悪夢を見てる割に本人は熟睡中
その日の夜――。
お日様をたっぷりと浴びて花の香りがするシーツに顔を埋めるファウスティーナは夢を見ていた。
11歳の今よりもほんのちょっと大きい手、伸びた空色の髪。服も寝間着ではなく、貴族学院の制服。既視感があるのは前回の記憶のお陰。頬を触っても抓っても感触がない。悪夢に魘され眠れないエルヴィラと同じで自分も遂に悪夢を見る時が来たのだと戦慄した。制服を着ている時点で既に察している。ふと、誰かに呼ばれた気がして自然と足をそちらへ向けた。
学院の庭師が手入れする花々は花壇を彩る大事な主役。ピンク色の花が多く咲いていた。
――あ……
並ぶ花壇の奥側から歩いて来る見慣れた男女。
腕を組み、仲睦まじい姿で歩いて来るのはベルンハルドとエルヴィラ。“運命の恋人たち”に選ばれた、王国で最も幸福な男女。
――悪夢も悪夢ね……とっても悲しい……
ファウスティーナが婚約破棄を願うのはベルンハルドの為。彼の最大の幸福の為には、運命によって結ばれた相手エルヴィラがどうしても必要となる。自分がなれるのなら、なりたい。彼の、ベルンハルドの運命の相手に。だがどうあっても女神は自分とベルンハルドを結ばせたくないのだ。態々2人がお似合いな夢を見る時点で、ファウスティーナはベルンハルドにとって必要のない相手。女神の生まれ変わりだろうがエルヴィラには立ち向かえない。
最初が悪かった。だから嫌われた。努力をして性格を直してもエルヴィラに対する嫉妬や怒りは抑えられなかった。
母に愛されているくせにベルンハルドにまで愛されるエルヴィラが羨ましくて……。
エルヴィラと見つめ合うのに夢中だったベルンハルドが不意に前を向いた。瑠璃色の瞳と合った。
――……そうよね、忘れちゃいけない
ファウスティーナと目が合った途端、エルヴィラに向けていた蕩けるような愛情深い感情は消え失せ、憎しみを灯らせた昏い瑠璃色を向けた。
――今の私に殿下が優しいのはエルヴィラに何もしていないから。エルヴィラに何もしなくても殿下が愛するのはエルヴィラ。この夢はそういう意味なんだろうな……
婚約者同伴必須なパーティーだって、公爵邸を訪れた時だって、どんな時だって彼が隣に置いたのはエルヴィラ。妖精姫と呟き、優しく額に口付ける光景を見せつけられ心が張り裂けそうだった。そこにいるのはエルヴィラじゃない、私の場所だと何度も叫びたかった。
嫌いになれたら楽になれたのに。シエルが異母兄であるシリウスの対応を見ているとよく分かる。嫌っている相手に感情を向けるのは時間の無駄であり、心の負荷が大きい。現在のファウスティーナは前回の人生で拘った母親への愛情を期待しなくなっただけで大分心が軽くなった。その分、父や兄に甘えている。エルヴィラに対しても、自慢されようが何を言われようがどうでもよくなっていた。苛立つことを言われても前のような激しい怒りは湧かない。怒鳴り散らしたい気も起きない。
塩対応をするだけで心が楽になれると知っていたら、前回の人生、婚約破棄はされても最悪公爵家勘当は防げたかもしれない。
が、首を振った。
――婚約破棄をされた傷物令嬢なんてすぐに出て行きなさい! ってお母様に追い出される率が圧倒的に高い。どの道、婚約破棄されても私が公爵家を勘当される結末は防げないのかも。
ならば、今回は必ず穏便に婚約破棄を成し遂げよう。
ベルンハルドはエルヴィラに惹かれている。教会で生活をするようになったファウスティーナに月に1度の頻度で会いに来てくれる彼は時折寂しそうにする。言葉にされずともファウスティーナは確信していた。王都の公爵邸では必ず何食わぬ顔で現れるエルヴィラがいないからだ。伊達にずっとベルンハルドを見ていたんじゃない。彼が誰を待っているかは明白。嫌われていなくても恋心を向けてもらえない辛さは誰にも悟らせない。
償いでもある。迷惑をかけたベルンハルドへの。
途中で性格が多少マシになっても実の妹を邪険にし、平気で暴言を吐き捨てる女が婚約者だった可哀想な王子様。大嫌いな相手に決まりとして誕生日プレゼントを贈らねばならなかったのも相当嫌だっただろう。
プレゼントはどれにもベルンハルドの気持ちが表れていた。誰にでも似合う無難な白いリボンに結ばれたプレゼントは、その時令嬢達で流行っている流行物ばかり。ファウスティーナへの配慮は一切ない。
――多分だけど、殿下名義で贈られて来ただけで実際は違う人が用意していたんだと思う
エルヴィラには、エルヴィラに特に似合うプレゼントを贈っていたから圧倒的に有り得る話。
睨まなくても、憎しみの灯った瞳をしなくても2人の邪魔をする気は毛頭ない。無事婚約破棄を達成したら、前回のように愛し合ってくれればいい。王太子妃、王妃になるべく育てられたファウスティーナを簡単に逃してくれるかは難しいが、婚約破棄に手を貸してくれそうなシエルの力を頼ろう。
――だから……安心してエルヴィラと愛し合ってください……
口が開かないので心の中で告げた。
すると――憎しみに染まっていた瑠璃色の瞳が大きく見開かれ、呆然とした相貌でファウスティーナを凝視する。次第に表情には縋るような色まで。
悪夢の割に都合が良すぎる。
悲しげに直視するベルンハルドが「ファウスティーナ……」と紡いだ。声色まで視線と同じだった。
記憶を探っても出てこない謎の場面。いや、そもそもこれは悪夢。ファウスティーナに都合良く作られた悪夢。
ベルンハルドの元へ駆け付けても、どうせ待つのは耐えられない屈辱のみ。
――さようなら……ベルンハルド様……
心の声が聞こえたのか、瞠目したベルンハルドはきょとんと見上げてくるエルヴィラの腕を引き剥がし走り出した。後ろを向いて歩き出したファウスティーナの耳には「ファウスティーナ!」「待ってくれ、行かないでくれっ!」「頼むから、私を……!!」と悲痛な声が届く。歩いているのに追い付かれないのは選んだ選択肢が正しかったのだろう。
●○●○●○
「すう……すう……」
規則正しい寝息を立てて眠るファウスティーナの頬を起こさぬよう慎重に撫でるシエル。念願叶った一緒の生活はシエルに多大な幸福を齎していた。生後半年までしか見られなかった我が子の寝顔を漸く見られるようになった。誰の邪魔もない、自由な時間で。無防備な寝顔はアーヴァにそっくりだ。気持ちが落ち着く空間や近くに信頼する人がいるとアーヴァはいつも熟睡していた。ファウスティーナの寝付きの良さはアーヴァ譲りなのだ。シエルにもアーヴァにも似ていない空色の頭を撫でた。
ファウスティーナが眠ってからずっと頬や頭を撫でるシエルを壁に凭れて眺めるヴェレッドは呆れ気味な声を飛ばした。
「飽きないね」
「飽きないよ。私の可愛い娘の寝顔なんだよ。ずっと見ていたくなる」
「お嬢様がシエル様と似ているのって何だろう。外見は全然似てない。強いて言うなら、髪に癖があるくらいかな」
「私に似なかったのは幸いなのか、アーヴァに似てしまったのが不幸なのか。まあ、どちらでもいい。生きてさえいればいい」
「あ、はは。シエル様に似ていたら王様が絶対に離さないよ。何だったら、公爵家じゃなく王様が保護してたかもね」
「薄ら寒い冗談を言わないの」
夜は冷えるようになってきたが全身寒気が走る気温ではない。両腕を摩ったシエルは苛ついた面持ちでヴェレッドへ振り向くも、小さく声を漏らしてファウスティーナが寝返りを打ったのですぐに視線を戻した。娘の動作はどんな些細なものでも見逃せない。幸せな寝顔を晒すファウスティーナの頬をまた撫でた。子供特有のもちもち頬は撫で心地が良すぎる。
満足すると部屋の真ん中に置かれているソファーに座った。持って来ていた葡萄酒入りのグラスを持った。ヴェレッドはシエルの向かいに座り、肘付きに頭を置いて寝転がった。
「何を企んでるの」
「何も」
「嘘。お嬢様に『リ・アマンティ祭』の話をするのは、まあ、時期的にはおかしくないけど、態々メインの内容を教えなくてもいいんじゃないの」
「どうもファウスティーナは、エルヴィラ様とベルンハルドがお似合いだと思い込んでいるからね」
「ああ、悪い夢を見たからでしょ」
「夢が知らずに現実になることもままある。夢の通り、2人がお似合いかどうか見極めるのも必要でしょう」
淡々と説明をするシエルだが、葡萄酒を見下ろす蒼い瞳には何も宿ってない。一切の感情が消えた無。口では確認だと告げておきながら、実際にはどう抱いているか。彼の瞳が全てを物語っていた。
「悪趣味」
「どこが」
「さあ、どこがだろう。ふふ、本当にお嬢様の言う通り、王太子様と妹君が結ばれたらお嬢様はどうなるの?」
「女神の生まれ変わりは必ず王家に嫁ぐ。例外はない。私かネージュと婚約し直すしかない」
「じゃあ、シエル様が婚約したらいい。歳の差婚なんて昔は当たり前だったし、お嬢様とずっと生活するにはこれしかない」
「それは最終手段だ。今は別の事を考えよう」
「別の?」
「そう。例えば、ファウスティーナの言う通りベルンハルドがエルヴィラ様を好いているか、否かを」
月に1度訪問しているベルンハルドの、ファウスティーナ好き好きオーラは中々にすごい。ファウスティーナを見るなり、距離があると小走りで駆け付ける。シエルに会うのも楽しみの1つなんだろうが、発せられる雰囲気の度合いから見るにファウスティーナに会う方が何十倍も嬉しそうだ。
解っていて甥の気持ちを疑う酷い叔父だと詰る。葡萄酒を飲み干したシエルは苦笑した。
「仕方ないだろう。ファウスティーナが嘘を言っているようには見えなかった。ベルンハルドの事も信じてやりたいがファウスティーナの事も信じたい。なら、実際に自分の目で確認した方が良い」
「まあね。面白そうだから俺も協力するよ」
「今日はもう寝よう。ファウスティーナの可愛い寝顔も見られた事だし、今日は朝まで眠れそうだ」
「……本当に眠っててほしいよ」
「何か言った?」
「いいえ」
夜中や明け方に起床して暇だと無理矢理叩き起こされるのがヴェレッド。ヴェレッドの安眠の為にも是非とも熟睡してほしい。最後にもう1度頬を撫でてシエルは部屋を出て行った。ヴェレッドも遅れて部屋を出ようとする。扉を閉める間際「リンナモラートが妹君を選ばないよう、祈ってるよ」と呟いた。
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