女神の生まれ変わりが生まれた場合のみ
現在話し合いが行われている部屋の隣に入ったファウスティーナとケインは、先導するヴェレッドにこっちと手招きされ壁に掛けられている絵画の前まで来た。絵画を持ち上げ、床に置いたヴェレッドは何箇所かを手で触っていくとある場所で壁が小さく凹んだ。するとすぐ上がぽこりと前へ出た。その部分を抜き取ると部屋にある椅子を2脚近くに置いた。ファウスティーナとケインは椅子に乗るよう言われ、靴を脱いで言われた通りにした。
「あ」
穴の向こうは暗くて何も見えないが声が届く。今聞こえるのは父シトリンの声。
「これはね、小さい頃シエル様が作った盗聴用の穴。隣の部屋って先代様も愉しいお話をする時によく使ってたから、何を話してるか気になってね。こっそり作ったんだ」
「ということは、司祭様は俺達が盗み聞きをしてるのを……」
「さあ? まあ、気付いているよね。だって俺がいるし」
因みに向こうが暗いのは壁の前に絵画を掛けているから。絵画の後ろに穴が出来るよう調節して作った盗聴用穴から会話を聞く。
「さてと。エルヴィラ様の謝罪もあったことだし、まずはどうしてこんな事をしでかしたのか理由を話してもらおうか」
声の主はシエルだ。光景は見えなくても大体頭の中で想像出来た。
「……」
「エルヴィラ? 黙っていても誰も分からないわ。話してちょうだい」
シエルに説明を求められながらも黙りになったエルヴィラを促すのは母リュドミーラ。娘を気遣う優しい母親の声。……ここにきて少し羨ましくなるのは、まだリュドミーラに母親として優しくしてほしいと願う気持ちがあるという証拠。破滅の末に終わった前の自分を思い出していなかったら、今頃この程度の気持ちでは済んでいなかった。
「エルヴィラっ」と懇願されるようにリュドミーラに呼ばれたからか、エルヴィラはゆっくりと話し始めた。
「ずっと怖い夢を見るんです……お前は役立たずだ、能無しだ、顔しか……取り柄がないってっ」
「事実じゃん」とヴェレッドが言うものだからファウスティーナは右人差し指を口に当て「しいっ!」と静かにさせ、会話に耳を傾けた。
「夢の中で、何が起きているのか分かりませんっ、でもとても怖くて……! 起きたら言われた事は覚えていても夢で何があったのかも分からなくて……」
「それでベルンハルド殿下とどう繋がるんだい? エルヴィラの夢に殿下は全く関係ないじゃないか」とシトリン。
「だって! 怖い夢を見た後、ベルンハルド様に会ったらすごく安心したのです。それにベルンハルド様のことを考えただけで怖い夢も消えていって……!」
「王太子様熱烈に愛されているねえ妹君に」
「だから静かにしてください!」
大事なところで茶々を入れるヴェレッドに再度静かにするよう告げたファウスティーナは、チラリと視線に入ったケインが気になった。
「お兄様? どうされたのです? 考え込んで」
「うん? ああ……何でもないよ」
「そう、ですか?」
「俺よりも隣の話に集中しよう」
「はい……」
納得いかないがケインの言う通りにした。
エルヴィラの訴えはベルンハルドに会いたい、会って怖い夢から解放されたいというもの。何度訴えても会わせてくれない両親を頼らず、教会にいるファウスティーナに会わせるよう直談判しに来たのだと言い放った。この行動力をもっと別の方向に持っていけばいいものを、と思ってもこういう部分は姉妹なのだと痛感させられる。黙って話を聞いていたオールドが突然声を荒げた。
「いい加減にしろ! お前のような出来損ないが王太子に会ってどうする!?」
「なっ……な……、あ……ああああああああああああ……!」
怒りの形相に歪んだ祖父の顔はファウスティーナでさえ怖かった。他人からの怒りというと3年前高熱を出して倒れる以前までのファウスティーナからしか受けていなかったエルヴィラが、長年公爵家当主を務め政治の前線で戦ってきた祖父の怒気を真っ向から受けて平静でいられる筈がなく。言葉を失った後、大きな声を上げて泣き出してしまった。すかさずリュドミーラが庇う声がするもオールドは怒気を消さなかった。
「この様な娘は我が公爵家には要らん! 跡取りと将来の王太子妃がいればいい! この女共々伯爵家に突き返せ!」
「父上! あまりにも横暴過ぎではありませんか!」
「黙れシトリン! 我がヴィトケンシュタイン公爵家が王族と縁を結ぶのは、女神の生まれ変わりがいる時だけだ。女神の生まれ変わりでもない、特別な才能を持っている訳でもない、夢の通り顔しか取り柄のない小娘程度いなくなって何が困る」
「エルヴィラも僕の娘です。確かにケインやファナと比べて甘やかしてしまったのは認めます。今からでも教育をし直してもまだ間に合います。僕やリュドミーラが責任を持ってエルヴィラの教育をやり直しますから、父上は静観してくれませんか」
「あ、はは。怖いねえあのお爺さん。でも言っていること過激だけど間違ってはないんだよねえ」
小声で茶々を入れ出したヴェレッドにもう注意をする気がなく、オールドの言った気になる台詞のせいでファウスティーナは耳を穴に傾け続けた。女神の生まれ変わりが生まれた場合のみ王族と縁を結ぶ? なら、前回エルヴィラとベルンハルドが結婚し王太子夫妻となった最大の要因は“運命の恋人たち”になったからだと確信を持てた。
同時に、エルヴィラとベルンハルドが結ばれるには2人を必ず“運命の恋人たち”にしなければならないとも。だがこれは上手くいく気がしていた。
確かに前回はファウスティーナのやらかしで2人の仲は急速に深まり、魅力と愛の女神リンナモラートによって“運命の恋人たち”に選ばれた。
やり直しの今の人生でも2人がお似合いなのは明白。ベルンハルドは未だ好意的に接してくれているが、単にエルヴィラに何もしていないから。前回のように虐めていれば当然ベルンハルドはまたファウスティーナを嫌い、心をエルヴィラに傾けていく。
『愛しているよ。私の可愛い妖精姫』
多数の花が咲き誇る庭園でベルンハルドが愛を語るのは何時だってエルヴィラだった。多分な愛情の籠った瑠璃色の瞳をほんの僅かでもいいから自分に向けてほしかった。偽りでもいい、ほんのちょっとでも向けられていたら耐えられた。
仮令正式に夫婦になり仮面を被り続ける地獄の日々が待ち受けていても、エルヴィラと密かに関係を続けてくれても、……たった少しの――偽りであっても――愛を与えてくれたら頑張れた。身も心も壊れ、愛に縋る哀れな女だとあなたが嘲笑っても。
あなたが――
『……ィーナ……、……これでずっと一緒に……』
ふと、知らない記憶が脳裏に過ぎるも一瞬だったので考える間もなく。また、エルヴィラの声が大きくなり意識を壁の向こうへ集中させた。
「お母様あああぁ! お祖父様がああああぁ!」
「エ、エルヴィラ、お願いよ泣き止んで! お義父様もあんまりではありませんか、私やエルヴィラに対して」
「はいはい。一旦そこまでにしてもらいましょうか」
気配で祖父の怒りが急上昇したのを察知し、耳を塞ごうか悩んだが場の熱気を冷ます一声によって静かになった。
「オールド殿。少し落ち着きなさいよ。頭に血を上らせ過ぎると倒れますよ。公爵夫人、エルヴィラ様が残念なのは貴方方の教育に問題があったからだ。今まで放置していた貴方にも非はある。オールド殿の言い方はアレとしても少しは反省しなさい」
「も……申し訳ありませんっ」
普段仕事をサボろうとしてはファウスティーナに構いたがるシエルに小言を言ってどうにか仕事させ、自由気ままに過ごすヴェレッドの相手をしたり、神官達を纏め平民達の相手をする仕事人且つ苦労人なオズウェル。あまり人前に出ず、大体がシエルの補佐をするか説教をするかのどちらかだった彼が場の主導権を握っている。シエルは最初以来会話に入っていない。オールドと個人的に何かあったらしいオズウェルの方が話を進めやすいと感じたからだろう。
「エルヴィラ様。王子に憧れるのは貴女だけじゃない、他のご令嬢だってそうだ。ただ、貴女の場合は姉であるファウスティーナ様が偶々王太子殿下の婚約者だった。それだけの話です。悪夢を見たから王太子に会いたいと通じるのはファウスティーナ様くらいです。少しは現実を見なさい、貴女は王太子の婚約者の妹でしかないのです。ちゃんとヴィトケンシュタイン公爵家の者としての振る舞いをしなさい」
今まで父や兄、偶に母に言われている言葉を第3者から言われればエルヴィラも考えを変えるのではないかと期待を抱いた。前王弟を支え、現王弟の補佐をしている貴族の言葉は中々に重い。ファウスティーナはエルヴィラの言葉を待った。
「……て……だってっ」
「オズウェル。お前の説教など要らん。シトリン、お前達が何を言おうと儂はエルヴィラを連れて帰るぞ。お前達では当てにならん。儂がしっかりと教育し直してやる」
「! い、嫌ですっ! なんでお祖父様の所へ行かないといけないのですか!」
「お前の説教も効果がないのだこの出来損ないは」
「全く……」
オールドが横槍を入れなかったら、或いは……感じたがエルヴィラの最初の一声を聞くに多分意味はなかった。再びエルヴィラは泣き出しリュドミーラに泣き付いた。話が纏まる気配が一向にない。困ったようにケインを見やれば首を振られた。
「エルヴィラも酷いけど、お祖父様も酷いね。エルヴィラが意固地になるのもまあ……分からないでもないけど」
「坊っちゃんは妹君に付いちゃう?」
「そういう意味じゃありません。ただ、このままだと話が終わらない」
「その辺はシエル様がどうにかするでしょう。面倒だから奥の手使っちゃえばいいのに」
「奥の手?」
何の事かと訊ねると向こうからシエルの声がした。指を向けられて意識を切り替えた。
「このままでは話が終わらない。先代公爵がエルヴィラ様を領地へ連れて帰るか否かは私には関係ないから其方で決めて構わないけれど、次期王太子妃を預かる身としては王太子の件については口を挟ませてもらおう。
確かにヴィトケンシュタイン公爵家が王族と縁を結ぶのは女神の生まれ変わりが生まれた場合のみ。これは初代国王の時代から決まっている。リンナモラートの魂の欠片を与えられ、唯一女神の生まれ変わりが生まれるのはこの為だ」
王妃教育、教会生活が始まってからファウスティーナは改めて女神の生まれ変わりが何かを調べた。教会は女神を祀る総本山。シエルやオズウェルはかなり詳しい。ヴェレッドも何故か詳しい。彼の場合、司祭や助際でさえ知らない情報を持っている時がある。どうしてと訊ねても不敵な笑みを浮かべるだけで教えてくれない。
初代国王ルイス=セラ=ガルシアと魅力と愛の女神リンナモラートが恋に落ち、最初の“運命の恋人たち”になった。絵本では最後結ばれた2人が幸せに暮らし、その子孫達が後々の王国を繁栄させていったと書かれている。
「王妃殿下、今彼女の王妃教育を授けているブルーロット伯爵夫人からの評価も高い。もしもファウスティーナ様に代わって君が王太子の婚約者になりたいなら、ファウスティーナ様の数十倍も努力しないといけなくなるよ? それこそ、一切の自由を削り睡眠時間も削り全ての時間を王妃教育に注ぐんだ。君にそれが出来る?」
「あ、わ、わたしは」
「シエル様も容赦ないね」
ヴェレッドが笑いながら言う。
絵本には2人の子孫とあるが実際には――ルイスとリンナモラートの間に子供はいない。否、出来なかった。想いを通わせても人間と女神、種族を乗り越えた恋人たちに立ちはだかった大きな壁。ルイスの次の王には彼の子供が継いだとあるが実際は王姉の子を養子に貰い、王位を継がせた。
自分よりも早くに死に、子も残せなかった。酷く嘆き悲しんだ妹神を憐れんだフォルトゥナに初代王の無念を汲んだ王家が誓約を交わすと同時に、リンナモラートの魂の欠片を当時から存在したヴィトケンシュタイン家の当主に与えられた。
時間は掛かるがリンナモラートの魂の欠片を持つ生まれ変わりが生まれるように。
「……ゾッとするよ」
「? 何か言いました?」
「なーんにも」
壁の向こうが静かになった。次に誰が何を言うのか予想しても誰も浮かばない。真剣に話を聞くファウスティーナとケインの横、壁に凭れたヴェレッドは心の中で舌を出した。
―― 王太子様に執着する妹君に王太子様と婚約破棄したいお嬢様、か……
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