内心は冷気を纏う
頑丈な石壁によって作られた建物。頑丈な外観には似合わず、店内は店主の趣味の良さが反映されたお洒落な空間。お忍び貴族が1人の時間を堪能したい時に好んで通うカフェなだけあり、教会の司祭が来ても大して驚かれず、店で最も良い個室に案内された。
幾何学模様の絨毯が敷かれている場所には猫脚のテーブルと椅子が設置され、デザインのセンスも良い。シエルに手を引かれて室内へ進み、引いてもらった椅子に座った。
シエルは向かいに座り、頬杖を突いた。
「まずはお茶を頼もう。何が食べたい?」
「あ……ではケーキを」
「ここのシフォンケーキは絶品でね。クリームよりもジャムとの相性が良い」
「俺はそれとクッキーがいい」
「勝手に食べてなさいよ、君は」
「良いじゃない。お嬢様だって、口直しに摘む物欲しいでしょう?」
隣の椅子を引き座ったヴェレッドが足を組んでファウスティーナを見下ろす。愉快げに見られるのは慣れているのに今日は内心面白がられるのが不快だった。今から大事な話をするのに彼は愉しんでいる。元からそういう性格だと3年で知ったのに。
壁に掛けられていたベルを取って鳴らした。すぐに店の者が注文を伺いに現れた。3人分の紅茶の用意、シフォンケーキ、大量のクッキーの注文を受けると部屋から出て行った。
「ファウスティーナ様」と普段と何ら変わらない声色と調子で呼ばれたのに緊張度が格段に違う。これから前の人生の話を不審がられず、且つ、確実にシエルを味方にするよう誘導しなければならない。王弟を味方に引き込めるか、否かでファウスティーナの目標達成は大きく変わる。
ベルンハルドは叔父シエルを慕っている。シエルも甥ベルンハルドを可愛がっている。
普通の幸福よりも、王国で最も幸福に浸れるならきっとシエルだって……。
「王妃殿下や今君に王妃教育を授けているブルーロット伯爵夫人からの評価は高い。君自身も真面目に王妃教育を受け、確実に自分の物にしている。少数の者はどう思っているか興味はない。君が次期王太子妃、王妃になるに不満はない。
だが肝心の君に王妃になる気はないどころか、王太子との婚約を消したがっている。3年前から様子を見ていたが……どうにも分からないんだ」
苦笑混じりに話すシエルは言葉通り、ファウスティーナがベルンハルドとの婚約破棄を願っていると察せないのか。表面的に見てベルンハルドとファウスティーナの仲は良好。手紙のやり取りは頻繁にし、月1の定期訪問は必ず訪れ時間ギリギリまで滞在する――シエルに会いたいのもあるだろうが――ベルンハルドは、少なくとも婚約者を大事に想ってくれている。ファウスティーナもちゃんと理解している。ベルンハルドは何も悪くない。悪いのは前の自分だ。
3年の間で婚約破棄を望む原因をたった一欠片でも握れれば手を貸したと目の前の王弟は口述。現実は何もない、良好な関係を築けている。事情を知らない者からすれば、婚約破棄を望むファウスティーナに原因があるだろうと推測する。
優しげでありながらも一言でも言葉の選択を間違えれば、最後を迎えるのは自分だと言い聞かせ、ファウスティーナは語り始めた。
「……私……王太子殿下と初めて会った時急に倒れてしまって……。高熱を出して寝込んでいる時、とても長い夢を見ました」
あれが事実夢ならどれだけ良かっただろう。夢の世界を教訓にして絶対に同じ目には遭わない、ベルンハルドに好かれる事を沢山実践していた。
前の自分だと理解したからこそ、今の自分がある。否定する気はない。
夢として語ったのは、まだ夢なら誤魔化しが効くと判断したから。苦しいが夢以外適切な表現が浮かばなかった。
「知っているよ。何日か熱に苦しんでいたと。どんな夢を見たの?」
「自分でも言うのはあれですが、倒れる前の私ってお世辞にも良い子とは言えませんでした」
「そうかな? 私には、君にだけやけに冷たい母親に見てもらいたくて必死な可哀想な女の子にしか見えなかったよ」
「今はお母様の事もエルヴィラの事もあまり考えないようにしてるので何も感じませんが、あの頃はお母様に褒められたくて、一緒にお茶やお出掛けをしたくて必死でした。
お勉強を頑張れば、マナーレッスンやダンスを頑張ればお母様はエルヴィラにしているように私にも優しくしてくれると期待していました」
母親からの厳しい態度は、全て自分に期待しているからこその態度だと信じていた。兄ケインのように何事も完璧には熟せなくてもレベルの高い事柄を突破していけば、いつか「よく頑張ったわね」と微笑みながら頭を撫でてくれる、楽しくお話をしながらお茶をしてくれる、お出掛けに連れて行ってもらえると信じていた。
……所詮は夢物語。厳しい家庭教師の先生に満点を与えられても、ミスもなくダンスや所作を披露して見せてもリュドミーラが放った言葉はどれも強い否定の声だけ。
『その程度出来て当然です』
『ファウスティーナ。あなたは将来王妃になる娘よ。出来ない方がおかしいわ』
『遊んでいる時間があるなら勉強しなさい! 学ぶ事は沢山あるのよ!』
言われ続けている内にどこまで努力したら褒めてもらえるようになるか、到着のない道を永遠に歩き続ける迷い人になった気分だった。見せ付けられるようにエルヴィラに甘い姿を見続ければ、当然だがエルヴィラを大事にという2文字は消え去り、鬱陶しく邪魔な相手でしかなくなる。そんな相手にどう優しくしろと言うのか。
高熱を出して寝込む前、つまり記憶を取り戻す前のファウスティーナは思い出していなければ同じ人生を歩んでいた。
「夢を見たのは予兆なのかもしれません。このままだと私は夢で見た通りの人生を歩むと」
夢と偽って前回の人生の話をした。
顔合わせの日、貴族令嬢特有の傲慢振りを垣間見せながら自分語りをしていると段々とベルンハルドの相貌から好意的な感情は削げ落ち面倒な色になったこと、慌てて話題を変えようとしたら何食わぬ顔でエルヴィラが現れ怒鳴り、泣かせて追い払ったこと。実の妹を平気で傷付け泣かせる最低な姉だとベルンハルドに嫌われたこと。それ以降、ベルンハルドが来る度何食わぬ顔で現れては自分に泣かされ走り去るエルヴィラを追い掛けるベルンハルドに残される惨めな感情。次第に2人は惹かれ合い、ファウスティーナが詰れば詰る程2人の絆は深まっていった。軈て、王国で最も幸福な存在となる“運命の恋人たち”に選ばれた。エルヴィラがいては捨てられると焦り、エルヴィラ殺害計画を企てるも実行のかなり前にベルンハルドに勘付かれ、婚約破棄を突き付けられ公爵家から勘当されてしまった。
……という夢の説明を終えた。
微笑みは崩れず、時たま吹き出す素振りのあったシエルは飲み込むように瞬きを繰り返した後、ヴェレッドを手招きした。彼が近くに来ると顔を寄せるよう手で伝えた。
左襟足髪を口元まで持っていったヴェレッドは何かを話しているのだろうが、口元を隠されている上に声も全く聞こえないので知る術がない。
ヴェレッドが再び椅子に戻るとシエルは「うーん」と漏らした。
「大体の理由は分かった。君はその夢が君自身の未来だと信じ、ベルンハルドとの婚約破棄を望んでいるわけだ」
「はい。あの、司祭さ――」
「婚約破棄をする必要はあるのかな?」
言葉を遮られた挙句の疑問。夢の世界の出来事であって現実じゃない。夢の通りにファウスティーナが行動したなら婚約破棄待ったなし。しかし現実は、夢の自分を反面教師にしてエルヴィラには何もしていない。ベルンハルドとの仲も悪くない。婚約破棄を望む理由が何1つない。
シエルが疑問に感じるのは予想通り。
「あります。殿下とエルヴィラは“運命の恋人たち”なんです」
「あくまでも夢の世界は、だろう?」
「……いいえ、上手く言えませんが2人は運命によって結ばれていると私は思うのです。殿下は私より、エルヴィラといた方が楽しそうですし、会話も弾んでいますし」
「……どういう事かな?」
シエルの声色が低くなった。気に障る発言はしていないが、これは好機かもしれない。
「高熱から目覚めた後、殿下がお見舞いにいらして下さったのです。ただ、私が行くよりも早くエルヴィラが先にいて殿下と会話をしていて……。初めて話すにしては2人ともとても楽しそうでしたし、弾んでいましたし、殿下も嬉しそうにしていたので……」
何故かシエルの瞳がヴェレッドを睨む。
ニヤニヤ嗤いながらヴェレッドは頷くだけ。
視線を逸らすも一瞬。ファウスティーナと目を合わせたシエルの面から微笑みは消え去った。
「私の視点だとベルンハルドは君に会うのを楽しみにしているようだけれど」
「それは、私がエルヴィラに何もしていないからです。最初はエルヴィラを虐めず、謙虚にしていたら殿下とも良好な関係を築けていけるのではないかと期待しました。でも駄目でした。夢と同じで殿下が来る度、エルヴィラは来ました。全部私が行く前でしたが殿下は私といるよりも、エルヴィラといる時の方が笑っていました。私が来ると一瞬ですが落胆された事もあります」
「……」
季節は冬に近付く秋。夜は冷えてきたと感じる寒さ。現在は昼過ぎ。太陽が顔を出し、暖かな陽光を世界に照らしてくれる。なのに室内の温度は段々と下がっていく。寒さを感じ始めるも気のせいだと言い聞かせ続ける。
ヴェレッドが「……可哀想」と呟いておきながら、表情は相当愉しんでいる人間の顔である。
店の者が注文した品を運んで来るまで婚約破棄を望む理由とベルンハルドが如何にエルヴィラに気があり、エルヴィラもベルンハルドに気持ちを寄せているか話した。自分の気持ちは隅に置いて。
出来立ての紅茶の香りを堪能しつつ、何口か飲んだ。温かく冷えた体を癒してくれる味と温度に感激しているとクッキーを半分に割って紅茶に浸けたシエルは惚れ惚れする動作で口に放り込んだ。咀嚼し、飲み込むとまたクッキーを割った。
「エルヴィラ様はベルンハルドに気があるのは丸分かりだけど、ベルンハルドは本当にそうなのかな。それとも私が騙されているだけなのか」
「はは。シエル様を騙し通せる演技力をお持ちなら、王太子様将来有望だね」
「ファウスティーナ様はベルンハルドとエルヴィラ様は“運命の恋人たち”になると信じているんだね?」
「夢がそうでした」
実際は前の人生。
「そう……。“運命の恋人たち”は運命の女神フォルトゥナが人間の願いを叶える滅多にない出来事と同じであまり誕生しない。選ばれれば、王国で最も幸福な男女になるのは間違いない」
「私は殿下に幸せになってほしいんです。幸せの為に必要な相手がエルヴィラでも、殿下が幸せならそれでいいと」
「好かれているのか、そうじゃないのか」
好きか嫌いかで問われれば――好き。
破滅の道に身を浸してでも手に入れたかった人。
自分のせいで不幸な目に遭わせるくらいなら、運命によって結ばれている相手と一緒になった方が幸せになるに決まっている。
2枚目のクッキーを食したシエルは紅茶を飲み干した。美顔に再び微笑みを戻すと左手で指を2本立てた。
「これは私からの提案。君の言う通り、本当にベルンハルドとエルヴィラ様が将来結ばれる関係かどうか見極める必要がある」
指が2本、つまり、2つの案があると示している。
「2つ目は1つ目で分からなかったらの話になるから、今回は1つだけ教えよう。
そろそろ、ラ・ルオータ・デッラ教会で毎年開催されるお祭りがあるんだ。
国中の恋人たちが参加する『リ・アマンティ祭』にベルンハルドとエルヴィラ様を招待してみよう」
読んで頂きありがとうございます!
ベルンハルド君……知らない間に……。




