迫力満載なのは父と大違い
秋の色に染まる木々に見守られながら、おぶわれて散歩をするファウスティーナ。
歩いているのはヴェレッドだけ。ファウスティーナは歩いてないのでこれを散歩とは言えない。そもそも、おぶわれる必要がどこにあるのか。足は怪我をしていない。歩ける。何度か降ろしてと言うも無視。抗議の意思を込めて、左襟足髪を軽く引っ張っても無視である。
「痛いんだけど」
「痛くないように力は入れてません。というより、自分で歩けます」
「偶には良いじゃない。こういうのも」
「いつだったか、司祭様に抱っこをされたまま散歩したことがあります」
「ああ、うん。知ってる。シエル様の真似をしたの」
シエルの真似をしたがるのが彼。真似をして楽しいかと問うても、不敵な微笑みを浮かべるだけで言葉はない。
しかし不思議だ。
おぶわれるのもだが、抱っこをされるのも安心してしまう。抱っこをされながら左襟足髪を触るとヴェレッドは呆れたような、でも懐かしいものを見る眼差しでファウスティーナを見下ろす。
今朝、突然の突撃をかましたエルヴィラは一緒にいる使用人らしき女性と眠っている。目覚めるであろう昼までたっぷりと時間はある。散歩を終えたら、シエルの書斎にお邪魔して睡眠に効果のある薬草を探すのも手だ。今日は暇な1日となる予定だったのですることがない。
「そうだ。シエル様とのお出かけは無理だけど、俺だったらお嬢様と街に行けるよ?」
「行きたいですが……司祭様にエルヴィラを任せきりにするのも」
「良いんじゃないの? どうせ、シエル様が出した速達が届いて公爵様達が来るにしても、恐らく早くても昼前。それまではシエル様も時間が空いてるだろうし」
「司祭様は今?」
「さあ。教会1周したら戻ってみる?」
ヴェレッドの提案に頷いた。
宣言通り、おぶわれながら教会を1周した後、今シエルがいるであろう司祭の部屋に向かった。
部屋ではやれやれと苦笑するシエルと額に手を当てて溜め息を吐いたオズウェルがいた。
「やあ、助祭さん。朝から疲れてるね」
「疲れますよ……全く」
ファウスティーナは降ろしてもらうとオズウェルの足元へ駆けた。
「あの助祭様、エルヴィラのことは……」
「シエル様から聞きましたよ」
「申し訳ありません……」
「あなたが謝っても致し方ないでしょう。エルヴィラ様の夢見の悪さは、3年前からですし。1度、公爵夫人がエルヴィラ様を連れて此処に来ているのですよ」
「お母様とエルヴィラが?」
初耳だ。ファウスティーナに気を遣って耳に入れないようにシエルとオズウェルが隠していたという。
睡眠薬を処方してもらう前のことで、何度もベルンハルドに会いたい、会えば悪夢から解放されると訴えるエルヴィラの願いをどうにかしてあげたい。しかし、婚約者の妹の願いを叶えてほしいとはリュドミーラも王家に懇願する訳にもいかず。苦肉の策として、ベルンハルドがファウスティーナに会いに来る定期訪問の日に内密に教会へ来たのだ。
「お父様はこのことを……」
「勿論、知らせたよ」
穏やかな微笑みを見せるシエルが続きを教えてくれた。
神官がリュドミーラとエルヴィラを連れて司祭部屋を訪れた時は、追加の書類をシエルに無理矢理押し付けられたオズウェルは仕事が滞る……と項垂れた。微笑みを浮かべながらも、一句間違えれば美しさの裏に隠された鋭利な刃で切りつける気が有りすぎるシエルが訪問理由を訊ねたら――……予想通り、エルヴィラをベルンハルドに会わせる為だと話された。
「あ、ははは……」扉付近の壁に凭れたヴェレッドが愉快な嗤いを零す。
「面白いね公爵夫人と妹君。いいなあシエル様と助祭様。俺もその仲良し母娘劇場観たかった」
「口を慎みなさい坊や」
「ヴェレッドの気持ちも分からないでもないが……やれやれ、もっと他に方法が思い付かなかったのか」
聞いてるだけで恥ずかしくなるファウスティーナは小さくなりたくなった。エルヴィラが最も大事な母でも非常識な行動はしないと思っていただけに。無論、ファウスティーナがベルンハルドと会っている最中エルヴィラが来たこともリュドミーラが来たこともない。知らぬ間にシエルやオズウェルが対処していたのだ。後から話がいったシトリンから、後日謝罪の旨が書かれた手紙が送られた。
『役立たず』や『能無し』といった暴言を吐かれる悪夢。ファウスティーナとて、何度も見続ければ睡眠に影響が出てぐっすり眠れなくなる。医師の処方した睡眠薬で眠れていたのが今になって効果が出なくなったのは、薬に対して体に耐性が出来始めたから。もしくは、悪夢に関連する出来事にエルヴィラが遭遇して効かなくなり始めているとか。可能性は様々あるが、今は父達の到着を待つのみ。
――数時間後
時刻は昼食前。そろそろ到着する頃だろうと、メルセスと刺繍をしていたファウスティーナは時計を一瞥した。針も昼の数字を指している。手を止めてメルセスを見上げると彼女も同じ気持ちだったみたいだ。
「参りましょうか」
「うん」
刺繍を横に置いてソファーから降りた。
メルセスと共に部屋を出ると丁度シエルと出会した。誕生日の祝福を授かりに来る貴族が来ない貴重な日なのでシエルの仕事が少ない日。エルヴィラが来なければ、一緒に街へ行っていた。
シエルの後ろにはヴェレッドもいる。眠そうに欠伸をしている。
「ふあ……ねむ。もう1回寝る」
「寝すぎだよ。何時間寝るの」
「寝る子は育つって言うでしょう」
「君はもう育たなくていいよ」
長身のシエルよりちょっと背が低いだけのヴェレッドも高い部類に入る。2人ほどとは言わないが高い身長が欲しい。
シエルに手を差し出され、仲良く手を繋いで屋敷の外に出た。
心地好い風が吹き、茶色に染まった葉っぱが空を舞う。
「あ」
ファウスティーナは声を漏らした。前方から馬車が向かってくる。
「ん?」
シエルが怪訝な声を発した。前方から来る馬車に向かって、距離を置いて後方からも馬車が来る。
合計2台の馬車が付近に停車した。
どちらもヴィトケンシュタイン公爵家の家紋が刻まれた馬車。
仮に両親と共にケインがいるとしても2台では来ない。
どういうことなのか瞬きをしていると、御者が開ける前に前方の馬車の扉が乱暴げに開かれた。
思わずシエルの腰に抱き付くと後ろに隠された。
こっそりと降りてきた人物を見て目を丸くした。
白髪の多い空色の髪をオールバックにした、目付きの凶暴な薄黄色の瞳の老人だった。昔、事故で右足に怪我を負って以来杖を使わないと歩けないと聞いた。前の人生でも片手で数える程度にしか会っていない祖父オールド=ヴィトケンシュタイン。息子のシトリンとは真逆の迫力満載の顔面は小心者が目にすると逃げ出したくなる。
滅多に会わない祖父の、怒気に包まれた雰囲気にエルヴィラが関わっているのではと勘繰る。
後方にある馬車からも人が降りた。
慌てたシトリンとリュドミーラ、普通に降りるケイン。
どんな時でも兄だけは変わらない。
意外な祖父の登場に11歳以降の記憶が抜け落ちているのは痛いと改めて実感した。
「……面倒なのが来たね」
シエルの小声が届いたのか、オールドは大股でシエルの前に立った。
「此処に屑な小娘がいると聞き引き取りに来た」
「父上! エルヴィラのことは我が家の問題です。父上には関係ありません!」
「黙れシトリン! お前がそこの顔だけの女との婚約に拘ったから、家名に泥を塗る出来損ないが生まれるのだ!!」
――ひいぃ……お祖父様ってこんな怖い人だっけ!?
シエルの腰にしがみつく手に力が入ると頭に手が乗った。涙目で見上げるとシエルが安心させるよう微笑みをくれた。
片手でしか会う機会がなかったといえど、祖父オールドは基本無口なイメージしかなかった。挨拶を述べるとそのあとは大体ファウスティーナだけ外されたのでどのような人かは詳しく知らない。
ただ、祖父がリュドミーラを認めていないのだけは伝わった。
「お、お義父様っ、あんまりではありませんか!」
「屑を屑と、出来損ないを出来損ないと呼んで何が悪い。第一、お前のような無能に義父と呼ばれる筋合いはない!」
「そ、そんな……っ」
顔を青ざめ、紅玉色の瞳から涙を流し始めたリュドミーラは怯えた相貌でシトリンの背に隠れた。シトリンが「父上っ」と強い口調で呼ぼうがオールドは意にも介さない。
不意にシトリンの側にいたケインへ鋭い眼光をやった。
「唯一の出来がいいのは、まともな跡取りがいることだけだ」
「……お褒めに預かり光栄です、お祖父様」
口では誉めていても、醸し出す雰囲気や表情ではケインのことも認めていない。リュドミーラが生んだにしてはまだまともだと言いたげ。
苛立ちを覚えたファウスティーナだが、ここはぐっと堪えた。
「……とりあえず、詳しい話は中で聞きましょう。エルヴィラ様もそろそろ起きますでしょうし」
これ以上此処にいても、状況が良くなるのは絶対にない。
シエルの提案をオールドは受け入れた。
「ファウスティーナ」
「!」
不意にシエルの後ろに隠れているファウスティーナに同じ薄黄色の瞳が向けられた。太陽の光を冠するそれには似合わない、薄汚れた黒が混ざっている。
「お前はそこの出来損ないが生んだ中で最も優秀な子だ。屑の小娘と大違いだ。何より……アーヴァに似て美しいなあ……」
「っ……」
背中から頭に走った強烈な寒気。舐めるように下から上まで見られ、祖父が孫を見やる目つきじゃない。シエルが抱き上げたので欲望が全開になった眼から即座に解放された。
背中を撫でられて知った。
自分の体が震えを起こしていると。
「孫との時間を邪魔しないで頂こうか王弟殿下」
「あからさまに怖がられているっていう現実を知りたまえよ、先代公爵」
「っ、若造風情が調子に乗りおって……! 儂を誰だと思っている!?」
オールドの怒声は響きがすごくシエルにしがみつく力が強まった。背中を撫でてくる手の温もりとシエルから伝わる温もりがあって恐怖はまだ限界を超えない。
メルセスが心配げにファウスティーナの頬を撫でに来る。……1人、いなくなっていた。
見事な薔薇色の髪と瞳をした男性の姿がない。
すると――
「誰って、先代ヴィトケンシュタイン公爵様でしょう?」
「!!」
オールドの怒りに答えたのはオズウェルだ。少しだけ顔を後ろに動かすとヴェレッドがオズウェルの側に控えている。なるほど、彼が呼んできたのだ。
オズウェルが姿を見せると先程までの勢いを急速に落としていくオールド。些か、顔色まで悪い。
「年寄りが若者を威嚇するんじゃない」
「遅いよヴェレッド」
「俺のせい? ちゃんと助祭様連れて来たじゃん」
「エルヴィラ様が来ただけでも問題なのに、あなたまで来るとは……。問題行動を起こすのはヴィトケンシュタインの血筋ですか?」
「なんだとっ!?」
「元気がいいのは結構。全員、屋敷に入りましょう。メルセス、お茶の準備をしてあげなさい」
「はーい」
再び勢いの戻ったオールドだったが、冷徹さが色濃く宿った青銀に睨まれると見る見るうちに萎んでいった。オズウェルに対し、恐怖心を抱いているのは明らか。場違いなノンビリとした声で返事をしたメルセスが踵を返した時だ。
オズウェルが再度メルセスを呼んだ。
「オールド殿は葡萄酒にしてあげなさい。遠路遥々やって来られたのだから」
「!? いい、いや、儂も皆と同じでいい…………」
「だ、そうですが?」
「それは残念」
口で言う割に声色に残念さはない。
ファウスティーナはシエルに抱っこされたまま屋敷に入った。
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