17 まだまだ先は遠い
紙一面に婚約破棄の四文字を書き殴るファウスティーナ。裏も使って隙間もない程書く。書き終わって紙を見つめる。一種の呪いの札に見えるのは気のせいか。
お茶会が明日に迫った。
今の時刻は既に夜。入浴も夕食も終わり、後は眠るだけ。王妃にデザインしてもらったドレスはファウスティーナの部屋に置かれている。明日の朝早くから侍女達が準備をしてくれる。ベルンハルドの誕生日パーティーより規模は小さいと言えど、王妃が主催するお茶会。気合いの入った彼女達を少々恐ろしく感じつつ、婚約破棄とびっしり書かれた紙を引き出しに仕舞った。ファウスティーナの部屋の掃除を任されているリンスーでも、机の中までは掃除しない。
ベッドの下に隠しているノートの対策もばっちりである。前回の記憶を取り戻す前に、誰かに見られたら恥ずかしいからとスケッチ帳をベッドの下に隠している所を、掃除をしていたリンスーに発見された事があった。描いたのは庭に咲いている花だが、画力のないファウスティーナでは綺麗な花も道端で枯れた雑草と成り果てる。
顔を真っ赤にして慌てるファウスティーナに生暖かい目をしたリンスーは、掃除が終わると何も見なかった様にスケッチ帳をベッドの下に置いてくれた。因みにそのスケッチ帳の表紙には【ファウスティーナのお花専用スケッチブック】と書いていた。
【ファウスティーナのあれこれ】も見つかってもあのスケッチ帳と同類の物と思われているので、ベッドの下の掃除が終わるとそっと元の場所に置かれている。
大きく体を伸ばしたファウスティーナは椅子から降り、ベッドへ飛び込んだ。
「明日の要注意人物は、ベルンハルド殿下にエルヴィラ、アエリア様、他は……他の家の令嬢にも気を付けなきゃ」
特にアエリアとは、王太子妃の座を奪い合った仲。リセットされたとは言え、アエリアは初めからファウスティーナに対し敵意剥き出しだった。
王太子妃筆頭候補と第2候補。
自嘲気味な笑みを浮かべた。
「周りは、私とアエリア様のどちらかが王太子妃になると思っていたものね。でも、ベルンハルド様はずっとエルヴィラだけを見てきた。殿下から憎まれる私と全く相手にされなかったアエリア様」
2人して共通するのは、想像を絶する努力をして自分を磨きながらも、寵愛を欲する王太子の気持ちを終ぞ得られなかった。
アエリアと顔を合わせる度によく罵倒された台詞がある。ファウスティーナに言われても、もうどうしようもないのに。
「ふわあ……寝よう」
瞼を閉じたファウスティーナは眠った。
*ー*ー*ー*ー*
薄暗い場所にファウスティーナは立っていた。何処だろうと首を傾げると2人の人間がいた。大きくなった自分とアエリアが向かい合っていた。
諦念を浮かべた自分にアエリアが感情を乱し、何かを言っていた。2人の表情は見えるのに声が聞こえない。読唇術を多少身に付けているファウスティーナは、口の動きからアエリアの言葉を分かる範囲で読み取った。
「”貴女は世界一の大馬鹿者”……」
酷い言われ様だと溜め息を吐いた。
だが、罵るアエリアはどうして大粒の涙を流して泣いているのだろう。
彼女と自分は敵同士。親しい間柄ではなかった。
「でも……」
アエリアに責められ、力なく笑みを向ける自分をファウスティーナは見つめた。
「アエリア様にやられた事は忘れてないけど、アエリア様だけだったかも。私が――」
先の言葉は発せられなかった。
目の前の光景が急激に消えていく。
*ー*ー*ー*ー*
「お嬢様! 後10秒で起きないとお嬢様のスープだけ具なしにしますよ!」
「何でよ!?」
具なしのスープは飲んでいると口が虚しいので具沢山のスープにしてほしい。
リンスーの声で飛び起きたファウスティーナは条件反射でツッコミを入れた。
外を見るともう朝。太陽の光が窓から差し込み、直視できない程眩しい。
「おはようございますお嬢様」
「もう! 朝食を脅迫のネタにして起こさないでよ!」
「これだとお嬢様はすぐに起きてくれるので」
「……」
貴族でも人間。食い意地が張って何が悪い。
半眼になりつつ、ベッドから出た。朝からシャキッとしてもらわないと困るので冷水の入った桶を受け取った。直にくる冷たさが寝惚けた意識を瞬く間に覚醒させた。
リンスーから石鹸を受け取った。
「お嬢様?」
石鹸を見つめるファウスティーナに怪訝な声を出す。
「ねえリンスー。私が使ってる石鹸って蜂蜜の甘い香りがするわね」
「お嬢様の使用している石鹸は蜂蜜がたっぷり使用されているので。他にもオリーブや肌に優しい植物のオイルを使っています」
蜂蜜はヴィトケンシュタイン領の名産品の一つ。ある一帯の領地全体で作られている蜂蜜は高い品質を誇るが数に限りがあるせいでどうしても値段が高額になってしまう。
うーん、と考えながらもまた今度にしようと石鹸を泡立て顔を洗った。
濡れた顔をタオルで拭いていく。次に渡されたローションで肌を保湿し、クリームで蓋をした。
朝から蜂蜜の香りに包まれて幸せ~と綻ばせた。
髪をゆっくり丁寧に梳いてもらい、寝巻きから軽めのドレスに着替えると食堂へ向かった。
自分の席に座ると小さな欠伸を一つ。
「また夜更かししたの?」
ケインが呆れながら言う。
「本が面白くて」
嘘。
本は読んでいない。今日のお茶会の事をずっと考えていただけ。
「お兄様だって、よく夜更かししてるではありませんか」
「ファナとは違ってスッキリ起きてるから除外だよ」
「ぐぬぬ……」
言い返せない。今度、夜更かししても朝スッキリと起きられるコツを教えてもらおう。
「ファナもケインも読書好きだね。新しい本でも買ってあげようか?」
「でしたら、イル=ソーレ通りにあるアレイスター書店へ行きたいです」
王都にある幾つかの書店の内、最も古いのがアレイスター書店である。ヴィトケンシュタイン家の書庫室にある膨大な本の中にもアレイスター書店から買い取った物はある。
「アレイスター書店か。連れて行ってあげたいが暫く忙しくなりそうだから、すぐには無理だよ」
「旦那様ではなくても、私が同行しますわ」
ファウスティーナとケインは同時に顔をギョッとさせた。貴族御用達の高級店しか行かない母が、歴史があるとは言え古臭い書店へ同行すると言い出したのだ。昨日といい、リュドミーラに何が起きたのか。ファウスティーナは目をパチクリとさせつつ、運ばれたスコーンをナイフとフォークで一口サイズに切った。
「エルヴィラも好きな本を見つけてきなさい」
「わたしは本なんか欲しくありません。あ、でもぬいぐるみが欲しいですわ!」
(エルヴィラならこう言うよねえ。でもぬいぐるみか。私も欲しいな)
「この間白のテディベアを買ってあげたじゃないか」
「ラビットのぬいぐるみもほしくなったんです。買ってくださいお父様!」
やれやれと眉を八の字に曲げて苦笑するシトリンに便乗してみようとスコーンを飲み込むも、今言うと貴女は駄目だと言われそうな気がするので止めた。
「ならエルヴィラ。新しい家庭教師との勉強を真面目にすると約束出来るね?」
「え……そ、それは」
「それが出来るなら、新しいぬいぐるみを買ってあげよう」
「旦那様、エルヴィラだけそれは……」
妻の台詞を遮るようにシトリンは首を振った。
「ケインやファウスティーナが買っただけで読まないのなら同じ事を言ったよ。エルヴィラ、エルヴィラはピアノが得意だね」
「は、はい」
「得意のピアノが上達したらどんな気持ちになる?」
「嬉しいに決まっていますわ!」
「その気持ちを勉強にも回してみなさい。勉強が分からなくて嫌になるのは皆一緒だ。難しい曲にチャレンジしていると思って。成功した時の達成感を君は知ってるんだ」
「はい……」
ぬいぐるみを買ってもらう条件として勉学の方を真面目にする事を付けられ、落ち込むエルヴィラにシトリンは苦笑しながらも暖かい目をしていた。リュドミーラは心配げにエルヴィラを見つめる。
その後は何もなく朝食の時間は終わり。お茶会へ行く準備が始まった。とぼとぼと部屋へ戻って行くエルヴィラの後ろ姿を眺めた。楽譜を読むのにも理解力は必要だ。エルヴィラは決して馬鹿じゃない。意識を真面目な方向へ持って行けば確りとした子になる可能性は大いにある。
そこでファウスティーナは閃いた。先程のシトリンのやり方を真似ようと。ピアノを例えにしてエルヴィラが勉学に励む方向へ向かわせれば、何時しかベルンハルドと結ばれ婚約者になったとしても王妃教育も上手くいくのではないかと。
「これよ!」
「わ、急に大声を出してどうしたのですかお嬢様」
「リンスーこれよ!」
「これとは?」
「リンスー私は頑張るわ! ううん、頑張らなきゃいけないのよ!」
「お嬢様がどういった方向で頑張るかは非常に不安ではありますが応援しています」
「ありがとう! じゃあ、お茶会へ行く準備をしましょう! きっと美味しいスイーツが沢山あるんだろうなあ」
「食べ過ぎには注意してくださいよ」
美味しい料理やスイーツに目がないファウスティーナが会場で食べ過ぎてお腹を壊さないか、リンスーは心配だった。まあ、お目付け役のケインがいるのでストップをかけてくれるのを祈るだけ。
部屋に戻ると、待ってましたとばかりに侍女達がファウスティーナを着飾っていく。
時間を掛けて綺麗にされたファウスティーナはリンスーや準備をしてくれた侍女達に振り向いた。
「どう? 王妃様がデザインしてくれたドレス」
「とても素敵ですファウスティーナ様!」
「ファウスティーナ様の髪の色とピッタリです!」
青銀の上品な光沢感が魅力の生地で作られたドレスだがよく動くファウスティーナの為に身動きが取りやすいデザインとなっている。絶妙な色が出るようにスカート部分にはラメチュールを4枚工夫して重ねている。空色のウエストリボンが結ばれ、姿見の前で確認。髪には紫色のアザレアの髪飾り。白、桃、赤と他にもあったが前回エルヴィラが好んで身に付けていた色で苦手意識がある。
後、何でも合う白は兎も角、桃や赤は自分には似合わない。
「お似合いですよ! お嬢様! ですが宜しかったのですか? アザレアの色が紫色で」
「うん。それにこの色の組み合わせ落ち着くの」
会場である王城へ行くまでにはまだ時間がある。準備を終えたファウスティーナは、待っている間に本を読もうと本棚の前に立った。
「どれにしようかな」
「短編集はどうですか? 一話一話が短いので急に呼ばれても、戻ってからまた最初から読めますよ」
「それもそうね。短編集……うーん、私持ってないわ。アレイスター書店に行ったら短編集を候補に入れようかな」
欲しい本が増えてほくほく気分に浸る。
余った時間はどうしようか悩むも待っているだけで時間は過ぎていく。
大人しく待とうとソファーに座った時。ノックの後エルヴィラが入ってきた。
「エルヴィラ?」
入るなり爪先から頭の天辺まで食い入る様に見てくる視線に居心地を悪くしながらも訪問の理由を問う。
エルヴィラのドレスは色の違うチュールを5枚重ね、ふんわりとしたチュールスカートが可憐な花を思わせる色合いを醸し出していた。ウエストのリボンはエルヴィラの好きなピンク色。
あのデザイナーのエルヴィラに対する目は本物なんだなと見ているとエルヴィラの眉間に皺が寄った。
「お姉様はベルンハルド様の婚約者である自覚がありますか? そんな地味なドレスでお茶会に行くなんて」
ファウスティーナはある一言で表情を険しくした。急な姉の変化に「ひっ」と短い悲鳴を漏らした。
「エルヴィラ。今の発言撤回しなさい。デザインをしてくださった王妃殿下に無礼よ。それにこのドレスを作った職人に対しても。言っていい事と悪い事が判別出来ない貴女こそ、お茶会に行く資格なんてない」
前回非道で冷徹な姉と言われただけあって、7歳ながら冷えた瞳でエルヴィラを叱責したファウスティーナに大人の侍女も背筋が凍った。冷気を直で向けられたエルヴィラは足を震わせ、唇を噛み締めファウスティーナを睨む。しかし、我が儘な妹に睨まれたくらいでは動じない。
「馬車の準備はもう出来てるの?」
「は、はい」
「じゃあ、私は先に乗って待ってるね」
「あ、お待ちくださいお嬢様!」
このまま此処にいてエルヴィラが泣き出したらお茶会どころじゃなくなる。ファウスティーナがいなくなって暫くしたら落ち着く。
早足で部屋を出たファウスティーナは屋敷を出て、門の前で待機している馬車に乗り込んだのだ。
誰もいない空間でガックリと肩を落とした。
「……今の、完璧に前と同じじゃない。
……ん? 私って案外悪役専門の女優になれそうかも?」
読んでいただきありがとうございます!