悟らせないシエルの本心
可憐な花々が咲き誇り、風が吹くと花弁が舞う美しい春の季節――。
毎年、10歳になる子供を集めてラ・ルオータ・デッラ教会では女神と王国の関係を深く知ってもらうべく信仰教育を行なっている。平民と貴族で分かれるが教わる内容は大体同じ。王族、高位貴族から下位貴族の順に席に座って司祭の教えを聞く貴重な時間において、王弟が教会にはいないと自信満々に言い放ったエルヴィラに3人は固まった。いや、1人顔を手で覆っている。残り2人は唖然としていた。
ファウスティーナは今年の信仰教育の様子を隠れて見ていた。エルヴィラが真面目に受けているか心配で。勉強が苦手な彼女は、隣の席にいるルイーザの積極的な態度とは正反対で退屈しそうにしていた。
身体の弱いネージュも年々丈夫になってきており、真面目にシエルの話を聞いていた。
信仰教育では、代々の司祭が王族関係者が担い、今代の司祭は王弟であると説明された。
「……エルヴィラ……」
漸く声を出せる程には衝撃から戻ったファウスティーナが項垂れたくなるのを堪え、敵意剥き出しのエルヴィラに説明をした。そうせざるを得ない。
「王弟殿下というのは司祭様の事よ。今年の信仰教育で習ったでしょう?」
「なっ、そ、それは、急に言われても分からなかったからで」
嘘だ。ファウスティーナに指摘された途端、急に顔を赤らめ慌てて弁解を始めるもあの態度が事実を物語っている。
「ぷっ……あ、あははははははははははははは!!!!」
吹き出したのと同時に声高く笑い出したヴェレッドは腹を片手で抑え、壁に背を預けた。今度はエルヴィラが唖然となる番になった。ギョッとしたファウスティーナが高笑いが止まらない彼の足元に近付くと頭に手を置かれた。腹を押さえてない手。見上げれば、薔薇色の瞳が若干涙に濡れている。笑い過ぎて涙が出ていた。
「ははは……。……はあー…………おっかしい。面白いね君。自信たっぷりに王弟はいない、だなんて。あー面白かった。よくそれで王太子様の婚約者になりたいなんて言えるね」
「な、なな、何なのですか貴方! 公爵令嬢であるわたしに向かって無礼ですわ!!」
「無礼ねえ……」
ニヤニヤと不敵さを消さない、寧ろ、鋭さが増した瞳でエルヴィラを下から上まで見つめた。
ファウスティーナはケインの様子が気になり横を向いた。顔を手で覆って固まっていた。初めて見た兄の姿。冷静を体現したケインでも今年習ったばかりの信仰教育の内容を忘れたエルヴィラにショックが大きかったのだ。
「公爵令嬢は貴族の頂点に座する娘だ。教養や振る舞いは王族の次に高いレベルを求められる。君、王太子様やお嬢様並みの教養があるの? 振る舞えるの? 一切恥を晒さないの?」
「わたしはやれば出来ます! お母様はいつもそう言ってくれます!」
出来るのならとうの昔に披露していてほしい。胸を張って言い切ったエルヴィラを見下ろす薔薇色の冷たさは類を見ない冷酷さを纏っていた。いつも揶揄っては遊ぶシエルにさえ絶対に見せない。彼のエルヴィラへの心情が瞳1点に集中していた。
「だそうだけど? お嬢様と坊っちゃん」
ヴェレッドは愉快そうに笑いながらファウスティーナとケインへ問うた。勉強が嫌になれば母に泣き付いて、自分の思い通りにならないと母を頼って、肝心の母はエルヴィラにそう言っていたのなら兄と姉ではどうしようもない。ケインは手を顔から退け大きく息を吐いた。
「エルヴィラが出来ることって何?」
「な、何とは?」
「俺がやっている跡取り教育? ファナが受けてきた淑女教育? 王妃教育? どちらにも当てはまらないでしょう」
「わたしだって淑女教育は受けています! ピアノのレッスンではいつも褒められます」
「ファナの受けていた淑女教育と比べると天と地の差がある。ピアノが得意なのは知ってる。でも得意なだけ。ピアノの腕1本で生活を送れる技量はない。貴族の趣味の範囲内でしかないんだ」
「あんまりです! お兄様はお姉様のことしか見ていないから、わたしのことなんて何1つ理解していないのです!!」
「してるよ」
本来なら家庭教師と勉強中の時間で母と庭園でお茶を飲みスイーツを食べ、定期訪問でファウスティーナに会いに来るベルンハルドの元へ周囲に注意されても懲りずに行き、自分に非があると自覚しながらもファウスティーナのせいにして母に叱らせる。
1つ1つ、覚えている限りの行いを挙げていくケインへ向けられるエルヴィラの瞳は最初から濡れていたが話していく内に大粒の涙を溢れさせた。最後まで終えると口を震わせドレスの裾を掴んだ。大声を上げて泣く寸前。シエルの屋敷で大声で泣かれては別の意味で恥ずかしくなる。エルヴィラが泣かない方法を考えるも時間が足りな過ぎる。
「エルヴィラっ」とファウスティーナが勢いで泣くのを阻止しようと声を発した矢先、客室で話し合いの場にいる筈のシエルが様子を見に入室した。
きょとんと首を傾げ、笑い過ぎた末の涙目状態なヴェレッド、凍てつく視線をエルヴィラへ注ぐケイン、泣き出す寸前のエルヴィラ、勢いがあっという間に消えシエルの登場に安堵したファウスティーナを順番に見回し――ファウスティーナの前に膝を折って頬を撫でた。
「公爵夫妻と先代公爵は助祭さんに任せたよ。公爵夫妻、というより、先代公爵の相手をしてほしいからね」
「お祖父様は興奮していましたか?」
「助祭さんがいるからずっと大人しいよ。ただ、エルヴィラ様を領地へ連れて帰って教育し直すと言って公爵夫妻と揉めてるよ」
「お祖父様……?」
エルヴィラにはまだ祖父がいる事を伝えていなかった。
客室には両親だけじゃなく祖父もいる事を伝えると怪訝な顔をされた。
シトリンに爵位を譲って以降は年に1度程度しか王都に来ない祖父が急に来たのだ。疑問に思うのは無理もない。
ただ、今回のエルヴィラの公爵令嬢としてあるまじき行動に相当ご立腹で連れて帰られれば甘やかされてばかりのエルヴィラが毎日泣き叫ぶ生活が始まるのは目に見えていた。そこまで言わなくても激怒の祖父が来ていると知らされただけで可憐な顔は青一色。助けを求めるようケインに縋るが首を振られた。
「自業自得だよ。タイミングが悪いと言えばそこまでだけど。良い機会だから、お祖父様と領地へ行けば? そうしたら立派な淑女になれるよ」
「い、嫌ですっ!! 領地へ行ったら、ベルンハルド様に会えないじゃないですか!!」
「会う必要ないでしょう。いい加減現実を見るんだ。王太子妃になるのはファウスティーナだ、エルヴィラじゃない。第一、仮に王太子妃になれるとしても我儘放題なエルヴィラを王家に嫁入りさせて恥を掻くのは我が家だ。そんな失態俺なら御免だ」
「…………」
徹底的なまでに否定を貫くケインの姿勢に違和感を抱いてしまうファウスティーナ。前回もエルヴィラのベルンハルドに対する引っ付き具合を何度も注意していたが、心へ太く凶暴な刃物を突き刺す言葉を紡がなかった。
涙を流しながらもショックと驚きからか、顔面から表情が削げ落ちたエルヴィラは小刻みに震えるだけとなってしまった。
これがもし自分だったら……と想像したファウスティーナは心の中で高速に首を振った。心が折れ2度と立ち直れない。
頬に触れている手がむにっと摘んでくる。
「公子はえらくエルヴィラ様に手厳しいね。公爵夫人の君への態度が原因かな?」
「お、お兄様は私にも容赦ないですが本当は優しいお兄様なんですよ」
容赦なく人の心を刺すが説得力があり必ず納得出来た。ケインに対し反抗心は持ち合わせていないファウスティーナは見たことのない兄の姿に困惑を隠せない。困ったように眉を曲げるとシエルは苦笑する。ファウスティーナの頭を撫でた後、ケインとエルヴィラの間に立った。
「公子。その辺にしておきなさい。君が年齢よりずっと大人びた少年なのは知っているが最終的な判断は公爵である父君がする」
「分かっていますよ。ただ、そろそろ現実を見させないと後々困るのはエルヴィラです」
「君の言う事には一理ある。――エルヴィラ様」
「!」
エルヴィラに向いたシエルは優しい司祭の姿で微笑んだ。
「エルヴィラ様は王太子妃になりたいの? それともベルンハルドの妻になりたいの?」
「ベルンハルド様の妻です! わたしの方がベルンハルド様をお慕いしていますし、ベルンハルド様だってわたしが好きなんです!」
「へえ……そうなんだ。はは、まあね。別に女神の生まれ変わりと必ず王太子が結婚しなければならないルールはないからね」
ここにきてシエルが予想外にエルヴィラ寄りな発言を始めたせいで空気が一瞬にして変わった。相貌には見せてなくても醸し出される雰囲気から焦りを生じ始めたケインと目が合ったファウスティーナはすぐに逸らした。ベルンハルドとの婚約破棄を願っていると知られてはいても何も聞いてこなかった。女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。大昔、王家と姉妹神が交わした誓約に則って。これは絶対。但し、シエルの言う通り必ず王太子に嫁がなければならないという事はない。幾つか例外はあった。
シエルはヴェレッドを見ながら「ファウスティーナと婚約出来る王子は一応2人いるからね」と言う。笑みを深くし、挑発の意を込めた瞳をヴェレッドにぶつけられてもシエルは涼しい表情のまま。
――私と婚約出来る王子2人……ネージュ殿下と司祭様だよね
ファウスティーナはシエルの発言の意図を思考するも駄目だと軽く首を振った。シエルの考えを読み解くのは付き合いの長いヴェレッドやオズウェルですら困難と聞いた。まだまだ浅いファウスティーナは領域への1歩すら踏み込めない。ベルンハルドと婚約破棄すれば間違いなくネージュかシエルの元へ嫁がされる。しかし2人に自分を押し付けるのは申し訳ない。
ネージュには前回から抱く申し訳なさから。
シエルにはお世話になっている申し訳なさから。
ネージュとなら1歳差で済むがシエルとなると20も違う。シエルの容姿が未だ20代前半にしか見えないせいで年齢を忘れがちだが既に30代。しかし貴族の結婚に年齢差は付き物。昔は30、40も離れた年寄りと結婚しなければならなかった女性もいたと聞く。そうなると20の差は大きくとも若い見目を保ったまま、かつ、慈愛に満ちた(ファウスティーナにだけ特別)優しいシエルと婚約しても全く不満はない。
「とまあ、どうでもいい話は終わりにしよう」
「(あれ?)」
どうでも良かったのか。真剣に悩んだ自分は一体……と落ち込みかけた時、使用人が訪れ、エルヴィラと同行していた使用人が目を覚ましたと告げた。
「分かった」と頷いたシエルはヴェレッドへ向き。
「エルヴィラ様と使用人を客室に連れて行くから、ヴェレッドはファウスティーナ様と公子の相手をお願いね」
「はーいはい」
「さてと、では行こうかエルヴィラ様。きちんと君の口から謝罪するんだ。君のご両親は酷く心配していたからね」
「は、はい……」
シエルはエルヴィラを連れて部屋を出て行った。威勢の良かったエルヴィラも最後には勢いが無くなっていた。残されたファウスティーナとケインは顔を見合わせた後、同時にヴェレッドを見上げた。
「なに?」
「いえ……私とお兄様は行かなくていいのかと」
「良いんじゃないの? 寧ろ俺が行きたい。シエル様人の悪い顔してたもん」
「悪い顔?」
全く悪そうな顔はしていなかった。
「ふわあ……いいけどね。お嬢様と坊っちゃんの相手をシエル様に言い付けられたけど何をする?」
ヴェレッドの提案にファウスティーナとケインは同じ考えを口にした。2人は再度顔を見合わせるもヴェレッドが吹き出し、愉快げに笑いながら背を押して部屋を出た。
次に入ったのは客室の隣。
同席させてもらえないなら、他の手段を使って会話を聞いて情報を得る。
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