く馬車に乗り込んだベルンハルドを見送ったネージュは書庫室で本を抱えたまま、本棚に凭れ考え事をしていた。先日、安眠方法の模索をし、幾つかの良案を見つけたベルンハルドは教会でファウスティーナに会ったら教えると告げていた。効果があるかは分からないが彼女の役に立てるのが嬉しいのか、機嫌が良かった。
ネージュが抱えている本は親が子供を寝かし付ける際によく利用される絵本。意味もなく持っているが側には誰もいないので気にする必要もない。
「もう11歳、か」
自分が、じゃない。
ファウスティーナやベルンハルドが、である。
「今までと全く異なってきているけど……最後の到着地点はやっぱり変わらない。変わっちゃいけないんだ」
今までの11歳では、ファウスティーナが教会に身を寄せるようになるのはベルンハルドの最後の止めのせい。
―― “お前のような底意地の悪い相手が婚約者となった僕の気持ちにもなれ! お前は僕の唯一の汚点だ!”
ファウスティーナのせいもあっただろうが、人に、ましてや生涯を共にする相手に向けていい言葉の限度を大きく超えている。
自分で言っておきながら、拒絶しておきながら、最後は捨てられたと被害者のように振る舞う兄に何度苛立ちを覚えたか。
その度に捨てたのは兄上の方、ファウスティーナは捨てられた側だと何度も言ってやった。
「前の4度目でやっとエルヴィラ嬢と結婚してもずっと探し続けるんだから……手のかかる兄上だよ」
捨てたのなら、ずっと捨てたままでいたらいい。拾い直したって、捨てられた側は捨てた者を許さない。
ファウスティーナを諦めるようにと初夜で役目を果たさなかったベルンハルドに結婚1年目で薬を盛りエルヴィラを襲わせた。そこで漸くファウスティーナを諦め、エルヴィラを求めた。かと思ったのに……
「はあ……」
全く諦めていなかった。何度か内密に薬を盛ってはエルヴィラを襲わせていたが元婚約者に対する執着は並大抵ではなかった。4度目が終わる間近で知った、ベルンハルドがエルヴィラに避妊薬を飲ませていた。それも本人が気付かないよう、事後の疲れを癒すお茶だと偽って。
エルヴィラの見る悪夢の原因は4度目が最後を迎える前にネージュがした仕打ちだろう。どうせなかったことになるのなら、最後の最後まで役に立たなかったエルヴィラに対し苛立ちは抱いていた。王太子妃にしか出来ない仕事だとある場所に放り込んだ。ベルンハルドとファウスティーナ、2人が死んでも“運命の輪”は再び動き出さなかった。死んで幸福になったからとケインは力無い様子で呟いた。死んで得る幸福がどこにある。
もう1度“運命の輪”を回す。それがどんな結末を迎えるかは分からないと運命の女神が止めてもネージュは回した。その前に王太子妃の役目を果たせと放り込んだエルヴィラは、全身から声を張り上げ助けを求めていた。
「……なんで助けを求めるかな。ずっとアエリア嬢に仕事を押し付けてきたんだ、最後の最後くらい自分で役目を果たさないと」
助けて、助けて、ベルンハルド様! と泣き叫ぶエルヴィラに首を傾げ見せた。
『どうして助けを求めるの? 君は王太子妃なんだよ? これは君にしか、王太子妃にしか熟せない仕事だよ?』
『何も難しくないじゃないか。頭を使う必要もないんだ。難しい事は何もしなくていい。頭空っぽな君には打って付けだよ』
青い顔をして見上げてくるエルヴィラに益々分からないと眉を八の字に曲げた。
『あれ? もしかして、自分が頭空っぽの馬鹿だって自覚なかったの? 大丈夫だよ。そんな君でも漸く出来る仕事なんだから、精一杯励んでよ』
『なんでぼくが助けないといけないの? 君がどうにかなって悲しむ人って君の両親くらいなのに。ケインは既に君を切り捨てているし、国王も王妃も元から君に期待なんてしてない。押し付けられたからね』
『第一、助けを求める相手を間違えてない? ほら、昔みたいに“ベルンハルド様あぁ!”って叫びなよ。奇跡が起こるかもよ?』
馬鹿にするように笑えばエルヴィラの顔色はどんどん青く染まっていく。声真似は下手だなと自分自身で苦笑し、じゃあね、と後ろを向くと叫び声は倍になって空間に響いた。高音で大きな声であれば、成る程、公爵夫人が毎回いち早く駆けつける訳だ。彼女の叫び声を聞けばどんな時だって公爵夫人は駆け付け、ろくに理由も聞かずエルヴィラがファウスティーナのせいと言えば叱り付け。見捨てられたら全部ファウスティーナの為と被害者になる。
ベルンハルドと一緒だ。
どうせなかった事になるにしても、廃人になったエルヴィラを領地で隠居生活を送る先代公爵夫妻の元へ送り付けてやろう、などと悪魔が囁く。きっと夫人は狂ったように泣き叫ぶだろう。愛する娘の無惨な姿に。
『まあ、そんな時間ないけどね』
「なかったからね」
回想を終えたネージュは一人呟く。王太子妃の役割を強制的に熟させている間にも、“運命の輪”を回し戻す必要があった。
「そうだ」
良いこと思い付いたと笑む。
「『リ・アマンティ祭』で兄上とエルヴィラ嬢の仲を見せ付けられたら、叔父上も今までのようにいかなくても少しは不審を抱いてくれるよね」
今までと違うなら、別の方法でベルンハルドとエルヴィラがお似合いかを周囲に印象付けられたらいい。
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